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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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神殿 1

 心の奥底に封じ込めているものがある

 生い茂る木の葉の隙間から日光が零れ、隆起した木の根に埋もれるように咲いた小さな花を照らしている。歳月を重ねた樹々は威厳を纏って泰然と構え、無用な喧騒を許さない。その結果生み出された静寂はよそ者の侵入を拒むかのようで、この森が“禁忌の森”と呼ばれ人が立ち入ってこなかったのは、そのせいなのかもしれない。

 しかし、その静寂もある場所へ立ち入った瞬間、厳粛なものから禍々しいものへと変貌する。生き物が絶えたような暗い沈黙。生き生きと生い茂っていた草木すら、その場所では口を閉ざし、立ちすくむ彫像と化してしまったかのような。

 悪魔が巣食う場所とはそういう場所なのである。




「なに、ここ」

 人喰いの森の奥。鬱蒼と茂る樹々と徘徊する魔物の群れを突破した先にあったものを見て、リゼ・ランフォードは思わずそう呟いた。

 そこはのどかな雰囲気漂う集落だった。少し傾いだ、即席で建てたような印象を受ける家々。整備されているとは言い難い道。村人たちはくわや鋤を担いで畑に向かい、収穫物を詰めたと思われる木箱を運んでいる。小屋の前では何人かの女性が枯れた花から種のようなものを取り出してビンに詰めていた。家々の間から白い花の咲く畑が広がっているのが見え、風に乗って、甘い香りがここまで届いた。

「ここ、人喰いの森よね」

 周囲を見回してリゼは悪魔の気配を探った。いや、探るまでもない。今、通過してきた森だけでなく、集落のあちらこちらから悪魔の気配が漂ってくる。魔物がいるという森の奥に何故集落があるんだろう?

「こんなところに集落があるなんて聞いたことがありませんけど。コノラト東の森は無人のはずですわ」

 集落を見回しながらティリーが不思議そうに呟いた。アルベルトが地図を取り出して調べたが、確かにこの場所に集落の記載はない。

「以前来たときにもこの集落はあった。よく分からんが、昔からここに住んでいて、ああやって農耕をして生活しているらしい」

 そういうものだと思うことにしたのか、キーネスは大したことじゃないという風に語った。しかし、リゼ達としては首を傾げずにはいられない。村や町というのは必然的に安全な場所に出来るもの。この場所が安全だから、なんてことは絶対にない。辺りに悪魔の雰囲気が立ち込めているし、魔物も相当寄ってくるだろう。何せ、当の魔物の巣がこの奥にあるのだから。

「すみません、ここはなんていう村なんですの?」

 ティリーが通りかかった住民らしい女性を呼び止めた。三十歳くらいと思しきその女性は、手には収穫物と思われるものを抱え、まさに農作業中という様子だった。しかし服装が農作業用というより旅装束のようで、どこか違和感を覚える。アクセサリーなのか胸元のメダルが日の光を浴びてぎらりと光った。

「あれ? また外から来た人? ここはアスクレピアって名前の集落だよ」

「アスクレピア? どこかで聞いたことがあるような……」

 腕を組み、思い出そうとティリーは考え込む。しばらくして思い出したのか、あと声を上げたが、続きを言う前にキーネスが割り込んできた。

「ここの名前なんてどうでも良いだろう。さっさと“神殿”へ行くぞ」

 そう言ってキーネスが指差したのは集落の奥にある古びた石造りの建物だった。山の斜面に建てられたそれは蔦と苔に覆われ、相当古いものであると分かる。半分以上地下に埋まっているようだが、地上に出ている部分を見るに相当規模が大きい。その奥の方に、強力な悪魔の気配が蟠っているのをここからでも感じ取ることができた。

