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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
17/177

赦されるもの赦されぬもの 1

 悪魔は人の子の罪の証

 人の傲慢より生まれ、欲望に棲み、災いを生み出し、人の魂を糧とする

 この世に人が在る限り、悪魔もまたこの世に在り続ける

 千年前の終末の日より

神聖アルヴィア帝国南端に位置する神聖都市スミルナは聖地巡礼にて訪れる6番目の都市である。その南西、すぐ隣にアルヴィア唯一にして最大の貿易港メリエ・リドスがある。

 ミガーから様々なものが入ってくるこの街は、本来ならスミルナの敷地内のあり、直接教会の統制下におかれてしかるべき場所である。しかしスミルナの教会が貿易港ならではの喧騒を厭うたため、壁の外、すぐ隣に貿易のための街が作られたのだ。

 そして、地理的な独立が行政的な独立をももたらしたのである。




「ようやくつきましたわ……はあ。この通路、もう二度と使いたくないですわね……」

 ティリーはその場にへたり込みそうなほど疲れ切った様子で呟いた。

 抜け道をたどり着いたのは、船着き場の端のようであった。使われていなさそうな古い木箱が多数積み上げられ、非常に雑然としている。あまり使われていない場所なのか、人の気配はない。柵を乗り越えて積み上がった木箱の上に降りたリゼは、壁に手をついて息を切らすティリーに言った。

「ここを通らないといけないといったのはあなたでしょう」

「そうですけど、大変なものは大変ですわよ」

 確かに、もう一度通りたい道ではなかったし、そもそも「道」とは言い難いものだった。断崖絶壁の申し訳程度の足場を飛び移りながら進まなければならない場所だったからだ。そう簡単に出入りできる場所ではない。抜け道、と言っても、通れる人間は限られているのではないだろうか。

「それで、これからどうするんだ?」

 同じく柵を越えて降りてきたアルベルトの問いにティリーは答えた。

「まず、ゴールトンに会いに行きますわ。ミガーに行くならしかるべき方に船を出していただきませんと」

「ゴールトン?」

「メリエ・リドス市長です。当たり前ですけど、彼がこの街のすべてを取り仕切っていますから」

 そう言って、ティリーはすたすたと歩いて行く。疲れたと言っていた割には速足だが、たぶん早く休みたいのだろう。リゼとアルベルトもそのあとに続いた。

 ティリーによると、この辺りはメリエ・リドスでもさびれている場所なので人は少ないらしい。実際、リゼ達が歩いている間も、人の気配はなかった。しかし普段使われている港の方はすでに動き出しているらしく、ここからでも人が働いてるのだろうなということが分かる。

「しかし、突然現れた人間を船に乗せてくれるのか?」

 アルベルトが前を歩くティリーに問いかけた。彼女は歩きながら顔だけ振り返ると、自信を持って答える。

「問題ありませんわ。切り札がありますもの」

「切り札?」

「とにかく心配は無用ですわ。なるようになりますもの」

「そうなのか……? しかし、教会の検査は厳しいだろう? 簡単に行くことじゃないと思うが」

「どうでしょうね。どれぐらい厳しいかどうかは、アルヴィアに悪魔研究家達(わたくしたち)がいることである程度証明されてるんじゃありません?」

「じゃあ……」

「まあわたくしにとっては有り難いことですけどね。教会はどうでもいいことに力を入れて、やるべきことをやっていないのは事実なんですわ。リゼもそう思いませんこと? ……リゼ?」

リゼは聞いていなかった。

 彼女が見ていたのは建物の間の細い路地の奥。そこに痩せ細った女が一人、ふらふらと歩いていく。その様子は遠目にも正常なものではない。

あれは悪魔憑きだ。

「リゼ! どこへ行くんだ!?」

 後ろでアルベルトが呼ぶ声がしたが聞き流す。リゼは路地に入ると、悪魔憑きと思われる女を追いかけた。路地は枝道が多く、下手をすると迷いそうだ。来た道を忘れないようにしながら気配を頼りに進んでいくと、悪魔憑きの女は割り合いすぐ見つかった。

