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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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入れ物の少女 2

『虚構に棲まうもの。災いもたらすもの。深き淵より生まれし生命を喰らうもの――』

意識を集中させ、術の文言を紡ぐ。詠唱と共に、光が生まれ、魔法陣が拡大していく。幾度となく繰り返してきたそれは、リゼの意志通りに悪魔祓いの術を描き出した。

『理侵す汝に我が意志において命ずる。彼の者は汝が在るべき座に非ず。彼の魂は汝が喰うべき餌に非ず』

 魔法陣の中心にいるシリルは、目を瞑り、祈るように握った両手を胸に当てていた。緊張しているのか、その表情は少し硬い。光の帯が駆け抜け、髪や服を揺らすたびに、不安そうに身じろぎした。

『惑うことなく、侵すことなく、汝が在るべき虚空の彼方。我が意志の命ずるままに、疾く去り行きて消え失せよ』

 詠唱の完成と共に、眩い光が小屋中を照らし出した。影すら生まれない閃光。それがシリルを包み込み、その中の暗い影をあぶり出す。図々しくも他者の身体に居座るそいつを引きずりだし、打ち砕いていく。が、

「い、や、だ」

 光の中から、絞り出すような微かな声が聞こえた。はっとして、悪魔ではなく宿主の少女の方に目を向ける。光の渦の中心にいる彼女はふらふらとよろめいたかと思うと、

「いやだぁぁぁぁぁぁぁ! やめてぇぇぇぇぇ!」

 それは悲痛に満ちた絶叫だった。胸に手を当て、身体を折り曲げてシリルは訴える。その表情は苦しげで、演技には見えない。

「おい! なんかすごく苦しんでるみたいだけど大丈夫なのか!?」

 その時、後ろで見守っていたゼノが酷く不安そうな顔をして詰め寄ってきた。リゼとシリル。その両方に目をやりながら、どうするべきか計りかねて狼狽えている。しかし、リゼには彼にかかずりあっている余裕はない。

「うるさい。話しかけないで」

「けどよ!」

 なおも訴えようとするゼノの腕を掴んだのはアルベルトだった。彼はすぐさまゼノを元の場所まで引き戻すと、苦しむシリルに視線を据えたまま言う。

「落ち着いて。あれはシリルじゃない。喋っているのは、悪魔だ」

 ゼノは目を丸くして苦しむシリルを凝視する。そう。悪魔がシリルの声を借りて喋っているだけに過ぎない。惑わされず、術を完成させなければ――

 ――ヤメロ

 硝子が割れるような音がした。空気が震え、帯状に展開した魔法陣の一部が粉々に砕け散る。渦巻く暗黒を従えて、シリルは紅く染まった瞳を開いた。

 ――ヤメロ。邪魔ヲスルナ

 少女らしい可憐な声に、彼女のものではない耳障りな声が混ざる。それは明確な言葉の形をとって、リゼに向けられていた。

(こいつ、喋る悪魔か?)

 そう言えば、シリルは時折、声が聞こえてきたと言っていた。彼女に憑いている悪魔は、ただ喚く影ではなく、明確な意志を持ち言葉を操るほどの輩なのだ。

 しかしそうであるならなおさら、

「するに決まってるでしょう。とっととその身体から出なさい!」

 新しい魔法陣が生まれ、シリルを包んでいく。悪魔相手に手加減するつもりはない。全力で滅ぼしてやるのみだ。

 先程より一層強く輝く魔法陣。渦巻く暗黒をも消し飛ばして、少女の中の悪魔を追い詰めていく。本来在るべきではない場所から引きずり出して、虚空の彼方へ消し去ってやる。そんなリゼの意志が魔法陣を輝かせ、シリルに憑いた悪魔をあぶり出した。

 少女の身体から引きずり出されたそれはいつもの黒い影とは少し違った。巨大な丸い頭部と、それとは不釣り合いな細い胴体。赤ん坊にも似た姿だが、頭と胴体のバランスが悪く、強烈な違和感から来る不気味さがある。悪魔は本当の赤子のように身体を丸めていたが、頭部に赤い線が二つ刻まれたかと思うと、血のように赤い目が開かれた。

 ――ソウカ。オマエカ

 あの耳障りな声が頭に響く。しわがれた老人のような、ひび割れた男のような、掠れた子供のような何者ともつかぬ声。確信と嘲笑を孕んだそれは、まっすぐリゼに向けられていた。

(この悪魔は私のことを知っている……?)

 疑問と動揺が術の揺らぎとして現れた、その一瞬だった。

 ――オマエニワレヲ裁ク権利ナド、ナイ!

 再び硝子の割れるような音が響き渡った。悪魔が発した黒い衝撃波が自身を戒める光を砕き、リゼの目の前に展開されていた魔法陣を粉砕したのだ。おそらく持っている力を収束させ打ち出したのだろう。魔法陣によって威力は多少減じたものの、衝撃波はリゼの所にまで届いていた。

 左腕に焼けつくような衝撃が走る。弱まっているとはいえ、まともに攻撃を喰らったのだ。動くには支障ないが、掠り傷という訳ではない。その隙をついて、自由を得た悪魔は元いた“入れ物”には目もくれず、己を滅ぼそうとした者――リゼに向かって襲いかかった。

 迫り来る赤子の姿をした悪魔。攻撃するのか、はたまた取り憑くつもりか。どちらにせよ、回避は間に合わない。最初の一撃だけ耐えて、魔術で反撃してやるつもりだった。(レイピア)に手を掛け、訪れる衝撃とその次の反撃に備える。が、

