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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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悪夢 15

「――悪魔を滅ぼすためとか、生きる価値とか、そんなことはどうでもいい」

 力強い声に、リゼははっと目を開けた。のろのろと顔を上げると、頭痛で歪む視界に黒髪の青年の姿が映り込む。黒曜石のような漆黒の瞳には、強い意志が籠っていた。

「そうやって自分を否定するのはやめてくれ。そんなことをして何の意味がある。君は、君を守った家族の想いを否定するつもりなのか? 君の大切な人達が何のために君を守ったのか、分からないのか」

 そんなこと。再び視線を落として、リゼは沈黙する。

 そんなこと、分かってる。分かっているのだ。家族が何のために自分を守ってくれたのか。分かっているけれど。答えないでいると、アルベルトは子供に言い聞かせるように語る。

「生きていて欲しいからだ。君がそうであるように、君を大切に思っているからだ。その想いを無駄にしないでくれ。それでも、悪魔を滅ぼせなければ価値がないというなら、忘れないでくれ。スミルナを救ったのは君だ。沢山の悪魔憑きを癒したのは君だ。君は必ず成し遂げる。成し遂げさせてみせる。だから価値がないなんて言わせない」

 そう語る彼の声は悔しそうで悲しそうで、苛立ちを孕んでいた。頭の妙に冷めた部分が、どうして彼は怒っているのだろうと呟く。なんでこんなに一生懸命になってるんだって不思議で不思議で。だって彼には関係ないのに。

 ただ、一つだけわかっている。

 彼は善い人だ。とても。お人好しで、優しくて、他人のために本気で怒れる人だ。だからこの言葉も、彼は心の底からそう思い、正直に話しているのだろう。分かってる。彼が優しい人であることは。

 だからこそ、彼の言動がうっとうしくて腹立たしくて、

 怖くてたまらない。

「――て」

 身体が震える。濃い闇の中に放り出されたような気分になる。胸の奥が冷えていくような、薄氷の上を渡るかのような、居心地の悪い気分。今すぐここから離れなければ。彼の下から離れなければ。

「お願いやめて」

 自分でも驚くほどか細い声が出た。寒気がして身体が震える。頭痛のせいで擦れる声を無理やり絞り出して、リゼは必死に訴えた。

「そんなこと言わないで。私に優しくしないで。そうした人はみんな死んでしまった。私のせいで、みんな――」

「リゼ、それは――」

「私のせいじゃないって? 分かったようなこと言わないで。私のせいなの。私の大切な人はみんな私のために死んでる。誰かを死なせるぐらいなら、優しさなんていらない」

 夢が怖い。でも、誰かが優しくしてくれるのはもっと怖い。また、自分のせいでその人が死んでしまうのではないかと、また誰かを失ってしまうのではないかと怖くてたまらない。自分のせいで誰かが死ぬぐらいなら、優しさなんていらない。途中で誰かを失うくらいなら、最初から一人の方がマシだ。

 彼は善い人だ。本気の優しさを向けてくれる人だ。

 だから怖い。私はいつか、彼を死なせてしまうのではないかと。

「置いていかれるのはもう嫌だ」

 目を閉じると、瞼の裏に赤い闇が広がる。血を塗り広げたかのような、毒々しい赤。ここに独り取り残されるのは嫌だ。取り残されるぐらいなら独りになってしまおう。最初から独りなら何も怖くない。怖くないはずだ――

 リゼは立ち上がろうとした。立って、もう一度霧の中に戻ろうとした。独りに戻ろうと、ただそれだけを考えて。しかし立ち上がる前に、手をしっかり掴まれた。そのまま肩に片腕を回され、引き寄せられる。気が付いた時には、アルベルトにもたれるような格好になっていた。

「――っ! 放して!」

 パニックになって暴れたが、アルベルトはびくともしない。しばらくもがいてから、ようやく腕力では敵わないことを思い出した。手合せした時と同じだ。今まで手を振り払おうと思えば振り払えたのは、所詮彼がそうさせてくれたからにすぎない。そのうち気力も体力も続かなくなって、リゼは抵抗するのをやめた。

「――分からないよ」

 耳元で、先程までとは違う柔らかな、けれどどこか悲しそうな声が囁いた。

「俺は君じゃないから、君のことを完全に理解することはできない。なにも分かってあげられない。でも……これだけはさせてくれ。

 置いていかれるのが嫌なら、俺は君を置いていったりしない」

 子供を宥めるように頭を撫でながら、アルベルトは言った。

「絶対に独りにしない」

 彼の低い声は不思議と心地よい。うっかり安心してしまいそうになる。縋っていいのではないかと思ってしまいそうになる。何もかも投げ出して、安楽に浸りたくなる。

「――じゃあ」

 縋ったら、のちのち後悔するだけだとわかっているのに。

「じゃあ私を助けてよ。もう疲れた。もう嫌だ」

 お願いだから私を眠らせてくれ。悪夢なんて見たくない。安心して眠りたい。私を助けてくれ。息も苦しくなってきて、まるで溺れているかのようだ。誰でもいいから助けて欲しかった。誰でもいいから眠らせて欲しかった。

 するとアルベルトは手を放し、リゼの顔を上げさせた。身動きが取れずぼんやりとアルベルトの顔を眺めていると、不意に額に温かい手が当てられた。

「神よ。彼の者に祝福を。その心に安らぎを。その心に平穏を。聖なる御名の下、この者に安寧を与え給え」

 彼が唱えたのは祈りの言葉だった。文言が紡がれていくうち、額に当てられた手から悪魔祓い師の聖なる力が雪崩れ込んでくる。彼の指は温かいのに、そこから伝わって来る力は純粋で冷たい。強力なそれはささくれだった意識を強制的に凪へと持っていく。途端、抗いがたい睡魔がリゼの意識を包み込み、眠りの中へ引き込んでいった。子守唄のような祈りの言葉が次第に遠くなっていく。

 らしくないなと、リゼはぼんやりと考えた。祈りの力は冷たく厳しい。どこまでも純粋だが、それゆえに威圧的だ。アルベルトらしくないな、と思う。あの時と全然違う。

「……あの時」

 眠りの領域に半分足を踏み入れた中、リゼは無意識のうちにそう呟いていた。

「あの時、あなた何をしたの……?」

 スミルナで悪魔を浄化したあの時。足りないものを補うように、掴まれた腕から温もりと共に力が伝わってきた。あれの方がアルベルトらしい。温かくて力強い、心安らぐような、よく知っている――

 唐突に、あの力がなんだったのか思い至った。そうだ。よく知っているあの力。あれは、魔力だ。

 魔力は誰にでもあるものだ。アルヴィア人とて例外ではない。そして、クリストフ・セーガンがそうだったように、力を譲渡することは出来なくはない。だが、魔術師でも、魔術師の素養があるわけでもない。大して魔力があるように見えない悪魔祓い師の彼から、何故浄化を為し得るほどの力を得られたのだろう。

 しかし、じっくり考えている暇はなかった。もう思考もままならないほど眠りに飲まれている。問いに対する答えを聞く間もない。リゼは深い眠りの中へ落ちていった。

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