~幕間~ 退治屋ゼノの日常 4
先程まで陽炎に揺れていた広場は、文字通り降ってわいた魔物で溢れかえっていた。
その数、数十匹。一人で相手をするには少しばかり多い。
しかし、頭のほうはあまりよろしくないらしい魔物の気をそらせて街の人を誘導し、ようやく広場に残るのはシリル一人となったのだった。後はシリルがこの場から脱出するのみである。
とはいえ、事はそう上手く運ぶものでもなく、魔物たちの目は爛々と光り、逃がしはしない、という意志が読み取れた。今までのように簡単には逃がしてはくれないだろう。
そう考えた時点で、シリルは内心激しく後悔していた。
そもそもやむなく男装しているとはいえ、貴族の娘という立場だったシリルである。剣術を習うどころか禁止されていた身、何とか頼み込んで兄に教えてもらったのは、剣術の基礎知識だけだった。
――ああ、あの時もっと兄上に頼み込んでいれば……
教師には向いていない兄による短い時間での訓練では、さしたる成果は上げられなかったかもしれない。でも人生なにがあるかわからないから、役に立ちそうなものは無理にでも習得しておくべきだった。
思う間に刃を交えていたシリルはぎこちない動作で狼にも似たその魔物の爪をはじき返し、流れるように背後から迫った爪を防ぐ。なお、ゼノがこの場にいたら基礎知識だけの割に上手いなおい、と感心したことだろう。しかし、自分にほど近い大きさの魔物の攻撃に今度ばかりは耐え切れず、吹き飛ばされて地面へと叩きつけられた。
――殺される!!
反射的に頭をかばったがこの程度の事で防ぎきれるはずがない。勝ち誇ったような魔物の咆哮を耳にし、シリルは死を覚悟した。が――
「うりゃあっ!」
気合の入った声と共に振るわれた大剣が、魔物の首を切り飛ばした。断末魔の叫び声をあげる暇もない。魔物はいまやただの肉塊と化し、地面に転がった。お世辞にも綺麗とはいえない切断面から濁った血が溢れ出て地面を汚していく。血がシリルの近くにも飛び散ったが、そんなことは気にならなかった。
魔物の数はまだまだ多い。その只中にいるにもかかわらず、シリルは安堵が広がっていくのを感じていた。大丈夫。彼なら任せられる。
ゼノ・ラシュディがそこにいた。
「何なんだよこの魔物の数は……」
まるで魔物のびっくり市だ。砂漠狼に始まり、犬並のサイズのサソリ、腕ぐらいの太さがある蛇、毒々しい色合いのトカゲとこの近辺に生息する生き物がほとんどそろっている。しかも、ありえない大きさで。
「それにしても……おい、シリル!」
「は、はいっ」
「後でゆっくり説教してやるから覚悟しとけよ?」
「……はい」
これだけの数の魔物を素人が一人で相手するなど狂気の沙汰だ。シリルには後でたっぷり反省してもらうことにしよう。
その前に、魔物をどうにかするのが先だが。
「そこを動くなよ!」
大剣を構えたゼノは飛び掛ってきた狼を叩き切り、そのままサソリを両断した。蛇の鋭い牙をかわし、トカゲと一緒に切り伏せる。足元の砂を蹴り上げて、右から迫ってきた狼の顔面に叩きつけてやると、細かくとがった砂を目に食らって狼が一瞬怯んだ。その隙をついてそいつの眉間に剣を沈める。
剣を引き抜くと紫色の体液が脳漿と一緒に飛び散った。うげ、と思いつつも、汚れなんぞにいちいち構っていられない。
「おりゃあ!」
