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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
2/177

救世主と魔女 2

 結局、セラフに苦情を申し立てられたのは九時課の鐘が鳴る頃だった。

 悪魔祓い師長の執務室に入るのは今日で二度目だ。一度目はすぐに追い出されてしまったが、今度はそういうわけにも行かない。アルベルトは部屋に入るとすぐに彼女と貧民街の様子について報告した。

「なるほど。君の話はよく分かった」

 話が終わると、セラフはそう言った。分かってくれたのかと一瞬期待したが、続いて発せられたのは否定の言葉だった。

「しかし君は本当に魔女が人を救うと思っているのか? もしそうするとすれば、それは人を惑わせ、より多くの人間を悪魔の手先に変えるためだ」

「でも彼女が悪魔を祓っていたのは事実です」

「なら悪魔の力で悪魔を追い出しているのだろう。魔女は下等な悪魔を使役する力を与えられているはずだからな。これこそ悪魔と通じている何よりの証拠だ」

「それは有り得ません。もしそうなら私には分かるはずです。ファーザーは私の能力をご存じでしょう」

 セラフは何も言わない。さらに抗議を続けようとした時、扉が開いて騎士が一人、息を切らせて入ってきた。

「報告します。魔女が牢から姿を消しました」

「何? どうやって抜け出した?」

「見張りの騎士によると、魔術で手枷を壊し、牢の鍵を開けたそうです。彼らも捕まえようとしたようですが、一瞬でやられたらしく…」

 アルベルトは驚きを隠せなかった。あの地下牢は魔女狩りが最も盛んだった時代に造られたもの。中にいるかぎり魔術は使えないはずなのだ。そこから抜け出すということは。

「・・・並の魔女ではないということか。ブラザー・アルベルト。魔女を捕縛せよ。手段は問わん。…生死もな」

 そう命じるセラフの口調は極めて事務的なものだった。

 外へ出ると、日頃教会に満ちている重々しい静寂は、魔女の逃亡によってすっかり破られていた。捕縛に向かう騎士と避難する司祭達が廊下のあちこちでぶつかり、ちょっとした騒動になっている。教会は長い平和に慣れきっていて、この緊急事態に対応しきれないのだ。

多発するちょっとした騒動の間をすり抜けながら、魔女が逃げているという六階を目指す。程なくして、アルベルトはその場所に辿り着いた。

 あちこち傷が行きひび割れた廊下は死屍累々たる有様だった。正確にいうと積み上がっているのは負傷した騎士達で、完全に戦意喪失し逃げようとしている者がほとんどだ。その中心で、彼女は剣を手に涼しい顔をして立っていた。

「悪魔祓い師というのは暇なのね。私を追いかけるよりよほど重要なことがある気がするけど」

 そう言って、彼女は剣を構える。護身用なのかそれなりに使えるようだ。仕方なくアルベルトも剣を抜き、討ちかかってきた彼女の一撃を防いだ。

「さっきは私を庇ったけど、今度は捕まえに来たというわけね。敵なのか味方なのかはっきりしてくれると戦いやすくていいのだけど」

「君も少しは大人しくしてくれないか。逃げたりしたら庇うのが難しくなる」

「あんな居心地の悪い場所で大人しくなんてしてられないわ。頭の悪い牢番の相手もね」

 新手の騎士達が廊下の向こうからやってくる。その様子を見ると、彼女はアルベルトから離れた。

「それに私はあなたたちほど暇じゃない」

 窓ガラスが吹っ飛んだ。ステンドグラスが散乱し、乱反射した光が目を焼く。極彩色の光を浴びながら、彼女は窓の外に飛び出した。風雨にさらされくすんだ色となった屋根の上を走っていく。その後を追って、アルベルトも外に出た。

 屋根の縁ぎりぎりのところに彼女は立っていた。ラオディキアの教会はこの都市で一番高い建物だ。屋根の上ともなれば、高所恐怖症でなくとも足がすくみ、言うまでもなく落ちれば命はない。