「待って」

 声をかけると、ふらふらと歩いていた女が立ち止まる。

「あなた、悪魔憑きね。その様子だとかなり――」

「悪魔!」

 振り返ったその女は、リゼを見るなり恐怖に顔をゆがませて悲鳴のような声を上げた。

「……!」

「悪魔! 消えて!」

 女は道端に落ちていた石を引っつかむとリゼめがけて投げつけた。とっさのことで避けられず、石はまともに額にぶつかる。石は思ったよりも鋭くとがっていて、ぶつかった所から生温かい液体が流れだして頬を伝った。

 滲む血を拭い、リゼは女に向かって手を上げた。いつもの如く詠うように言葉を紡ぐ。悪魔祓いの術が発動し、怯える女を包み込む。すぐに女の身体から黒い靄のようなものが離れて空中で蒸発して消えた。

 女の身体から力が抜ける。黒い靄はいなくなり、落ち着いたようだった。そう思ったのだが。

 女が突然顔を上げた。ぼさぼさの長い髪がばさぁっと広がる。

「いやぁぁぁぁ! 悪魔! 近寄らないでぇ!」

 再び悲鳴のような声が上がった。悪魔を祓ったというのに、女の目は焦点があっておらず、明らかに正気を失ったままである。

「やめてぇぇぇぇ! 来ないでぇぇぇぇ!」

 半狂乱になって暴れる女。仕舞には道端に落ちているものを手当たり次第投げつけてこようとしたので、リゼは仕方なく暴れる女に近付いてその鳩尾に容赦なく膝蹴りを叩き込んだ。女は白目をむいて倒れ、大人しくなる。少しやりすぎたかと思ったがまあ仕方ない。

「また悪魔に取り憑かれた……というわけじゃないわね」

 いくらなんでも速すぎる。それに、もう女から悪魔の気配はしない。

 では、何故この人は正気に戻らないのだろう。




「リゼ! 何があったんだ?」

 リゼに追いついたアルベルトは、彼女の足元に女性が一人倒れているのを見て驚きの声を上げた。それを聞いたリゼは振り返ると、女性を指さして言う。

「ちょうどいいわ。アルベルト、この人は悪魔に取り憑かれてる?」

「……いいや。悪魔憑きじゃない」

「そう。やっぱり……」

 アルベルトの返答を聞いてリゼはしばし考え込む。

「この人、悪魔を祓ったのに正気に戻らないのよ。この人だけじゃない。あの人たちもね」

 リゼが指差す先には、薄暗い路地に座り込む数人の人々。虚ろな眼をしてうずくまる者。空中に向かって何やらぶつぶつ呟いている者。時折奇声を発する者。様子がおかしい者ばかりである。

「悪魔祓いの術をかけたんだけどこの通りよ。多分、悪魔以外に何か原因があると思うんだけど」

「悪魔以外でか」

 確かにここにいる人達は悪魔憑きではない。なのに何故こんな風になっているのか。元々、精神を病んでいたのか、あるいは……

「ちょっと、わたくしを置いていかないでくれます? ただでさえ疲れているのに……って」

 その時、ティリーが文句を言いながら走ってきた。しかし、ようやく追いついたティリーが路地にいる人々を見て息をのんだ。

「これ……悪魔憑きですの?」

「いいえ。悪魔は祓った後よ」

「え? じゃあこれは……」

「後で説明するわ。……誰かいる」

 話し声が聞こえる。それもすぐ近くだ。声が流れてくる先を探して、リゼ達はすぐ近くの角を曲がり、その先へ進む。

「いた」

 積み上がった木箱の向こうに話し声の主達はいた。

 一人は薄汚れた格好をした男。もう一人はフードつきのローブを羽織った清潔な身なりをした男。その二人が何かを話している。

「……この符を買えば、あなたは赦しを得ることが出来ます。神の加護が授けられ、悪魔に怯えることもなくなるでしょう」

「金ならこれだけある! 売ってくれ!」

「それでは足りません。神の赦しは安くはないのです。それに、神のためなら進んで喜捨するのが真の信者というもの。その程度の信仰心しか持ち合わせていないから、あなたは罪人と呼ばれるのです」

