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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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失われたもの 3

 ドドドドドと地面から振動が伝わってくる。大地の鳴動はそのまま樹々にも伝わり、木の葉を細かく揺らしていた。それを察知した鳥達が異変を察して我先にと飛び去っていくのを見て、ゼノはオレにも羽がありゃあなと心の中で嘆息した。

 人の手が入ったことのない森の中というのは走りにくい。立ち並ぶ樹々に行く手を阻まれ、生い茂る下草とやわらかい腐葉土に足を取られそうになる。道は平坦ではなく、窪みは落とし穴のように隠されていた。禁忌の森は厳しく、人間の都合に合わせてなどくれはしない。

 しかし追う方は森を知り、森を味方につけている。ここで生まれ、ここに棲みついているもの相手に、よそ者の自分達が敵うはずもないのだ。

「シリル! あいつらは今どの辺にいる!?」

「さっきより近付いて来てます! たぶん五十メテルぐらい……追いつかれそうです!」

 背中にしがみ付いているシリルが声音に怯えを見せながらも、しっかりと現状を教えてくれた。朗報とは言い難いその情報に、ゼノは心の中でため息をつく。本当は実際にため息をつきたかったのだが、走り続けて息が切れている状態でそれは無理だった。

 もっと見つからなさそうな場所を通ればよかった。そう思ったが、今更どうしようもない。そもそも最初は隠れようなんて考えは浮かばなかった。南の街道に向かう途中で思い出したあること――森の奥へ行かなければならないという思いにただ突き動かされて、すぐさま森へ取って返したのだ。

 問題は、記憶の浮上があまりに唐突で頭が混乱したせいで、シリルのことをすっかり失念していたことだった。せめてコノラトまで行って退治屋同業者組合(ギルド)にでもシリルを預けてから森の奥へ向かうべきだった――そう思ったときにはもう遅い。すでに禁忌の森の奥深くに立ち入ってしまったゼノ達に、猪の大群が襲い掛かってきたのだ。

 最初にこの森に来た時もそうだったが、あの猪の大群は人間を見ると群れをなして突撃してくるらしい。すぐに森を出ればよかったのだろうけど、森の出口は遠いし、さらには逃げる方向を誤ったために延々追いかけられる羽目になってしまったのだ。

 追いかけてくる猪達は、身体が変形したり、牙が普通ではありえない大きさになっていたり、目が赤く染まっていたりということはない。いたって普通の野生の猪だ。それが何故、人間を襲うのだろう。なんか機嫌を損ねるようなことしたか? とゼノは考えたが、特に思い至らない。ゼノ達は単に森に入っただけで、それがいけないことだというのなら……ごめんなさいと言うしかないが、それにしたってこちらにもやむにやまれぬ事情というのがある。

 しかし、動物とお話しできるなんていうメルヘンチックな特技を持っていない限り、猪に言葉は通じない訳で。逃げ切れるか追いつかれるかするまで、ひたすら鬼ごっこをするしかない。森の奥にたどり着くのでも外に出るのでもどっちでもいいから、今はとにかく逃げ切りたいところである。が、

 後から猪達が迫っていたが、不意にいやな予感がして、ゼノは急停止した。

 その時、ビシ、と足元にひびが入った。目の前の地面が盛り上がり、周囲の樹々がざわざわ揺れる。地面を割って現れたのは、またしても猪だった。しかもただの猪ではない。その大きさは通常を遥かに上回るものだった。

「こいつか!」

 以前森に入った時も、こいつに遭遇して散々追いかけられた。たぶんあの猪達の親玉なのだろう。ちょっとした小屋並みと常識はずれなサイズだが、おそらく魔物ではない。鼻息も荒く、とてつもない迫力を纏わせてゼノ達を睨みつけている。

 シリルを連れているし、さすがにこいつと戦うのは遠慮したい。隙をついて逃げるのがベストだ。後ろを振り向くと、猪達は親玉が登場したためか足を止めて整列しているのが見えた。追いかけてこないのは良いが、やっぱり後方退避は無理そうだ。

 さてどうやって逃げる? ていうか、逃げられんのか――? 迫力満点の巨大猪に負けるものかと睨み合いをしながら、ゼノが頭をフル回転させて思案していた時だった。

「……ここから立ち去れと言っているみたいです」

 突然、後ろから降ってきた声にゼノは驚いて振り向いた。台詞の主たるシリルは真剣な瞳で巨大猪の方を見つめている。ゼノは頭に疑問符を浮かべ、戸惑いながら尋ねた。

「おいまさかこいつらの言葉が分かるのか!?」

「あ、いえ、そんな気がするだけですけど――」

 自分でもどうしてそう思うのか分からないという風にシリルは首を傾げている。しかし、シリルには確信があるらしい。疑問を抱きながらも、言葉を続ける。

「この森を出て、二度と立ち入るな。そう言っているような気がします」

 シリルの言っていることが本当なら、この森は自分達の縄張りだから、人間は追い出したいってことだろうか。人間を追いかけていたのも、森から追い出すためか?