「行き止まりだ。もう逃げ道はない。大人しく捕まってくれ。抵抗するなら君の身の安全は保障できなくなる」

「抵抗しないなら身の安全は保障するとでも? 過去魔女狩りに合った人間がどんな目にあっているか、私が知らないとでも思っているの?」

「俺が証言する。ちゃんと調べて、君の力が悪魔のものでないと証明すれば…」

 しかしそれは本当に可能なのだろうか。悪魔ではないと証明してなんになる? 神に由来しない力は全て異教のもの。教会は異教を認めない。結局魔女として処刑されるだけだ。

 一度魔女と疑われたら、その判定が覆ることはない。

「証明したところできっと教会は認めない。慈悲だの愛だの言っていても、教会は意に沿わぬものを切り捨て、消そうとする。貧民街の人達を見捨てたように。教会の善人気取りに付き合うのはごめんだわ」

 強い風が屋根の上を駆けていく。踵を返し、彼女は空中へと足を踏み出した。風を呼び、空を切って、落ちていく。

 数瞬前まで彼女が立っていた場所に立ち、その姿を追う頃には、彼女は遥か遠くの地上に降り立ち、あっという間に町の中へ消えていった。

「魔術か。なんて無茶な」

 大胆で危険すぎる逃走劇。全く以って彼女には驚かされる。あっさり逃げられてしまったのに、悔しいというよりも清々しい思いだった。




 夕闇が辺りを支配する頃、アルベルトは一人貧民街へと向かっていた。

 あの後、大勢の市民と数人の騎士によれば、魔女は街の南門前に現れたかと思うと、門衛を全て倒して堂々と外へ出て行ったとのことだった。教会は魔女を野放しにするつもりはない。すぐに追跡部隊が編成され、アルベルトも悪魔祓い師として魔女を追うことが決まった。準備ができ次第魔女の後を追うこととなるだろう。しかし、彼にはその前に行きたい場所があった。

 闇の中をアルベルトは歩く。昔から夜目が利くので、この程度なら明かりは必要ない。そしてある一軒家にたどり着くと、辺りの様子を伺ってから、傾いだ扉を叩いた。

 顔を出したのはショーンだった。

「アル兄…」

「こんばんは。中に入れてくれないか」

「え、えーとそれは…」

 うろたえるショーンを押しのけ、アルベルトは中に入った。

 そこには貧民街の人々が十数人集まっていた。皆、アルベルトの登場に戸惑い、あからさまに敵意を向ける者もいる。そして、相変わらず人々の真ん中に救世主は立っていた。

「しつこいな。悪魔祓い師は」

 そう言って、彼女は冷ややかな目を向ける。アルベルトは首を振った。

「俺は君を捕らえに来たんじゃない」

 疑いの眼差しがアルベルトに注がれる。結局のところ、住人達にとってアルベルトは教会の人間でしかない。教会が信用できないものであるならば、アルベルトもまた、信用できない人物なのだ。

 当然だ、と思う。

「私を捕まえに来たのではないのなら、あなたは一体なにをしに来たの?」

 彼女はあの射抜くような目でアルベルトを見る。嘘をついても見透かされそうだ。つくつもりはないのだが。

「一つは予想が外れていないか確かめるためだ。君が捕らえられたとき、まだここには悪魔憑きが残されていた。君はここの人たちを見捨てるつもりなんてなかった。ラオディキアを出たように見せかけただけで、すぐにここへ向かったんじゃないか、と思ったんだよ」

 そしてその通りだった。その事実に少し安堵していた。

「二つ目は君に知らせたいことがあったからだ。教会は本気で君を追うつもりでいる。アルヴィア中に魔女が現れたことを知らしめるだろう。そうなる前にこの国を出たほうがいい」

 意外なことだったのか、彼女は少し驚いたようだった。

「今朝といい今といい、あなたは何故私を助けようとするの?」

「俺には君を火刑にする理由がないからだ」

「悪魔祓い師なのに?」

 そんなことは関係ない。魔女を殺したくて悪魔祓い師になったわけではないのだから。

「俺は地方の貧しい農村で育った。毎日毎日、日の出から日没まで働いてなんとか食っていける。そんな村だった。

 息子の俺が言うのもなんだけど、両親は優しくて真面目で働き者だった。でも、二人とも悪魔に取り憑かれ、悪魔祓いの儀式を受けられず死んだ。両親は…祈りの日に労働をやめない罪人だったからだ」

