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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
162/177

全ての人間が持つ力 5

「いたっ……!」

「いったーい! もう、最悪ですわ!」

「……何してるの」

 扉を開けた途端響いてきた二人分の声に、リゼは面食らって呟いた。

 メリエ・セラスの迎賓館。リゼ達に与えられた客室のリビングで、シリルとティリーが何かをやっていた。机の上には布きれと糸巻が散乱し、大きな針山が置かれている。二人の手には布と糸の通った針が握られていて、二人そろって指に針を刺していた。

「リゼさん! あ、あのこれは……!」

 リゼに気づいたシリルは、何故か焦って手の中の物を隠そうとする。しかし、今更遅い。リゼは二人を交互に眺めた後、手近な棚から目当ての物を取り出した。

「シリル、手を出しなさい」

「えっ、でも……」

「さっさとする」

「はっ、はい!」

 シリルは素直に布と針と糸を持った両手をリゼの前に広げる。布を持つ左手の人差し指には、玉のような赤がぷっくりと浮かんでいた。結構豪快に刺したらしい。リゼはシリルの手から布を奪うと、傷ついた人差し指に包帯を巻きつけた。

「怪我した状態で縫物なんてしたら布が汚れるでしょう。気をつけなさい」

 練習用の布切れのようだから、汚れても問題はないだろうけれど。リゼは手早く包帯を巻き終えると、シリルに縫いかけの布を返した。

「ありがとう、ございます……!」

 恐縮した様子で頭を下げるシリル。大げさな。大したことじゃないのに、とぼやくと、横手から別の声が割り込んできた。

「リゼ! わたくしは??」

「包帯ならここにあるわよ」

 ティリーの手に包帯を押し付けると、彼女は不服そうに顔を顰めた。

「なんでわたくしは手当てしてくれませんの? 酷いですわ」

「なんであなたを手当てしてあげる必要があるの? 自分でやれば」

「――リゼってシリルには優しいですわよね。やっぱり子供には甘いんですの?」

「子供に甘いんじゃなくて、あなたに優しくする必要性を感じないだけよ」

 そう言い放つと、ティリーは嘘っぽく嘆いて見せる。そんなに大げさな演技をして疲れないのか。リゼはティリーを無視して、机の上に散乱している布切れを眺めた。

「それにしても、なんで刺繍なんか」

 使用済みと思われる布切れは、直線や曲線、規則的な模様など、様々な形の縫い方で彩られていた。どれも刺繍で使う特有の縫い方だ。針を再び動かしながら、シリルは答える。

「あの、わたし、刺繍が好きで。こちらの国の縫い方も知りたいなと思って」

「その割に派手に指を怪我したわね」

「この格好だと、身体が重くて……ちょっと動きづらくて……」

「……それもそうね」

 目の前の少女の姿を見やり、リゼは頷いた。

 髪飾り、耳飾り、首飾り、指輪、足輪。悪魔除けの術を刻んだ様々な装身具を身に付け、更には悪魔除けの陣を織り込んだ外衣を羽織っている。シリルの現在の装いは、そんな状態だ。グリフィスが“憑依体質(ヴァス)”を封じこめる手段としてシリルに施したのは、徹底的な悪魔除けだった。魔物襲撃時に利用する避難所と原理は同じである。無数の悪魔除けの術を重ねて、悪魔遮断の精度を上げるのだ。だが、確かにこの格好では身体が重くて仕方がないだろう。ここまでしなければ、“憑依体質(ヴァス)”を封じ込むのは難しいようなのだけれど。

 動き辛そうながらも刺繍を続けるシリルの前には一冊の本が開いて置いてある。載っていたのは縫い方を指示する図が複数。シリルの分は手本に近いものに仕上がっているが、ティリーの方はというと、何を刺していたのか分からない代物が出来上がっていた。

「刺繍って難しいですわねー。わたくしにはさっぱりですわ」

 諦めて針と糸を放り出したティリーの横で、シリルは神妙な顔で刺繍を続ける。しかしかなり苦戦しているようだ。何度も本と手元を見比べながら悩んでいる。その様子を見ていたリゼは、何気なくシリルの手元を指さした。

「――ここはそっちじゃなくてこっちよ」

 針を刺す場所を示すと、シリルは驚いたのか目を丸くした。リゼを見つめて何度か瞬きした後、我に返ったのか手元に視線を落とす。シリルはリゼの指さした先に針を置き、しかしやはりそれだけでは分からなかったのか、針先を迷わせた。

「ええっと、こうですか?」

「貸して」

 リゼは布と針を受け取ると、手早く実演して見せた。シリルに分かりやすいように、ポイントを押さえながら図面通りのものを刺していく。出来上がったものを見て、シリルは目を輝かせた。

「すごい。リゼさん刺繍お上手なんですね!」

「……まあそれなりに」

 そう呟くと、針と糸を持て余したティリーが横から顔を覗かせた。

「刺繍が得意だなんて意外ですわ。こういうの、苦手そうですのに」

「刺繍以外の“こういうもの”は苦手だけど、煎じ薬を作ろうとして鍋を爆発させるほど不器用じゃないから」

 家事くらい、と主張する養育者の一人に家事全般を仕込まれたから、知識と技術だけならある。身についたと言えるのは、裁縫ぐらいだけれども。

「刺繍、お好きなんですか?」

「別に。――母さんが得意だったから」

 出来るようになりたかった。たったそれだけの、下らない憧憬だ。刺繍ができるようになったからって、母親のようになれるわけでもないのに。自嘲しながら作ったばかりの縫い目を目で追っていると、突然目の前に針と糸が差し出された。

「リゼさんも一緒に刺繍しませんか?」

 きらきらした瞳で見つめられて、リゼは思わず針と糸を受け取る。刺繍するって、何を縫えばいいんだ。本に載っている図案でも縫えばいいのか。刺繍は得意だが趣味ではないので、一緒にやろうと言われても困る。針と糸を握りしめたまま、にこにこしているシリルの顔を眺めていると、ふと扉がノックされる音が響いた。

「お茶をお持ちしました」

 入室してきたのは、この迎賓館のメイドだった。どうやらシリルが呼んだらしい。慌ててテーブルを片付けると、メイドに「お願いします」と声をかけた。静かにカップ一式を運んだメイドは、テーブルにてきぱきとカップとポッドを並べていく。カップに注がれたお茶からは芳醇な香りがした。ティリー曰く、このお茶はミガー東部で栽培されている最高級のものらしい。香りが良いことくらいしか他との違いが判らないが。

「ありがとうございます」

 茶の準備が終わると、シリルは嬉しそうに微笑んで礼を言った。メイドはきっちり編んだ黒髪で飾られた頭を下げて、またも静かに退室していく。刺繍セットをテーブルの隅に片付けたシリルは、楽しそうに白いカップを手に取った。

 予備のカップも用意していたのだろうか。茶はきちんと三つ用意されていた。ここ何日かで嗅ぎなれてしまった香りがリビングに広がっていく。シリルはミガー産のこの茶が随分と気に入ったらしく、頻繁にお茶会をしているのだ。リゼも、何度か付き合わされている。楽しそうに茶を嗜んでいるシリルを見つつ、せっかくなのでリゼも茶を啜った。やはり、香りが良いことしか分からない。そう思いつつ茶を飲んでいると、がちゃりと客室の扉が開いた。

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