「なら有り金全部出す! これならいいだろう!?」

「……まあいいでしょう。ではこれを受け取りなさい。あなたに赦しの秘跡を授け――」

「何をしているんだ?」

 アルベルトの問いかけに、ローブを着た怪しい人物はびくりとして振り返った。顔は目深に被ったフードに覆われて目元が見えないが、相当焦っているようだ。

「今、赦しの秘跡を授けるといったな。それを買えば神の赦しが得られるとも」

 客と思われる男に売りつけようとしていた長方形の紙を持った手が細かく震えている。顔は隠れて見えないがきっと目は泳いでいるだろう。それに追い打ちをかけるように今度はティリーが厭味ったらしく言った。

「へー知りませんでした。赦しってお金で買えるんですのね。わたくしも一つ頂きたいですわ。金銭で買えるような安い秘跡が存在するということを色んな人に知って頂きたいですし。そうそう。貴方のことも世間に知らしめたほうが宜しいかしら。こんな立派な行いをしてるんですもの。ね?」

 ローブの男の動揺はさらに増した。明らかに挙動不審になり、焦っている。そして。

「速くそれを売ってくれ! たの―――」

「うるさい。どけ!」

 懇願する客の男を押しのけて、ローブの男は逃げ出した。ただ走りにくい服を着ているせいか、その動きは遅い。

「逃がさない」

 そう言ってリゼがローブの男に魔術を放った。男の足が凍りつき、動きを拘束する。男がつんのめった所で、アルベルトは男を取り押さえた。

「は、放せ! 私は商売をしていただけだ! 何も悪いことは……」

「悪いことをしてないのだったらなぜ逃げるんですの?」

「そ、それはお前たちのようなならず者から身を守るためだ! 分かっているのか!? 私に危害を加えることは神を侮辱するのと同じこと――」

「うるさい。いっそ全身氷漬けにでもしてやるわ。それなら黙るでしょう」

「待ってくれ、リゼ」

 男の言動にキレたリゼが魔術を使おうとするのを押しとどめ、アルベルトは男が来ている服を見た。一番外側の薄っぺらい外衣の下の服が、よく知っているものだったからだ。

 ローブの男が来ていたのは、紛れもなくマラーク教会の司祭の服だった。




「おお、あんたたたちか。奴を捕まえてくれたこと、感謝する」

 ローブの男をメリエ・リドスの自警団に引き渡した後。アルベルト達は、メリエ・リドスの中央役場に案内された。役人に案内されて執務室に入ると、待ち構えていた部屋の主がそう言った。四十代ぐらいの、立派な樫の机に負けぬ貫録を持つ大柄な男。彼こそがティリーの言っていたメリエ・リドス市長ゴールトンである。

「お久しぶりです。市長」

「一年ぶりか、ティリー・ローゼン。またうちの研究家達に知恵を貸してやってくれ。それと、」

 ゴールトンはリゼとアルベルトに視線を移した。

「そこの二人も歓迎するぜ。救世主殿に悪魔祓い師殿」

 やっぱり知っているらしい。手配書が回っているから当然か。

「ありがとうございます。ご迷惑をかけるかと思いますが、宜しくお願い致します」

 アルベルトが礼をすると、ゴールトンは意外そうな顔をしたがすぐに愉快そうに笑った。

「ほう。礼儀正しい兄ちゃんだな。悪魔祓い師だからって一括りにするのは好きじゃないが、偉そうな態度でこっちを見下してくるような奴らにばっかり会ってるから、あんたみたいなのは新鮮だ」

 愉快そうなゴールトンとは裏腹にアルベルトは複雑な心境になった。悪魔祓い師は一般のマラーク教徒には信頼されてるし、尊敬もされている。しかしそこを一歩出ると、待っているのは不信と嫌悪だ。……勿論、悪魔祓い師が改善すべき点は多い。

