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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
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生贄の街 1

 滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い―――マタイによる福音書7:13

 昼前から降り出した雨は今や豪雨へと変わっていた。まだ昼間中だというのに外は薄暗く、滝のような雨が視界を覆う。目に流れ込む雨水を払い、水浸しの道を走り抜けて、目に付けた廃屋に滑り込んだ。

 水滴が散って埃の積もった床に斑模様を作る。袖で乱暴に顔を拭うと、リゼ・ランフォードは振り返って自分に続いて廃屋に入ってきた人物を見た。

「酷い目に遭ったな」

 服の裾を絞りながらアルベルト・スターレンは言った。見る見るうちに床に小さな水溜りが出来ていく。リゼも同じく濡れ鼠状態だったが、濡れた服を気にする様子もなく、開け放たれた玄関から空模様を窺った。

「この雨ではしばらく動けそうにないわね」

 まさに車軸を流したような激しい雨。一歩でも外へ出たらずぶ濡れ必至だ。さすがのリゼもこの雨の中を強行しようとは思わない。しかも進行方向には川があったから、この雨で氾濫している可能性大である。

(ということは少なくとも雨が止むまでここに釘付けか……)

 止みそうにないどころか、雷光が閃き風は勢いを増していくため、豪雨から嵐へと発展しつつある。天気の回復は諦めて、リゼは大荒れの空から地上へと目を移した。

 二人が雨宿りに選んだのは、廃墟となった街の民家だった。窓の外に立ち並ぶ灰色の家々と丁寧に(といってもかなり壊れているが)敷かれた石畳の跡から、ここが立派な街であったことが窺える。廃墟となってからそれなりに年月がたっているようだ。リゼと同じく外の町並みを観察していたアルベルトは不意に呟いた。

「この街は……おそらくマリークレージュだ」

 マリークレージュは、聖地巡礼にて巡る七つの神聖都市のうち二番目と三番目の都市、フィラデルフィアとサルディスの間にある宿場街であった。間といっても二つの都市を結んだ線上にあるわけではない。もっと北西の方にずれていて、二つの都市とマリークレージュを線で繋ぐと、ちょうど正三角形になる位置にある。

 このような外れた位置にあるにもかかわらずマリークレージュが宿場街として使われたのは、フィラデルフィア―サルディス間に横たわる深い渓谷が、人の往来を妨げていたためだった。故にこの二つの都市を行き来したかったら、渓谷が途切れるマリークレージュの辺りまで迂回する必要がある。当然時間がかかるため、疲れ切った巡礼者達が、余分な金を払ってでも温かい食事と柔らかい寝床を求めるのは必然だった。かくしてマリークレージュは巡礼者が落とす金で大いに栄えたのだった。

しかし栄華は長く続かない。三十年前、渓谷に橋がかけられて、フィラデルフィアとサルディスを最短距離で結ぶ新しい街道が整備されたのである。それにともない、マリークレージュを訪れる巡礼者の数が激減。一時は都市と呼べるほどに発展したにもかかわらず、宿場の他に産業のないマリークレージュはあっという間に衰退した。

「それですっかりゴーストタウンになった、ということ?」

「いや。マリークレージュから人がいなくなったのは、二十年前に起きた地震のせいらしい」

 相当な規模の地震で、マリークレージュは生存者を一人も出すことなく崩壊した。以来、街道から外れたこの町に訪れる人はなく、打ち捨てられ朽ち果てるままになっている――――

「というのが公式の記録なんだが……どう見ても地震で滅びたとは思えないな」

 降りしきる雨の中に浮かぶ石造り家々は、長年の風雨で所々崩れてはいるものの、そのほとんどが原形を留めている。二人が雨宿りに選んだこの家も、風化による損壊のほうが大きいように思える。

「住民全員が死んでしまうほど大きな災害があったとは思えない」

「そうだな。だがそれなら何故、記録には地震と書かれているのか……」

 その時、隣の部屋から物音がした。一拍置いてさらに大きな音が響く。

「何……?」

再び物音。無言の話し合いの結果、アルベルトが先行して隣の部屋に入った。

音の発生源は床下にあるようだった。地下倉庫でもあるのだろう。部屋の隅の床にぼろぼろに腐った木戸がある。ぽっかり開いた暗闇から、例の物音が聞こえてきた。いや、これは物音というより何かの声だ。

 倉庫の様子を窺っている間にも、何かの声はどんどん大きくなっていく。ゆっくり歩を進めながらアルベルトは剣の柄に手をかけると、

 ギャァァァ――ッ!

