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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
31/177

焔の国 水の町 2

 ルルイリエの町は砂漠にあるにも関わらず水に溢れた町だ。その水源は町の南西に広がるルルイリ湖である。さして大きな湖ではないが、その水量は驚くほど多く、ルルイリエを十二分に潤しているのだという。その上、

「……涼しいわね」

 ルルイリエの町に入った瞬間、砂漠特有のうだるような熱気が消え去ったのだ。日差しは相変わらずきつく暑いことは暑いのだが、メリエ・セラスに比べればよほど過ごしやすい。

「でしょう? ルゼリ砂漠にある町の中でルルイリエほど過ごしやすい町はありません。王都を除いてですけどね」

 ルルイリエの町を歩きながら、依頼人の若者・トニーは誇らしげに説明する。なんでも彼はルルイリエの祭司の一人らしい。

「それもこれも、セクアナ様のご加護のおかげなんです。太陽神ルーフ様と湖の神セクアナ様のおかげでルルイリエは栄えているんだ」

 ミガー王国は多神教国家だ。国家の守護神は火女神イリフレアだが、その他にも多数の神を信仰している。太陽神ルーフを始め、メリエ・セラスの船乗りの間では海の神リール、商人の間では雄弁の神オグマ―――神の姿は多彩であり、あらゆるものに神が宿るという。そしてルルイリエでは太陽神ルーフの他に湖の神セクアナが信仰されているのだ。

「セクアナ様……?」

「はい。ルルイリ湖に住まうこの町の守護神です。広場に噴水があったでしょう? 中心の彫刻はセクアナ様を模したものなんです」

 確かに広場の大きな噴水には髪の長い女性の石像があった。じっくり見てはいなかったが、祈りを捧げる人々に水を分け与えるような構図だったと思う。しかし、そんなことはどうでも良い。

「それよりも、退治してほしいっていう魔物はどこにいるの?」

 さっさと本題に入ろうとリゼが問うと、トニーは困ったような顔をして言った。

「ええっとですね。僕はあくまで名代で、本当の依頼主は別なんです。それに事情があってここでは話せないので、依頼主の所につくまで待っていて頂けませんか。あ、そんな怪しい依頼じゃないですよ!?」

 こちらの疑いの目に気付いたのか、トニーは両手を振って否定する。彼は「とりあえず急ぎましょう」と言うと、せかせかと歩き始めた。

 トニーはなぜか人目をはばかるようにして町を抜け、裏手にある小さな山へと向かった。件のルルイリ湖を挟んで、町とは反対側にある山である。人気のない参道を上がりたどり着いたのは、木造の小さな建物だった。

「着きました。ここです」

 トニーは門衛と思われる人物と少し言葉を交わした後、門を開けて二人に中へ入るよう促した。静かな建物の中を進み、最奥の部屋の前まで進むと、トニーは扉に手をかけて言った。

「依頼について、詳しい事は祭司長のフィリス様がお話してくださいます。どうぞ中へ」




 案内された部屋は思ったよりも質素なものだった。複雑な文様が描かれた敷物と、机と棚があるぐらいだ。部屋の奥には仕切りのように薄布がかけられている。

「潔斎中のため、このような場所からお話しすること申し訳ありません」

 薄布の向こうから聞こえてきたのは落ち着いた女性の声だった。部屋の明かりを受けて、薄布にシルエットが浮かび上がる。彼女が依頼主であるルルイリエ祭司長フィリスなのだろう。

「あなたが祭司長のフィリスさんですね。ルルイリエを襲う魔物を退治してほしいと聞いたのですが」

 アルベルトが一歩前に出て、薄布の向こうに問いかける。フィリスはその問いに頷くと、

「ですか、ただ倒していただきたいのではありません。まずは、魔物を湖から追い出してほしいのです」

「……追い出す?」

 退治するのではないのか。それに、

「魔物は湖にいるの? ルルイリ湖に?」

「ええ……ですが、この山の麓の湖ではありません。この山の奥にある、もう一つのルルイリ湖――神域の方なのです」

 そして、フィリスは話し始めた。

 ルルイリ湖は細い川で繋がった二つの湖からなっている。一つはルルイリエの生活用水を供給する場であり、住民たちの憩いの場である大ルルイリ湖。そしてもう一つが、湖の女神セクアナの神域である小ルルイリ湖である。湖と言っているがどちらかというと大きな泉であり、ルルイリ湖の源泉でもある湖だ。それ故に神聖視され、丁重に祀られている場所でもある。

