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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
38/177

~幕間~ 退治屋ゼノの日常 1

 オレはいつだって大切なもののために戦う

 ゼノは丘の上にいた。

 冷たい月の光が降りそそぐ中、生暖かい風が吹きつける。風の音のかすかにまぎれ込んでいるのは――魔物の咆哮だ。

「よし、いっちょやるか!」

 巨大な大剣を握りしめ、ゼノは夜の闇の中へ駆け出して行った。

 ――がそのまま足元に落ちていた小石に足をとられ見事に転倒した。

「うごほぁあ!?」

 雨水のしみこんだ湿った地面と思い切りキスをする。口の中に砂の味が広がり、嫌悪感にあわてて吐き出す。

「……ったく、どうしてオレっていつもいつもきまらねぇんだろうな……っと!」

 瞬間ゼノは背後から襲いかかろうとしていた魔物に向かって、全体重を掛けた足蹴りをくらわせた。暗い靄を纏わせた巨躯が揺らぐ。

 その隙を見逃すゼノではない。追い打ちを掛けるように踏み込み、抜刀した。

 月の光を受けた刀身が閃く。確かな手応えの後、地響きを立て、魔物が地に沈んだ。

「さっすがオレ様!」

 幼い頃からの悪友が聞いていれば阿呆かと切り捨てそうな台詞をのたまい、鍔を鳴らす。そうして、目をすがめて見た先には今だ靄に包まれた屍体があった。視線に反応するかのようにそれはひいていく。

「魔物、ねぇ」

 そこにはただ、獣の屍体があるだけだった。




 魔物退治屋。

 それがゼノ・ラシュディの肩書きだ。

 大自然が猛威を振るうこの世界では人間の生活を脅かす天災、災害は数知れない。しかし、嵐や凶作よりも恐れられているものがある。

 悪魔。神に封じられた悪の化身である。

 悪魔がいつから存在しているのか、それは分かっていない。少なくとも有史以前から存在し、その破壊の性に従い、あるものは人に、あるものは獣に取り付き、またあるものはその恐ろしい姿をさらしながら人類を殺戮し続けているのだ。

 その悪魔に対抗するために生まれたのが悪魔祓い師、そして悪魔退治屋である。

 悪魔祓い師とは神や天使の力を借りて悪魔と戦う者で、人に憑く、もしくは直接その姿を現すような強力な悪魔と渡り合えるほどの力を持つ。しかしその力は、特別な才とマラーク教の神への厚い信仰を合わせ持つ者にしか与えられない。当然、悪魔祓いもマラーク教徒にしか得られず、異教徒はその恩恵に与ることができないばかりか、唯一絶対の神以外を認めない彼らに邪悪な悪魔の手先扱いされるだけである。このため、悪魔を祓う力を持たない人々は否応なしに増え続ける悪魔、ことに最も数が多い悪魔に取り憑かれた獣――魔物からの自衛を迫られていった。そうして誕生したのが魔物退治屋である。

 魔物は悪魔祓い師でなくとも倒すことが出来るが、それでも普通の獣よりも格段に生命力が強く凶暴で、それ相応に腕が立つ者でなくてはつとまらない、危険極まりない仕事だ。しかし、それでも魔物退治屋になる者は多い。

「今回のはあんまし手ごたえなかったなあ―。とっとと宿に戻ってメシにすっかー」

 数分前までの激戦がウソのように、ゼノは能天気な口調でつぶやいた。剣にこびりついた血糊を払い、約束の報酬金額を思い出す。確か、軽く一週間分の生活費くらいになるはずだ。

 数え切れないほどの死者が出ているにもかかわらず、魔物退治屋になるものが後を絶たない理由がこれだった。稼ぎ所が多い上、金持ちの護衛でもすればすぐにまとまった金を稼げる。剣の腕だけが取り柄のゼノにはうってつけの仕事だった。

(魔物の被害なんてない方が良いんだけどな。でも魔物がいねえとおまんま食いっぱぐれるからなあ)

 平和な方が良いに決まってるのだけど、平和だと稼げなくなってしまう。そのことに大いなる矛盾を感じながら、ゼノは大仰にため息をついて夜の丘をあとにした。




 既に日も高く昇り、忙しなく働いていた人々も昼時かと仕事道具を置きだした頃、ある宿屋の一室では今だ穏やかな寝息が聞えていた。

 言うまでもなくその音源はゼノである。昨夜の戦いで多少なりとも疲れたのか、ただ単に寝汚いのか、寝返りも打たずに熟睡している。部屋といえば二、三日泊まっただけとは思えないほど荒れたそれが、彼の生活能力の無さを如実に表していた。

