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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
3/177

罪と罰 1

 幼い頃から、空とは黒く蠢くものだった

 青く澄み渡る空も、降るような星空も

 蠢く空の片隅に散らばる、小さな断片でしか知らない

 いつからだろう

 あの禍々しい空が悪魔の群れだと知ったのは

 全く妙なことになった。うっそうと茂る森の中でリゼ・ランフォードは嘆息した。

 視線の先には一人の青年。漆黒の髪と瞳に、若い娘に騒がれそうな端整な顔立ちだ。もっともリゼとて若い娘だが、青年の美醜など彼女にはどうでもいいことであった。

「なんだ? リゼ」

 視線に気づいた青年が振り返る。リゼはふいっと目をそらした。

「別に」

「? そうか」

 青年――アルベルト・スターレンはリゼの態度に首を傾げたが、わざわざ問い質すことでもなし。彼は前に向き直ると、目の前の山道を登り始めた。

 そう。何が妙なことかというと、何の因果かこのお人好しの悪魔祓い師と同道することになってしまったからだ。




 常緑樹が葉擦れの音を奏で、草花が風にそよいでいる。空はまたとない快晴で、行楽には最適の日だ。

勿論ピクニックをしに来ている訳ではない。この山道は山間の村々を繋ぐ地図にも乗らない道――ラオディキアで助けた御者が教えてくれた――であり、教会に極力近付かないで旅が出来る道なのだ。

 ラオディキアでの一件の後、リゼはせめて一緒に逃げた元貧民街の住民達だけでも、安全な場所まで送り届けるつもりだった。住民達の大半が着の身着のままで、なおかつ健康状態が優れない者が多かったからだ。

 しかしラオディキアの騎士達が追いかけてきていることを知り、住民達と一緒にいるのは危険だということに気が付いた。正確にはリゼと一緒にいることが住民達にとって危険なのである。

 リゼは自分が囮となることに決めた。あくまでも教会の狙いは魔女一人。わざわざ手勢を割いて住民達を追ったりはしないだろう。住民達は反対したが、最後には渋々ながらも納得してくれた。その直後だった。一人の人物が共に囮役になると宣言したのである。その人物こそがアルベルトだった。

 それが約一週間前の出来事だ。騎士達を振り切った後も、諸々の事情から二人はそのまま協力体制を継続し、現在に至るという訳である。

 ただ、リゼは少々後悔していた。アルベルトは知識もあれば武芸にも優れ、そういう意味では頼りになる人物ではある。問題なのはその性格だった。

 要するにリゼとは全くの正反対なのである。何かと大雑把で沸点の低いリゼと、真面目で温和なアルベルト。性格が百八十度違う人間の相手にするのはこんなに疲れるものなのかと、リゼは新たな発見をした気分であった。最もそれは、家族以外の人間とろくに付き合ったことのないせいでもあるのだが。

 もう一つ言うと、リゼはまだアルベルトを信用しきっていなかった。助けてもらったのは確かだが、アルベルトは悪魔祓い師だ。彼がいかにお人好しだろうと、何の考えもなく行動しているとは思えない。前を歩く彼の姿を見ながら、リゼはこの悪魔祓い師は一体どういうつもりなのだろうと考えていた。

 不意に前を歩くアルベルトが立ち止まった。道が少し開け、見晴らしが良くなっている場所だ。別に前方に何かいる訳ではない。ただ空を見上げている。と、アルベルトの視線が空から地上へと降りた。

「リゼ、急ごう」

「え? いきなり何?」

 仕方なくアルベルトの後について道を進む。マイペースなのかはたまた天然なのか。時折出る彼の脈絡のない言動に慣れないので、こういう時、対処に本当に困る。名前を聞かれたときもそうだった。

 しばらく進むと森が途切れ、青草に覆われたなだらかな斜面に出た。緩やかに蛇行した道の先には村があり、途中の草原で羊がのどかに草を食んでいる。その群れの中に、村娘とおぼしき少女が倒れていた。

