焔の国 水の町 1
果たして、それは何のためだろうか
暑い。
ギラギラと照りつける太陽。舞う砂塵。寒冷地が国土の大半を占めるアルヴィアとは違って、熱気に満ち暖かな光が注ぐ国。
そして、古くから脈々と魔術が受け継がれる場所。
それが焔の国――ミガー王国である。
「暑い」
テーブルに着いたリゼ・ランフォードは、今日何度目か分からない台詞を繰り返した。
ミガー唯一の貿易港、メリエ・セラス。数日の航行の末この街についたリゼとアルベルトは、船長に礼を述べた後、港に駐在している騎士達の目を避けるため早々に町の外れまで向かったのだった。
メリエ・セラスは貿易の街。その商店街はメリエ・リドスよりもさらに活気あるものだった。店と店の細い隙間まで埋めるように商品が並び、少しでもまとまったスペースがあれば、露天商が即席の商店を作る。秩序が重んじられるアルヴィアではメリエ・リドスの商店街すらも整然としているが、メリエ・セラスは整然とは程遠い。所狭しと並ぶ露店と大勢の通行人をかき分けて街を縦断し、ようやくたどり着いた街の外れの食事処で休憩を取っているところなのである。
「リゼは北の方の出身だったか。暑いのはやっぱり苦手なのか?」
向かいの席で水を飲んでいた青年――アルベルト・スターレンが言った。
「苦手というか、慣れてない」
日差しは強いし、汗が止まらない。乾燥しているから日陰はまだマシだが、日向に一歩でも出ようものなら日差しと砂塵に辟易させられることになる。今とて休憩に選んだ店が混んでいたため、外のテラスにいるのだが、日差しは傘によってさえぎられているものの風によって運ばれてくる砂塵と熱波は避けられない。
「そういうあなたはなんで平気そうにしてるの。ラオディキアだってアルヴィアじゃ北の方にある街でしょう」
「俺はラオディキアに来る前はずっと首都にいたからな。首都はそこまで寒くないんだ」
アルヴィアの首都エフェソといえば、寒冷帯に位置するアルヴィアの中でも温かく過ごしやすい地域にある街のはずだ。とはいえ、ここほど暑くはないわけで。
(それじゃ理由になってない)
涼しい顔をしているアルベルトに少なからぬ不満を抱きながら、リゼは暑さのあまりため息をついた。
天を仰ぐと雲一つない空に眩しい太陽が鎮座している。鋭い日差しが陰る気配など欠片もない。
「……もう少し、日差しが和らいでくれるといいのに」
「今日もルーフ様はお元気なんだよ。いいことさ」
その台詞と同時に、テーブルにコップを置く音が響いた。店員は片手に乗せたお盆からもう一つコップを取ってアルベルトの前に置く。
「お嬢ちゃん、暑いのは苦手かい? そんな色白じゃあ無理ないかもねぇ」
「……」
「暑いのに慣れてないってことは、東から来たのかい? あの辺はあんまり暑くないんだろ。それともルルイリエのお人かい?」
「……そんなところです」
人のよさそうな、けれど相当にお喋り好きそうな店員に、長話に付き合わされる羽目になってはたまらないとリゼは必要最低限の言葉だけを返す。幸いなことに店員は別の客に呼ばれ、すぐに去って行った。
「ところで、本当に隣町まで行くのか? ティリーを待たなくてもいいのか?」
運ばれてきた飲み物を一口飲んでから、アルベルトはそう言った。リゼも同じく運ばれてきたばかりの冷たい飲み物を口にする。
「数は少ないとはいえ、メリエ・セラスには教会の奴らがいるでしょう。だったらさっさとこの街を離れた方がいいわ。それに、わざわざティリーを待つ必要があるの?」
「彼女は付いて来たがるんじゃないか」
「研究のためにでしょう。私があいつの予定に合わせてあげる必要はない」
お喋り好きで知識を得ることが大好きなティリーは、リゼにしてみればとても面倒な相手である。ミガーへ行く方法を教えてくれたことは感謝しているが、わざわざ到着を待ってやるほど一緒にいたいとは思わない。元々、一人でいる方が気が楽なのだ。
そう、だから。
「それと、あなたは私についてくる気なの?」
「……え?」
そういうと、アルベルトはきょとんとした顔でこちらを見た。リゼ空になったコップをテーブルに置き、そっけなく言った。