 月に一度、一切の労働をやめ、神の栄光に思いをはせる祈りの日。これを守らぬものは罪人と呼ばれ、蔑まれる。たとえそれが、守らないのではなく守れないからであっても。生きるのに精一杯で祈る間もなく、貧困の果てに悪魔に取り憑かれて死んでいく。それが正しいと言うのなら、祈りの日は一体誰のためにあるのだろう。

「悪魔祓い師になれば、両親のような貧しい人を救えると思った。何としてでも罪人の定義を、教会を変えたかった」

 けれど、悪魔祓い師になっても一人では悪魔一匹祓うこともできず、どんなに訴えかけても教会は聞く耳を持たない。結局無力なまま、貧民街の人達が苦しんでいるのを見ているしかなかった。

 そんな矢先、彼女は現れた。

「君は俺が望み、けれど出来なかったことをしている。君を捕らえて火刑台に送ったら、俺は俺の望みを否定することになる」

 信じてくれるかはわからない。けどこれが、アルベルトの偽りない本心だった。

 話が終わっても彼女は何も言わなかった。沈黙は彼女の十八番であるらしい。しばらくすると、彼女はふいに口を開いた。

「あなたのようなまともな悪魔祓い師もいるのね」

 それはまるで独り言のような台詞。次の瞬間には今の発言はなかったかのように、彼女は話題を変えていた。

「ここにいる用はなくなった。私はもう行く」

 住民たちのほうに向き直り、彼女は一言そう告げた。住民達ははっとして、名残惜しそうに彼女を見る。

「救世主様・・・」

「もうここに悪魔はいない。長くここにいると皆に迷惑をかけることになる。教会に何を言われても反発しないで。絶対に」

 真剣な表情で言われ、住民達は神妙に頷いた。そして家を出ようとする彼女に向かって、口々に感謝を述べる。

「救世主様! 娘を治してくれて本当にありがとうございます!」

「おれもです! これでようやく家族を養える!」

 浴びせられる感謝の言葉に彼女はうっすらと微笑むと、扉を開けて外へ出た。彼女の姿が闇にまぎれて見えなくなるまで、住民達は見送った。

「あんなすごい人がいるんだな」

「ああ、教会なんかとは違う。必ず助けるなんて言ったくせに、結局何もしてない奴ともな」

 若い男が二人、アルベルトの方をちらっと見る。住民達は解散し、それぞれの家に帰っていく頃だった。

「所詮、悪魔祓い師は悪魔祓い師だよな」

「そうそう。おれたち貧乏人のことなんてわかっちゃくれないんだ」

 不満をぶちまけて若者達も帰って行く。無言で立つアルベルトに、一人の男が声を掛けてきた。

「気にしなさんなアルベルト。あれはあんたじゃなく、教会への不満だからな」

「いや、彼らの言うとおりです。俺は結局何も出来ていない。彼女が捕らえられるのを阻止することも出来なかった」

「いいや。あんたがあっしらのために良くやってくれた事は知っとるよ。教会にはあんたのようなまともな悪魔祓い師もいるんだな」

「・・・ありがとうございます」

 そう言ってもらえて少しだけ気持ちが軽くなった。こういう人達のためにも、やらなければならないことがたくさんある。男やショーンに別れを告げ、アルベルトは教会に戻ることにした。

