全ての人間が持つ力 7
虹色の光が降り注いでくる。
その温かい光を浴びながら、アルベルトはリゼによる悪魔祓いを静かに見守っていた。
目の前に並んでいるのは、ベッドに力なく横たわった悪魔憑き達。苦痛に呻く彼らは眩い虹色の光に包まれていく。
美しい光だ。リゼの悪魔祓いを見るたび、いつもそう思う。彼女の魂の輝きと同じ、陽光のような温かい光。リゼはそれをいとも簡単に操り、次々に悪魔憑きを救っていく。マラークの神の聖なる光ではなく、ティリーらが使う魔術とも少し違う。光は悪魔憑きに巣食う悪魔を炙り出し、悪魔憑きの身体の外へ弾き飛ばした。
リゼが一言なにかを唱えると、光の帯が弾き出された悪魔へと向かっていった。帯は悪魔を包み込み、眩い光でそれを消滅させる。細かな塵となった悪魔は、耳障りな断末魔だけを残して霧散した。
光が消え、病室の中は何事もなかったかのように静まり返った。ベッドの上の悪魔憑き――女性は、先程までとは裏腹に生気が戻った肌と安らかな表情で、規則正しい寝息を立てている。その姿を確認したリゼは、ふうと息をついた。
「終わったわ」
まるで少し荷を運んだだけとでも言わんばかりの気安さで、リゼはそう言った。今日だけで、たった一人で数十人もの悪魔憑きを癒したとは思えない。そんな彼女に、王太子が賞賛を送った。
「お見事です」
短いながらも畏敬の念を込めていることが窺える口調で、グリフィスはリゼを褒め称える。王太子の隣に控えていた院長は、目の前で起こったこととグリフィスが一介の魔術師に敬意を表したことに卒倒しかねない様子だった。リゼがここで悪魔祓いを初めて数日経つのだが、まだ慣れないらしい。当のリゼは双方の反応を興味なさそうに見やっただけで、グリフィスに返答もせずアルベルトの方へと振り返った。
「これで全員?」
そう問われて、アルベルトは西の方角を見た。そこには壁があるだけで、人間は一人もいない。だが、アルベルトにとって集中すれば、不可視のものを視るのにただ壁の一枚や二枚障害にはならない。視線の先――西側の部屋には、黒い影がいくつか蠢いていた。
「――いや、まだ向こうの部屋に数人いる」
「そう。――そういうことだから、次は向こうに行く」
「分かりました。――案内を」
「は、はい!」
グリフィスに命じられて、院長である小太りの男はちらちらとリゼを見つつ危なっかしい足取りで廊下を進んでいく。そのあとに続いて、アルベルト達も歩を進めた。
リゼが悪魔祓いを始めたのは十日ほど前、魔物退治を終えてザウンに帰還したすぐ後のことだ。メリエ・セラスから動けないと知った彼女の行動は速かった。グリフィスに報告すらしようとせず、悪魔祓いに向かおうとしたのだ。さすがに許可を取った方がいいと引き留めたので、独断で悪魔祓いをすることにはならなかったが。――いや、それどころか、グリフィスに報告したおかげで、悪魔祓いはずっとやりやすくなったくらいだ。何しろ、グリフィスは慰問へ向かう王太子の部下という名目で、メリエ・セラス病院へ行けるように取り計らってくれたのだから。
そもそも、グリフィスは悪魔憑き達への慰問を定期的に行っていたらしい。それもただの慰問ではなく、悪魔憑きの調査も兼ねているようだ。王太子自ら足を運び、悪魔憑きを見舞い、悪魔研究を支援している王太子の国民からの評判は良いらしい。特に、悪魔研究家や退治屋達、病院や“安らぎの家”のような悪魔憑きの収容施設関係者から信頼されているという。おかげで病院に忍び込むようなこともなく、こうして悪魔祓いを行えるようになったのだった。
「さすが病院は悪魔憑きが多いわね」
一通り見て回った後、リゼは軽く伸びをして嘆息した。傷病を負った者はどうしても気が弱くなるもの。悪魔はそこに付け入ってくる。ミガー人もそのことを理解しているのか、病院の壁は悪魔除けの紋様が多数描かれていたし、街の中も悪魔除けだらけなのだが、結界のないメリエ・セラスではどうしても防ぎきれないのだろう。
「で、悪魔憑きはまだいる?」
