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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
139/177

悪夢 12

 夜。

 目を覚ますと、洞窟はまだ暗闇の中だった。

 アルベルトは起き上がると、何気なく外を見た。青白い月明かりが大地を照らしているが、まだ闇の方が濃い。わずかに見える月の位置から察するに、まだ起きるには早すぎる時間だ。しかし、目が冴えてしまってもう一度眠ることも出来そうになかった。ふと隣をみると、蓑虫よろしく毛布に包まったゼノが熟睡している。キーネスは見張り番なのでここにはいない。アルベルトはゼノを起こさないよう静かに毛布をたたむと、傍らの剣を手に取って立ち上がった。眠れないのなら、瞑想か剣の鍛錬でもしていた方が有意義だ。ついでに見張りを交代して、キーネスには休んでもらおう。アルベルトは足音を立てないように、ゆっくりと洞窟の外へ向かう。その途中、何気なく振り返って、洞窟奥の女性陣の方を見た。

「……!」

 嫌な予感がして、アルベルトは足早に洞窟の外へ向かった。




 暁の闇の中に沈み、目覚めの前のまどろみを彷徨っている。当然ながら夜明け前の森を出歩く者はなく、静寂が耳に痛いほどだ。ましてや霧で木立は白く煙り、星や月の明かりすら水滴のヴェールに阻まれて満足に届かない中、野生動物の気配すらも感じられなかった。

 そんな誰もいない森の中を、リゼはたった一人歩いていた。彷徨っていた、という方が正しいかもしれない。長い夜に飽いて外へ出てみたが、目的があるわけでもない。ただぼんやりと白い霧の満ちる森を進む。時折、何かから逃げるように早足になりながら。

 夜明け前の森には誰もいない。白い霧と樹々以外何も見えない。森の中ただ一人。みんな、どこかへ行ってしまった。

 ――違う。

 どこかへ行ってしまったんじゃない。自分から勝手に離れただけ。誰もいなくて当然だ。独りぼっちになったのは、みんないなくなってしまったのは、

 ――お前のせいだ。

 振り返ると、緋色の髪の人物が一人、佇んでいた。

 口元に、邪悪な笑みを浮かべて。

 ――お前が殺したんだ。

 気が付くと、白い霧の中に立っていた。

 いつの間にか森を出てしまったようだ。足元には重く湿った草原の下草。周囲は白い霧に覆われ、何も見えない。

(……ここは何処だろう)

 ぼんやりと考えながら、ゆっくりと辺りを見回す。しかし足元以外は白い霧しか見えない。今いる場所を特定する手がかりは何一つ見出せない。リゼはただ途方に暮れて、ぼうっと立ち尽くすしかなかった。纏わりつく霧が、髪と衣服を重く湿らせていく。水気は体温を奪い、早朝の冷えた空気と相まって身体が芯から冷えていく。それでもかまわず、リゼはただ立ち尽くしていた。

 ――アキラメヨウ。

 不意に、頭の中に声が響いた。低く、甲高く、男とも女ともつかない声。驚いて振り返ったが、そこには白い霧があるばかりで誰もいない。

 ――ツライコトナンテシタクナイ。

 ――ゼンブナゲダシテシマエタライイノニ。

 周囲は霧があるばかりで、どこにも生き物の気配はない。だが、声はどこからともなく聞こえてくる。

 ――ニゲダシタイ。ホントウハコンナコトシタクナイ。

 ――ツライ。コンナウンメイヲセオワサレテツライ。

 思わず耳を塞いだが、声は変わらず聞こえてくる。神経を逆なでする声に、頭がずきずきと痛みだした。

 ――クルシイノニダレモワカッテクレナイ。ダレモワカラナイ。

 ――ミンナジブンカッテニスガリツイテクルンダ。ヒトノキモシラナイデ。

 ――ソレガツライノニ、ダレモワカッテクレナイ。

 うるさい。

 ――シンパイスルフリナンテイラナイ。ホントハソンナコトオモッテナイクセニ。

 ――ツライ。クルシイ。デモダレモリカイシナイ。ダレモシンヨウデキナイ。

 ――モウオソイヨ。モドレナイヨ。フツウニハナレナインダ。

 うるさいうるさいうるさい!

 ――ドンナコトヲシテモムダナンダ。イッショウコノママ、ツライコトバッカリ。

 ――ソレナノニ、ミンナノトコロニカエッテドウスルノ?