 夜空は雲に覆われ、月も星も見えない。深い暗闇の中を進み、北門に向かう。

 と、その闇の中に炎が一つ浮かんだ。どんどんこちらに近付いて来る。炎に照らされて浮かび上がったのは、

「ファーザー・セラフ・・・?」

 悪魔祓い師長がこんなところに来るなんて珍しい。それも、十字架を模した大きな燭台を手に持って。

「ブラザー・アルベルト。こんなところで何をしている?」

 今は教会で待機している時間なのだから咎められて当然だ。こんな場所で見つかるとは思わなかったが、用意していた言い訳をアルベルトは口にした。

「報告します。一応、貧民街中を探しましたが、魔女はどこにもいませんでした」

「そうか。なら讃課の鐘が鳴る頃には街を出て魔女の後を追うことになるだろう」

「…わかりました。それはそうと、ファーザーこそこんなところへ何をしに来られたのですか」

「サイモン大司教の命令だ。君も手伝いなさい」

「大司教様の? 一体どういう命令なのですか?」

「簡単なことだ。悪魔の穢れに満ちたこの場所を浄化する」

 燭台の炎が赤から純白に変わった。激しく燃える白い炎は、セラフの祈りの言葉に従って膨れ上がり、はじけて雨のように降りそそいだ。

 天から下る火はたちまち貧民街中に燃え広がった。

「何をしているのですか! ファーザー・セラフ!」

 異様に眩しい炎に目を灼かれながら、アルベルトはこの暴挙の理由を問うた。このままでは貧民街中の人が焼け死んでしまう。

「ここの住民達は魔女を崇め、救世主などと呼んだ。彼らは悪魔の手先と化し、もはや我々の救いは及ばぬ。我々に出来る事は悪魔に冒された魂を白の炎で浄化し、神の御手にゆだねることのみだ」

 セラフの言葉にアルベルトは愕然とした。一体どうすればそんな理論に辿り着くのだろう。彼らを見捨て、追い詰めたのはほかならぬ悪魔祓い師であるというのに。

もはや教会はここまでおかしくなっているということだろうか。ただ教えを守ることに固執し、従わぬものを無理やり排除する非情な集団に。

 白い炎が貧民街の家々を焼いていく。燻し出された人々が次から次へと外へ飛び出し逃げ回る。炎は人々を追い回し、逃げ遅れた人を飲み込んでいった。

「やめろ! やめてください、ファーザー!」

 必死に訴えかけてもセラフは全く聞こうとしない。貧民街の惨状を訴えた時と同じだ。炎に飲まれそうになる人々を助けながら、どうすればこの火を止められるか考え続けた。

 その時、炎の一部が吹き飛んだ。氷の欠片が飛び散り、氷雪がセラフへと向かっていく。炎を冷気がぶつかって、一瞬白い水蒸気があたりを覆った。

「魔女。ここにいたのか」

 いつの間に戻ってきたのだろう。セラフが見つめる先に彼女は立っていた。

「ここの者達を助けにきたのか。魔女にそのような情があるとは驚きだったな。それとも同じ悪魔の下僕として見捨てられなかったのか?」

「黙れ下衆」

冷え切ったその一言はそのまま氷の刃となってセラフへ飛んだ。しかし、魔術で生み出された氷槍は白い炎に飲み込まれ、蒸発して消え失せる。炎は渦巻き、四方から彼女に襲い掛かった。