「私はあなたと一緒に旅する必要性も感じないけど」
アルヴィアにいる間は、半ば成り行きではあったものの、アルベルトの方がアルヴィア南部の地理に詳しいこともあって同道していたが、ミガーに来た今、その必要性はなくなった。アルベルトはこのまま同道するような口ぶりだが必要性がないならやらない。ただそれだけのことだ。
アルベルトは何も言わない。手に持っていたコップをテーブルに戻し、何を考えているのかただ黙っている。しばらく間、重い沈黙が続いたが、やがて彼は口を開いた。
「……そうだな。でも――」
その時、大きな鐘の音が響き渡った。
音源は街の門の上にあるようだった。時刻を告げる鐘にしては、せわしなく騒々しい。なんとなく緊急の知らせであることは分かったが、それ以上のことは見当がつかなかった。
「おーい! 魔物が出たぞ! 南門の方だ!」
その時、外から知らせの声が聞こえてきた。魔物、という言葉をきいて二人は思わず立ち上がり、南の方に目をやる。確かに南の方から黒い影が近付いてきているようだった。
一方で、周りの客や店員たちはさっさと屋内に入ったりテキパキと商品を片付けたりしていた。魔物襲撃という知らせに慌てふためく様子はない。むしろ驚くほど冷静である。
「ちょっとそこのお二人さん! ぼぉっとしてないでさっさと店の中に入りなよ!」
店員の一人が表に出していた商品一式を運びながら言う。陳列していた商品は結構な量だったはずなのだが、どうやったのか非常にコンパクトにまとめられている。
「外にいるのは構わないけど、とばっちりにあっても知らないよ。最近、魔物が多いから下手するとここまで来るかもしれないよ」
「魔物? あれは魔物が来たという知らせなのか?」
「そうだよ。それもあの分だとなかなか厄介な魔物のようだね」
「厄介? まさかここまで入ってくるということか?」
「そうなるかもね。ま、魔物なら魔物退治屋が何とかしてくれるから問題ないよ。ただ万が一のことがない訳じゃあないからね」
売り物が台無しになるのは困るよ、と言って店員はさっさと店の中に入っていく。その手慣れた動作を見るにこういうことはよくあることのようだ。
それにしても、先ほどの店員の発言。
「魔物退治屋、か」
話は聞いたことがある。魔物退治屋――すなわち魔物狩りを専門とする者のことだ。アルヴィアでは騎士や見習いないし下位の悪魔祓い師がやることを、ミガーでは民間人がやっているらしい。危険極まりない行為だと思うが、教会という組織のないミガーでは致し方ないのかもしれない。
「それでも、魔物がやってきている以上、放っておくわけにはいかないな。退治しないと……リゼ?」
いつの間にいなくなったのやら、彼女の姿はどこにもなかった。
厄介というのは空を飛ぶという意味らしい。
塀を越え、街中まで侵入してきているのは鳥型の魔物の一団だった。最も魔物対策用の丈夫な壁に守られた大都市において、街中まで侵入してくるのは十中八九飛行する魔物である。どんなに強固な防護壁を造ろうと空を覆うことは出来ないのだから仕方ない。
「リゼ、こんなところにいたのか」
彼女はメリエ・セラスの門にほど近い家屋の上で、近付いてくる魔物の一団を眺めていた。アルベルトが呼びかけると、リゼは魔物を見据えたまま、
「私がどこへ行こうと勝手でしょう。それより、来るわよ」
そう言って、彼女は空に向かって一歩踏み出した。魔術を使っているのだろう。あっという間に魔物の飛ぶ高さまで舞い上がると、そいつの頭部を水平に斬り裂く。落ちていくその魔物を蹴って別の魔物へと向かうと、今度はそいつの翼を斬り落とした。
魔物の死体が砂上に落ちて、砂埃を舞い上げる。残りの魔物達は次々に奇声を上げると、地面に降り立ったリゼに飛びかかった。
アルベルトは剣を抜くと、リゼの背後に迫っていた魔物を斬り裂いた。続けて右の一匹を薙ぎ払い、並ぶもう一匹の頭部を貫く。その後ろで、リゼも同じように数匹を仕留めていた。
数は多いが、魔物は二人の敵ではない。少々時間はかかるが、掃討するのは簡単だろう。リゼとアルベルトは剣を振るい、魔物を一体一体着実に減らしていった。