 アルベルトはすぐさま駆け寄ると村娘を助け起こし、声をかけながら二、三度揺さ振った。うーんと呻き声を上げ、村娘が目を覚ます。彼女は目の前にいる人物に目を留めると、ひどく驚いた様子で飛び起きた。

「だだだだだ誰ですか!?」

「驚かせてすみません。私は悪魔祓い師です。」

「悪魔祓い師様……? そういえば、あたし、さっき倒れちゃって……」

「何があったか話していただけませんか?」

 事態が呑み込めないのか村娘は一瞬言葉を詰まらせる。そしてどこかぼうっとした表情で答えた。

「え、えっと、羊の番をしていたら急にめまいがして……そういえば少し息苦しいような……」

 そう語る彼女の顔は朱に染まっている。視線はアルベルトに釘付けだ。穴が開くほど見つめられているのに当人はさほど気にした様子もなく、少し考え込むと冷静に言った。

「落ち着いて聞いてください。あなたは悪魔に取り憑かれています」

突然の宣告に村娘は凍り付いた。無理もない。『あなたはもうすぐ死にます』と言われたようなものだからだ。今の宣告を疑いつつも、赤くなった顔が見る間に青ざめていく。

 驚いたのはリゼも同じだった。確かに彼女は悪魔に取り憑かれている。しかし、どうやらアルベルトは村娘の姿を見ないうちに、彼女が悪魔に取り憑かれたことに気付いていたようなのだ。

 後で聞いてみなければ。その前に、リゼは村娘に一歩近付いた。

「とにかく悪魔祓いをしたほうがいいわ」

 そう言うと、村娘はたった今存在に気付いたかのような目でリゼを見た。どうやら今までアルベルトしか目に入っていなかったらしい。

「動かないで」

 何か言おうとした村娘を制し、悪魔祓いの術を使う。取り憑かれたばかりだったこともあり、すぐに悪魔を祓うことが出来た。

 村娘は立ち上がると自分の身体を見回した。そして二人に向き直ると、深々と礼をした。

「なんだか気分が良くなりました。ありがとうございます。それで、あの、ひょっとして神父様のお知り合いの方ですか?」

「神父?」

「ええ、違うんですか? あ、そうだわ! 村にも悪魔に取り憑かれた人がいるんです! あの人たちも……」

「とりあえず村に案内してくれないか。話はそれからだ」

「は、はい!」

 こうして、二人は村娘に連れられて山間の村に向かったのだった。




 村に着いた後、リゼは相変わらずたった一人で悪魔を祓っていた。

 その姿を見るたびに、アルベルトは悪魔祓いを行えないことにもどかしい思いを抱いていた。儀式にかかる手間と人手が、こういうときに大きな障害となるのだ。

試してみなかった訳ではない。ラオディキアにいた時も、どうにか一人で悪魔を祓えないか何度もやってみた。けれど全く上手くいったためしがない。それほど悪魔祓いという術は高度なのだ。なにしろ、人の精神という複雑で非物質的なものに干渉する術なのだから。

故にリゼは救世主とよばれて然るべきだと思う。本人はその呼称を嫌がっているが。

 全ての悪魔祓いが終わるまでそれほど時間はかからなかった。悪魔憑きの数が思ったよりも少なかったからだ。しかし最後の悪魔祓いが終わり、リゼがいつものように村人に感謝の言葉を述べられていた時、

「一体何をしているのだ?」

 厳しい誰何の声が二人に投げかけられた。

 声の主は黒い法衣を着た壮年の男だった。この人が村娘が言っていた神父なのだろう。

「あなたがたは悪魔祓い師を名乗っているようだが、村人を騙そうというならやめなさい。神はあなたがたの悪行を見、その報いを受けさせようとするだろう」

険しい表情で神父はそう言った。

村や町一つ一つに派遣できるほど悪魔祓い師の数は多くない。本来ならこんな小さな村に悪魔祓い師が来るはずがないから、神父は二人を偽者だと思っているのだろう。確かにリゼは悪魔祓い師ではないし、アルベルトも教会を出てしまっているので、騙しているといえばそうなのだが。