 アルベルトは走り、体当たりでわずかな隙間から彼女を外へ押し出した。勢い余り二人はもんどりうって地面に倒れる。

「痛っ・・・邪魔するな、悪魔祓い師!」

 彼女は飛び起きて苦情を言ったが、今はそんな場合ではない。アルベルトも起き上がり彼女に向かい合った。

「全く何で戻ってきたんだ! あのままここを離れれば、いくらでも逃げられたのに!」

「襲われている人間を見捨てるほど薄情じゃない。悪魔祓い師と違ってね。そっちこそ私を庇ったりしていいのかしら?」

「…俺は無実の人間を殺したりしないし、殺されるのを黙って見過ごしたりしない。それだけだ」

 無用な殺人を看過するわけにはいかない。たとえ相手が悪魔祓い師長であってもだ。

「君は貧民街の人達を連れて逃げてくれ。ファーザーは俺が何とかする」

「信用しろとでも?」

「そうしてくれると嬉しいな。でも無理にとは言わない」

 そう言うと、彼女はあきれたように溜息をつき、背を向けた。

「わかった。…信用はしないけど」

 彼女は燃える貧民街の中へ消えて行った。

「ブラザー・アルベルト。君も魔女に惑わされたのか。仮にも悪魔祓い師が情けない。我らの義務を忘れるとは」

 炎を従え、セラフは悠然と歩いてくる。アルベルトは覚悟を決めて剣を抜き、切っ先を相手に向けた。

「悪魔祓い師の義務は人を救うことでしょう。違いますか」

セラフは笑った。それは無知な子どもが見当外れなことを言った時に見せる、哀れみと軽蔑の笑みだった。

「どうやら君は誤解しているようだな。悪魔祓い師の義務は神のしもべとして悪魔と戦うこと。悪魔の手先と戦うこともまた、我々の務めだ」




 白い炎はそれ自体が意志を持っているかのようだった。

 腹をすかせた獣の如く、動くものを容赦なく喰らっていく。だが狙うのはこちらと貧民街の人達だけ。騎士達には何もしない。

 そう、問題は騎士だった。ラオディキア側から貧民街を徐々に包囲して、逃げ出す人を捕まえ殺そうとする。住民達を守りながら、炎と騎士の両方を相手取るのは相当な重労働だった。

 逃げる人たちを誘導していると、二人の人が逆方向に走ってきた。片方はショーン、もう片方は無精ひげの初老の男だ。

「何してるの、早く逃げなさい!」

 走る二人を叱り付ける。するとショーンは首を振った。

「でも馬車があるんだよ!」

「馬車?」

 どういうことかと男のほうに問いかける。

「実はあっしはここに来る前、御者をやっとりまして、あっちに馬車と馬があるんです。あれがあれば走れない人らを運べる」

 年寄りや子どもを残すわけにはいかねえ、と男は決然と語る。頼もしい味方だ。

「わかった。その人達のこと、任せるわ」

 男は頷き、ショーンと一緒に馬車のあるほうへ走っていく。その後を炎が追うが、そうはさせないと魔術で吹き飛ばした。

 炎の勢いは衰えない。このままではいつか限界が来る。この状況を打破するためには、やはり大本を絶たなければならないだろう。

 あの燭台を持った悪魔祓い師だ。何とかするといっていたが、そんな悠長に待っていられない。踵を返し、来た道を戻ろうとした。

「ああ、やっぱりここにいたんだな、魔女」

 燃える家屋の陰から一人の悪魔祓い師が姿を現した。今朝、騎士達と一緒にいた悪魔祓い師だ。顔を見たのは殴られる前の一瞬だったが、間違いない。

「捕まって数時間で逃げ出すなんてやるなぁ。ちょっと感心したよ。…でも今度はそうはさせない」

 口調は軽かったが、目は完全に据わっている。悪魔祓い師が十字架をかたどった燭台を振ると、白い炎はそれに従いまっすぐ飛んできた。

炎は少し逸れて左後方に着弾した。

「ファーザーほど上手くいかないな」

 今度は狙い違わず炎が飛ぶ。散る火の粉を避け、一気に悪魔祓い師の元へ走った。

 剣と燭台がぶつかり、鈍い金属音が鳴る。

「へえ、剣も使うんだ。でも魔女なら魔術を使ったらどうだ?」

 燭台から炎がゆっくりと広がっていく。その熱さに顔を顰めながら、自惚れる悪魔祓い師に言い捨てた。

「そうさせてもらう。後悔しても知らないわよ」

 激しい衝撃波が生じた。炎を散らし、砂埃を巻き上げて悪魔祓い師を吹き飛ばす。彼は十メートルほど宙を飛び、小屋の一つに突っ込んで動かなくなった。

「いたぞ! 魔女だ!」

 一人片付けたと思ったら、今度は騎士が大勢やってきた。いささか面倒な事態にため息をつく。すると、馬がいななく声がして、タイミングよく馬車が登場した。

「救世主様、馬車がありました。これで逃げやしょう!」

 手綱を握った御者が呼びかけた。実用重視の頑丈そうな辻馬車には子どもと老人が限界まで乗っている。近付く騎士の集団に衝撃波をお見舞いし、素早く馬車に飛び乗った。




 何とかすると言ったものの、そう簡単にはいかなかった。

 セラフとてだてに悪魔祓い師長を務めているわけではない。思想はともかく、悪魔と戦うことに関して、このラオディキアで右に出る者がいない。それは全く、人間に対しても同じだった。

