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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
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罪と罰 2

 魔物が定期的に来襲するということはこの村に魔物を呼び寄せる何かがあるということだ。

 そう考えたリゼは、礼拝堂を出た後村中を探すことにした。

 最もそれほど探す必要はなかった。少し気配を探っただけですぐにその場所が分かったからだ。

 村から少し離れた場所にある墓地。ここが一番悪魔の気配が強い。

 夕暮れ時になって出てきた雲のせいで月明かりが遮られ、日没直後だが夜闇は深い。明かりが少ないためか、悪魔の気配も気持ち悪いほど濃いものだった。どうやら弱い悪魔が多数集まって、一つの群体となっているらしい。

(ということは中心を叩くのが一番楽か)

 しかし、どの辺りだろう。こういう時、悪魔が視えれば便利だと思うのだが。

 よほど強い悪魔なら話は別だが、普通悪魔は目に視えない。リゼはそれなりに視えるものの、いつも黒い靄のようなはっきりとしない姿でだ。弱い悪魔となるとほとんど視えない。ただし気配は感じ取れるから、悪魔を探す時は基本、気配頼りである。

(そういやアルベルトはどうなのかしら)

 昼間村娘に会った時のことを考えると、リゼ以上に視えない、あるいは気配を感じられないということはなさそうだ。悪魔祓いが出来ないだけで、悪魔と戦うことは十二分に出来るようだし。

 手伝わせれば良かったか。ちらとそんなことを考えたがすぐに打ち消した。むこうが勝手にやるならともかく、魔女が悪魔祓い師に頼るなんてお笑い種だ。

 リゼは改めて墓地を見回した。折しも雲が晴れ、月光で辺りが少し明るくなる。先ほどまで見えにくかった遠くのほうに目をやると、そこに何かいることに気がついた。

(人……?)

 上弦の月は弱々しい光を放つのみで視界良好とは言い難い。不規則に立ち並ぶ墓標の間を通り抜け、リゼは十字架の側に蹲る人物に近付いた。

 それはリリーナだった。

「こんなところで何してるの?」

 返事はない。

「聞いてる?」

 リリーナはただじっとこちらを見上げている。まさか病人が夜墓参りという訳ではないだろう。ひょっとして夢遊病なのだろうか。放置するわけにもいかずどうしようかと考えていると、不意にあることに気がついた。

 リリーナから悪魔の気配はしない。しかし何かが違う。何かがおかしい。この違和感は一体何なのだ?

 その時、リリーナが立ち上がった。




「ヨハン神父。リリーナさんはもう死んでいます。奥さんの身体を動かしているのは悪魔だ」

アルベルトの声が礼拝堂の静寂を打ち破った。

一時は村人で満員になった礼拝堂も、救護が終わり、皆家に帰った今となってはがらんとしてどこか物寂しい印象を受ける。その静けさの中、祭壇の前で祈りを捧げていたヨハンは、アルベルトの言葉を受けて祈りをやめ、ゆっくりと振り返った。

「……どうしてわかったんだね? もう一人は気付いていなかったというのに」

 ヨハンは理解しているのだ。自身の妻が今、どんな状態にあるのかを。

 アルベルトは答えた。

「昔から悪魔もそれ以外のものもはっきり視えるんです。普通の人には視えない色々なものが。良い事ばかりではありませんが」

 悪魔、幽霊、その他諸々。アルベルトが見る世界は他の人とは少し違う。

 普通の人は知らないだろう。この世には、空を覆い尽くすほどの悪魔がいることを。

「リリーナさんには魂がない。空っぽの身体に悪魔が入り込み、操っている。俺にはそう視えます」

「なるほど、それは稀有な能力だ。悪魔祓い師といえど、君のような眼を持つ者は滅多にいないだろう」

 そう。悪魔祓い師だからといって、全ての悪魔が視える訳ではない。むしろアルベルトのようにはっきり視える者の方が少ないのだ。この能力があったからこそ、アルベルトは悪魔祓い師になれたとも言える。

 けれど、今重要なのはそのことではない。

「何故リリーナさんをあのままにしておくのですか? 魔物の襲撃もあの悪魔が原因でしょう」

 悪魔が魔物を呼び寄せることがある。悪魔同士呼び合うのだろう。元々悪魔祓い師であったヨハンがそのことを知らないとは思えない。自分にも村人にも危害が及ぶと分かっていて、何故何もしなかったのか。