 と、そんな部屋にノックが響いた。

「ゼノさん。ゼノさん? ……おかしいですねぇ。今日は出て来てない筈なんですけど」

「なるほど。じゃあその鍵を拝借します。この部屋の鍵ですよね」

 宿屋の主人と……誰かいるらしい。扉がやたら薄いおかげで、ここまで声が聞こえてくる。最も、どれだけ声が聞こえようとゼノが起きる気配はない。

「しかしお客様の頼みとはいえ勝手に鍵を開けるわけには……」

「すみません急いでいるので」

 金属同士がぶつかる鈍い音と、宿屋の主人が慌てふためく声が聞こえた。錠が外れる思いの外軽い音が響くと、耳障りな音を立て呆気なく扉は開いた。

「ありがとうございました」

 微笑を浮かべて鍵を主人に投げ返したのは、先程の声の主。散らかった部屋を一瞥して顔をしかめたものの、扉を開けた時と同じように勢いよく閉めてから、ためらいも無く進んでいく。丸まった布団の前までいくと、青い頭を見つけ出しペチリと叩いた。

「起きて下さい」

反応は、無い。突然の訪問者はむむぅ、と眉を寄せると不意に布団の上に飛び乗った。

「ぐぇっ!」

 勢いをつけて重みを増したその突撃?に悲痛な叫び声があがった。お腹にクリーンヒットしたらしい。前のめりになって唸っている。しかし訪問者は全く気にしなかった。

「退治屋さん、頼みがあるんですが」

 ゼノは涙目になったソレを向けるがまだ声は出せない。

「ある人を助けて欲しいんです!」

 その声を聞いて、ようやくゼノは夢の世界から帰還を果たした。二、三度瞬きをすると涙でぼやけた世界がはっきりと見えてくる。そこでゼノは自分の安眠をジャマし、ずうずうしくも腹の上に乗っている人物を見た。

 年は、十二、三歳ぐらいだろうか? フリルだらけの装飾過多な服と、華奢で色白な体つきはいかにもお嬢様然としていて、どう見ても一般庶民ではない。

「……オイ、つっこむ所が多すぎて一体どこからつっこめばいいのかわかんねーんだけど」

「女の子につっこむとか卑猥な言葉を使わないで欲しいです」

「いやいやいやなんだよそれどっからそんな発想にとぶんだよ。……つーか誰お前!?」

 少女は軽やかにゼノの腹の上から床に着地すると、フリルのスカートの裾をちょこんとつまみ一礼した。

「申し遅れました。私の名前はリスエール・セルオン。今回は退治屋さんに個人で依頼を頼みたく来ました!」

 腹の重しがなくなったゼノは起き上って一礼する少女をまじまじと見た。どうやら派手なのは服だけでなく、髪型も同じのようだ。薄い茶髪はいわゆる縦ロールになっており、ボリュームたっぷりに頭の横で揺れている。髪留めには大きな薔薇の飾りがあしらわれていて――早い話、場違いにもほどがある。

「あー……演劇の練習ならよそでやってね」

「演劇の練習じゃないですちゃんと人の話聞けやコラぶっ殺すぞ」

「オイ今なんかかなり物騒な単語が聞こえたんだけど幻聴?」

 ゼノは奇妙な少女の姿を胡散臭そうに見つめた。登場すべき場所を間違えたのではないかと思われるこの少女――リスエールは、ゼノにボディブローをかまし安眠を妨害したことを悪びれもせず、にこにこと笑っている。仮にも人にものを頼みに来たというのに……あれ?

「……おまえさ」

「はい?」

「……なんでオレが退治屋だって知ってんの?」

 寝起きのぼんやりした頭でようやくその事実に気づき、少しばかり焦りを覚えながら恐る恐る聞いてみる。一方、リスエールはと言えば少し得意げな顔をして腰に手を当てた。

「それはその筋の方に紹介していただきました。ちょっと頼みたいことがあって、あなたみたいな方を探していたんです。条件さえ満たせば入国が可能とはいえ、このアルヴィアにミガーの方がいらっしゃるのは珍しいですから。しかも、魔物退治屋なんてアルヴィアじゃ認められていない裏の職業ですし」

「……おい」

「腕っぷしが期待できて、おおっぴらに頼めないことも頼める相手を探していたら、あなたに行きついた訳です。近くにいてくれて助かりました」

「おい、人を危ない裏の仕事してる人間みたいに言うなって」

 いや実際危ない仕事なのだが、ついでに裏の仕事であるのも事実なのだが、別に悪いことをしている訳ではないのである。ただ、この国――マラーク教徒が住まい唯一絶対の神を崇める国・アルヴィアでは、退治屋という仕事は公認されていないのだ。なにせ悪魔祓い師でも教会の守護騎士でもない人間は、悪魔にも魔物にも自分から関わってはいけないのだから。

