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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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失われたもの 4

 ぱき、と足の下で落ちていた枝が鳴った。

 その音でアルベルトは我に返った。どうやらぼうっとしていたらしい。疲れているのだろうか。集中力が落ちているのだ。先ほど町を出たばかりなのにもう疲れただなんて、昨晩はそんなに寝つきが悪かっただろうか。

 一歩先にリゼの後姿がある。彼女は疲れなど欠片もない様子で、さっさと歩いていく。仮にも女性に体力で劣ったとなれば、さすがに沽券に関わるかなとアルベルトは苦笑した。

 最も、リゼは下手をすると疲れどころか怪我していることさえ碌に表にしなかったりするのだが。いくら癒しの術を使えるからといって、怪我を全く気にしないのは心配だし心臓に悪い。疲れも大事な時ほど言わないし、もっと信用してくれてもいいと思うのだが――

 ――ああそうだ。これからどこへ向かうのだったか。ふとそう思って、アルベルトは取り出した地図を広げた。今から向かうのは確か南。コノラトという農業の町だ。そこで魔物の情報を得ようと、そう提案した。アルベルトは地図を仕舞うと、少し歩を速めてリゼの隣に並んだ。そうして――

「……? 何があったんだ……?」

「どうしたの?」

 アルベルトの呟きに、リゼがそう問いかけた。少しの間、戸惑っていたアルベルトは状況を理解できないまま、リゼに質問した。

「すまない。ここがどこだかわかるか? さっきまで港にいたはずなんだが――」

「何を言ってるの。ここはルルイリエでしょう?」

 リゼが口にした単語を聞いて、アルベルトは首を傾げた。ルルイリエなんて地名は聞いたことがない。少なくともアルヴィアにはそんな名前の土地はないはずだ。ということはミガーの町の名だろうか。しかしミガー王国には今しがたついたところで、まだこの国の地図すら見ていない。

「ここはメリエ・セラスじゃないのか?」

「メリエ・セラス? そこはもうずいぶん前に出発したじゃない」

「出発した? どういう意味だ? さっき港についたばかりで――」

「そんな訳ないでしょう。これからルルイリエを出て、コノラトへ向かおうと言ったのはあなたよ」

 リゼは怪訝そうな顔でそう問い返してくる。疑っている訳ではないが、彼女が嘘をついている訳でも、ましてや勘違いしている訳でもなさそうだ。どうやらおかしいのはアルベルトの方らしかった。

 リゼはしばらく訝しげな様子でアルベルトを見ていたが、何か考え込むようにうつむくと頭に手を当てた。アルベルトも霞がかかったようにはっきりとしない記憶を探り、考え込む。

(記憶が食い違っている。どうしてだ?)

 今はメリエ・セラスにいるはずなのに、リゼはルルイリエという町にいると言っている。しかしアルベルトはルルイリエという町は知らないし、メリエ・セラスを出た覚えもない。その上いつの間にか見知らぬ森の中にいるし、ここに来た経緯が全く思い出せない。まるで、メリエ・セラスを出てからの記憶がごっそり抜けおちてしまったかのように――

 その時、不意に懐に何か大きなものが入っていることに気が付いた。厚みはなく、感触から察するに紙だ。所持している大きな紙といえば覚書くらいだが、それにしてもきちんとたたんでしまってあるはずなのに。そう思いながら紙を取り出すと、案の定、開かれたままくしゃくしゃになった覚書が出てきた。本来の四つ折りではなく、文字を表にして長方形に折りたたんである。以前読んだ時にこんな折り方をしただろうか? 畳み直そうと覚書を一度広げながら、表になった文字を何気なく読んだ。

 そこに書かれている文章を読んで、アルベルトは驚きで目を見開いた。




 気が付くと、暗い森の中にいた。

 正面から近付いてくるのは、奇妙にねじまがった樹木の魔物。蛇のようにうねる枝が鋭く尖った先端を向けて襲い掛かってくる。リゼは咄嗟に剣を抜きそれを受け止めると、氷霧を創り出して枝全体を凍らせた。そのまま幹まで氷結を拡大させ、風の衝撃波によって粉々に砕く。氷漬けになった魔物が砕け散った瞬間、器を失って逃げ出そうとした悪魔を浄化の術で消し飛ばした。

