~幕間~ 退治屋ゼノの日常 2
都会から少し離れた街リリック。豊かな緑と丈夫なレンガ建築技術が自慢のこの街には、古びた教会があるくらいのものでそう珍しいものはない。しかし温かな活気の溢れるこの街をゼノは少なからず気に入っていた。
立ち並ぶ店を見回していたゼノは、足早に進むリスに目を移すと口を開いた。
「で、シリル……だっけか。そいつはどうしたんだ?」
「――シリルさんは誘拐されたんです」
「誘拐? じゃあ教会に頼んだ方がよかったんじゃねぇの?」
教会は悪魔祓い師だけでなく、その才を持たぬ者もまた騎士として育成し、統括している。皇帝以外の軍力保持(といっても現在皇帝位は空位の状態が続いており、帝国軍の統帥権は元老院にあるといっていいのだが)に反対を告げる者も少なくなかったが、増加し続ける悪魔の存在とそれにより広がり続ける信仰に打ち勝つ術もなく敗れ去り、現状に至る。そして本当の意味で悪魔を抑えることが出来るのも教会のみ。結果、実質的に教会が民間の保護活動を行っているのだ。
まぁ、この頃は『無償の愛』もどこへやら、お布施と称して金をとる教会も少なくないので注意が必要だが。
「それは無理です。シリルさんは教会にさらわれたんですから」
「はぁ!?」
いわれてみれば、向かう先にあるのは蔦の張った塀、つまり教会がある。しかしいくら教会が腐敗し始めていようと、民間人の少女をさらうなんて事はあり得ない筈だ。そこまで考えた所でゼノの脳裏に一つの考えが浮かび上がる。
「――お前、なんでこんな小さな町にいる?」
その言葉にリスは歩みを止めず答えた。
「巡礼の旅の途中なんです」
「貴族が護衛も付けずにか? それも無駄に位の高い」
ぴたり、とリスが足を止めた。それはゼノの推察が正しいことを意味している。彼女はくるりと振り返ると、まっすぐにこちらを見つめた。
「どうしてそうお思いになるんです?」
「そりゃその派手な格好のこともあるんだけど、すぐ分かったのは喋り方だな。おまえ、変わった喋り方するから」
口調が、ではない。発音だ。綺麗で丁寧で、一語一語はっきり喋る。まるでお手本みたいな喋り方をするのは育ちのいい証だと聞いたことがあったのだ。根拠はそれと雰囲気くらいで、『無駄に位が高い』というのはあてずっぽうだったのだが、どうやら当たりだったらしい。
にしても、その位の高い貴族様が教会に捕まるということは、
「家出してきたところを保護されたってとこか?」
真っ先に思い浮かんだそれを口にする。憶測にすぎないが、そういうことじゃないかという気がしてきた。こんな子供が退治屋に深刻な依頼することなんてそうあるはずないのだ。まあ、だとしたらこのままだと家出の手伝いをすることになってしまうが――
しかし、ことはそう牧歌的なものではないらしい。
「違います」
ゼノの憶測をばっさりと斬り捨てて、リスは再び歩き出す。その背には有無を言わさぬ雰囲気があった。
「家出だったらまだマシです。シリルさんは……シリルさんは……」
リスが立ち止まる。塀に寄り添うように立っていた木の陰には見事な穴が開いていた。
「シリルさんは黙って家出して私を心配させる人じゃありません。嘘をつくのが苦手で、周りを悲しませることを嫌う優しい人ですから。だから――」
その様子は、とても『家出を手伝ってくれというような大したことのない依頼』という雰囲気ではなかった。とても重要で、大切で、深刻な問題なのだと、彼女の後姿が物語っていた。