「妻が悪魔に取り憑かれたとき、私は何も出来なかった」

 ヨハンはぽつりぽつりと話し始めた。

「誓願を破った私にもはや悪魔を祓う術はなく、悪魔堕ちした罪人の妻を教会が救ってくれるはずもない。妻が苦しみ、死にゆく様をただ見ているしかなかった。

 しかし、妻は死んだ次の日の朝、ベッドから起き上がって笑っていた。

すぐに悪魔が死んだ妻の身体を動かしているのだと分かった。妻が死んだのは確かなのだから。けれど、妻の中にいる悪魔は、気配すら感じられぬほど上手く妻と同化している。妻が悪魔憑きであることを忘れてしまえば、今まで通り彼女と共に生きていくことが出来る」

「あれはもうリリーナさんでは――」

「分かっている!!」

 語気は強かったが、その声は搾り出したような掠れたものだった。

「分かっている! このままの状態が続けば、村人達を危険にさらし続けることになる。だが、どうしてもあの悪魔を消すことは出来ないんだ。あれがいなくなればリリーナは死者に戻ってしまう。そうなったら、私は……」

 言葉は最後まで続かない。そんなヨハンの様子を見ながらも、アルベルトは悪魔祓い師としてこう言うしかなかった。

「リリーナさんは今どこに?」

「待ってくれ。妻には――」

「どこにいるんですか?」

 ヨハンはかろうじて聞き取れるぐらいの小さな声で、廊下に出て正面の部屋だ、と言った。アルベルトは礼拝堂から出ると狭い廊下を通って正面の扉へと向かう。そして静かに戸を開いた。

 部屋の中には誰もいなかった。

「……どうしていないんだ」

 アルベルトの後ろで、ヨハンがそう呟いた。

「リリーナはどこへ行った!?」

 よく調べても人どころか鼠一匹いない。色を失ったヨハンが家中を探し回ったが、リリーナの姿はどこにも見えなかった。

 最悪の予想が当たったのかもしれない。アルベルトはヨハンにその最悪の予想を話した。

「ヨハン神父。残念ながら今のリリーナさんは魔物と同じです。魔物が生きた人間に絶対に手を出さないと思いますか?」




 地面から現れた無数の手がリゼに掴みかかった。枯れ枝のような細い腕だが、その力は強い。剣で払うと抵抗なく斬れて骨ばかりの断面をさらしたが、そうしているうちにも次から次へと手が掴みかかってきて、すぐに動きを封じられてしまった。

 リゼは剣を振るのを諦めた。意識を集中し、魔力を呼び起こす。

『凍れ』

 周囲の気温が下がり、墓土から伸びる手が凍り付いていく。氷漬けになったそれを砕き、一気に消し飛ばした。

 自由を取り戻したリゼに、今度はリリーナが飛び掛った。その口には鋭い歯が並び、瞳は血の色に輝いている。しかし、その動きは速いものではなく、避けるのは容易だった。

 間違いない。リリーナは悪魔憑きだ。微かだが悪魔の気配もする。昼間会った時には全く気付かなかったから、おそらく気配を隠すことの出来る悪魔なのだろう。あるいは気配を感じにくいほど弱い悪魔なのかもしれない。だが、この違和感は一体なんなのだろう。

 そうこうしているうちにまた地面から手が生えてきた。リゼを捕らえようとあちらこちらから伸びてくる魔手をとにかく斬り払い、蠢く悪魔達を浄化する。

 消えていく悪魔達の向こうで、リリーナはじっとこちらを見つめている。まるで獲物を捕らえるタイミングを計っているかのようだった。あるいは疲れ、弱るのを待っているような。

悪魔の数はまだまだ多い。揺れる手を薙ぎ払い、次の悪魔を倒そうとした時、アルベルトの声が墓場中に響き渡った。

「神よ、我に祝福を。汝は我が盾、我が剣なり。その栄光は世々に限りなく、あまねく地を照らす。至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!」