 悪魔が消え去ってから、リゼは改めて周囲を見回した。立ち並ぶ樹々。生い茂る草花。間違いなくここは森の中だ。全体的に雰囲気が暗く、そこかしこから悪魔の気配が漂ってくる。魔物は倒したが、この分ではあれだけという訳ではなさそうだ。

 いやそもそも、ここはどこだろう? さっきまで、メリエ・リドスの市街地を歩いていたはずなのに。夜のメリエ・リドスの片隅。悪魔憑きと麻薬に侵された人々が集まる場所。魔物が出てもおかしくないぐらい邪気は濃かったが、少なくとも森の中ではなかった。石造りの建物が立ち並ぶ、暗い裏路地だったはずだ。

 ――ここはどこだ。私は何をしていたのだろう。

 思考を巡らせてみても、頭がぼうっとして何も思い出せない。ひょっとして知らぬうちに麻薬の作用を受けてしまったのか、それとも何かの魔術か――。ふと気配を感じて振り向くと、何かの紙を読んでいるアルベルトの姿が目に入った。

「アルベルト? どうしてここにいるの?」

 そう尋ねると、アルベルトは顔を上げて、酷く驚いたような顔をした。それから何かに気付いたかのように、再び持っている紙に目を落とす。その紙に何が重要なことが書いてあるのだろうか。不可解に思ったが、問いただそうとした瞬間、背後に悪魔の気配が膨らんだ。

『消えろ!』

 振り返って浄化の術を解き放つと、靄のような悪魔が浄化されて消滅する。近付いてきたのはその一体だけだったが、悪魔の気配が消え去った訳ではなかった。まだ魔物が潜んでいるかもしれない。そう考えて、リゼは再び剣を構えた。

 その瞬間、右脚に鋭い痛みが走った。

 斬られた。そうすぐに分かった。唐突な痛みにバランスを崩し、その場にゆっくりと倒れる。一体何が。そう思って後ろを振り向いた。

 そこには切っ先が血で濡れた剣を握ったアルベルトが立って、静かにこちらを見下ろしていた。




 何とか森を抜けたゼノとシリルは、たどり着いた先にあったのどかな雰囲気漂う集落を見て、あっけにとられてしばし佇んだ。

「こんなところに人が住んでるんですね。でもここには魔物の巣があるんじゃ……」

「だな。安全な場所とは思えねえけど」

 そんなことを言いながら、集落の様子を見回した。人喰いの森の中にあるというのに、魔物に襲われて困っているという様子はない。建ち並ぶ小屋は傾いでいるが、どうも作りが粗雑なだけで、壊されたせいではないようだ。行き交う住民達は農具やら箱やらを担いで、忙しそうに立ち働いている。

「何か作ってるんでしょうか?」

「野菜でも作ってるんじゃねえの? 森には魔物がいるし、狩りはしないだろ」

 この近くのコノラトは農業が盛んだし、森の中ではあるがこの集落も農耕中心なのではないだろうか。初めてくるからよく分からないけれども……

 ――いや、この場所を知っている。来たことがある。以前もここに来て、同じような会話を仲間と交わした気がするのだ。

(ああもう何ではっきり思い出せねえんだよ!)

 以前――おそらく半年前に何かがあって、そのせいでキーネスは退治屋をやめ、今も苦境に陥っている……はず。その何かが起こったのはおそらくこの場所で、キーネスの言う人喰いの森の魔物と関係している……だろう。分かっているのはそれだけだ。それともう一つ。とても重大なことがあるように思うのだけど、それがなんなのかはっきりと思い出せない。そのことがとてももどかしい――