気合を込めて剣を薙ぐと飛びかかってきた魔物が三体、一気に斬り裂かれて地面に落ちる。だが、止めを刺すには至らない。起き上ってきた一匹を剣の腹でぶっ叩いて打ち返すと、別の魔物を巻き込んで吹き飛んでいった。さらに、横から来たもう一匹の鋭い爪をギリギリのところで避けて、無防備な首を斬り落とす。
派手に、豪快に、一匹残さず仕留めていく。
そうして最後の一匹が四肢をひくつかせながら地面に転がったのは、太陽も半ば沈みかけた頃だった。
「……あちー」
額に浮かぶ汗を拭う。夕方とはいえ砂漠の街。暑さが尋常ではない。普段はなんてことないのだが、今日ばかりは暑くてやってられなかった。
それでも、生き残りに気付けなかったのは明らかに失策だった。
「危ない!」
シリルの悲鳴のような声が響く。サソリの尾が振り上げられたのを見て、ゼノは身をかわそうとした。しかし――
ブスリ、という音がして辺りに液体が飛び散る。それを見て、ゼノの目が苦痛ではなく驚きで見開かれた。
「あ……ゼノ殿、大丈夫ですか……?」
サソリの背中に柄まで剣が埋まっている。その剣を握るシリルは、焦点の定まらない目でゼノを見た。明らかに様子がおかしい。
「シリル……今、一体何したんだ……?」
「え……?」
シリルは柄から手を放すと、ぼんやりとサソリの体液でまだらに染まった手を見た。
「あれ……? どうして剣が……?」
そう不思議そうに呟くと、糸の切れた人形のように後ろに倒れこんだ。体液の海に頭から突っ込みそうになり、慌てて抱きとめる。どうやら気を失ったらしい。
「おいおいおい、どうなってるんだ?」
生物は魔物化すると皮膚が硬くなる。サソリのような被甲のある生き物はなおさらだ。それを護身用程度の剣で、十七歳の女の子が柄まで突き刺すなど、天地がひっくり返ってもありえないはずなのだ。
そう考えていたとき、突然風が吹き付けたかと思うと、目の前に小さな水晶の槍が出現した。鋭利なそれはハサミや尾をジタバタさせ、耳障りなうめき声(のようなもの)をあげていたサソリの頭部を貫き、地面に縫いとめる。サソリの動きが止まった。
「どうやら、急いだ甲斐があったようですわね」
魔物の血の海の中、一人の見知らぬ女が立っていた。風が吹いて、栗色の髪が揺れる。
「誰だ? あんた」
「そうですわね。貴方が持つ疑問の答えを知る者、といった所かしら」
どこか学者然とした女はそう返した。先程の魔術はこいつが放ったものだろう。魔術師ならば魔物退治屋である可能性が高いのだが。
なんにせよ、正体がわからなければどうしようもないのだが。
結局女の正体がわかったのは、駆け付けたキーネスと魔物の残党を処理して、気絶したシリルを寝かせた後だった。寝床を提供してくれたキーネスによると、常連客の一人らしい。ということは教会関係者ではないのだろう。
「ティリー・ローゼンですわ」
女はそう名乗った。
「本名は長いのでこちらを使ってくださいませ。悪魔研究をしておりますの」
学者然とした雰囲気はこのためだったようだ。しかし、そんなことより重要なことがある。
「で、なんでシリルを探してたんだよ?」
教会関係者でなくとも、警戒は必要だ。これは半分事実で、半分ゼノの偏見が入っているのだが、悪魔研究家には変人が多い。そしてごくごく少数だが、危険人物だっているのだ。
「とある人からとても興味深い話を聞かされましたの」
いきなり、ティリーの表情が真面目なものになった。
「シリル様は“憑依体質”なのです」
いきなり専門用語っぽいものが出てきて、ゼノにはさっぱり理解が出来なかった。ヴァス……? 何だそれは?