 悲鳴のような鳴き声をあげながら襲い掛かってきた蝙蝠の魔物を一刀両断にした。きれいに真っ二つになった蝙蝠がぽとりと地面に落ちる。一瞬間を置いて飛び出してきたもう一匹も、鮮やかな太刀筋で斬り捨てた。

が、その時、微妙なバランスで成り立っていたと思われる床が急激な重量変化に耐え切れず陥没した。

「キャ――――――ッ!」

崩壊音と一緒に人間のものと思われる悲鳴が聞こえた。続いて巻き上がった粉塵に咳き込む声。落下を免れたアルベルトは崩壊した床の縁に立つと、砂埃舞う穴の底を覗き込んだ。

「まさか天井が崩れるなんて……あら?」

 床の穴から埃まみれになって這い出してきた人物は、リゼとアルベルトの姿を目に留めると、灰色の目を二、三度しばたかせた。埃でも入ったのか、今度は目をゴシゴシこする。そうしてその人物――二人と同じくらいの歳の女は立ち上がると、アルベルトの前を素通りして真っ直ぐリゼの元へ向かった。

 粉塵で白っぽくなった栗色の髪を揺らしながら、女はリゼに詰め寄った。初対面にしてはありえない距離感でじろじろとリゼを観察する。

「緋い髪、蒼い瞳。間違いありませんわ……」

 その瞬間、女は神業的なスピードでリゼの右手をがしっと掴んだ。そのまま胸元に引き寄せると、両手で包んで握り締める。そして不敵な微笑みを浮かべると、

「ようやく見つけましたわ! 貴女こそがわたくしの救い主ですわ!」

「……………………は?」




「あらいやだ。わたくしったら自己紹介を忘れていましたわね。ティリー・ローゼンですわ。貴女のお名前を伺ってもよろしくて?」

 いきなり手を握ってよく分からないことを言ったと思ったら、今度は思い出したように名を名乗る。なんだこいつと思いつつも、女の有無を言わさぬ口調に、リゼは仕方なく口を開いた。

「……リゼ・ランフォードよ」

「良いお名前ですわね。リゼと呼ばせてもらってもよろしいかしら。あ、そちらの貴方も何とおっしゃるの?」

「え? ああ、アルベルト・スターレンだ」

「アルベルト・スターレン、ですわね。貴方も名前で呼んでもよろしくて?」

「別に構わないが……」

「ではリゼにアルベルト。今後ともよろしくお願い致しますわ」

今後があるのか。というか目的は一体なんなのだ。

「いきなり出てきてあなた一体何者? 何のつもり?」

「いきなり出てきたのは地下通路を通っていたら天井が崩落したせいですわ。名前ならさっき名乗りましたわよね。そして何のつもりでいるのかというと……」

 ティリーはぐっと握り締めた手に力を込めた。

「わたくしに貴女の能力を研究させて頂けませんか!?」

「研究?」

 突発的な申し出に疑問符しか浮かばない。何と答えるべきなのか考えている間にも、女は一人話を進めていく。

「わたくしは悪魔研究家なのですわ。悪魔祓い師でなくとも悪魔を倒せる方法を研究していますの。その研究のために貴女の協力が必要なのですわ」

「私には協力出来ることなんてないと思うけど」

「まあ、とぼけなくても良いじゃありませんの。貴女でしょう? 悪魔祓い師のいない町や村に現れては、悪魔を祓い人々を救うという“救世主”は」

「人違いね」

「いいえ貴女ですわ。だって悪魔祓い師と一緒にいるんですもの。ね、ラオディキアの教会から逃げ出した魔女殿?」

 ティリーの何気ない一言で、さっと空気に緊張が走った。身構えるリゼとは裏腹に爆弾を投下した本人は、世間話をするかのような口調で話し続ける。

「少し前、神聖都市ラオディキアに一人の魔女が現れた。魔女は自身を救世主と称し、貧民街の住民は魔女を崇拝した。もちろん教会はすぐさま魔女を捕まえて教会牢に閉じ込めた。けれど魔女は脱獄した。一人の悪魔堕ちした悪魔祓い師を連れて。これは貴女達のことでしょう?」