「……あれ?」

「どうしたんですか?」

「いや、あいつ……」

 ゼノの視線の先には、鋤を担いだ大男がいた。筋骨隆々、堅そうな髭の生えたいかつい顔と、中途半端に禿げ散らかした頭には見覚えがある。というか間違えようがない。

「おい、おっさん!」

 ゼノが呼び掛けると、大男は振り返ってこちらを見た。何用だと言わんばかりの怪訝そうな顔をしている。

「ボルグのおっさん、なんでこんなところにいるんだ? 王都で仕事とか言ってなかったっけ」

 何故か鋤を担いでいるが、ボルグはゼノと同じ退治屋である。以前一緒に仕事をしたことがあるからよく知っているが、ボルグはこの道十五年のベテランで、こんなところで今から農作業しますというようないでたちでいる奴ではない。前回会った時は王都で長期の仕事をするとか言っていたし、こんなところにいるはずがないのに。

「まあいいや。おっさん。この辺でキーネスを見なかったか? 仲間を三人連れてるはずなんだけど――」

「おめえさん。誰だ?」

 仲間の行方を尋ねようとした途端、予想外の質問を投げかけられてゼノは面食らった。『誰』だって? そんなに記憶力悪いわけじゃないだろう。

「は? オレはゼノだよ。ちょっと前に一緒に仕事しただろ? 覚えてないのか」

「おめえさんと一緒に仕事した覚えはねえ。大体おめえはここのもんじゃないだろ」

「何の話だよ。おまえだってここのもんじゃねえだろ?」

 ボルグの出自にそれほど詳しい訳ではないが、砂漠の民であることは知っている。だから農耕なんてやったことないはずだし、わざわざこんな所に住みつくがらでもなさそうだ。なさそうなのだが――

「ああ? 俺は生まれた時からここに住んでんだ。人違いだろ」

 そう言って、ボルグ――のはずの男――ははた迷惑そうな顔をして去っていこうとする。どういうことだよ、とゼノが必死に思考をまとめようとしていると、ボルグはなにやら言い忘れたことがあったのか、振り向いてこう言った。

「そういえば、さっきおめえキーネスっつったな。あいつの知り合いか?」

「え? あいつのことは覚えてんのか?」

 オレだけ忘れられてるなんて酷い、なんて思ったけれど、キーネスは何度もここに来ているようだから知っていてもおかしくない。あいつの情報を聞くためには、少々のことを気にしている場合じゃないと思うことにした。

「覚えてるも何も、あいつもここの住人だぜ。村の外で仕事してることが多いがな」

「住人? 仕事?」

 キーネスはゼノと同郷で、ここの住人だったことはない。まさか音信不通だった半年のうちにここへ腰を落ち着けたという訳でもあるまい。

「仕事って何の仕事だ?」

「森の外に行っちまったここの住人達を探して連れ戻すんだよ。昔、天災で住人の大半が集落を離れざるを得なくなったらしくてな。集落が復興したから住人を呼び戻してるんだ。おめえさんたち、ひょっとしてキーネスに連れられてここに来たのか? ならおめえさんたちも今日からここの住人だな」

 そう言って、ボルグは嬉しそうににやっと笑った。単純に住人が増えたことを喜んでいる。そういう感じで。

 ゼノは混乱する頭で今聞いた情報を忘れないようにと反芻した。

 森の外に出た住人達を探して連れ戻す。昔、天災で住人の大半が集落を離れざるを得なくなった。集落が復興したから住人を呼び戻す。それがキーネスの仕事? 音信不通の半年間、あいつがやっていたことなのか。

 そうだ。今だって、ティリーとリゼとアルベルトをここに連れてきているじゃないか。

 なら、その目的は何だというのだ?

「――なあ。キーネスは今どこにいるんだ?」

 そう尋ねてみたが、キーネスがどこにいるか何となく知っているような気がした。行かなければならない『あの場所』とは、多分ここじゃない。もっと奥。おそらく、ティリー達も同じ場所にいる。

「キーネスか? 知らない奴を何人か連れて“神殿”に入って行くのを見たぞ」

 そう言って、ボルグは山の方を指差した。そこには草木や苔に覆われた古い遺跡のようなものがある。遺跡を見た瞬間、やっぱりオレはここに来たことがあると、ゼノは確信した。

 遺跡の名をゼノは知っている。彼にしては珍しく名前を覚えている。思い出せる。

 あの神殿の名は、アスクレピア。打ち捨てられ、誰からも忘れられた遺跡。

 あそこに、キーネスと――がいる。

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