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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
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赦されるもの赦されぬもの 3

「つまり、追いついたはいいけど心臓発作で死んだから捕まえた意味はないってことね」

 一連の事態を説明し、密売人の遺体を引き渡した後、アルベルトはゴールトンに提供された部屋でリゼとティリーに起こったことを説明した。

 密売人を捕まえたのはいいものの、死んでしまってはそれ以上調べようがない。これでは捜査が進展しないとゴールトンはぼやいていた。話を聞く限り、一か月前に捕まえた密売人も、捕まえた時にすでに中毒状態で、まともに話を聞き出せなかったのだという。そうこうしているうちに、薬はどんどん広まっていっている。

「ともかく、薬の拡散を食い止めないと。このままではこの街だけではすまなくなる」

 アルベルトはそう言って拳を握る。ただ危険というだけでなく、免罪符という形で売られていることで、救いを切実に欲している比較的貧しい人々が被害にあっているようなのだ。とても放っておくことなどできない状況だ。

「俺は密売人探しを手伝おうと思う。この一件に司祭が関わっているのなら。ひょっとしたら役に立つことがあるかもしれない」

「そう。頑張って」

 返ってきた言葉は思いがけず淡白なものだった。

「頑張ってって……リゼは薬のことどうでもいいのか? 薬が広まれば悪魔憑きも増える可能性が高いのに」

「あと一週間で出発でしょう。たった一週間で何をするの? しかもよく知らない街で。ゴールトンが解決に動いているなら、私達が何かする必要なんてない」

「船を出してくれるんだ。返礼は必要だろう」

「返礼、ね」

 礼をするべきことなのは分かってる。とくに対価も要求せず、紙切れ一枚で密航させてくれるというのだから。ゴールトンが何を思ってそうしたのかは知らないが。 

「ところでアルベルト。密売人探しを手伝うのは勝手ですけど、貴方、自分の立場が分かってますの?」

 そう言ってきたのはティリーだった。

「ゴールトン市長が何故この建物から出るなって言ったと思います? ふらっと教会なんぞに帰られたら困るからですわ」

 にこやかな笑みを浮かべたまま、ティリーは続ける。

「貴方は“悪魔祓い師”ですもの。教会の鐘につられてふらっとそっちに行ってしまうかもしれません。それで万が一、自首する気になったりしたら大変ですもの」

「そんなことは」

「仮になかったとしても、昔の同僚にでも会われたら困りますわ。懐かしくなって余計なことを喋られたら困りますもの」

「……」

 アルベルトは何も言わなかった。ある意味で、ティリーの心配は当たっていたからだ。

 確かに会ったのだ。昔――神学校時代の知り合いに。




「アルベルト!?」

 遠くで九時課の鐘が鳴っている。それに紛れて、聞いたことのある声がアルベルトの名前を呼んだ。振り返ったアルベルトは、そこにいる人物を見て驚きで目を見開いた。

そこにいたのはよく知っている人物だった。薄い水色の髪に整った繊細な容貌。その儚げな印象に反して強い意志を湛えた蜂蜜色の瞳。

「アンジェラ……!」

 アンジェラ・アンドレアス。神学校時代の同期の一人だった。

「どうしてこんなところに? 君は首都の教会に配属されたんじゃなかったのか?」

「……緊急の要請があって今はスミルナ教会にいます。この街にいるのも仕事の一環です。それより」

 アンジェラは右手を差し出すと、小さな声で祈りの言葉を唱えた。それがなんなのか気付くよりも早く、アルベルトの後ろに光の障壁が現れる。一拍遅れて目の前にも障壁が現れ、アルベルトは閉じ込められる格好になった。

「一つ聞きます。誓願を破り、魔女の逃亡に手を貸したというのは本当ですか」

 障壁の向こうからアンジェラが問いかける。静かで冷静な瞳が、嘘も沈黙も許さないというようにまっすぐこちらに向けられていた。

「……教会の命令に背いたのは事実だ。『魔女』の逃亡に手を貸したのも間違いじゃない」

「では、ラオディキアの悪魔祓い師長や市民の殺害も……」

「それは違う! 俺も彼女も市民を殺していない! あれは……」

 本当のことを言うべきか、アルベルトはしばし迷った。果たして悪魔堕ちした自分の言葉を信じてくれるだろうか。けれど、

(嘘はつけない。それにアンジェラなら分かってくれるはずだ)

「ラオディキアの貧民街に火を放ったのは、悪魔祓い師長――ファーザー・セラフだ。『魔女』を崇めた住民達の魂を浄化すると言って」

「え……?」

「でも彼女は『魔女』じゃない。むしろ貧民街の悪魔憑きを癒していたんだ。その力が悪魔祓い師のものでなかったというだけで、教会が魔女だと決めつけただけに過ぎない」

 アルベルトの返答に、アンジェラは驚きを見せた。アルベルトの話が嘘か本当か、判断に迷っているようだ。しかし、アンジェラが答えを出す前に、アルベルトは別のこと――しかし、今現在において非常に重要なことを告げた。