 ところがその神域たる小ルルイリ湖につい最近、魔物が棲みついてしまったのだという。

「神域が魔物に侵されたとあれば、この町にどんな災いが降りかかるかわかりません。少なくとも、湖水が汚染されれば町の人々の生命を脅かすことにもなります。一刻も早く、魔物を取り除く必要があるのです」

「それで、追い出せと?」

「もちろん退治していただけるならそれに越したことはありません。しかし、湖を魔物の血で穢すわけにはいかないのです」

 フィリスはきっぱりとそう告げる。これは思ったよりも面倒な依頼かもしれない。そう思ったが、リゼが何か言う前に、アルベルトが答えた。

「分かりました。引き受けます」

 アルベルトがそう言うと、フィリスは安堵したようだった。しかし彼女は再び気を引き締めると、最後にこう付け加えた。

「それと最後に、このことは口外しないでください。町の人達に余計な心配をさせたくありません」




 フィリスの屋敷を出た後、リゼとアルベルトは再びトニーに連れられて小ルルイリ湖へと向かうこととなった。森の中の参道を進み、山の奥へと足を踏み入れる。近くに川があるのか(おそらく大ルルイリ湖に注ぐ川だろう)、清澄な水音が絶えず響き渡っていた。

「そういえば、この町に来てから悪魔憑きを見ていないんだ。ひょっとしてこれもセクアナ様も力なのか?」

 ふいに前を歩くトニーにアルベルトがそう問いかけた。

 確かに、ルルイリエに来てから極端に悪魔の気配が薄くなった。メリエ・セラスには見つけた範囲では数人とはいえ悪魔憑きがいたし、悪魔の気配もしていたが、ルルイリエではあまり気配を感じない。それも、神域に近付くほど、気配が薄くなっている気がする。

「そりゃあルルイリエはセクアナ様の加護がありますから! セクアナ様のおかげでこの町に悪魔憑きはめったにいないし、魔物に襲われることも少ないんです」

 問われたトニーは胸を張って自信満々に答える。セクアナのことを誇りに思い、敬っているのだろう。

「でも、肝心のルルイリ湖に魔物が棲みついてるんでしょう?」

 それを指摘すると、トニーは顔を曇らせた。

「ええ、そうなんです……この町に、ましてや神域に魔物が入り込むはずがないんだけど……」

 沈んだ声でそう言って、トニーはとぼとぼ歩き始めた。確かに、これほど悪魔の気配がしないのに、神域には魔物が棲みついているなどおかしな話だ。一体、どうして。

「……どう思う?」

「分からない」

 アルベルトはそう言って首を振った。さすがに情報が少なくて推察しようにも無理がある。少ないとはいえ、悪魔が全くいないという訳ではないし、偶然入り込んだ可能性もなくはない。「ただ」。そう呟いて、アルベルトは続けた。

「この町にセクアナ様の加護というものがあるのは確かだと思う。町に入る前に視えたんだ。悪魔が近付くのを防ぐ、透明な壁のようなものが」




 大ルルイリ湖は子供達が水遊びをすることもあるように湖に入ることは自由である。対して、森の中にある小ルルイリ湖は女神セクアナの神域であるため、祭司長の許可なく湖に立ち入ることは出来なくなっている。ただし、立ち入り禁止なのはあくまで湖内だけで、湖と女神を祀る社に参拝することは自由なのだ。

「ただ、今は潔斎中ということにして湖も社も立ち入り禁止になっています。湖に魔物が棲んでいるので危ないですから」

 参道を登りながらトニーが説明する。階段を上がり、木製の門のようなものをくぐると、そこに神域があった。

 小ルルイリ湖は確かに小さな湖だった。湖面は波一つなく鏡のように空を映している。特別何かがあるわけではないのに、空気はピンと張りつめ、大ルルイリ湖とは違う厳かな雰囲気がある。これが、この湖が神域と言われる所以なのだろうか。

しかし、その中に異質なものが混ざっているものまた確かだった。

湖畔から湖全体を眺める。ざっと見た限り魔物の姿は見当たらない。やはり、水面近くにはいないようだ。視線を下げ、じっと眼を凝らしてみると、水底の方に真っ黒い影が蟠っているのが視えた。

