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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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失われたもの 1

 取り戻さなければならない。

 どんな手を使ってでも。

 遠くから、水の流れる音が聞こえてくる。雫の滴る音。集まった水滴が一つの流れに変わっていく音。小さな滝のように段差を滑り降りて、別の流れに注がれる音。建物の中で、かつ近くに川があるわけでも地下水が豊富に湧き出ているわけでもないのに、これ程の水量が維持されているのは、この場を強い力で支えている者がいるからだった。

「また、誰か連れてきてくれたのね?」

 水音をさえぎって、そう問う声が降ってくる。問いというより、確認と言うべきか。わざわざ報告する必要はない。どんなことをしていても、全て見透かされてしまう。

「新しく来た人も早くここに慣れてくれるといいわ。ここは良い所だから」

「……」

「この集落に人を呼び戻してくれて、あんたには感謝してる。故郷が廃れていくのは悲しいから」

「……」

「――それにしても、どうして彼らは大人しくしてくれないのかしら? 今度の人達も暴れているみたいじゃない」

「……」

「あたしはこの集落を守りたい。でも争いはしたくない」

「……」

「もしこの集落を傷つけると言うなら……そんな考え、消し去ってやる。どんな手を使ってでも」

「……」

「あんたも、手伝ってくれるわよね? この村のために」

 ひらひらと、木の葉が一枚舞い降りた。緩やかに吹いた風が大樹の枝をざわめかせ、先の一枚に続くようにいくつもの木の葉が降り注ぐ。葉と枝がこすれ合う音以外で場を満たすのは静寂だけ。発せられた問い掛けには、答えも相槌も返らない。問うた者は沈黙を咎めこそしなかったが、そのままで済ませるつもりもないようだった。

 いつの間にか大樹のざわめきは消えている。水音も今は聞こえない。不自然なまでに静けさに満ちた空間。それが問うた者の意志によって創りだされていることを、問われた者は知っていた。無言のままの返答の要求。何を求められているか、何を言わなければいけないかは分かっている。しかし、問われた者は返答でも相槌でも、あるいは身振りで是非を示すこともせず、酷く小さい声でこう問い返した。

「……なら、俺はいつまで手伝えばいい?」

 ざあっと、再び吹いた風が大樹の葉を揺らした。

 ここは、薄紅色の花が咲く半円状の広場。

 正面には、思わず見上げてしまうほど大きな樹。

 その根元には、赤黒い花弁を持つ巨大な妖花。

 隆起した樹の根の上に座す深い緑の髪の女は、目の前に跪くライトブラウンの髪の男を見つめて、無邪気に微笑んだ。

「全てを取り戻すまで、いつまでも」




 落ちた瓦礫が砕ける音が遥か下から響いてくる。小さく反響する音は着地点がどれほど遠いかと表し、暗闇に沈む地下の様子を教えてくれる。最も、見えないものを視ることができるアルベルトには暗闇など何の障害にもならない。さすがに真昼時と同じという訳にはいかないが、視線を下にやれば、遥か遠くにある地面の様子を容易く見ることができた。妨げになるとすれば距離ぐらいだ。幸い、といえるかは分からないが、底がないということはないし、見えないほど遠いということもない。

 しかし、飛び降りるには遠すぎる距離であることも確かだ。頭上に見えるぽっかり開いた大きな穴。その端から垂れ下がる木の根を掴む手に、アルベルトは力を込め直した。重力球を破壊した時に負った背中の傷がじくりと痛む。だがそんなことに意を介している状況ではなく、木の根を掴んでいる方とは反対の手にもしっかりと力を込め直した。

 その時、すぐ下で閃光が奔った。出現したのは小さな光球。それは周囲を占める圧倒的な闇に対しあまりにも頼りなげだったが、人一人を照らし出すには十分だった。

「この程度が限界か。まあ、ないよりはマシね」

 自身が創りだした光球を見て、リゼはそう呟いた。アルベルトが掴んでいるのとは反対の掌に光球を浮かべている。暗闇を見通せない彼女に明かりは必須だが、どうやら上手くいかなかったようだ。

「そういう魔術は得意じゃないのか?」

 日頃リゼが魔術を巧みに操っていることを思うと不思議だったが、彼女にとっては当たり前のことらしい。当然だと言いたげな表情で答えた。

「相性が悪いのよ。どんな魔術でも使えるって訳じゃない。安定性を無視すればもっと強力な光を創り出せるけど、それだと消耗が激しすぎる」

 そういえば、リゼがいつも使っているのは氷雪と風の魔術だけだ。悪魔祓いの術で生み出す光と、明かりとして使う光とはまた違うものなのだろうし。相性が悪いということは、上手く扱える魔術とそうでない魔術があるらしい。やはり人によって得手不得手があるのだろうか。