「順を追って話しますわ」
ティリーは一呼吸おき、話し始めた。
「全ての人には大なり小なり悪魔の寄生に対する抵抗力がありますわ。しかし、何百万人に一人という確率で先天的に極端に抵抗力の低い人が存在します。その人には非常に稀な現象――憑依障害の非顕在化と悪魔の多重寄生が起こるのです」
「えーっと……?」
「悪魔に取り憑かれる最も大きな原因は、精神の弱体化にあります。けれど、“憑依体質”の人間は精神に何の問題もなくても悪魔に取り憑かれてしまうのです。それも、本人すら取り憑かれたことに気付かないばかりか、通常の悪魔憑きに起こる様々な変容――眼が赤くなったり精神崩壊を起こしたりといったことですけど――が全く起こることなく、長期間寄生されたままの状態が続いてしまうのです」
「つまり、取り憑かれてるのに見た目が変わったりおかしくなったりしないのか? ということは死ぬことも……」
「ありません。すぐには、ね。ですが、“憑依体質”は悪魔を惹きつけてしまうが故に、たくさんの悪魔に取り憑かれてしまうのです。悪魔からしてみれば、取り憑きやすい上にすぐに死なない“入れ物”ですから、都合がいいのでしょうね」
一度にたくさんのことを告げられて混乱しそうになりながらも、何とか飲み込んだゼノは、事の重大さに眩暈がしそうになった。シリルが悪魔憑きで、しかも非常に変わった体質の持ち主だという。心が弱っている奴は悪魔に取り憑かれやすいとは聞くが、そうじゃなくても取り憑かれるなんて。
「それだけではありませんわよ。多重寄生された場合、悪魔達は宿主の魂に根を下ろし、融合してしまいます。そして、宿主の成長と共に進化するのです。簡単に言うと、宿主の魂を苗床に複数の悪魔が合体して一体の強力な悪魔になるんですわ」
それを聞いて、キーネスが驚きの声をあげた。
「そんなことがあり得るのか?」
「あり得るのです。少ないですが実例もありますし。一般の方でこのことを知っている人はほとんどいませんから、驚くのも無理ありませんわね。わたくしもそうでしたから」
そして最後に、とティリーは続けた。
「“憑依体質”の特徴は大きく二つ。一つは悪魔を呼び寄せやすいこと。もう一つは悪魔の進化と共に融合が進み、時として人間離れした能力を見せること」
数十分前の光景がゼノの脳裏によみがえった。大量の魔物。柄まで埋まった剣。
「それってまさか……」
「ええ。先程の魔物相手に見せた、シリル様の少女とは思えない膂力。あれだけの数の魔物が集まった訳。それは全て、シリル様に悪魔が取り憑いているからなのです。それも複数の悪魔が」
しばしの沈黙があった。
「なるほど。それでそいつを探してくれと俺に依頼したわけか」
そう言ったのはキーネスだった。ティリーはにこっと笑って、ええそうですわと首肯する。そのやり取りを見て、ゼノはあることに気付いた。
「お前、ひょっとしてオレが依頼する前から知ってたのか!?」
「探していたからな。ローゼンの依頼で」
少女が一人、その護衛が一人、リリックからミガー王国方面へ向かったから、それらしき二人組がいないか調べてくれ。それがティリーの出した依頼だという。依頼の手紙には、少女の出自も書かれていた。
「ローゼンが一度に説明したほうが手間が省けると思ったからだ。思ったより早く来られたが」
手紙に書かれていた到着予定日より二日も早い到着だ。驚きもひとしおである。
「それだけ特異な体質なら教会も放っては置かないだろうな。大方、実験体にされそうになったところを逃げ出してきたんだろう」
「人手を借りてまで、ね」
ティリーはゼノをちらと見た。
「ミガーにいれば心配はいらないでしょうけど、教会は何としてでもシリル様を捕まえようとするでしょうね。シリル様は今でも自我を保っている。おそらく、相当強力な悪魔を身の内に飼っているでしょうから」
強力な悪魔、か。悪魔憑きはゼノだって見たことがある。彼らは瞳を赤く染め、凶暴になり、自我を失い、苦しんで死んでいくのだ。
「……もしこのまま放っておくと、どうなるんだ」
「過去の例によると、完全に魂を喰いつくされて悪魔になってしまうか、それに耐え切れず死ぬか、そのどちらかですわ」
「マジかよ……」
話がぶっ飛びすぎておつむがついていかない。シリルがそんな厄介なものを抱え込んでいたなんて。目の前の少女が一瞬遠い存在になってしまったような気がして、ゼノは思わず黙り込んでしまった。その様子を見て、キーネスがやれやれといった顔で仕切りなおす。
「……とりあえず彼女をゆっくり休ませるのが先だ。今後のことは落ち着いてから考えれば良い。俺の事務所にいくつか部屋が余ってるからそこを使え」
その提案に反対するものはいなかった。