「いた。あの辺りだ」

 アルベルトが指差したのは、湖の中央よりもやや手前のあたり。さして広くない湖とはいえ、岸辺からは遠い。

「とりあえずあの辺りまで行かないと。ボートはある?」

「ええ、あります。そんなに大きくないですけど。……あの、やっぱり湖に入らないとダメなんですよね」

「あたりまえでしょう。都合よく魔物が出てきてくれるわけがないじゃない」

リゼがそう言うと、トニーはそうですよね……とどこか躊躇うように答えた。何か気にかかることでもあるのだろうか。

「何か問題があるのか?」

「えっと……ルルイリエじゃ神域――小ルルイリ湖の中に立ち入ることは絶対やってはいけないことなんです。祭司長ですらきちんとした儀式なしに立ち入ることはしませんから……だから、ちょっと抵抗があるんです。あ、もちろん魔物退治のためなら、お二方には入ってもらって構いません。祭司長も許可してるし」

 ボート出してきますね、と言ってトニーは近くの物置小屋へと走っていった。

 トニーが用意してくれたボートは確かに小さかった。二人で乗るのが限界である。しかしこれ以外のボートは祭儀用の装飾が施されているものばかりらしく、壊すわけにはいかないし装飾が邪魔なので使えない。

「すいません。これしかなくて」

「いや、十分だよ。魔物のいる辺りまで行ければいいから」

「そうですか。でもどうやって魔物を追い出すんですか? この湖は大きくはないですけどかなり深いですよ?」

「それは今から考えるわ。とにかく、魔物の様子を見て見なくちゃ何もわからない」




 件の魔物がいる場所まで漕ぎ出す。湖にはほとんど波がなく、ボートを漕ぐたび湖面に波紋が広がった。

「この辺りだな」

 ボートを漕ぐ手を止めて、アルベルトは言った。このずっと下に魔物がいるらしい。集中すると、水底に悪魔の気配が蟠っているのが感じられた。

「襲ってこないわね」

 魔物は水底でじっとしていて動く気配はない。潜るには深すぎるし、水の中にいられては追い出しようもないのだが。

「確かに動きがないな。こちらを警戒しているのか?」

「魔術でも撃ちこんだら出てくるんじゃない?」

「それはやめておいた方がいい。フィリスさんに湖を穢さないようにと言われてるじゃないか」

 さっさと終わらせようと思ったのに、アルベルトに制止された。確かに、フィリスには湖を穢さないように、湖を荒らさないようにとあの後も何度か念を押された。

「……祭司長も面倒な注文をしてくれたものね」

 湖を穢すことの心配をしなくていいのなら、ここから氷の槍でも打ち込んで魔物を串刺しにして終わりにするのだが、如何せんそういう訳にもいかない。ここは単に神様を祭るところというだけでなく、ルルイリエの生活を支える源泉でもあるのだから。どうすれば魔物を誘き出すことができるか、湖の底を観察しながらしばらく思案していた。

 と、その時、魔物の気配が少し動いた。上がってくるのかと思ったが、それ以上の動きを見せない。何をするつもりなのか。そう思って警戒していた時、

「まずい!」

 突然ボートが大きく揺れたかと思うと、右手の湖面から水柱が立ち上った。ボートの右の舳先が強力な水流で削られ吹き飛ぶ。直撃こそしなかったが、ボートを転落させるには十分だった。

 ひっくり返ったボートから吹き飛ばされ、リゼは瞬く間に水中に没した。水流のせいなのか、発生した渦によって深みへと引きずり込まれていく。明るい水面が見る間に遠ざかっていく。

 水底に視線を移すと、光の届かない闇の底に魔物の姿があった。獲物が引きずり込まれてくるのを待っている。とぐろを巻き、口を開けて。

 水が纏わりつく。暗い。冷たい。息ができない。重い。意識が闇に薄れていく。

 ――起きろ。このままでは喰われてしまう。

(……!)