「それと俺のこととは関係ないことだが……メリエ・リドスで今、麻薬が出回っている。贖罪の薬と称して、免罪符とともに売り捌いているんだ。その上、密売人は司祭を名乗っているんだ。その人がその密売人の一人だ」

 アンジェラは倒れた密売人に目を移る。しばらくして、彼女ははっきりと言った。

「……この方は間違いなくスミルナの司祭です」

「本当か?」

「数日前から行方が分からなくなっていました。それに、この方だけではありません。1ヶ月前にも同じように司祭が一人姿を消しました」

 アンジェラはそこで言葉を切り、再びアルベルトをまっすぐ見据えた。

「アルベルト。私もその密売人を探しています。ここで薬の拡散を食い止めなければ、他の街にも広がりかねません。手配書のことも含め、詳しく事情を話してください。密売人に関して知っていることも全て。その上で、どちらを優先させるべきか考えます」

「……分かった」




「悪魔を祓う力を持ち、悪魔憑きを癒している。だから魔女ではない……そういうことですか?」

「ああ」

 人目のつかない路地の奥で、アルベルトは言われた通り詳しく事の次第を話した。ラオディキアの一件もリゼの能力のことも全て、である。

「その方は本当に悪魔祓い師ではないのですか?」

「俺が視た限り、悪魔祓い師の力とは違う、もっと純粋で強力なものだった」

「悪魔の力ということは?」

「いや、それはない。悪魔による邪悪なものであればすぐに分かる」

 とはいえ、神聖なものかと言われると少し違う。強いて言うなら魔術に近いのだが、ティリーが使うものとも違う。アルベルトの眼を持ってしても、その正体はよく分からないのだ。

「一人で、かつ我々よりもはるかに短い時間で悪魔を祓う能力。まるで聖典の言う救世主――神の子のように……」

「なんにせよ、俺は彼女を魔女として処刑するのは間違っていると思う。彼女の力の正体を見極めてからでも遅くはないはずだ」

「それがあなたの考えなのですね」

 アンジェラは目を閉じ、じっと考えている。それをアルベルトは不安と期待が入り混じった思いを抱きながら、彼女の返答を待つ。

「私がこうして一人メリエ・リドスにいるのには理由があります」

 しばらくして、アンジェラは口を開いた。

「実は、スミルナ教会はメリエ・リドスで危険な麻薬が出回っていることをすでに知っています。しかし、教会は何の対策もしていません。薬の被害がメリエ・リドスの外まで広まらない限り、この街の住人がどうなろうと構わないからです。ここは異教徒の街。ここに住む人間は罪人ですから。ですが、今、教会は形式主義に陥って視野が狭くなっています。教えを守らない方々を一括りに罪人と称し、救済を拒むなどあってはならない事態。そのような方々を神の身元へ導くことこそ、我らの為すべきことであるはずです」

 アンジェラはきっぱりとそう言った。

「今の私は悪魔祓い師ではなくアンジェラ・アンドレアス一個人として薬の拡散を押さえたいと思っています。個人的な事情で動いている以上、悪魔祓い師としてあなたを捕えることはできません。その間に確かめさせてください。あなたの言葉が嘘ではないかを」

「アンジェラ……!」

「ごめんなさいアルベルト。あなたが嘘をつく方ではないのは分かっていますし、私はあなたを信頼しています。ですが、確証もなしにあなたを擁護することもできないのです。真実をきちんと確かめることはいつにおいても重要ですから」

「いや、それは当然のことだ。上辺だけ見て判断するなら、彼女を魔女だときめつける人達と同じになってしまうから」

 今は何より、アンジェラが理解してくれたのが嬉しい。彼女なら少なくとも話は聞いてくれるのではないかと思っていたから、こんな場所で会えたのは幸運だった。

「しかし、麻薬のことをおろそかにするつもりはありません。あなたも麻薬の真の密売人探しを手伝っていただけませんか? 一人では手が回らないことも多々ありますから」

「もちろんだ。こんなものを野放しにしていたら、被害はメリエ・リドスだけでは済まなくなる」

 アルベルトがそういうと、アンジェラは安堵した表情を見せる。そして彼女は、

「ではそうですね……今は一度戻った方がいいでしょう。また今晩にでも、情報交換と今後の指針を立てませんか」

「それでいい。ありがとうアンジェラ」

 アルベルトが礼を言うと、アンジェラは微笑みを返した。



 深夜。

 昼間活気に満ちていたメリエ・リドスも、真夜中ともなれば静かだ。一部はまだ明かりが灯り、賑やかな場所もあるようだが、居住区はほとんど真っ暗で人の気配はない。

 そんな街の様子をリゼは屋根の上から眺めていた。吹き抜ける夜風は冷たく、ゆっくりと体温を奪っていくが、そんなことは気にも留めず、じっと街の様子を観察している。しばらくの間リゼはそうしていたが、やがて何かを見つけたのか一歩前に踏み出した。