 悪魔がすぐ近くまで迫ったその瞬間、目の前に現れたのは銀色の刀身だった。剣は悪魔の胴を捕え、血の代わりに黒い欠片を飛び散らせながら斬り裂いていく。悲鳴のような叫び声をあげながら後退した悪魔を、剣を上段に構え直したアルベルトが追った。逃げようともがく悪魔。その身体を淡い光を纏った剣が真っ二つに叩き斬った。悪魔は身体の半分を失い、微細な塵となって消滅していく。しかし、わずかに残された頭部だけが剣を逃れ、窓の隙間を通って小屋を飛び出して行った。

「逃がしたか……! 浄化しきれなかった……」

 悪魔を眼で追いながらアルベルトが悔しそうに呟く。北の方角へ向かう黒い塊はみるみるうちに遠ざかり、森の向こうへ消えてしまった。

「何だったんだ今の……なんか真っ黒な気持ち悪いものがすぐ近くを通り過ぎて行ったみたいだけど……」

「今の黒い影が悪魔か?」

 ゼノは自分の周りを見回しながら、キーネスはアルベルトの視線を追って北の方角に目をやりながら言った。どうやら二人も悪魔の姿がぼんやりとだが見えていたらしい。一般人が知覚できるレベルということは、やはりただの悪魔ではなかったようだ。左腕の傷を検分しながらリゼは答えた。

「ええ、そうよ。シリルに取り憑いていた五体目の悪魔」

「五体目!? そんなに取り憑かれてたのかよ!?」

「ええ。さすがに五体も取り憑かれている人は初めてよ」

 この状態で今までよく生きていたものだ。普通の人なら一体取り憑かれただけで死んでしまうのに。

「祓ったってことは、シリルはもう大丈夫なんだよな……?」

 気を失っているシリルの様子を伺いながら、ゼノが恐る恐ると言った風に聞く。悪魔に取り憑かれることによる障害が発生しないかという意味では大丈夫だと言っていいだろう。しかし、彼女に関しては、悪魔を祓ったからといって一安心という訳にはいかないようだ。

「いいや。悪魔を祓っても、彼女が“憑依体質(ヴァス)”であることに代わりはない。体質を治すか悪魔に取り憑かれないようにしないと」

 剣を鞘に納めながら、アルベルトが代わりに答える。そう。悪魔を祓っても、また取り憑かれてしまっては意味がない。再憑依の危険はどんな人にも言えることだが、シリルの場合はその確率が恐ろしく高いのだから、放置しておく訳にはいかなかった。

「どうするつもりだ? あてはあるのか?」

「いや、体質を治す方法については全く……でも、一時的に悪魔を避けることなら何とかなるかもしれない」

 意外な発言にリゼはアルベルトを見た。いい方法があるのだろうか。質問したキーネスも、興味深そうな表情をしている。しかしアルベルトが続きを話す前に、大きな音がそれをさえぎった。

 派手な音を立てて背後の扉が開いた。開け放たれた扉から差し込む斜陽の光。それが入口に立つ人物を黒々と浮かび上がらせる。反射的に武器に手を掛け、現れた人物を見定めようと目を凝らすと――

「リゼ―――!」

 酷く嬉しそうな声を上げて、黒い人物は小屋の中に飛び込んできた。目の前の男三人を素通りし、かなりの勢いでリゼに飛びついたのは――

「ティリー!? ちょっと、いきなり抱き付かないで」

その人物とは、メリエ・リドスで別れたはずのティリー・ローゼンだった。突然の登場、そして唐突に抱き付かれたリゼは、珍しく戸惑いの色を浮かべている。しかしティリーがそんなことを気に留めるはずもない。

「そう言われましても、貴女にまた会えた喜びを表さずにはいられませんもの! それにここに来るまでとっても大変でしたのよ」

 喜びを表さずにはいられない。その言葉通り、ティリーは満面の笑みを浮かべ放すまいと言わんばかりの強さでリゼに抱き付いている。おかげで身動きが全く取れない。半ば助けを求めるような気分でアルベルトの方を見ると、彼は驚いたような呆れたような顔をしてティリーを見た。

「ティリー! どうしてここに? ああそれとリゼは怪我をしているから抱き付いたりしたら……」

「あらごめんなさい! うっかりしてましたわ」

 ティリーの拘束から解放され、リゼはようやく一息ついて怪我を治すことができた。傷が塞がっていく様子をティリーは興味深そうに見つめた後、

「それにしてもアルベルト。貴方もいらしたのね。探す手間が省けてよかったですわ」

 アルベルトの方へ視線を向けると、口元にだけ笑みを張りつかせてティリーは言う。だがそれも一瞬で、先程の質問に答えることもせず再びリゼの方へ向き直った時には、あの嬉しそうな表情に戻っていた。

「外で見たのですけど、先ほどの術。あれも貴女の術でしょう? そうですわね!?」

「……そうよ」

「やっぱり。ああ、見たかったですわー! 凄まじい魔力を感じましたから、一筋縄ではいかない相手だったのでしょう? 出来れば詳細を見て今度こそ貴女の力の秘密を――」

「なあ、ちょっといいか?」

 喋り続けるティリーをさえぎって、ゼノが当惑したように言った。その後ろで、キーネスもやれやれと言わんばかりの表情をしている。ゼノはぼさぼさの頭をがしがしかくと、ティリーとリゼの顔を交互に見て言った。

「お前らって知り合い?」

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