 そもそも魔物退治屋と言うのは、ゼノの故郷であるミガー王国で確立した職業だ。マラーク教の唯一絶対神ではなく、数多くの神を崇めるミガーには、悪魔祓い師がいないがために魔物退治屋という職業が必要だったのだ。人に取り憑いた悪魔を祓う術はないが、少なくとも魔物から身を守ることは出来る。ミガーに住む人の生活に欠くことのできない大切な職業だ。

 それなのに何故ゼノがアルヴィアにいるかというと、ミガーで仕事が見つからなかったから……という訳ではない。知り合いの商人の依頼で護衛をしていたら、急遽人手が足りなくなったとかで荷運びも手伝った結果、アルヴィアまで来ることになってしまったのである。基本的にアルヴィアはミガー人の入国を歓迎しないが、商人(この場合は荷運び人だが)としてなら案外簡単に入れるのだ。ただ、退治屋はアルヴィアでは公認されていない仕事なので名乗ることなんてできないし、退治屋だと知って依頼してくる人間なんていない。はずなのだが。

「だいたい“その筋の方”って誰だよ」

「それは言えません。第一、私もよく知りません」

「知らないのかよ!?」

「ええ、知らなくったって、必要なことを教えてくれるのなら問題ありませんから」

 にこにこと微笑みながらリスエールは言う。どうやらかなーりしたたかで肝の据わった御仁らしい。どうしよう。苦手なタイプだ。しかし、苦手だろうとなんだろうと客は客。一応、話は聞いといた方が良いだろう。

「……で、依頼って何だ?」

 布団をはねのけベッドの上で胡坐をかくと、視線の高さがちょうどリスエールと同じになる。彼女の口元は登場した時と変わらず笑みを浮かべていたが、その緑の瞳は『依頼は何か』と聞いた瞬間から、

(……こいつ)

――誰かを案ずるような、ただひたすら切実な思いが浮かんでいた。

「時間がないので簡潔に言います。ある人を――シリルさんを助けてほしいんです」

「……」

「シリルさんはとっても優しくてきれいで……私のお姉さんみたいな人なんです」

 リスエールは笑みを消し、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。それでも勇気を振りしぼるように言葉をつむいだ。

「大事な……大事な人なんです」

 しばらく沈黙が続いた。それを破るようにゼノがため息をついて扉へ向かって歩き出す。

「悪いけど退治屋である以上、アルヴィアで依頼は受けたくないんだ。なるべくな」

 少女の目が絶望に見開かれる。ゼノは容赦なく言葉を続けた。

「おまえさっき言っただろ。『退治屋なんてアルヴィアじゃ認められていない裏の職業』だってな。派手なことして教会に目つけられるなんてことはしたくねえ」

 正式な入国許可証があれば追い出されるということはないにしろ、ミガー人だと知られただけで白い目で見られる国なのだ。退治屋であるということがバレたら、どんないちゃもんをつけられるかわかったものじゃない。ドアノブに手をかけて、ゼノは少女に外に出るよう手振りした。

「そう、ですか……でも、他に頼れる人もいないんです。無理は承知していますが、どうにか引き受けていただけませんか……?」

 少女は懇願するようにゼノを見つめたが、どうやらゼノの意志は変わることはないと察したらしい。諦めた少女は目に涙をためながらとぼとぼと扉の前まで足を進めた―――その時。

「!」ゼノが少女の手を引き、そのまま剣をたずさえずんずんと外へ出た。

「ま、それは教会に目をつけられるような派手なことをするときの話だけどな」

 少女は何がなんだか分からないといった顔でぽかんとゼノを見ている。

「詳しい状況は移動しながら話せ。あー手短にかつ分かりやすく簡潔にな。オレバカだから」

「なんで……」

 ゼノは少女の問いに照れくさそうにそっぽを向いた。

「前払いは受け取っちまったしよ。――お前の必死な気持ち、そう安いモンじゃないだろ」

 少女は驚いたように目を見開いた。本当のところゼノだって危ない橋は渡りたくないのだが、泣いている女の子をすげなく追い返すなんて非道なことは出来なかったのだ。

 こんな少女が頼むことなんて、大したことじゃないだろう思ったこともある。少なくとも、この時は。

「リスとお呼びください」

「あ?」

「私の名前です。リスエールはいささか呼びづらいと思うので」

「……おう。オレはゼノ・ラシュディだ。オレのもなげーからゼノ様とかゼノ陛下とかゼノ閣下とか好きに呼んでくれ」

「……はあ」

 こうしてゼノはリスの依頼を受けることとなった。

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