 渦の中で両手を掲げた。集中すると、掌に魔力が集まっていく。その力は一点に収束し、一個の魔術として形を成して行くそれを、水底の魔物めがけて解き放った。

生み出された風は渦に負けぬ水流となって水底へ向かっていく。それは渦を打ち消し、魔物に直撃した。

 魔術の反動でリゼは水面に向けて上昇していく。水底では魔物が蠢いていたが、追ってくる気配はない。水流を受けても、水底でじっとしたままだ。

 と、魔物がわずかに動きを見せた。ゆっくり蠢いたかと思うと、頭部をこちらの方に向ける。そう思った瞬間、強烈な水流が目の前まで迫ってきていた。幸いにもわずかに逸れて直撃することはなかったが、再び渦が発生し水底に逆戻りしそうになる。

 もう一度魔術で水流を起こし、魔物を狙った。水流は魔物を正確にとらえ、余波で渦が消える。しかし、魔術の直撃を二度も受けたのに、魔物はほとんど動く気配がない。こちらを追ってきてもおかしくないというのに。それとももっと近づけば、攻撃すれば、こちらへ向かって来るのだろうか? だが、

(まずい。そろそろ限界……)

 息ができず、頭がぼんやりとしてくる。大分上昇したとはいえ、水面はまだ遠い。手を伸ばしても届く訳がなく、むしろゆっくりと沈んでいく。そうしているうちに、また魔物が水流を放った。今度は先ほどとは違って狙いが正確だ。直撃だけは避けようと、どうにか移動しようとした。

 ふいに、伸ばした腕を掴まれた。水中を強い力で斜めに引っ張り上げられる。魔物の水流が目の前を通過していった次の瞬間、リゼは水面を割って明るい陽光の中に顔を出していた。

「危なかった。大丈夫か!?」

 深く息を吸うと意識がはっきりしてくる。顔を上げるとアルベルトが心配そうな顔でこちらを見ていた。どうやら彼が引っ張り上げてくれたらしい。水流の直撃を避けられたのも彼のおかげだった。

「大丈夫。それよりあの魔物。上がってくる気配がないわ。湖の底から動くつもりがないみたいね」

 あれだけ攻撃したのにこちらに直接向かって来る気はないようだ。思ったより面倒な魔物らしい。

「お二人とも――!! 大丈夫ですかぁ――!?」

 岸辺からトニーが呼び掛けてきたので、アルベルトが手を振って無事を知らせた。とはいえ、いつまた魔物が水流を放ってくるかわからない。ボートが壊れてしまったし、二人は一度岸に戻ることにした。

 ボートの破片を使って何とか岸までたどり着いた後、水から上がったリゼ達にトニーはおずおずと、

「あのー、やっぱり難しいですか?」

 と聞いてくる。それにアルベルトは、

「難しいというか、魔物が動いてくれないのは問題だな。水底にいられては追い出せない」

 その言葉を聞いて、トニーはそうですか……と沈んだ声を出す。至極不安そうな顔だ。だが、

「魔物が動かないなら無理やりにでも動いてもらうだけよ。ただ、それには……」

「え? 方法があるんですか?」

「あるわ。ただ、祭司長に一応聞いた方がいいかしら」

 服の裾を絞りながらそう言うと、トニーは何を聞くつもりなのと首をかしげ・・・顔色を変えた。

「え、あれ? まずい。レックスさんだ」

 突然何を言い出すのかと思ったら、トニーの視線は森の草むらへと向いていた。視線につられてそちらをむくと、町人と思しき男性がそこに立っていた。

 誰かと聞くと、トニーは町の警備団の人ですと答えた。まずいという言葉通り、彼は非常に焦っているようだ。やっかいな人に見つかってしまった。そんな様子である。

「立ち入り禁止なのに何でこんなところにいるんだ。警備団員なのに決まりを破ってどうするんだよあの人は……」

 もごもご言っているうちに、レックスは草むらを離れ、こちらにやってきた。眉間にしわを寄せ、酷く不機嫌な様子である。

「トニー! これはどういうことだ?」

「どうと言われましても……」

「こいつらは何なんだってことだ。町の人間じゃないだろう。神域によそ者を入れるなんて何を考えてるんだ!」

「それはですね……」

「それにさっきの水柱は何なんだ? こいつらがやったのか? 湖に何かあったのか?」

「だから……」

「祭司長はこのことを――」

「だから聞いてくださいってば!! 大体、立ち入り禁止になってるのに何でここにいるんですか!!」

 矢継ぎ早に質問を浴びせるレックスをトニーが大声で制止した。虚を突かれたのかレックスが黙りこんだところに、トニーが続けて発言する。

「とにかく、僕の説明じゃ納得しないと思うので祭司長様の所に行きましょう。お二人もとりあえず来てください」

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