「ところで、用件を聞かせてもらおうか」

 ゴールトンはテーブルに肘をつくと、本題を切り出してきた。それにティリーが前に出て答える。

「ミガーへ行きたいんです。船を出してくださいますわね?」

「それはあんたたち全員をか?」

「もちろん。構いませんわよね?」

 そう言って、ティリーは一通の封書を取り出した。特に変わった所のない、ごくごく普通の封書だ。ティリーはそれをゴールトンに渡した。

「わたくしの身分証明書ならここに」

 ゴールトンは封書を開け、中身に目を通す。最後まで見終わると納得した様子で封書を畳んだ。

「ふむ……ま、そういうことなら船を出してやろう。ただ、出せるのは早くて一週間後だ。いろいろ準備があるからな」

 意外とあっさり許可が出たので、アルベルトは拍子抜けした気分になった。仮にも密航なのだからもっと慎重に決断するのかと思ったのに、封書一枚で通してしまったのだから。

(いや、ティリーのような悪魔研究家がアルヴィアにいることを考えると、かなり大勢のミガー人が密航しているということなのか)

 出入国をメリエ・リドスに限り、出入りする人や物を徹底的に管理しているはずなのだが、それでもこれだけ漏れているのだから。

 その時、今まで黙っていたリゼが口を開いた。

「船の件はそれでいいけど、それよりさっき捕まえた男は何者なの? あいつだけじゃない。悪魔憑きから悪魔を祓ったのに、正気に戻らない人が何人もいた。一体何が起こってるの?」

 リゼの問いかけに、ゴールトンは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「……ここのところ妙な薬が出回っててな。服用すると幸福になれるという薬だ」

「幸福になる薬?」

「天にも昇るような気持ちになるという話だ。だが薬効が切れると幸福感も消えるし、耐性がつくから量が増える。そうやって使い続けていると今度は幻が見えるようになるのさ」

「例えば、悪魔が見えたり、とか」

「そうだ。そうなるともう末期だな。飲まないと禁断症状で苦しむことになるし、飲んだら幻覚に苦しむことになる。末期になると薬を飲んでも幸福感は訪れないそうだ。それでもやめられず薬を飲み続け、最後には」

「中毒で死ぬ」

「そういうことだ」

 ゴールトンの肯定に、ティリーは、

「そんな物騒なものが出回ってたんですの? 治療方法は?」

「軽度なら何とかなるが、幻覚が見えるぐらいまでになるとどうしようもない。残り一生、狂人として監禁されて過ごすか、禁断症状で死ぬか。そのどちらかだな」

 そんなものが出回っていたのか。それも、様々なものが集まるメリエ・リドスで。

「では今朝捕まえたあの男は……」

「薬の密売人だ。それも薬のまま売ってるんじゃない。免罪符と称して売ってるんだ。あの薬も、犯した罪によって穢れた身体を浄化するものなんだと」

「罪を浄化する薬? あれが?」

 リゼが馬鹿馬鹿しいといった風に呟く。

「それも金で赦しを買えるなんて」

「免罪符って今は禁止されていますわよね?」

「……当然だ。昔、免罪符の売買で私腹を肥やす司祭がいたからな。赦しの秘跡を金銭で売買するなんて間違ってる」

 拳を握り、アルベルトは怒りを滲ませながら言った。今時、こんなことをする輩がいるなんて。

「ゴールトンさん。その密売人について何か分かっていることはあるんですか?」

 そう聞くと、ゴールトンは少し考えてから、引出しから書類を一枚取り出すと質問に答えた。

「今分かっていることは三つ。

一つ目。あの密売人は下っ端だ。一か月前も同じように密売人を捕まえたが、麻薬の被害は減らなかった。

二つ目。ヤクの原材料はミガーにしか生えない植物だ。原材料かひょっとするとヤクそのものがこの街に持ち込まれている。それも俺達の目をかいくぐってな。

そして三つ目」

 そこでゴールトンは書類から目を離して、アルベルトの方を見た。

「密売人本人は知らんが着ていた服は本物の聖衣だった。前回捕まえた奴もな。そして、聖衣はその辺でホイホイ買えるもんじゃあない。そう簡単に盗めるもんでもないわな」

「……まさか」

 まさか、本物の司祭が麻薬と免罪符の売買に関わっているとでもいうのだろうか。


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