 そんなこと――

 ――ツライナラ、

 ――ココデズゥットネムッテイレバイインダヨ。

「黙れ!」

 爆発した感情とともに、膨れ上がった魔力が周囲にまき散らされる。具現化した風が吹きすさび、下草が切り裂かれて舞い上がる。大気中の水分が凍り付き、バラバラと降り注ぐ。沸き上がる魔力は魔術となり、周囲の霧を吹き飛ばした。

 しかし霧が晴れたのはほんの一瞬だった。霧は数メテル先で変わらず存在し、魔力が作り上げた空白にあっという間になだれ込んでくる。再び白い霧に包まれて、リゼは息を切らせながら立ち尽くした。霧と共に、重苦しい静寂の帳が下りてくる。気付けば、あの声は止んでいた。

 しかしその静寂を切り裂くように、鋭い咆哮が霧の中に響き渡った。魔物の声だ。

 リゼはレイピアを抜くと、背後の霧に向かって一閃した。白い水のヴェールが斬り裂かれ、一筋の線を描く。確かな手応えと共に飛び散った体液が霧を毒々しい色に染める。頭部を真一文字に斬り裂かれた魔物はただの肉塊となってリゼの足元に転がった。

 魔物はこの辺りによくいるものとは違った。潰れたような顔。細長い四肢。こいつは悪魔教徒の“番犬”だ。何故こいつがここにいる? 追っ手か。それとも野外にまで放たれるようになったのか。

 なんにせよ速くここから離れなければ。リゼは振り返ると霧の中を走り始めた。霧の中では分が悪い。もっと見通しのいい場所へ行かなければ。そう思ったものの、数歩もせず足は止まってしまう。ここはどこだ。どっちへ行けばいい。夢遊病者のように歩き回っていたリゼに、現在位置がどこかなど分かりようもなかったのだ。視界が効かない霧の中では、方角を特定することすら出来ない。しかし足を止めている暇はない。“番犬”達の啼き声はすぐそこまで迫ってきていた。

 嫌な予感がして、リゼは反射的に身をかがめた。草の上を滑り込むように姿勢を崩すと、水滴が散って衣服がさらに湿っていく。次の瞬間、前方の霧から“番犬”がぬっと顔をだし、放たれた矢のようにリゼの上方を通り過ぎていった。

 リゼはすぐさま飛び起きると、“番犬”に向かって刺突を繰り出した。レイピアの切っ先は霧を裂いて進み、こちらへ向き直った“番犬”の額へと突き進む。しかしそれは目標へ届くことなく空を切った。切っ先が届く前に“番犬”が上空へ飛び上がったのだ。レイピアを引き、急降下してきた爪をかろうじて払う。収束させた魔力を氷刃に変えて前方に放つと、それは空中にいた“番犬”を捉え、地面に叩き落した。喚く“番犬”は止めを刺す前に駆け出し、霧の中へと消えていく。だが、逃げたわけではない。たくさんの啼き声が霧の向こうから近づいてくる。リゼは魔術で迎え撃とうと、魔力を集中させた。が、

 魔術と発動させる直前、霧の向こうから“番犬”が一斉に襲い掛かってきた。

 とっさにレイピアを突き出すと、細い剣身は向かってきた“番犬”の口蓋を貫いた。“番犬”は脳天を貫かれ、苦しげにバタバタともがく。魔物の重みに押され、リゼは耐えきれず姿勢を崩した。傷口から溢れた体液が手を濡らす。ぬめるそれに、レイピアを取り落しそうになる。指に力を込めてなんとかレイピアを引き抜き、“番犬”の身体を蹴っ飛ばしたが、その直後、横から来た衝撃に思いきり吹き飛ばされた。

 草地を転がりつつもなんとか起き上がると、“番犬”が目の前まで迫っていた。頭を引っ込めると爪が後頭部をかすめ、髪が数本千切れて飛んでいく。立ち上がろうとすると左手から別の“番犬”が襲ってきたので、思いきり仰け反って汚れた牙を避けた。

 近い。距離が近すぎる。霧のせいで間合いを取りにくく、姿を視認できる頃には魔術を唱える暇もないほど近づいている。全方向に氷の壁を張ろうにも、集中するそばから“番犬”が襲って来るせいで魔術を使えない。まるでこうすれば魔術を唱えられないと分かっているかのように。

「このっ――!」

 レイピアを振り上げ、力任せに振り下ろす。生まれた氷霧が“番犬”を襲う。だが威力が足りず、一匹を凍りつかせるだけに留まった。続けて魔術を放とうとしたが、発動する前に“番犬”が迫り、やもなく後退する。汚れた牙を避け、反撃しようと再びレイピアを振り上げたが、その瞬間ぐにゃりと世界が歪んだ。

 重い頭痛が脳を揺らし、黒く染まった視界に火花が散る。思わず目を閉じると、平衡感覚が消失して空中に放り出されたような感覚に襲われた。倒れそうになったところを踏ん張り、目をこじ開けると、ぼやけた視界の中に黒い影が現れる。瞬きして視界の曇りを取ると、黒い影は“番犬”に変わった。

(しまった――!)

 “番犬”の鋭い爪がリゼに迫る。魔術も回避も間に合いそうにない。汚れた鋭い爪は瞬く間にリゼの目の前まで迫り――

 次の瞬間、それは腕ごと消失した。

 “番犬”の耳障りな悲鳴と濁った紫色の体液が地面に撒き散らされた。斬り飛ばされた腕は草地を跳ねながら転がって、汚い線を描いていく。“番犬”は喚きながらも獲物に飛び掛かろうとしたが、リゼの前に割り込んだ影がそれを阻んだ。


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