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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
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赦されるもの赦されぬもの 12

 金属の床に鈍い足音を響かせてラウルは逃げて行く。爆弾も魔法陣も品切れなのかただ走って行くのみである。曲がりくねった通路を過ぎ、長い直線に入った所で、ティリーは魔術を放った。

「逃がしませんわよ!」

 ラウルを中心に過重力の網が張り巡らされる。それにとらわれたラウルは、重力に耐え切れずがくりと膝をついた。

「手間かけさせないでくださいませ。めんどくさい」

 歩みを進めながらティリーは這いつくばるラウルを睥睨した。

「ああもう。メリッサといい貴方といい一体何なんですの!? 悪魔研究家としての矜持はどこへ行ったんですのよ?」

 悪魔研究家は悪魔を打ち倒す術を探す者。悪魔に魂を売り渡すことがあってはならない。たとえ真理を得るためであっても、悪魔()に媚は売らない。

 悪魔を喚び出すことも悪魔憑きを増やすようなことをするのも、悪魔研究家としてやってはならないことだ。しかし、

「矜持? 矜持とはなんだ。残念ながらそんなものよりも大事なものがある」

「お金ですの? 馬鹿馬鹿しい」

「馬鹿馬鹿しいか。おまえにとっては悪魔研究以外のことなどどうでもいいのだろうな……多くの悪魔研究家がそうだが」

「何を言いたいんですの?」

 返事の代わりにラウルが放ったのは無数の水の弾丸だった。しかしティリーが張った過重力の網にとらわれて、一つも届くことなく地に落ちる。ラウルはさらに炎の雨を降らせたが、それも全て重力の盾で防ぐ。単調で単純な魔術。爆弾や地雷魔術がなければ、ラウルは大した術師ではない。

「その程度じゃわたくしには効きませんわよ。ゴールトンの所に連れてきますから、大人しくして頂きたいですわね」

「どうもそうらしいな」

 いやにあっさりとラウルは言った。重力魔術の檻の中で抵抗するだけ無駄だと気付いたのか、それとも。

「物分かりがいいですわね。何か企んでます?」

「どうかな。少なくとも反撃の手段は思いつかん」

 ラウルの表情は読めない。そもそもリゼの悪魔祓いの術を見た時以外、大して表情が変わらないので一体何を考えているのか分からないのだが。

 遠くで数人の足音が聞こえた。おそらくゴールトンの部下だろう。こちらに向かってきているようだ。

「一つ聞いてよろしくて? あの大勢の悪魔憑きはなんだったんですの? 教会の司祭までいたみたいですけど、一体何のために一か所に閉じ込めていたんですの?」

 ゴールトンの部下が到着するまで聞けるだけ聞いておこうと這いつくばるラウルに問いかける。するとラウルは、

「人間は追い詰められたらなんだってするし、自分の信じたいことだけを信じるということさ」

 と謎かけのようなことを言った。全く面倒な言い訳はいらないというのに。喋る気はないということだろうか。

 まあ、司祭について一つ考えたのは、司祭に一服盛って脅し、麻薬の密売を強制させていたのではないかということだが。

 考えてもわからなかったので、後で考えることにした。とりあえず腹いせに過重力をかけると、ラウルは呻き声を上げて気絶する。振り返ればゴールトンの部下たちがやってくるところだった。




 ラウルを引き渡した後、ティリーは役場に戻り市長の執務室へとやって来た。そこでは一足先に戻ったゴールトンが待ち構えていた。

「密売人捕縛、感謝するぞ」

 にやっと笑って市長は言う。しかし、そんなことはもはやティリーにとってどうでもよかった。それよりも重要なことがあったのだ。

「それはいいですけど、それよりもあの二人は無事に船に乗れましたの?」

「ああ、無事に乗れたらしいな」

「それは良かった。でもおかげでわたくしは置いてけぼりをくらってしまいましたわ。次の船はいつ出せますの?」

「この騒動だ。当分船は出せねぇよ」

「それは困りましたわ。余り待たせると置いて行かれてしまいますわね……」

 むしろリゼのことだから待たずにさっさと置いて行ってしまうのではないか。ティリーはリゼについていく気満々であるが、リゼには別にティリーと一緒にいる理由がない。速く追いつかないと。

「それはそうと、あんたに手紙だよ。今朝来たばかりみたいでな。渡せて良かった」

「手紙?」

 ゴールトンが差し出した白い封筒を受け取る。差出人の名はない。封を破き中を見ると、便箋が一枚だけ入っていた。

「……速くミガーに行かなくてはいけませんわね」

「研究に役立ちそうなものでも教えて貰ったのか?」

「ええ、とっても面白そうなものを。という訳で、さっさと船を出して頂けません?」

 そう言うとゴールトンは分かった分かったと苦笑した。それから不意に真顔になって、こう尋ねてきた。

「それはそうと、救世主殿はともかく、なんで悪魔祓い師を連れて行くんだ?」

「あら、たとえ表面上だけでも友好的な悪魔祓い師に会うなんてめったにないでしょう? これを機に色々教えてもらおうかなと思いまして」

「そう簡単に教えてくれるとは思えないがな」

「思ってませんわよ」

 ティリーは用件だけ書かれた簡素な手紙を懐に仕舞い、冗談交じりに、しかし半ば本気で言った。

「知っていることを喋らせる方法なんて、いくらでもありますからね」




 地面が揺れている。息を吸うと潮の香りが肺になだれ込んできた。その濃さにむせそうになってリゼは目を開けた。

「怪我は大丈夫か?」

 ああそうか。爆弾が爆発して吹き飛ばされたのか。心配そうなアルベルトの顔を見て、リゼはそのことを思い出した。爆発の瞬間、魔術で爆風と炎を防いだのだが、衝撃までは防ぎきれず吹き飛ばされて何かに衝突したのだ。たぶんその時の怪我だろう。リゼは丁寧に手当された腕の傷を見た。ただの火傷に打ち身だろうから大げさなことだが。