 光が奔り、それを浴びた無数の手が土塊(つちくれ)となって崩れていく。悪魔の群体の中心を正確に捉えたアルベルトの一撃によって、悪魔はバラバラに散っていった。

「リゼ、無事か?」

「当たり前よ。それよりあの人、悪魔憑きなのは間違いないけど何かおかしくて」

「リリーナさんの死体に悪魔が取り憑いているんだ」

 アルベルトは事の次第を簡潔に説明した。どうやら正体不明の違和感はリリーナが死人だったためらしい。

「死体に憑く悪魔……魔物と同じか」

 それなら気兼ねする必要はない。リリーナには申し訳ないが、彼女は既に死者。他の生者に害が及ぶ前に悪魔を倒さなくてはならない。

 しかし剣を構える二人の前にヨハンが立ち塞がった。

「待ってくれ! リリーナを傷つけないでくれ!」

「そんなこと言っている場合じゃないでしょう。あの人はもう死んでるのよ」

「これ以上悪魔を放って置くわけにはいかないのは分かっている。リリーナが死んだことを認めなければならないことも。だが、あの悪魔を彼女ごと滅ぼすことだけは……」

 気持ちは分かるけど、と渋るリゼに対し、アルベルトはあっさり了承した。

「リリーナさんを傷つけなければいいんですね」

「アルベルト、あなたね」

 全く人がいいにも程がある。気配を絶つことの出来る悪魔を入れ物から出したら、面倒なことになるのは目に見えているのに。

「大体どうやって悪魔を追い出すつもりなの?」

「これを使う」

 アルベルトが取り出したのは水筒だった。意外な物の登場に驚いていると、彼は水筒の中身をふらふらと歩いてきたリリーナ目掛けてぶちまけた。

「神よ。祝福を、赦しを、安らぎを。この水を聖なるものとし、浄化の力を与え給え」

 水を浴びたリリーナが苦悶の声をあげる。彼女はしばらくもがいた後、糸が切れた人形のように倒れ伏した。

 薄い靄のようなものが空中に現れた。棲み家を追われた悪魔はふらふらと揺らめくと、突如弾丸のように飛び出した。

 真っ直ぐこちらに向かってくるそれを不可視の壁で弾き返す。しかし、弱った悪魔を捕らえようとしたとき、すっとその気配が消えた。

「どこ!?」

「リゼ、左だ!」

 しかし悪魔はどこにもいない。

 一体どこにいるというのだ。

 生温かい風が吹き抜ける。一度は消え去った悪魔達が少しずつ集まり始めていた。このままではまた魔物がやってきてしまう。その前にあの悪魔を倒さなければならないが、どこにいるのかも分からないのでは……

 その時、真後ろに嫌な気配が出現した。悪魔だ。しかしリゼが動く前に、アルベルトの剣が背後の空間を貫いていた。何もなかったはずの場所に黒い靄が現れ、苦しそうに蠢く。続いて唱えられた祈りの言葉が靄を切り裂き、悪魔はあっけなく消滅した。

「何をしたの?」

「ああ、水を聖水に変えたんだよ。魔物は聖水に弱いから、悪魔はあの身体を離れると思ってね」

「それじゃない。どうして悪魔の位置が分かったの?」

「生まれつき目が良いんだよ。おかげで他の人には視えないものが視えるんだ」

「目が良いって……まあいいわ」

 あまり説明になっていなかったが何となく分かった。詳しいことは後で聞くことにして、二人は地面に横たわるリリーナと、その傍らに膝を付くヨハンに近寄った。

「……リリーナは死んだのだな」

 その言葉はまるで自分に言い聞かせているようだった。そうしなければ、またしても死者の復活を望んでしまうと思ったのかもしれない。

「これは神が私に与えた罰なのだろうな。私がリリーナを諦めていれば、悪魔祓い師の資格を捨てなければ、彼女を救うことが出来たかもしれないのに」

 後悔と責任感が二重になってヨハンを苦しめている。その気持ちは理解出来た。リゼもまた、同じ思いに囚われ続けているからだ。あの日以来――

「ヨハン神父、あなたは確かに誓願を破り、悪魔の存在に目を瞑ってきました。しかし、あなたのその行動はリリーナさんを想うが故のことだったのでしょう? 例えどんな罪を犯しても、心から祈り悔い改めるものを神は赦してくださいます」