「本気で教会に逆らうつもりなのか」

 あちこちに火傷を作り、肩で息をしているアルベルトと違い、セラフはその場から一歩も動いていない。淡々と祈りの言葉を唱え、炎を操っている。

「私は教会の決定には賛同できません。こんなことはただの大量殺人以外の何者でもない!」

 そう言って、アルベルトは剣を構える。闇雲に打ち込んでも埒が明かない。落ち着いて、正確に。

 集中力はアルベルトの最大の武器だ。動く炎を見、狙いを定める。迫る炎をくぐり抜け、一瞬で間合いをつめた。

剣はセラフの胴を掠め、燭台を捕らえてその芯を叩き折った。灯火が弱まり、どんどん小さくなっていく。それにつれて、炎の動きも鈍っていった。

「神の白い炎は強力な分、扱いが難しい。ファーザーといえど燭台(それ)がなければこの炎は操れないはずです」

「そんなことは言われなくとも知っている」

 血の滲む胴の傷に手を当てて、セラフは吐き捨てるように言った。

「だが君は私を侮っているな。この炎を操れなくとも貧民街を焼き尽くすことは出来る」

 何がこの人をそうさせるのだろう。その手はまだ燭台を握り締めたままだ。結局話を聞いてくれないのかと落胆し、アルベルトは剣を構えなおした。

 その時、ものすごい勢いで馬車がやってきた。広場を横切りすぐ近くに急停車する。そこから彼女が飛び降りて、指し示すように剣を向けた。

 セラフの背に氷刃が突き刺さった。炎を受けて輝くそれは、燭台をも凍りつかせ、残る炎も消し止める。それと同時に家々を焼く白い炎は小さなただの炎へと変わり、セラフは声もなく地面に転がった。

 現れた彼女は感情のない瞳で悪魔祓い師長を見下ろした。氷の刃は血一滴流すことすら許さない。

「君は、なん」

「あなたは何とかすると言った。でも出来なかったみたいだから私がやった。それだけ」

 術を破るには使い手を止めるのが一番だ。彼女はただそれを実行した。手っ取り早いやり方で。

 そうしなければならないと、アルベルトも分かっていたのだが。

「お二人とも、騎士達がやって来ます。速く逃げやしょう!」

 御者に急かされて、二人は馬車に飛び乗った。御者は素早く御者台に上がり、慣れた手つきで鞭を振る。馬はいななき、すぐさま走り出した。

 ラオディキアがどんどん遠ざかっていく。その手前、いまだ燃える貧民街から騎士達が現れて、こちらを追いかけてくるのが見えた。それと自分たちとを見比べて、ショーンはあることに気付いて言った。

「この馬車、どんどん遅くなってるよ。おじさん、もっとスピードでないの?」

(コイツら)だってロクに食ってねえんだ。無茶言うんじゃねえ!」

 馬だって懸命に走っているのだろうが、初めの勢いはすでになく人が走るのより少し速いスピードでしか進んでいない。馬車が追いつかれることはないだろうが、徒歩で逃げている人達もいるのだ。