 まあ、分からない主張ではない。そう言われたってゼノとしては困るのだが。

「――一度出るのはいいけど、でも、俺はこの森の奥に行かなきゃならないんだ。どうしてだか自分でもよく分からねえんだけど、どうしても行かなくちゃならねえ。二度と立ち入るなってのは、無理だ」

 巨大猪の方は人間の言葉を解しているのだろうか。シリルが話している間、猪は吠えることも襲い掛かってくることもしなかった。自分の言いたいことが伝わっている。そう思っているような気がする。だからゼノも自分の言い分を言葉にして、何気なしに呟いてみた。理解しているのかどうかは半信半疑だったが――というか、理解していてもこの説明じゃ納得しないよなと、自分でも思ってしまった。

 案の定、ゼノがそう言った瞬間、静かだった猪が咆哮をあげた。怒っている。というより苛立っているのか。素直に森を出てくれないゼノ達に、今まで通り実力行使するつもりらしかった。

(や、やべえ!)

 前も後も猪ばかり。逃げられる方向は決まっている。ゼノは猪の突進を避けて真横に飛ぶと、そのままそちらの方向へ脱兎のごとく逃げ出した。猪が数匹近付いてきたが、どうにか振り切って逃げる。

 巨大猪も他の猪達も、群れをなしてゼノ達を追いかけてくる。巨大猪など、狭い森の中だというのに、信じられないぐらい速い。方向転換は苦手らしいので今の所引き離せているが、さすがにシリルを背負っている状態なのでそんなに速くは走れない。このままでは追いつかれるのは時間の問題だ。どうする? 樹の上に登るか? 少し先に何とか登れそうな樹がある。あれにどうにか登れれば、と意気込んだ瞬間。

 踏み出した右足が見事に空を切った。

「どわぁあぁぁぁ!」

「きゃあぁぁぁぁ!?」

 ゼノ達の行く手に待ち構えていたのは、ぽっかりと口を開けた深い裂け目だった。生い茂る草木に隠されて全く気付かなかったのだ。それにまんまとはめられて、腐葉土の積もった軟らかい斜面を滑り落ちていく。斜面は直角じゃないし岩がむき出しじゃないだけマシだが、このままだと一番下まで滑り落ちてしまう。そうなったら登るのに一苦労しそうだし、第一それでは袋のねずみだ。それは困る。

「だ――! ちくしょう! しっかり掴まってろよシリル!」

「え? は、はい!」

 ゼノの視線の先には下向きに弧を描いて垂れ下がった樹の蔓がある。イチかバチか、飛び上がってあれを掴むのだ。滑落を止めた上、追いかけてくる猪を逃れるにはそれしかない。失敗したら――その時はその時だ。また考えよう。

(いくぞ!)

 樹の蔓が目の前まで来た瞬間、地面から盛り上がった木の根を蹴って、ゼノは空中へ飛び出した。樹の蔓は思ったより高い位置にある。届くだろうか? いや届かないと困る。届け。届け。届け!

「届けぇぇぇ! よぉし届いたぁぁぁぁぁ!」

 かろうじて、右手は蔓を掴み、しっかりと握りこむ。届けばこっちのものだ。ゼノ・ラシュディはやるときゃやる。さすがオレ、と心の中でガッツポーズを作った。

 その瞬間、ぶちっという音を立てて蔓が切れた。

 幸いなことに、切れたのは片側だけだった。おかげで落下せずに済んだものの、切れた勢いで蔓は振り子のように大きく揺れて、ゼノ達を裂け目の向こう側まで運んでいく。裂け目の真ん中くらいまで来たところで振り切って止まってしまったので、咄嗟に蔓から手を離して別の蔓に飛びついた。その勢いで、また振り子のように滑空し裂け目の反対側に近付いていく。スピードが落ちて止まってしまうその直前に、蔓から手を離した。そして、