「それにしても面倒なことになったわね。下は? 底はある?」

「遠いが視えないほどじゃない。上と同じ、普通の石の床だ。特に危険なものは見当たらないから、降りても大丈夫だと思うが――」

 問題はどうやって降りるかだ。当然アルベルトに翼はないし、この高さから落ちれば死は免れない。上に上がるという手もあるが、ぶら下がっている木の根はさして頑丈そうではなく、下手に刺激を与えると千切れてしまいそうだった。

「降りるのは難しくないわ。やったことはないけど、二人でもたぶん問題ない。むしろあなた次第ね」

 下を見ていたリゼがこともなげにそう言ったので、アルベルトは首を傾げた。しかし、すぐに彼女がやろうとしていることを思い当たって、ああと納得する。――彼女は教会の高い屋根の上から、平気で飛び降りたことがあるのだ。

 下を向いて思案していたリゼが、じゃあ降りるわよと言って、術を唱え始める。アルベルトの知らない言葉を彼女が紡いでいた、その時。頭上から、何かが崩れる音が聞こえてきた。

 突如、暗闇の中から植物の蔓が襲い掛かってきた。木の根にぶら下がっている状態のアルベルトに大きな動きは出来ない。蔓の強襲を避けるための方法は一つしかなかった。――木の根から手を離したのだ。

 重力に引かれて、二人は再び落下し始めた。風を切り、暗闇の底へまっすぐ落ちていく。落下を止められそうなものはなにもない。ただ遥か下にある固い石の床めがけて落ちていく。

 その時、リゼが一言、あの言葉を唱えた。

 強烈な風が下から吹き上げてきた。不可視の掌は唸りをあげ、落ちていく二人を受け止める。落下スピードは緩み、着陸に支障がないであろう速度で二人は降下していった。

 風以外に支えるもののない空中ではバランスは酷く取りにくい。だが何とか姿勢を整えて、周囲を見回す。暗闇の中、落ちる二人を追って近付いて来るものがあった。

「後ろだ!」

 魔術の強風を突っ切って、植物の蔓がリゼの背後に接近した。アルベルトの警告で振り返った彼女は、繋いでいた右手を離して剣を抜く。閃いた白刃が蔓を切断し、暗闇の向こうへ追いやったが、敵の来襲はそれだけでは終わらなかった。

 上から、下から、あるいは左右から、幾本もの木の蔓が襲い掛かってきた。足に巻き付いた一本を切断し、別の蔓を足掛かりに空中を移動する。風の助けを借り、辛うじてバランスを保ちながら、蔓の来襲に応戦した。

 目の前に迫った蔓を斬り飛ばしながら、アルベルトはリゼの姿を追った。アルベルトは暗闇の中でも行動になんら支障はないが、ほんの小さな明かりしか持たないリゼに闇の中での戦いは難しいだろう。風を操る彼女は空中というハンデをものともしないようだが、やはり掌の光球一つではギリギリまで蔓の接近に気付けない。第一、彼女も重力球の炸裂を喰らって少し負傷している。助けに行かなければ。しかし、蔓と交戦を続けているうちにリゼは少しずつ遠ざかっていく。

 アルベルトの方もよそ見などしていられなかった。風の助けを借りながら、近付いてくる蔓を叩き斬る。鋭い先端を向ける木の根を避け、時に足場代わりに蹴って方向を変えながら、石の床めがけて落ちていく。途中、鞭のようにしなる蔓を斬り裂くと、先端の棘の生えた実のようなものから黒いものが飛び散った。石の床はすぐそこまで迫っている。頭から落ちてはかなわないと、空中で何とか姿勢を正して衝撃に備えた。そして、

 軟らかい腐葉土が、アルベルトの着地を受け止めた。

「――!? ここは……?」

 顔をあげた瞬間目に飛び込んできたのは、樹々が立ち並ぶ緑豊かな森だった。見上げると、生い茂る木の葉の隙間から日の光が零れている。足元は軟らかい腐葉土と短い下草。上から見た時にはあったはずの硬い石床はどこにもない。

 これは幻だろうか。足の裏から伝わる腐葉土の感覚は本物だが、眼を凝らすと景色がわずかに歪み、うっすらと石造りの床が視えてくる。空間転移や夢を見ているという訳ではなさそうだ。だが集中して視なければそうと気付けないほど、この幻は強力らしい。これはこの神殿――奥にいる守り神の力なのだろうか。

「ここは禁忌の森――いや、人喰いの森か?」

 なんとなく、この風景には見覚えがあった。植生が同じであれば見慣れぬ森などみな同じものに見えるが、樹々の様子と雰囲気が少し前に通ったばかりの人喰いの森を思い起こさせる。違うのは、あそこ以上に悪魔の気配が濃い事だった。

「リゼ! どこだ!」

 周囲に視線を巡らせて、見失ってしまった彼女の名前を呼ぶ。リゼもこの空間へ落ちてきているはずだ。最後に見た時はほんの数メテルほどしか離れていなかったから、それほど遠くへは行っていないだろう。

 呼びかけてみたが、特に返事は聞こえない。近くにはいないのだろうか。じっとしていても埒が明かないので、とにかくリゼを探そうとアルベルトは歩き出した。


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