「……詳しいんだな。どうやって知ったんだ?」

 アルベルトが問いただしても、返ってきたのは人を食ったような答えだった。

「風の便りで。まあそんなこと、どうだって良いじゃありませんの。わたくしにとって重要なのは、救世主であり魔女である人。リゼ、貴女に会えたことですわ」

 灰色の瞳がそれはもうきらきらと輝いている。探究心とか情熱とか、そういったものが色々混ざり合ったティリーの気迫に気圧されて一歩引こうとしたが、どこにそんな力があるのかというぐらいしっかり手を掴まれているのでそれも叶わない。

「断る。あなたに付き合う義理はない」

 リゼは渾身の力でティリーの手を振り解いた。反動でティリーはよろめいたが、なおもリゼに詰め寄ろうとする。その彼女に今度はアルベルトが質問した。

「ところで君はマリークレージュで何をしているんだ? ここには何もないだろう」

それに対してティリーは当たり前のこと聞かれたような様子で答えた。

「何もないですって? いいえ、ありますわ。悪魔召喚の痕跡が、ね」

「何だって! それは本当か?」

「もちろん。嘘ではありませんわ」

 ティリーはにっこり微笑んで、招待客を出迎える主人のように礼をした。

「ようこそ。悪魔召喚の犠牲となった街、マリークレージュへ」




 神聖アルヴィア帝国の国教、その正式名称をマラーク教と言う。神を信じその教えを守る者は、神によって救われる。苦悩多き今生で救いを得たければ、悪魔の誘惑に負けぬ篤い信仰を持たなければならない。

 しかし神に救いを求めぬ者もいる。世俗的で物質的で自分勝手な願いを叶える為に、悪魔と契約する道を選ぶのだ。退廃を美とし悪徳を是とし、我欲のために悪魔を崇めること。それはいつの頃からか悪魔教と呼ばれるようになった。

 悪魔召喚は悪魔教の信者にとっては重大な儀式であろう。何せ彼らの『神』を呼び出すのだから。だがそのためには多くの生贄が必要だ。人攫いや行方不明者が増えたと思ったら、その近くで悪魔召喚の儀式が行われたということがあったりする。過去、村一つが犠牲になったという事例も少なからず存在する。

 とはいえ、マリークレージュほどの規模の街が丸ごと悪魔召喚の生贄されたなど、前代未聞の事態だといってもいいだろう。

「マリークレージュは聖地巡礼の通過地点であった街。それが悪魔召喚の犠牲になったとなれば、教会の面目は丸つぶれ。だから教会はマリークレージュが滅びた原因を地震だなんて言ったんですよ。もっとも実物を見てみればそうでないのはすぐに分かります」

 そこでダレンという名の悪魔研究家は眼鏡の位置を直した。

「そうね。しかも地震だなんて言っておきながらわざわざ見張りを置いて封鎖しているし。おかげで今の今まで調査が出来なかったわ」

 褪せた赤毛の研究家・メリッサが不満たっぷりに言う。続いて同じく研究家のレスターがぼそりと言った。

「……その分、今回頑張らないと」

「もちろんですわ。やりますわよ、皆さん!」

 研究家達が盛り上がりを見せる一方、

「でもこんな廃墟調査に付き合わなきゃいけないなんて。埃っぽいしなんか不気味だし。そのくせダレンは報酬をケチるし。もう、信じらんない」

「確かにな。ダレンの奴、オレ達を便利屋扱いしやがって」

 不満タラタラなのは、薄汚れた茶髪の体格のいい男・グラントとその彼にべったり引っ付いた派手なピンク髪(あれはおそらく染めている)サニアだ。ダレンの護衛であって研究者ではない彼らにとって学術的調査はどうでもいいことなのだろう。