リゼに尋ねられて、アルベルトは首を横に振った。来てすぐの頃は暗い雰囲気に包まれていた院内が、今は清涼な空気に満ちている。悪魔が全て祓われたからだ。彼女一人の手によって。
もはや見慣れた光景だ。どんなに澱んだ場所も、彼女の放つ光で明るく照らされる。
リゼが全ての悪魔祓いを終えた後、二人は迎賓館に戻るため用意された馬車へと向かった。
グリフィスは執務のため一足先に戻ったらしい。兵士に案内されて、リゼとアルベルトは病院を出る。用意された馬車に乗り込もうとした途端、リゼの身体が傾いだ。
反射的に手を伸ばし、転びそうになったリゼを支える。いや、転ぶというより倒れるといった方が正しいか。リゼも想定外だったらしく、ぼんやりと自分の足元を見つめている。アルベルトはリゼを立たせると、彼女に問いかけた。
「大丈夫か?」
「――ええ、ちょっと疲れただけ」
リゼは何でもないという風にアルベルトの手を押しやり、振り向きもせず馬車のタラップに足をかける。その様子にアルベルトは苦笑しつつ、彼女に続いて馬車に乗り込んだ。
かたん、と動き始めた馬車が揺れる。メリエ・セラスの大通りは綺麗に舗装されているが、風や人に運ばれた砂が山になって、車両を揺らすことも少なくない。時折揺れる馬車の座席に身体を預けながら、アルベルトは正面に座るリゼを視た。
ちょっと疲れた、という言葉通り、リゼが纏う輝きは少しばかり弱まっている。ここ数日間、毎日悪魔憑きを癒していたのだから当然だ。この広いメリエ・セラスの悪魔憑きを、一人で。
「――俺が悪魔祓いを手伝えたら、君にそんな無理をさせることもないのに」
思わずそう呟くと、リゼは何も言わず、視線だけをこちらによこした。
「いつも君だけに負担を強いてしまって、すまない」
言っても仕方ないことだと思いつつも、その言葉は口をついて出てしまう。案の定、彼女の態度は冷たかった。
「言うと思った」
リゼはそっけなく言って、視線を窓の外へと戻した。
「前にも言ったでしょう。あなたにそんなこと期待してない、って」
淡々と告げられたリゼの言葉が突き刺さる。期待してない。そういえば、スミルナを出た少し後もそんなことを言われた。そうだろうな。リゼの少し不機嫌そうな顔を見ながら、アルベルトは心の中で自嘲する。悪魔祓い師で、ロクに悪魔祓いもできない人間に、彼女が期待するはずもないだろう。
「あなたは悪魔憑き探しをしてくれればいいのよ。余計なことはしなくていい」
その声音には少しばかり苛立ちが隠れているように思えた。そんな彼女の様子に、アルベルトは何も言えなくなる。口を閉ざしていると、重い沈黙が馬車の中に降りた。
馬車が止まった。おそらく、他の馬車が通りすぎるのを待っているのだろう。露店が並ぶ人通りの多い十字路は、売り子や客の喧騒に溢れている。外を見ると、複数の店で食事を求める人々が列を作っていた。そういえば、そろそろ昼時である。活気づく市の雑踏は、混ざり合う様々な声を響かせていた。
「聞いたか? ザウンに現れた魔術師の話」
不意に、そんな台詞が耳に飛び込んできた。声がした方を見ると、露店の脇の食事スペースで数人の若者が立ち話をしている。彼らは各々サンドイッチのようなものを食べながら、口々に囁きあっていた。
「“癒しの魔術師”だろ? 魔物の親玉を倒して悪魔憑きを治したとか」
「信じられない話だな。暑くて夢でも見たんじゃないのか?」
「夢なら悪魔憑きが全員治ってるのはおかしいだろ。“安らぎの家”に入れられていた重症者だぞ? 正気を失って眼も赤くなっていたのに、皆正気に戻って眼も元に色に戻ったとさ」
「西の方でも似たようなことがあるんだろ? 悪魔憑きがある日いきなり元に戻ったとか」
「有り得ねえ。魔物が増えてるっていうこのご時世にか? 本当なら見てみたいな。その“癒しの魔術師”を――」
馬車が動き出し、若者達の声が遠ざかっていく。ふとリゼの方を見ると、彼女もあの会話が気になっていたのか、彼らを目で追っていた。
「さすがに噂になってるな」