「ひょっとして、“神殿”に入るんですか?」

「いけませんか?」

 キーネスを見て女性がそう言ったので、勝手に入らない方がいいのかとアルベルトが聞き返した。しかし、女性は手をひらひらと振って否定の意を示す。

「別に大丈夫ですよー。ただこの奥にはこの集落の守り神がいるから失礼なことはしないでって言われてるんです。あと中に生えてる植物を傷つけないように」

「植物?」

「特に花を。あれがないとお金を稼げないから」

 高く買ってくれるんですよーと女性は言う。アルベルトは何やら考え込んでいたが、しばらくして再び質問した。

「あなたは中に入ったことがあるんですか?」

「たまに」

「なら中に魔物がいませんでしたか? 被害にあったという人は……」

「魔物ってなんですか?」

 思いがけない発言にリゼは耳を疑った。質問していたアルベルトも横で聞いていたティリーも驚いて目を丸くしている。唯一、キーネスだけがすでに知っていたのか平然としていた。

「えっと、悪魔に取り憑かれた生物のことですが……ご存じないんですか?」

「あーそんなこと言ってた人がいたかな。でも知らないです。見たことないもん」

 ――魔物を見たことがないなんて、この集落は存外平和なんだろうか。いや、普通に生活していて魔物に一度もあったことがないという方がありえない。それこそ魔物避けが厳重に整備されている大都市にでも住んでいない限りは。

質問は終わったようだと思ったのか、それじゃあこれを届けないといけないのでと言って、女性は足早に去って行った。彼女がいなくなったところで、今まで黙っていたキーネスが口を開いた。

「ここの連中は少々おかしいんだ。魔物を見たことないだの、酷い奴は悪魔とはなんだだの。集落の名前を聞いても、全く違う名前を答える奴もいる。話をしたところで混乱するだけだ。相手にするな」

 分かったらさっさと行くぞ。そう言って、キーネスは神殿へと歩き出す。仕方なく、リゼ達も後に続いた。




 その頃、ゼノとシリルは森から離れるべく南の街道へ向かっていた。魔物も少なく、平和な旅路だ。爽やかな風が吹く草原を進みながら、ゼノは晴れ渡った空を見上げた。遥か遠い空の上で、白い鳥が三匹、北へと飛んでゆく。

「今度、改めてリゼさんとアルベルト殿にお礼をしなければいけませんね」

 隣で首から下げた布袋を握ったシリルが言った。シリルが手にしているのは悪魔を呼び寄せてしまう彼女のために、アルベルトが悪魔避けにとくれたものだ。見た目はこれといった特徴のない麻袋。触ってみる限り中に円盤状のものが入っているのは分かるが、どうみてもただの布袋なので本当に効果があるのかと疑ってしまう。

「こんなどこにでも売ってそうな布袋がお守りになるんだなあ。やっぱ中に入ってるもんが重要なのか? 何が入ってるんだろ」

「駄目ですよ。あけちゃいけないって言われてるんですから」

 まるで隠すようにシリルは布袋を握りしめる。こういうものの常で、中を見ると効果がなくなるから開けるなと言われているのだ。しかし、見るなと言われると見たくなるのが人情というもの。ゼノとしては気になってしょうがない(見ないけど)。

「でも“救世主”かぁ。悪魔を祓っちまうなんてすげーよな。あれはやっぱり魔術なのか? 悪魔祓い師じゃねーんだろ?」

「そうですね。悪魔祓い師の方とは何度か会ったことがありますけど、リゼさんはあの方々とは全然違う気がします」

「やっぱ悪魔祓い師ってエラソーなのか? アルヴィアに行ったときに遠くからちらっと見たことあるけど、お高くとまったいけ好かない感じだったなあ」

 ゼノ――というよりミガー人全般に共通して、悪魔祓い師の評価は低い。『偉そう』で『お高くとまって』いて、『異教徒に対してとことん冷酷』な奴ら。教会に長らく迫害されてきたミガー人にとって悪魔祓い師とはそういうものなのだ。ゼノも個人的な恨みはないが、同業者の魔術師達がただアルヴィアにいるというだけで――時に教会の助けを得られなかったアルヴィア人を、魔術で魔物から救ったという理由で――悪魔の手先として処刑されたのを知っている以上、いいイメージを持てというのが難しい。