「地獄へ落とされるとでも? 残念ながら私は地獄なんて怖くないわ」

 案の定、リゼは喧嘩腰だった。この神父と事を構えるわけには行かない。アルベルトはリゼを制し、神父に自分達は村人に危害を加えておらず、またそのつもりもないことを伝えようとした。

 しかし、それは遠くから聞こえた悲鳴によって遮られた。さらに布を引き裂くような奇声が続く。周りの村人達がはっと身を強張らせ、恐怖の表情を浮かべる者もいた。

「ま、魔物だ!」

誰かのその一言によって、緊張感が見る見るうちにパニックへと変わった。羊も仕事道具もほっぽりだし、皆、家の中へ逃げ込んでいく。もはやアルベルト達に構っている場合ではないのか、神父は身を翻すと逃げる村人達とは逆の悲鳴が聞こえた方へ脇目も振らず駆けて行った。

「このタイミングで魔物?」

「みたいだな。行こう」

 二人は神父の後を追って魔物がいる方へと走っていった。

 悪魔が取り憑くのは人だけではない。人以外の動物もまた悪魔に取り憑かれ、死した後に魔物と化す。つまり、死体に悪魔が取り憑いた状態を魔物と呼ぶのだ。

 そして今、巨大な鳥の姿をした魔物が村人達に襲い掛かっていた。耳障りな甲高い啼き声があちこちから聞こえてくる。

 アルベルトは村人を追いかけていた魔物の頭部を斬り落とした。ぼろぼろになった寄主の身体から悪魔が離れる前に、祈りを唱えて消し飛ばす。そうやって次々に魔物達を倒していった。

 あの神父は倒れた村人の前に立ち、魔物と対峙していた。魔物と戦うつもりのようだが、手にしているのは小さなナイフで、とても役に立つとは思えない。魔物も恰好の餌を前にして、歓喜を示す不気味な啼き声を上げた。

 しかし神父は動じることなく懐からガラス瓶を取り出した。ロザリオを握りしめ、中の水を空中へ撒き散らす。その飛沫が魔物に降りかかった。

「邪悪なるものよ。神の名の下に汝に裁きを!」

 ぎゃあぎゃあと魔物が苦痛の声をあげる。その無防備な脳天に神父が深々とナイフを突き刺し、魔物は完全に沈黙した。

 そのすぐ近くで別の魔物が子供を追いかけていた。神父は逃げ遅れた子供を抱きしめ、自らの身体を盾にした。怪鳥の鉤爪がその背を襲う。鮮血が散り、子供が悲鳴を上げた。

 二撃目が加えられる前に、アルベルトが怪鳥の翼を切り落とした。それは大きな音を立てて地面に落ち、しばらく蠢いた後動かなくなった。

「あ、あなたは……」

「ここは俺達に任せて今のうちに逃げてください!」

 神父はしばし逡巡したが、どのみちこの怪我では満足に戦えないと考えたのか、村人達の手を借りてその場から離れた。

「無茶なことするわね」

 魔物を数匹まとめて魔術で倒したリゼが神父の後ろ姿を見てそう呟いた。

「……君がそれを言うのか?」

 五階の屋根から飛び降りるほうがよほど無茶だと思うのだが。どうも彼女は無茶を無茶と思わない節があるとアルベルトはつくづく感じていた。

「さっさと片付けましょう」

 そう言うとリゼは単身魔物の群れに突っ込んでいく。アルベルトはため息をついてその後を追った。

 ほどなくして、村を襲った魔物は二人の活躍によって一掃された。




「あなたがたを誤解していました。申し訳ない」

 小さな礼拝堂の中で、二人は神父――ヨハンと名乗った――と向かい合っていた。礼拝堂と言っても普通の住居を改装して長椅子と祭壇を置いただけの簡素なものだ。今は怪我をした村人達が運び込まれ、足の踏み場もない状態になっている。