「心配しなくてもこれくらいすぐ治るわよ」

 それこそ治癒術を使えば一瞬で治る。最も、手当してあるし治癒術を使うほどの怪我ではないので、放っておくことにした。マリークレージュで腕の骨を折った時の方が遥かに大事だったのだ。

「それで、ここは?」

「ミガー行きの船の中だ」

「……どうりで揺れているはずね」

 ふらふらするのは頭を打ったせいではないようだ。

「そうだ。ティリーは船に乗れなかったみたいだ。ラウルを追っていったから」

「そう。それより、なんであなたまで乗っているの?」

「え?」

「逃げていたら誤解を解けないって言っていたでしょう」

 そう言うと、アルベルトは何とも言えない複雑な表情になった。後悔しているような、迷っているような、少なくとも図星を指されたことは間違いない。

 まだ悩んでいたのか、こいつは。

「……ま、どうだっていいことだけど」

 アルベルトの前途など知ったことじゃない。どうせミガーに行くまでの付き合いなのだから。

「逃げていたら誤解は解けない。その通りなんだ」

 ふいにアルベルトが口を開いた。

「だが、まず君を逃がさなきゃいけないと思ったんだ。成り行きで、流されているだけだとは分かってる。だから俺はちゃんと理由を考えようと思う。君も俺も、誤解を解いてアルヴィアに戻れる方法を。ミガーで何をするのかを」

 問題は先延ばしということか。リゼはそう意地悪く考えた。アルベルトが真面目で真剣なのは知ってる。真面目に考えているから、悩んでいるのだろうということも。――考えることを放棄している自分とは違って。

 ただ何が気に入らないって、ラオディキアを出た時と同じように、またこのお人好しに助けられたということだ。




「よぉ、アンジェラ」

スミルナ教会の自室で思案していると、ノックもなしに扉が開いた。アンジェラは入ってきた人物を一瞥して言った。

「お久しぶりです、ウィルツ。拝命式以来ですか」

「新米にして聖都に配属された首席殿に、おれみたいな下っ端が会う機会なんてねぇよ」

 自虐の皮をかぶった嫌味を言う同級生を、アンジェラは黙って見つめた。彼もまた、神学校時代から変わらない。最も、それほど付き合いはなかったけれど。

「最も同期トップもしくじることはあるらしいな。話は聞いたぜ。魔女を取り逃がしたんだって?」

「そんな話、どこから聞いたのです?」

「騎士の一人が言ってた。メリエ・リドスで指名手配犯の魔女と悪魔祓い師と思われてる人物を見たってな。見たのがそいつだけだから本当かどうかは分からねえけど」

 そう言いつつも、ウィルツは確信に満ちた様子で薄笑いを浮かべる。それを一瞥した後、アンジェラは静かに口を開いた。

「……魔女の逃亡に手を貸している悪魔祓い師がアルベルトだというのは本当だったのですね」

「ああ」

「あなたは追跡部隊の一人なのでしょう。途中で一度連絡がつかなくなったと聞きましたが」

「一度あいつらに追いついたんだが増水に巻き込まれて死にかけた。さすが魔女は容赦ねえよ。いつの間にか仲間が一人増えてるし」

 ウィルツは杖を放り出すと無造作にソファへ腰かけた。重みでソファが軋んだ音を立てる。

「アルベルトも戻る気ないみたいだしな。これであいつは完璧に悪魔堕ちした悪魔祓い師だ。魔女と一緒で火刑だな」

「…………」

「アンジェラ。お前はどうすんだ? 魔女と一緒にあいつを火刑台へ送れるか?」

「そういう貴方は全く躊躇いがないのですね。机を並べ共に学んだ仲間だというのに」

「あのクソ真面目な優等生が女に誑かされて悪魔堕ちしたなんて笑えるじゃねえか。劣等生のおれとしてはあいつが魔女と一緒に処刑される様を見てみたいね」

「相変わらずひねくれていますね」

「そりゃどうも」

 ウィルツは皮肉っぽく言ってから、再びアンジェラに質問を返した。

「お前はどうするんだ? アンジェラ」

「アルベルトの言っていることが真実か確かめます。彼は理由もなく誓願を破るような人ではありませんから」

「ふーん。聞いてどうすんだ?」

「彼が誤った信念の元に行動していると……本当に悪魔堕ちしたと確認できたら、神の名の下に、彼を罰します。それだけです」

 きっぱりとそう告げてアンジェラは窓の外へ視線を移す。スミルナからでも南の青い海が臨める。

「でももし、アルベルトが正しかったら……」

 白く輝く光。数多くの悪魔を一度に浄化する能力。アンジェラは目にしたのだ。メリエ・リドスの中心で輝いていた悪魔を滅ぼす光を。悪魔祓い師のものではない白い光を。あれが本当に『救世主』の力なのだとしたら。もしかして――

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