「教会はシリルさんを無理やり攫って軟禁したんです。理由は分かりませんが、ロクなことじゃないのは分かります。まっとうな理由だったらこそこそ誘拐したりしません。堂々と要件を言えばいいんです」
静かに怒りをたぎらせながら語るリス。確かに、教会はアルヴィアでは絶対的な権力を持つ機関だ。貴族が相手だろうと、たいていのことは押し通してしまえるくらいの力はあるだろう。それなのにそうしないということは、よほど後ろ暗い理由があってもおかしくない。
しかしこの分だと、教会に侵入してそのシリルって子を連れ出さなければならないのではないのだろうか。それって間違いなく『教会に目をつけられるような派手なこと』である。危険な橋は渡りたくない、けど――。
「……わーったよ。じゃあそのシリルって奴を救出しに行くか」
直接的な被害を受けたわけではないけれど、ミガー人であるゼノに教会に対して良いイメージはない。それに女の子が攫われいるというのなら、そっちに味方したくなるというものである。
「ゼノさん……」
リスエールはほっとしたようにそう呟く。彼女は今まで見せなかった優しい微笑みを見せて――すぐにあのしたたかな笑顔に変えた。
「では、まずここから入ってまっすぐ進んでくださいね。そうすると正面に建物が見えてきます。四階の右から5つ目がシリルさんが閉じ込められている部屋です。見張りがいると思うので見つからないように注意してくださいね。救出した後はここに書かれている通りの場所に移動してください。もう一通はシリルさんに」
言うなりリスは懐から白い封書を二通取り出してゼノの手に握らせた。真っ白な封書と微笑むリスの顔を交互に見ていると、彼女は、
「じゃ、後はよろしくお願いします」
と手を振って去っていこうとするので、ゼノは壮大にずっこけそうになった。
「おい! おまえどこに行くんだよ!?」
「私こう見えても忙しい身なんです。そろそろ行かないと次の予定に遅れます」
「次の予定!? オレはてっきりおまえも救出作戦について来ると思ったんだけど!?」
「いくら他に手がないからと言ってどこの馬の骨とも知らぬ輩にシリルさんを預けるのは心配ですしついていきたいのは山々ですが、この後の予定は絶対にはずせないものなんです。という訳でよろしくお願いします。それともう少し静かにした方がよいのではないですか? 救出作戦を始める前に捕まってしまっては何の意味もありません」
「……おまえ、ものを頼む割には酷い言い草だな」
「そうですか? 普通だと思いますが」
不思議そうに首を傾げるリスに、ゼノは深々とため息をつく。全く素性が知れないのはお互い様なのに“どこの馬の骨とも知らぬ輩”は酷いのではないだろうか。ゼノとしても『お貴族様である』という以外なにも知らない相手を助けなければならないのに。
しかしながら、ぐだぐだ言っても仕方ないしリスが無言で速くしろと言って来るので、素直に木陰の塀の穴へと向かう。ギリギリ通れるか通れないかの穴の様子を伺ってから、穴の中へと歩を進めた。
こんな辺境の街に悪魔祓い師や腕の立つ騎士がいるわけでもないし、連れ出すことに問題はない。自分の腕にそれぐらいの自信はある。だが、本当に保護されているだけだとすれば連れ出した途端こちらこそが誘拐犯だ。
それが分かっていてもほってはおけない自分にため息をつきたくなった。
教会の庭はさすがというか綺麗に整えられていた。自然のまま自由に伸びさせているようで、しっかりと清潔感を保っている。しかし、ゼノは目の端にふと違和感を覚えた。
(――布の切れ端?)