 どざあっ。

 ひらひらと舞い上がった木の葉が飛んだ。繁みの枝が腕やら脚やらに当たって少し痛い。何が起こったんだ、と一瞬わからなくなったゼノが状況を把握する前に、背中から感心したような声が聞こえた。

「ゼノ殿すごいです! 落ちずにこっち側まで渡れましたね!」

 シリルのその台詞で、ゼノははっと我に返った。周囲を見回して、ようやく自分がなだらかな斜面に上手く軟着陸したことを把握する。振り返ると、さっきまで滑落していた急斜面が見えた。その上では、猪達が雁首揃えてこちらを睨みつけている。とりあえず、助かったらしい。

「お、おう! オレが本気を出せばこれくらい楽勝だぜ!」

 ゼノは腰に手を当て、胸を張ってそう言った。まあまさか蔓が切れるとは思わなかったのだが。落ちるのを止めて、樹の上に上がれたらという心積もりだったのだ。予想外の事態だったが、裂け目のこっち側に渡れたので万々歳である。あの時の自分の判断力を褒めたい。

 猪達は裂け目の上に並んでこちらを睨みつけるだけで追ってくる様子はない。裂け目はなかなか深いし、下に行くほど急斜面になっているからだろう。幸いなことにゼノ達が今いる位置は斜面の傾きが緩やかで、登るのは苦労しなさそうだ。とりあえず安全そうなので、ゼノは背中のシリルを下ろした。

「でも、これで戻れなくなっちまったなぁ。おまえをコノラトに連れて行くべきだったんだけど……」

 現在位置がゼノの予想する通りなら、おそらく方向的に猪達がいる方が森の出口に近い。猪達は思惑とは裏腹にゼノ達を森の奥へ追い込む結果となった訳だ。そしてそれは、シリルだけコノラトへ返したかったゼノの思惑とも外れることになる。

 ひょっとしたら、出ると言えば猪達は追いかけたりせずに外へ出してくれるかもしれない。でも今まで散々追いかけられたことを鑑みるに、出ることは出来てももう一度入ることは難しいだろう。キーネス達はどうしたのか知らないが、これ以上鬼ごっこをするのは体力的にも、そして時間的にもできない。

「あの……ゼノ殿はどうして森の奥に行きたいんですか? 皆さんが心配だからですか?」

 ゼノの顔を覗き込むように、シリルがそう問いかける。そういえば、シリルには説明していなかったっけ……。その事実に思い至って、ゼノは焦った。

「あ、すまねえ! おまえになんも言ってなかったな……。ええっと、オレが無理の奥に行かないといけないのは、キーネスを助けたいからで、どうしてか分かんねえけど今までそれを忘れてて、それで――」

 奇妙なことに、あれほど“あの場所”へ行かなければならないと思っているにも関わらず、そうしなければならない理由は自分でもよく分からないことに改めて気づいた。しなければならないという思いだけが先行して、肝心なことは霞みがかかったように思い出せない。

「何かがあったんだ。それでキーネスを助けなきゃいけない。このままじゃティリー達も危ねえんだ」

 でも……でも、何が危ないんだ? 説明しようとすればするほど、それは曖昧になって掴みとれなくなる。

「くそっ! 頭の中がぐちゃぐちゃだ! でもオレはやらなくちゃならないんだ。キーネスを助けないと。それに、アイツも――」

「“アイツ”? アイツって……」

「それは、えーっと――すまねえ。オレ馬鹿だから上手く説明できねえ。もうちょっと思い出せれば、きっと――」

 どうしてだか分からない。分からないが、とにかく自分は大切なことを忘れているらしい。今はそれだけしか分からない。

「ゼノ殿はキーネス殿を助けに行かないといけないんですよね」

 頭を抱えるゼノに、シリルは優しくそう言った。

「キーネス殿が危ないということは、一緒にいるティリーさん達も危ないということでしょう? なら、速く行きましょう。森の奥に。わたし、邪魔にならないように頑張りますから」

 健気に告げるシリルを見て、ゼノは頭をわしわしと掻いた。全く自分が情けない。護衛対象の、それも年下の女の子に気を使われるなんて。でも、今は彼女の言葉がとてもありがたかった。

「……分かった。すまねえシリル。おまえが危ない目に合わないよう、全力で守ってやるからよ」

 民間人を守るのが退治屋の仕事。まして、無力な女の子を自分の事情につき合わせているとなればなおさらだ。ゼノは気合を入れ直すと、裂け目の反対側で睨む猪達を尻目に、森の奥へと歩き始めた。

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