そんな時だった。街の大通りの方から、一人の人影が飛び出してきたのだ。
「どけどけどけ~っ!」
そう言って魔物の群れに飛び込んで行ったのは大剣を持った一人の青年だった。彼はその威勢のいい掛け声そのままに魔物に向かって突進し、大剣で豪快に斬りつける。隣のもう一体に対しても同じように大剣を振るい、文字通り一刀両断にした。
「よし、次だ!」
青い髪の青年は手慣れた様子でそう言って、次々と魔物を仕留めていく。その剣技は力任せだが、太刀筋は見事なものだ。だが一人でいるせいなのか、背後の守りが手薄になりやすくなっている。青年が魔物を仕留めたその隙に、別の魔物が背後から近づいた。
しかし、魔物が青年を襲うことはなかった。気付いたアルベルトがすぐさま魔物の頭部を貫いて倒したからである。魔物は紫色の血をまき散らしながら砂の大地に倒れ伏し、動かなくなる。アルベルトはすぐに振り返ると、今度は左から迫ってきた別の魔物を斬り払った。
熱気に満ちる大地に冷気が流れていく。リゼが生み出した氷の槍が空を駆け、上空の魔物達を次々と貫いていった。
そしてほどなくして、魔物達は全て倒され、一匹残らず砂の上で動かなくなった。
「助けてくれて礼を言うぜ。ありがとな!」
魔物を全て倒した後、青年は快活にそう言った。どうやら、彼は例の魔物退治屋らしい。それもあの戦いぶりから察するに、結構長い期間退治屋をやっているのではないだろうか。
「ま、助けなんてなくてもオレ様一人で何とかなったけどな!」
はっはっはと、退治屋の青年は陽気に笑う。自信満々な発言だが嫌味な感じがしないのは口調が底ぬけて明るいからだろうか。少なくとも、青年は人見知りとは無縁そうな人間だった。
「じゃ、オレ急いでるから! あんたらも退治屋だろ? 一緒に仕事することになったらよろしくな!」
腕をぶんぶん振って、青年はあっという間に走り去っていく。その様子を見たリゼが賑やかな奴と呟いた。
「にしても、あれが魔物退治屋? 組織じゃなくて個人の稼業という感じね」
「そうだな。ミガーではあれが普通なのか……」
民間人がやっているというのは本当らしい。あの青年だけでは判断しようがないが、やはりアルヴィアとは全く違うようだ。魔物退治は生活の安全に重要なことなのに、国は民間人に任せているのだろうか。そんなことを考えていた時、ふいに後ろから声がかかった。
「あの……すみません」
声をかけてきたのは見知らぬ若者だった。旅装が砂埃に塗れていて、どうやらメリエ・セラスに来て間もない様子である。一体何の用なのだろう。どう思っていたら、彼は突然こう言った。
「退治屋の方々ですよね? 依頼してもいいでしょうか!?」
一瞬、何のことかわからなかった。一拍おいて、退治屋と勘違いされていることに気付く。魔物と戦ってたから勘違いされるのは当然かもしれない。しかし、もちろん二人とも退治屋ではないのでアルベルトは訂正しようとした。
「いや俺達は退治屋では――」
「魔物退治をして欲しいんです! お願いします! 場所はここから北西にあるルルイリエで――」
「ちょっと」
しゃべり続ける若者を制止してリゼは言った。
「私達は退治屋じゃないんだけど」
「え? そうなんですか!? 魔物と戦っていたからてっきり退治屋の方かと……」
自分の勘違いに気付いたらしい。若者はそう言って口を閉ざした。……と思いきや、
「いや、この際退治屋じゃなくても構いません! ルルイリエの魔物を退治してください! お願いします!」
と、勢いよく頭を下げる。どうやら非常に切迫しているようだ(町が魔物の被害にあっている以上当然の事だが)。別に急ぐ用事もない。困っているようだし、依頼を受けてもいいのではないかと考えていたら、返事がないことに不安になったのか、若者は目の前のリゼににじり寄ってあろうことか泣きついた。
「お願いしますよぉ! 本当に困ってるんですってばぁぁぁぁぁ!」
とりあえず必死さだけは十分伝わってくる若者の訴えに、二人は結局、話を聞くことにしたのだった。