目茶苦茶に繋ぎ合わされた紐をたどっていくと上に続いていることが分かる。そして見えたのは紐から手を滑らせた少年だった。ふわりと帽子が宙を舞う。全力で走っても間に合うかどうか・・・思った瞬間には走り出していた。
微妙な距離、手を伸ばす――体を滑り込ませて見えたのはまじりっけなしの金髪だった。
「――っ。大丈夫かよ、」
そう腕の中を見て言いかけて目を見張る。何で少年だと思ったんだろう、と。
「あ、あぁ。すみません」
固まっていると、その人物は慌ててゼノの上からおり、落ちた帽子を叩き始めた。そのさまをゼノはマジマジと見る。
ストレートの切りそろえられた金髪に、小綺麗ではあるが茶色のベストにズボンと服装はどこかで郵便配達でもしていそうな少年だ。だが、その顔をよくよく見ると、
「……女の子? まさか、あんたがシリルか?」
「はい。私がシリルです――って、ち、違います! 僕は男です! 名前はローランド……」
「いや誤魔化さなくていいって。オレはリスエールって奴に依頼されてあんたを助けに来たんだよ。ほら、これがその証拠」
先程リスに渡された白い封書を差し出すと、シリルは首を傾げながらそれを受け取った。急いで封を破り中の手紙を見た彼女は、はっとしたような表情をしてから顔をあげた。
「分かりました。あなたがわたしを助けてくれるんですね。では、よろしくお願いします」
「オレが言うのも何だけど、そんなあっさり信用していいのか……?」
いかに証拠の手紙があるからって、見ず知らずの人物をほいほい信用するのは不用心すぎるだろう。カーテンか何かを繋いだだけの軟弱な紐で四階の窓から脱出する度胸があるとはいえ、非力な女の子な訳だし――
「そういやその恰好はなんなんだ? 変装か?」
思わずそう呟くと、シリルは少し得意げに答えた。
「人は見た目に騙されるものです。一般市民でさらに男ならさすがに一瞬で見破られることもないでしょう。――あの、ちゃんと男に見えますよね?」
開いた口がふさがらないとはこのことを言うのだろうか。格好だけは完全に少年だし髪形もまた然りだが、顔つきと声が完全に女の子なので全然隠せていない。どこからどう見ても男の子の服を来た女の子である。まあお嬢様らしいので、この程度の変装が精いっぱいなのだろうが――
「誰だ? ……あれは!? おい! 不審な人物を発見した!!」
ふいに頭上から声が降ってきた。見上げると、四階の窓から騎士と思しき人物がこちらを見ている。どうやらぐずぐずしている間に見つかってしまったらしい。
「やべぇな。姿を見られちまった。おい! さっさと逃げるぞ!」
「は、はい!」
シリルの手を引いて、足早に裏庭を離れる。草木をかき分け、例の抜け穴を探していると、どれだけ大きな声を出しているのやら、騎士達のやり取りが聞こえてきた。
「裏庭に不審人物二名! 男と少年が一名ずつだ!」
ん? 男と少年?
「大変だ!! シリル様がいらっしゃらない!!」
「なんだと!? まさかあの不審者二人が逃がしたのか!?」
「奴らが誘拐したのかもしれん! 必ず捕えろ!」
(えええええ!?)
騎士達の発言に思わずずっこけそうになった。そりゃ遠目に見れば間違えるかもしれないが、まさか気付かないとは……
「……本当に分からないなんて……変装ってすごい」
シリルはと言えば、至極感動したかのようにそう呟いた。キラキラと目を輝かせるその姿は好奇心に満ち溢れている。どうやら囚われのお姫様はとんだ冒険家だったらしい。
「呑気に言ってる場合じゃないだろ! 走るぞ!!」
シリルを脇に抱え、ゼノは大急ぎで走り出した。案の定、教会の騎士達が何事か叫び、追いかけてこようとする。やべーよ捕まったら大変なことになる!と必死に走り、抜け穴のある繁みに飛び込んだ瞬間、驚いたことに教会の方で何かが爆発するような音がした。ついでに焦げ臭いにおいも漂ってくる。
「大変だ! 倉庫で火事が起こってる!」
「ま、まずいぞ! 酒樽に火が!」
騎士の慌てる声に交じって爆発音が数回。酒樽と言っていたから儀式用の葡萄酒だろうか。派手に燃えているらしく、騎士達は火を消せだのいや避難が先だだの言って右往左往している。なんだかわからないがこれはチャンスとばかり、ゼノは穴をくぐり全力で教会を後にした。
かくして、ゼノの受難の日々は始まったのだった。




