全ての人間が持つ力 13
シェリーヌに連れられてアルベルトとリゼが向かったのは、工房の奥にある広間のような部屋だった。
部屋の真ん中には不思議な形をしたオブジェが鎮座していた。加工されていない大小さまざまな木を組み合わせ、逆巻く波を表すかのような台座の上に、握りこぶし大の青い石が飾られている。オブジェのそこかしこには文字のようなものが刻まれていたが、アルベルトには読めなかった。
「これは?」
「メリエ・セラス全体に有効な悪魔除けよ」
オブジェ――悪魔除けを愛おし気に触れながら、シェリーヌは上端の青い石を見つめる。丁寧に加工されたのであろう青い石は完璧な球体で、そのままでも内包された精霊の力で内側から光輝くようだった。
「これ一つで、本当にメリエ・セラス全体が護れるんですか?」
「ええ、可能よ」
シェリーヌが青い石を指し示すと、石の前に魔法陣が浮かび上がった。陣の一部を指さし、シェリーヌは語る。
「オルセイン式増幅魔術式。最近、大型化に成功したの。これで理論上は悪魔除けの範囲が街全体まで広がるはず。ただ、これを起動させるためには膨大な魔力が必要になる。だから今まで数人がかりで魔力を込めてきたわ。でも起動しなかった」
シェリーヌは険しい表情でオブジェを見つめ、きつく拳を握った。
「理論は間違っていない。魔力さえ込めれば起動するはず。材料が悪いのか魔力が足りないのか。あと一つ考えられるのは――」
「素材と魔力の相性。だから私に試してみて欲しいんでしょう?」
そう言って、リゼは前に出る。
「式が間違ってないなら、起動しない原因は魔術式がうまく働かないこと。悪魔除けは、霊晶石に込められた魔力が魔術式に従って精霊素を集め、結界を具現化させる。もし魔力と霊晶石の相性が悪ければ、魔力は霊晶石に宿らず、すぐに抜け落ちてしまう。そうなれば、悪魔除けは起動せず止まる」
リゼは悪魔除けの前に浮かび上がる魔法陣を指した。
「霊晶石と魔力の相性なんて普通は考えなくていいけど、こんな大規模な魔術式となると話は別。ちょっとしたことで魔術式は働かなくなる。だから、相性の悪い魔力をいくら注いでも、悪魔除けは起動しない。――そうでしょう」
リゼがそう言うと、シェリーヌは首肯する。
「誰が込めても起動しないから、理論が間違ってるんじゃないかと言われたんだけどね……もしそうなら、これ以上の術式は組めないから諦めるしかなくなる。そうなる前にできることはしておきたいの」
シェリーヌが手を振ると、石の前面に展開していた魔法陣が消えた。彼女は今まで立っていた場所をリゼに譲り、自分は後ろに下がる。そしてリゼは悪魔除けに近づくと、目を閉じ、青い石に向って手を翳した。
一瞬の静寂の後に、リゼの纏う虹色の光が眩しいほどに瞬いた。光はリゼの右手を伝い、青い石へと吸い込まれていく。魔力が注がれるに従って、青い石はより青く輝き始めた。
石が輝くに従って、木の台座に彫り込まれた文字も青く光り始めた。悪魔除け全体が青い光を纏い始める頃、文字は台座から浮き上がり、帯のように連なりながら周囲を舞い始める。青く光る直線と曲線、そして文字は悪魔除けの真上に集い、一つの形を成していった。
組み上がったのは、一つの魔法陣だった。線を複雑に編み込んだような、正方形の魔法陣。それは悪魔除けの上でゆっくりと回転しながら、徐々に輝きを増していく。やがて直視できないほど眩く輝いた魔法陣は一瞬で拡大し、壁を突き抜けて広がっていった。
青い光に飲まれて、アルベルトは目を閉じた。悪魔祓いの時と似た温かいものに包み込まれているのを感じる。スミルナでのあの時のようだ。温かい力はしばし周囲を満たしていたが、やがて瞼の裏の光が弱まったのを感じて、アルベルトは目を開けた。
目の前にあるのは、光の粒子を纏いながら青く輝く悪魔除けのオブジェ。そして、その青い光の中に佇むリゼの後ろ姿。スミルナで、ザウンで、悪魔祓いをした時のような、神聖さすら感じる姿。それを、アルベルトはただ見つめた。
「すごい……起動した……」
ぼんやりと呟かれたシェリーヌの言葉に、アルベルトは我に返った。手近な窓に駆け寄り、空を見上げる。果たしてそこには、薄い膜のようなものが広がっていた。
ルルイリエやフロンダリアと同じだ。メリエ・セラスに結界が張られている。ルルイリエに比べれば力は弱いが、悪魔を弾く力は十分に備えているようだ。結界の向こう側で、黒い悪魔の影が蠢いている。魔術があれば、神の力がなくとも人の手で悪魔を阻む結界を創れるというのか。いいや、これもリゼの力なのだろうか――
リゼの方へ振り向くと、彼女はまだ光の中にいた。だがそれも、急速に弱まっていく。悪魔除けが放つ青い光の前で、リゼの虹色の光は蛍火のように弱く瞬いている。そして彼女は柱に手をつくと、そのまま崩れ落ちた。
「リゼ!」
アルベルトはすぐさまリゼに駆け寄ると、荒い息をつく彼女を助け起こそうとした。やはり相当魔力を消耗したようだ。リゼから放たれる虹色の光が弱まっている。リゼの肩に手を置くと、彼女は縋るかのようにアルベルトの腕を掴んだ。
「立てそうか?」
そう問いかけたが、リゼは一点を見据えたまま答えない。消耗が激しいのだろうか。
「シェリーヌさん。どこか休める部屋はありますか?」
「ええ、ここを出て右の奥に仮眠室があるわ」
リゼの状態を目にしたシェリーヌはすぐに場所を教えてくれた。アルベルトは頷き、うずくまったままのリゼへ向き直る。今のやり取りも耳に入っていないのか、リゼはぼうっと悪魔除けを見ているままだ。その様子は何かを考え込んでいるようにも見える。アルベルトは構わずリゼを横抱きにした。
「リゼ、聞こえているか? 仮眠室に移動する。いいな」
すると、無言だったリゼが不意に表情を変えた。不可解だと言いたげな、怪訝そうな表情で。
「聞こえてるわ。悪いけど背負う方にしてくれない?」
ようやく口を開いたかと思えば、リゼは事も無げにそう言った。声音から疲労は窺えるものの、話せないほどではなさそうだ。その割には上の空な様子に疑念を感じつつも、要望通りリゼを下ろし背中を向けた。するとリゼは躊躇わず背中に負ぶさってくる。妙だなと思いつつも、アルベルトは立ち上がった。