 静かにアルベルトはそう言った。しかしヨハンは虚ろな笑みを浮かべただけだった。

「いいや、神は私を赦しはしないだろう。悪魔堕ちした悪魔祓い師に待っているのは罰と後悔だけなのだよ。アルベルト君」

 それから彼は何も言わなかった。アルベルトもそれ以上掛ける言葉が見つからないようだった。

(悔い改めれば赦してくれる―――)

リゼは心の中でアルベルトの言葉を反芻した。それは聖職者としてお決まりの文句なのだろう。彼らのように神を信じる者にとって、神の赦しは重要なことなのだ。

 だが、一体何を赦すのだ? 悪魔を放置してきたことは罪だと言えるだろうが、この場合、赦しを与える立場にあるのは被害を受けた村人達だ。なら誓願を破ったことか。

「罰、ね。馬鹿馬鹿しい。誰かを愛することが罪だとでも? それが死に値する罪だというなら、神は一体何様のつもりなのかしらね」

「リゼ!」

「何か間違ってるかしら。ラオディキアで教会がしたこと、忘れた訳じゃないでしょう」

 アルベルトはゆっくり首を横に振った。

「神がどんなに偉大な教えを示そうと、実践するのは我々人間だ。そして人間である以上、間違えることだってある」

「悪いのは教会(人間)だけだって言いたいの?」

「そうだ」

 ご立派な信仰心だ。そう思ったが口には出さなかった。アルベルトと論争するのは面倒だったし、すれば神学の授業を受ける破目になるだろうと思ったからだ。

 神が何を教えているかなどに興味はない。信じたければ信じればいいのだ。ただそれを他者に強制し、守らぬ者を見下すことで己がまるで優れた人物であるかのように振舞う教会のやり口は気に食わないし、あんなものを許容するマラーク教の神が素晴らしいとは思わない。神の言うことは全て正しいなど、どうして言えるのだろう。

 そして、こういう時、思うのだ。

 魔女と悪魔祓い師は全く以って違うのだと。




 翌朝。村で二つの葬式が行われた。一つは魔物の襲撃で命を落とした村人のもの。もう一つはリリーナのものだ。

 ヨハンはすっかり生気を失っていた。あまりのやつれようにこのまま衰弱死するか後追い自殺でもするのではないかと村人全員に心配されたほどだった。

 村人達はリリーナがどういう状態だったか知らない。ヨハンはあれからほとんど喋らなかったし、事実を伝えれば騒動になるからだ。葬儀が終わった後、二人は黙って村を出た。

「あの人は大丈夫だろうか」

 山道を登りながらアルベルトは呟いた。

「さあ。本当に神様とやらが慈悲深いなら、あの人を救ってくれるんじゃないの」

「リゼ。神を軽く見るような発言は慎んだほうがいい」

 敬意の欠片もない発言にアルベルトは眉をひそめたが、リゼはどこ吹く風だった。

「残念ながら私は魔女よ。私に崇められたら神様もいい迷惑でしょうよ」

 そう言って彼女は笑う。

 如何なる悪魔も祓う神のような力を持ち、救世主と呼ばれながらも、リゼには信仰心が全くと言っていいほど無い。ここまで神を信じない人がいるのかとアルベルトは驚いたぐらいだ。

しかし、笑う彼女を見ていて思う。リゼはただ信じられないかもしれない。ラオディキアの貧民街の人々が、教会に、そして神に不信感を抱いていたのと同じように。救いを語りながら苦難の時に救ってくれない神様なんて信じられるものか、と。

「そういえばあなた、他人には視えないものが視えるって言っていたでしょう。ちなみに私はどう視える?」

 リゼが興味深そうに聞いてくる。その問いに、初めて会った時から気付いていたことを答えた。

「そうだな。悪魔祓い師でもましてや悪魔のものでもない。ただならぬ力を持っている。それが何なのかは分からないが」

 リゼはしばらく考え込んでいたが、やがてふとこう言った。

「悪魔祓い師としては便利でしょうね、その眼」

 アルベルトは曖昧に微笑んだ。確かにこの能力のおかげで悪魔祓い師になれたし、役立つことも色々あった。それと同時に、文字通り視ていることしか出来ない自分がつくづく嫌になるのだ。

 何気なく、アルベルトは空を視た。

 そこには相変わらずたくさんの悪魔が所狭しと犇めき合っていた。

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