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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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~幕前~ 理不尽3

「私は三年前までラオディキアに住んでいた。妻を病で亡くし、忘れ形見である娘を一人で育てていた。娘は、妻に似たんだろう。生まれつき病弱だった。だが、教会の療養所は病弱な娘のためにあらゆる治療をしてくれた。私も娘も、日々の祈りと礼拝を欠かさない敬虔な信者だったからだ。――いや、信仰心だけなら今もそうだが……」

 男が無意識にか一瞥した暖炉の上には、簡素な十字架が飾られている。作りの粗さから、おそらく手製だろう。こんな人里離れた小屋にいながらわざわざあんなものを作るということは、敬虔な信者というのは偽りないのだろう。

「当時の私はそれなりの資産を持っていた。娘の治療のためには金を惜しまなかったし、教会への寄進も怠らなかった。だが、娘の病状は悪化こそしなかったが好転もしなかった……。そんな時、私はラオディキアの神父に聖地巡礼を進められた。病弱な娘を連れていけないから、若いころ以来、聖地巡礼は行っていなかった。しかし娘の病気を治すためには、もっと神への信仰を示すべきだと言われたのだ。人間の治療で駄目なら、神の御慈悲に縋るしかない。私は療養所に娘を預け、聖地巡礼の旅に出た」

 聖地巡礼。マラーク教徒は最低でも一生に一度行うべしと言われている。それを、男は行ったという。

「久方ぶりの聖地巡礼の旅は極めて順調だったよ。皆、親切にしてくれた。長い時間をかけて七つの教会といつか神が降臨召される聖地を詣で、ただ娘の快復を願って私はラオディキアへの帰路についた。――その途中で、私はあの女に出会った」

 男の表情が悲しみから怒りを孕んだものに変わった。

「ラオディキアに着く少し前のことだ。私は今にも行き倒れそうになっている一人の旅人に出会った。その女は息子の病の治療のためにどうしてもラオディキアに入りたいのだと言った。神聖都市に入るには、通行証を見せるか、長い審査を受けなければならない。通行証を持っていないし、審査を待つ時間はない。速く息子の元へ戻りたいと女は言った……」

 そこで男は言葉を切った。

「神は隣人への慈悲を説いている。悩む者へ手を差し伸べよと。それに、病に苦しむ子の持つ親として、女の訴えを見過ごせなった。私は女を連れだと申告して、ラオディキアに入れるよう取り計らった。だが、私は裏切られた! あの女は――あの女は魔女だったのだ!」

 吼えるような怒りの声が、小屋の空気を震わせた。

「家に戻り、久しぶりに娘に会って団欒を過ごしていた時だった。教会の騎士様と悪魔祓い師様が、私の家にやってきた。そこで教えられたのだ。あの旅人の女は魔女で、市で正体を現し魔術で人を襲ったのだと! 魔女を神聖都市に招き入れた罪で、私を捕縛すると! 私は釈明した。あの女が魔女だなんて知らなかった。息子の治療のためにというのは真っ赤な嘘で、本当はラオディキアを破壊するために街に入ろうとしたに違いない。私はまんまとそれに騙されてしまったのだと。誓って、神に背くような真似はしたことがないと、切に訴えた。だが、だが……」

 男は頭を抱え、うなだれた。

「私はラオディキアから追放された」

 顔を伏せたまま、男は言った。

「神聖都市に魔女を招き入れた罪は重い。例え、それが騙された結果だとしても。私は娘共々、ラオディキアから追い出された。今まで敬虔な信者であったが故の温情だろうか。ある程度の資産を持ち出すことは許されたが、神聖都市を追い出された私達への周囲の目は冷たかった……どこへ行っても罪人として扱われ……そして、娘は死んだ」

 男は再び涙を流していた。

「ラオディキアの我が家と療養所以外で生活したことのない娘に、都市の外での生活が耐えられるわけがなかったのだ……追放されて半年後、娘はあっけなく逝ってしまった……普通ならなんてことはない風邪をこじらせて……療養所での治療を受けられていれば、こんなことには……」

 後悔を滲ませて嘆く男。リゼは何も言わず、男に視線を向ける。しばらくそうした後、リゼは静かに問いかけた。

「――魔女は、どうなったの」

「火刑に処されたと聞いた。当然だ」

 吐き捨てるように男は言う。悪しき魔女はすべからく火刑に処すべし。それが教会の掟だという。ラオディキアで人を襲った魔女の末路は、確かにそれしかないだろう。だが果たしてその魔女は、本当に魔術で人を襲ったのだろうか。周りは敵だらけの神聖都市の中で安易に魔術を使うなど愚の骨頂。なればこそ、そこには相応の理由があったに違いない。けれど、どんな目的で魔術を使おうと、マラーク教徒は、教会は、悪しきことのために使ったと決めつけるだろう。――今となっては確かめるすべもない。

「娘を亡くして、私は希望を失った」

 暗い声が小屋に響く。

「愛する娘一人救えない父親に生きる価値などあるだろうか? だが、私は死ねなかった。何度も死のうとしたのに、死が恐ろしくて……」

 震える声で男は語り続ける。何かに憑かれたように、ただ助けただけの名も知らない女相手に、滔々と語り続ける。それは会話に飢えている故か、娘への罪悪感に押し潰されそうである故か。

「ずっと、死んだ娘が囁くのだ。『おとうさん、はやく死んで』と。『おとうさんがわたしを殺したんだ』と。その通りだ。私は娘を殺した。娘は私を恨んでいる。私が死んで地獄に落ちない限り、あの子の恨みは晴れない。なのに、私は死が怖いのだ……」