「ええっと、立場上毅然とした態度を取られることは多いですけど、とても優しい人達ですよ? わたしにも良くして下さいましたし……」

 反論したのはアルヴィア人ゆえだろうか。シリルは困ったような顔でそう言った。でも――ゼノはシリルの体質を思い出して眉間に皺を寄せた。

「でもお前が悪魔に取り憑かれてるのに何もしてくれなかったんだろ?」

「そうですね……でも、今思えば何か理由があったのかも……それに、きっと命令していたのは……」

「ん? 何だって?」

「い、いえ、なんでもないです。それより、皆さんご無事だといいですね」

 後ろを振り返って、シリルが心配そうに言う。彼女が今しがた言いかけたことが少し気になったが、ゼノも心配――というより不思議に思っているのだが――しているのは同じだった。

「キーネスの奴、あんなに急がなくても魔物はにげねぇと思うけどな」

 被害が出ている以上、速くするに越したことはないのだけど、基本慎重なキーネスが町に戻って態勢を整えることさえしないのは妙だった。それに、いくら実力があるからと言って出会って間もない、しかも退治屋ではない奴を連れて行くなんて。

「ゼノ殿……ひょっとして魔物退治に行きたかったんじゃありませんか?」

「ん? まあ本職だからな~」

 実力があるとはいえ退治屋ではないリゼ達は魔物退治に向かって、自分だけは仲間外れ、というのはなんとなく悲しいものがある。

最も、今の状況が不満という訳じゃあない。ゼノはうつむいたシリルの頭にぽんと手を置いた。

「でもおまえの面倒見るのも大事だからな。気にすんなよ。単にキーネスの野郎が一人でかっこつけんのが気に喰わねえだけだ」

 そのまま実家の義弟義妹達にやるように髪の毛をくしゃくしゃにすると、シリルは驚いて目を丸くした。まあお嬢様らしいシリルに、頭を豪快に撫でられることなんてなかったのだろう。しまった。ついいつもの癖でやっちまった! とゼノは焦ったが、シリルはにこっと嬉しそうに笑って髪を手櫛で整えた。

「――そういえば、ゼノ殿とキーネス殿ってお友達なんですよね」

「ん? ああ。故郷が一緒でよ。何の因果か同じ退治屋になってもう十年以上の付き合いになるぜ」

 キーネスの方が先に故郷を出たから途中二年ぐらい断絶があるが、それにしたって長い付き合いである。故郷を出て、退治屋になるために向かった町で偶然再会した時には、まだこの腐れ縁が続くのかと笑ったくらいだ。

「子供の頃から友達なんて素敵ですね」

 そう言うシリルは少し羨ましそうだった。別にいいもんじゃねーよあいつしょっちゅうオレのこと馬鹿にしやがるからさ。そりゃあそんなに頭よくねーけどよ……と言うと、シリルはくすくすと笑った。まあ、お前の顔はもう見飽きたなんて言いつつも、気が合うから一緒に退治屋業を始めたのだ。キーネスの毒舌攻撃も挨拶みたいなものである。

「一緒に退治屋かあ。魔物退治屋って、どんな感じのお仕事なんですか?」

 そんなこと気になるのか、と思ってシリルを見ると、彼女の眼は好奇心で輝いていた。およそシリルのようなタイプの女の子が好みそうな話ではないのに、興味津々といった様子である。

(あーそう言えばコイツ教会を脱出した後もこんな感じだったな)

 どうやらいいところのお嬢様らしい彼女は一般庶民の生活というのが珍しいものだらけらしく、あれこれ質問されたのだ。元々好奇心旺盛なのだろう。仕方なく、面白い話じゃねーけど、と前置きをしてから、ゼノは話し始めた。

「普通は退治屋同業者組合(ギルド)ってところに行って、仕事を案内してもらうんだ。よくあるのは町や村を襲って来る魔物を倒す仕事だな。他には商人の護衛とか。オレはよくこの仕事をやってたよ。

 ちなみに、退治屋には一応認定試験みたいなやつがあって、これに合格しなきゃ同業者組合(ギルド)に入れないんだ。これが本当に大変でさ。知識もそうだけど、腕っぷしを証明しないといけなくて――」

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