「どこへ行くんですの?」

 いつの間にやってきたのか、声をかけてきたのはティリーだった。

「建物を出るなって市長に言われたじゃありませんの」

「教会に見つからないように、でしょう。だから夜中に出ることにしたのよ」

 振り返らずにそう答えると、ティリーは言い返してきた。

「夜中でも見つかる時は見つかりますわよ。大体こんな時間に何をしに行くんですの?」

「さあ」

「さあって……あ、ひょっとして悪魔祓いに行くんじゃありませんの!?」

「なんでもいいでしょう。別に」

「やっぱり行くんですのね? うふふ。探したかいがありましたわ」

 嬉しそうに笑うティリーに、リゼは振り返って呆れたように言った。

「あなたに見せるために悪魔祓いをする訳じゃないわよ」

「あら。何も見せろとは言ってませんわよ?」

 白々しくのたまうティリー。全く嘘っぽいにもほどがある。

「にしても、何でわたくしたちに悪魔祓いの術を見せてくれないんですの?」

「見世物になるのはごめんだから。それに、祖父に言われてるの。この力を使うのは構わないが、興味本位で寄ってくる連中には出来る限り見せるな。特に魔術師には。だから、興味本位で見る奴には見せない。これを何時使うかは私が決める」

「もう。秘密主義ですわねー」

「秘密にしてないわ。あなたに見せるのが嫌なだけ」

「まあ。何故ですの?」

「見せたら見せたでうるさいだろうから」

「そんなことはありませんわよ。わたくしぐらい魔術を使える人間なら、術に関しては見るだけで大体のことは分かりますもの」

 ティリーは胸を張ってそう言うが、研究のために見せろ見せろとうるさい奴が見せたら黙るとは毛ほどにも思わない。全く騒々しいのは好きじゃない。

「ともかく、あなたの希望には沿えない」

 一際強い風が屋根の上を駆け抜ける。その中で、リゼは屋根の上から一歩踏み出した。

 風を切って目の前の建物の屋根に降り立つ。建物と建物を飛び移りながら、目的の場所へ進んでいく。メリエ・リドスで最も悪魔の気配が強い場所。悪魔憑きが大勢いるところへ。

 一週間でやることはたくさんある。

 麻薬の密売人探しはアルベルトに任せておけばいい。




「魔術師には見せるな、ね。賢明な判断かもしれませんわ」

 走っていくリゼの後姿を見ながら、ティリーはそう呟いた。本当は追いかけてでも悪魔祓いを見たいのだが、さすがにそれはやめた。追いかけたって追いつけるわけがないし、あの分だとついてったって見せてくれそうにないからである。抜け道を通った後遺症で筋肉痛が酷くて激しい運動が出来ないとかそんなことは関係ない。

「魔術師にとって未知の魔術は解明せずにいられないものですものね。彼女のような能力は特に」

 見れば大体分かるというのは、その術が既存の魔術を土台としたものである場合だけだ。もし今あるどんな魔術にも当てはまらないものだったら、その正体を探るべく、大勢の魔術師や悪魔研究家がリゼのことを研究しようとするだろう。勿論、自分もその一人だ。

「うーん。やっぱり仲良くなってからの方がいいのかしら」

 先日アルベルトに言われたことを思い出してその案を採用するべきか考える。研究対象を目の前にして何も聞かないなんてことはポリシーに反するが、より効率よく研究できる方法があるのにそれを実行しないのはもっとポリシーに反する。「仲良くなることを当面の目的にする」ことは、今出来得る最良の手段、だろうか。

「下手に聞くよりも見れる機会が巡ってくるのを待った方が意外と速いかもしれませんわね」




 千年前から、悪魔はこの世に蔓延り続けている。

 悪魔を生み出しているのは人の罪科。それが巡り巡って弱い立場の人々を苦しめている。それを少しでも軽減するためには、悪魔を生み出すような人の罪も減らさなくてはならない。

 それも、悪魔祓い師の役目の一つだ。

「来てくれたのですね、アルベルト」

 役所を抜け出して向かった先、例の裏路地で待っていたアンジェラはそう言ってほほ笑んだ。

九時課の鐘が鳴る頃=午後三時

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