 ――だが、事ここに至っては、それだけではないように思える。

「死にたいのに、死ねない。私はどうすればいい。どうすれば、私は償える。ああ、セシリー、セシリー。すまない。私のせいだ。私がお前を殺した。私が――」

 男は嘆く。声を上げ、背を丸めて涙を流す。やがて男は顔を上げると、黙したまま見つめるリゼに縋りついた。

「娘さん。助けられた恩だと思って、どうか私を殺してくれ。臆病者の私の代わりに、セシリーの仇を取ってくれ。どうか。どうか――」

 懇願する男の瞳は、いつの間にか赤く染まっていた。男は鞘に納まったレイピアを取り上げると、リゼの手に握らせる。それを一瞥したリゼは重たい腕を上げ、縋りつく男の手を引きはがして寝台から立ち上がった。微かな金属音を響かせながらレイピアを引き抜くと、細い剣身に暖炉の炎が映り、ちらちらと瞬いた。床に尻餅をついた男は、うっとりとそれを見上げている。不自然に笑う男に向かって、リゼはレイピアを振り下ろした。

「私を助けたのが運の尽きだったわね」

 レイピアは空を裂き、そこにある澱んだ気配を霧散させた。武器を介して魔力を流すと、虹色の光と柔らかい風が次々に生まれて小屋の中で舞い踊る。驚く男を前に、リゼはゆっくりと唱え始めた。悪魔祓いの術を。

『虚構に棲まうもの。災いもたらすもの。深き淵より生まれし生命を喰らうもの。理侵す汝に我が意志において命ずる』

 男の耳元で囁く声は、娘のものではない。悪魔だ。悪魔がこの男の魂を啜るため、娘の声で囁いているのだ。魔力を張り巡らせると、男は――いいや、男に取り憑く悪魔は呻き声を上げた。

『彼の者は汝が在るべき座に非ず。彼の魂は汝が喰うべき餌に非ず。惑うことなく、侵すことなく、汝が在るべき虚空の彼方。我が意志の命ずるままに、疾く去り行きて消え失せよ』

 虹霓の光が狭い小屋を満たす。その中心で、悪魔が啼き叫ぶ。無造作にレイピアを一閃させると、男から引き剥がした黒い靄は断末魔の絶叫を上げながら跡形もなく消滅した。

 どさり、と重たい音が響く。気を失い倒れた男を、リゼは見下ろした。悪魔の気配はしない。男は静かに眠っている。もう、娘の声が聞こえることもないだろう。

 リゼはレイピアを鞘に納めると、寝台の横に置かれていた荷物を手に取った。大した物は入っていないが探られた形跡が皆無な辺り、この男は本当に人が良いのだろう。手早く身支度を整えると、気絶した男を寝台に移し、小屋の入口へ向かう。扉を開くと、糸杉の林が目に入った。もう雪は降っていない。リゼは何げなしに振り替えると、穏やかに眠る男を見て呟いた。

「助けたのが私じゃなければ死ねたかもしれないのに、つくづくロクでもないものを拾う人ね」

 憐れむように言って、リゼは小屋の外へ踏み出した。




 ざく。ざく。

 雪を踏みしめ、リゼは林の中を進む。空気はピンと張り詰め、身を切るように冷たい。それでも構わず、あの小屋から離れるため、まだふらつく足を無理やり前へ進める。一歩一歩、林の中を進むうち、リゼの脳裏にある人からの依頼の言葉が蘇った。

 ――ロクサーヌという魔術師を見つけたら、村へ戻るよう伝えてくれないか。

 数か月前。立ち寄った小さな村で、一人の女性にそう頼まれた。その人は、もう三年もロクサーヌの帰りを待っているという。

 ――ロクサーヌはラオディキアに向かった。彼女の息子の病気を治すために、薬の材料を買いに行ったんだ。治せない病ではないが、この辺りには肝心の材料がない。ロクサーヌは息子のために、危険を冒してまでラオディキアに……

 ――彼女に託されて以来、ずっとあの子の面倒を見てきた。あの子はもう、長くない。もって数週間だろう。例え病気が治せなくても、せめて、最期に一目母親に会わせてやりたい。

 ――分かってる。もう三年だ。こんなに長く帰ってこない以上、何かあったんだろう。でももし、もし生きているなら……

 会いたいのは、ロクサーヌの息子だけではないだろう。ロクサーヌのことを語りながら、女性は瞳を潤ませていた。けれど、あの女性もロクサーヌの息子も、もうロクサーヌには会えない。息子のために、危険を顧みず神聖都市に足を踏み入れた彼女は、炎に包まれながら何を思ったのだろう。

 理不尽だ。

 灰色の空を仰ぎ、リゼは嘆息する。

 ああ、理不尽だ。

 死ぬべき者が生きて、生きるべき人間が死んでいるのは。

 糸杉の林を抜けると、ぱっと視界が開けた。勾配のきつい坂の上。遮るもののないその場所からは、山の裾から広がる平原の様子が一望できる。その遥か遠くに、朝焼けに照らされて橙色に浮かび上がる一つの街が見えた。

 神聖都市ラオディキア。教会が支配する七番目の都市。

 その姿を目に止めて、リゼは歩き出す。

 以前聞いた話によると、ラオディキアには都市の外に貧民街があり、悪魔祓いを受けられない罪人達が暮らしているという。神聖都市のすぐ側なのに、悪魔憑きがたくさんいる。ならばそこへ行って、悪魔を祓わなければ。

 全ての悪魔を滅ぼすために。

 本当の望みを叶えられない以上、やれることもできることも、それしかないのだから。

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