 その時、彼女は立ち上がり雲に覆われた夜天を仰いだ。雨気をはらんだ風が吹く。暗い空に向かって、彼女は呼びかけるようにあの言葉を叫んだ。

 雷鳴が轟いた。ぽつりぽつりと降っていた雨は豪雨となり、暴風を伴って嵐へと変わっていく。荒れ狂う風雨は騎士の一団に襲い掛かり、彼らを丸ごと飲み込んだ。

 今このときほど彼女が魔女であると言える瞬間はなかっただろう。ただの雨を嵐に変えるそのさまは、おとぎ話に、また歴史書に存在する魔女そのものだった。

 しかし、その代償は大きいようだった。

「これで少しは時間、を…」

 その言葉の先は発せられなかった。彼女は全力疾走した直後のように荒い息をつくと、その場に倒れて意識を失った。




 手放した意識が戻ってきたとき、真っ先に出迎えたのは激しい頭痛だった。

 痛みが頭の中でがんがん鳴っている。さすがにあの規模の荒天術は無茶だったようだ。瞼を上げても視野が定まらない。

身体を起こすと誰かが支えて水を飲ませてくれた。霞がかっていた視界がはっきりしてくる。二、三度まばたきすると、悪魔祓い師とショーンが心配そうな顔が見えた。

「大丈夫か?」

 悪魔祓い師が水の入ったコップを差し出した。その台詞は今日で二度目だ。大丈夫とは言い難かったが、面倒なのでとりあえず頷いておく。

水を飲んでいる間、悪魔祓い師は気絶した後のことを話してくれた。嵐のおかげで追っ手を撒くことができたため、とにかくラオディキアから離れるべく馬車を走らせ続け、ひとまず逃げ切ったところでこの洞窟で休息を取ることにしたらしい。途中で御者の男もやって来て、逃げ切った人達は別の場所で休んでいることを教えてくれた。

「逃げている間に何人かと合流できたんでさぁ。違う方向へ逃げた人もいるようで」

「全部で何人ぐらい逃げられたと思う?」

「…たぶん半分ぐらいじゃねえかと」

「そう」

 御者はそれ以上何も言わず、馬の様子を見てきますといってその場を後にした。ぼくも、とショーンもそれに続いた。

 半分逃げたということは、後の半分はあの場所で焼け死んだということだ。逃げた人達だって全て助かるとは限らない。魔物が徘徊する外に着の身着のまま逃げ出したのだから。

 全く、どうしてこんなことになったんだろう。

「私は救世主なんかじゃない。ただの疫病神だ」

 ぽつりと、そんな言葉がこぼれ落ちた。自嘲は重くのしかかり、自分の言った事なのに妙に納得してしまった。思わず笑いそうになったところに、悪魔祓い師が口を開いた。

「でも君があの人達を救ったのは事実だろう。讃えられるべき立派な行いだ。責められるべきは教会であって君じゃない」

 立派、か。なんだか遠い言葉だ。慰めようとしているのだろうが、全く心に響かない。

「悪魔に苦しむ人を救う。私が何故そんなことをしているんだと思う? あなたみたいに『苦しんでいる人を救いたい』なんて立派な理由じゃない。復讐のためよ。

私も子どもの頃、悪魔に家族を殺された。みんな私を守ろうとして死んだのよ。悪魔の狙いは私だけ。私を置いて逃げさえすれば死なずにすんだのに!

私は、家族を殺した悪魔に復讐したかった。悪魔なんて全て滅ぼしてやる。そう思っているだけ」

救世主と呼ばれ讃えられることに、ずっと違和感を覚えてきた。聖典に書かれた救世主のように、慈悲や愛で人を助けているわけではないのだから。全ては自分のため。自己満足なのだから。




「でも、苦しんでいる人を見捨てられないんだろう? そうしたら、無力だったあの時の自分を見捨てることになるから」




 はっとして、悪魔祓い師を見た。こういうのを図星というのかもしれない。自分でも不思議なくらい何も言うことが出来ず、ただ彼の生真面目そうな顔を見ているだけだった。

 沈黙が流れたのはほんの数瞬。しばらくして悪魔祓い師は微笑むと不意にこう言った。

「そういえば君の名前を聞いていなかったな」

「…はあ?」

 確かに名乗った覚えはないが、何がどうなればその話になる? 話の流れに戸惑っていると、悪魔祓い師はさわやかとでも形容されそうな笑顔を浮かべ、すっと右手を差し出した。

「名前が分からないと呼びづらいだろう? 俺はアルベルト・スターレン。よろしく」

 さわやかなわりに有無を言わさぬ雰囲気だ。けれど、仕方なく、と言ったら天の邪鬼すぎるかもしれない。握手に応じ、このおかしな悪魔祓い師――アルベルトに名前を告げた。

「リゼ・ランフォードよ」

 はっきり言って状況は最悪だ。

 けれど、この出会いだけは悪くない気がした。

九時課の鐘が鳴る頃(午後三時)

讃課の鐘が鳴る頃(午前三時)

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