「で、でも、この調査で悪魔に関する新たな事実が発見されるかもしれないんだよ? それってすごいことじゃないか……」

 弱々しい声で抗議したのはボリスという名の赤ら顔の小柄な男だ。メリッサの助手で弟子である彼には調査に対する熱意があるのだが、もちろんグラントとサニアには通用しない。

「そんなのあたしたちには関係ないもん。あんなの何が面白いって言うの? だるいだけじゃない」

 サニアに全否定されたボリスは俯いてぼそぼそと否定の言葉を呟いた。どうやら自分の意見を強く主張できないタイプのようだ。

「なあ、あんたらも手伝わされてるクチだろ。廃墟調査なんてやってらんねぇよな」

「……そうね」

 グラントに話を振られたリゼは心から同意して深々とため息をついた。

ティリーの言うマリークレージュの調査には彼女を含めて四人の研究家と護衛及び助手三人によって行われるらしかった。

 ダレンとその護衛グラントとサニア。メリッサとその助手ボリス。助手も護衛も連れていないレスター。あとはティリー。以上が調査のメンバーである。

 そしてリゼとアルベルトはといえば、ティリーに無理矢理連れて来られた挙句、『わたくしの護衛に助手ですわ』と研究家達に紹介されてしまったのだった。

「何で私達があなたの護衛に助手なの」

 ややこしい事態を避けるべく他の人達がいない場所までティリーを引きずったリゼは、不機嫌全開で彼女に詰め寄った。

「だって他に思いつかなかったんですもの。通りすがりの旅人です、なんて言ったら怪しまれてしまいますし」

「と言われても通りすがったのは事実なんだが……」

 アルベルトの呟きをティリーは完全に無視した。

「他の研究家達は“救世主”の噂についてわたくしほど詳しく知りませんわ。それに研究以外では純粋な方々ですから、わたくしの助手だと言っておけばまず疑ったりしません」

 それに、とティリーは続けた。

「貴女が“救世主”だとばれたら、あの人たち全員に質問攻めにされますわよ? それでもいいんですの?」

「うっ……」

「どうせしばらくここにいるのでしょう? わたくしの助手ということにしておくほうがいいと思いますわ。ご心配なく。これが終わったらすぐにあなたの能力について調べさせて頂きますわ」

「さっきも言ったでしょう。あなたに付き合う義理はない」

 あくまで冷淡に言い捨てる。だがティリーにはめげる様子も諦める様子もない。むしろ笑顔を浮かべると、

「研究に協力してくれないと言うなら……教会に通報しますわよ」

 などと脅迫めいたことを言い出した。

「私が処刑されたら困るんじゃないかしら? 研究出来なくなるから」

「他の研究家に渡すぐらいならいっそそうしますわ」

至極真面目な顔で答えるので冗談なのか本気なのか分からない。まあ本気ではないだろう。多分。

「……分かったわよ。付き合えばいいんでしょう」

さっきからずっと同じ問答を繰り返している。相手をするのも面倒になってきたので半ば投げやりに承諾することにした。

「ありがとうございます! そう言ってくれると思っていましたわ! では、さっそく行きましょう!」

 スキップでもしかねない楽しげな足取りでティリーは通路の方へと歩いていく。一方、リゼは疲れきった様子で肩を落とした。

「全くなんでこうなったのかしら」

 なんだかいいように言いくるめられてしまった気がする。結局のところ四人の質問攻めは免れても、ティリーの質問攻めからは逃れられないのだし。

「でも意外だな。すっぱり拒否すると思ったのに」

 アルベルトが少々驚いた様子で言った。

「どっちにしろこの豪雨が止むまでここにいないといけないもの。何かしていたほうがマシね。それに、悪魔召喚には興味がある。“魔女”としては悪魔の喚び方ぐらい、知っておくべきじゃないかしら」

 そう言って、リゼは皮肉っぽく笑った。

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