「悪魔祓い師の名を騙る輩が少なくないのでね。あなた方は本物のようだ」

 悪魔祓い師どころか魔女として追われています、と言ったらこの神父はどうするのだろう。勿論訂正するつもりはないが、名乗った覚えはないのに詐欺師扱いされるのはたまったものじゃない。

「それで、悪魔祓い師が一体何の用でこの村に?」

「用なんてないわ。偶々通りかかっただけよ」

 事実なのだが、ヨハンは怪訝そうな顔をした。見兼ねたアルベルトが、恥ずかしながら道に迷ったんです、と付け足した。

「俺も一つ聞いてもいいですか」

 村に来た理由について、一応納得してもらえた後、アルベルトがヨハンに問いかけた。

「なんだね?」

「あなたは悪魔祓い師ですね」

 ヨハンの顔から穏やかな笑みが掻き消えた。

「知っているんだな。私が『悪魔堕ち』した悪魔祓い師であることを」

 さっと彼は立ち上がった。その手にはナイフが握られている。

「待ってください! 俺達はあなたを捕まえにきた訳では……」

「何を言う。悪魔祓い師が何の用もなくこんな場所まで来るはずがない」

 ヨハンの顔には明らかに敵意が浮かんでいる。よく分からないが、彼は教会に捕まるようなことをしたらしい。

むしろ同じ立場にあるリゼとアルベルトに、ヨハンを捕まえる理由があるはずがないが、彼は二人を悪魔祓い師だと思っている。どうしようかと考えたリゼは、今にも斬りかかってきそうなヨハンに向かって、ふと思いついたことを言った。

「私達は今、重要な任務についているの。神の命令でね」

 勿論嘘だ。どうせ悪魔祓い師だと思われているのだから、こうなったら利用してやるつもりだった。

「だから今から教会に戻って報告している暇はない。教会もあなたを捕まえるために人手を割くほど暇じゃないわ。最もあなたが戦うつもりなら、あなたを捕まえて教会に連れて行く」

 重苦しい沈黙が降りた。やがてヨハンは分かった、と答えてナイフを納め、アルベルトは安堵のため息をついた。

 その時、奥の扉が開いて金髪の痩せた女性が現れた。

「リリーナ!」

 ヨハンは顔色を変えてその女性に駆け寄った。女性の顔は青白く、今にも倒れそうだ。

「騒がせてすまない。もう魔物はいないから、安心して部屋で休んでいなさい。私一人で大丈夫だから」

 ヨハンがそう言い聞かせると、リリーナは素直に頷いた。そして危なっかしい足取りで出てきた扉のほうへ戻っていく。悪魔の気配は感じられないから悪魔憑きという訳ではなさそうだ。となると病気だろうか。

 ふと隣を見ると、アルベルトはリリーナが出て行った扉をじっと見つめていた。何かを考え込んでいる。

「あれはまさか……」

「アルベルト?」

「いや……」

 彼は自分の考えを打ち消すように首を振ると、戻ってきたヨハンに質問した。

「あの人はどなたですか?」

「あれは……私の妻です」

 その一言で、アルベルトは理解したという顔をした。

 何のことかよく分からない。村人に呼ばれたヨハンが席を外した後、リゼはアルベルトに説明を求めた。

「『汝、神の他に愛するものを持つなかれ』。悪魔祓い師が絶対に守るべき誓願の一つだ。つまり悪魔祓い師は結婚を禁止されているんだよ」

「なるほど。それで『悪魔堕ち』は?」

「悪魔祓い師が誓願を破り、神に背くことだ」

「……じゃああの神父は結婚したから『悪魔堕ち』した悪魔祓い師なの?」

 アルベルトは首肯した。

「理由がどうであれ、誓願を破ったら『悪魔堕ち』か。決まりが何よりも大切な教会が言いそうなことね」

 冷ややかにそう言うと、リゼは立ち上がった。

「外を見てくるわ。魔物が襲来するような所じゃゆっくり眠れないから」

 気をつけて、というアルベルトの声を聞きながら、リゼは礼拝堂の外へ出た。

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