ぽつりと呟くと、リゼは何か考え込むようなしかめっ面になった。
「“癒しの魔術師”ねぇ……ま、“救世主”よりはよっぽどいいわ」
“救世主”という呼称を酷く嫌っている彼女にとって、新しい異名の方が歓迎できるようだ。窓の外を眺めるリゼの横顔を見ながら、アルベルトは口を開く。
「リゼ、君は――」
「ところで、前から思ってたけど、あなたの“眼”どれぐらい視えるの?」
すると、不意にリゼがそんなことを言った。突然の問いかけに、アルベルトは驚いて目を見張る。真っすぐ見つめ返してくるリゼの瞳は、答え以外を受け付けないと言っているようだ。頑なだな。アルベルトは少し呆れつつ、答えた。
「目で見える距離と範囲なら大体は。ただ、魔術のような力の塊があるとその向こうのものは見えづらくなるし、あまり力の弱いものは紛れてしまう」
アルベルトは窓の外を眺めた。
「この街は魔力の塊がたくさんあって、悪魔憑き探しに少し時間がかかってしまった。すまない」
メリエ・セラスは、一言でいうなら「混沌」という印象が強い。
所狭しと並ぶ商店や、慌ただしく行きかう商人達。街並みも人も、秩序とは程通い。だがそれだけではない。メリエ・セラスの街並みを彩っているのは、数々の悪魔除けの力だった。
人々を守る悪魔除けの力は色も輝きもバラバラで、まるで統一感がない。それなのに、不思議なくらい調和してメリエ・セラスを守っている。無論、神聖都市の天使の加護やルルイリエの結界ほどの力はないが。
だがそれ故に、ここで何かを探すのは難しい。悪魔除けの力の輝きが入り乱れて、あまりにも眩しいのだ。リゼの要請でアルベルトは悪魔憑き探しを担当したが、街中にいるまだ症状の軽い悪魔憑きは全員探し出すまで時間が掛かってしまったのは、そのせいもある。
「別に謝ることじゃないでしょう」
謝罪するアルベルトに、リゼはそっけなくそう言った。
「面倒を頼んだのは私なんだから」
「いや、頼まれたからこそ抜かりなくやらないと。それに、俺にはこれぐらいしかできないから」
「これぐらい、か……」
そう呟くリゼの声音には、少しばかり呆れが乗っているように思えた。
「私でさえ、人に取り憑いている悪魔の姿なんて見えないのに。他の誰にも出来ないことでしょう?」
「そうかもしれない。でも、必要なものだけ視えたらもっと君の役に立てるのに」
「……あ、そ。まあ、探し物がもっと簡単に見つけられたら楽でしょうね。例えどんな場所であっても」
リゼの言葉に、アルベルトは「そうだな」と頷く。例えばスミルナの悪魔召喚を阻止した時、マリウスの体内に仕込まれた火の魔法陣をもっと早く視つけていれば、みすみす爆死させることもなかったのだ。ただの壁はアルベルトにとって障害にならないが、ああいう風に他の力に覆われていると、どうしても視え辛くなってしまう。他にどんな力があっても視失わないぐらい、強く輝いているものなら別だけれど。
「でも、君ならどんな場所でもすぐに見つけられるよ」
何気なく、アルベルトはそう言った。
「……目立つから?」
「ああ。君ほど眩しくて綺麗な人はいないからね」
たくさんの人の魂を見てきたが、リゼのような色彩と輝きは初めてだ。純粋に美しいものに対して、アルベルトは惜しみない賞賛を送る。しかし送られた側はというと、ほんの少し、眉間に皺を寄せたような気がした。
「すまない。何か気に障ったか?」
「そんなんじゃないわよ。自分じゃわからないから実感が湧かないだけ」
そう言いつつも、リゼの口調は酷く不機嫌そうだ。いいや、ひょっとして拗ねているのだろうか。むすっとした表情は、先程までの冷ややかなものと違って子供が臍を曲げているようだ。アルベルトがくすりと笑うと、リゼは訝し気な目を向けた。
「……なんで笑ってるの」
「いや、すまない。なんでもない」
リゼはますます疑念を深めたのか、アルベルトをじいっと見つめる。その視線に、アルベルトは微笑みを返す。しばしの間そうしていると、リゼは諦めたようにぽつりとつぶやいた。
「変な人」
がたごとと、馬車が揺れた。




