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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
13/177

理由 1

 知っているのは幸せか

 知らないほうが幸せか

 一つだけ確かなのは

 知っているだけは不幸でしかないということだ

 アルヴィアの7つの神聖都市は大街道によって結ばれている。大都市を繋ぎ、首都へ続く街道だけあって、大街道の人通りは非常に多い。人が多いということは情報収集に最適だということ。街道を行きかう人々、特にスミルナから戻る人にそれとなくスミルナの話を聞いてみる。

「へえ。メリエ・リドスに行かれるんですか」

「ええ。親戚が住んでいるのでスミルナに行くついでに顔を見せておこうかと。そうしないと、後で何かと面倒ですから」

「ああ、分かります。親戚付き合いって大変ですよね。うちも何かにつけて口出しされて……向こうは親切心でやっているんでしょうけど、こちらとしては迷惑です」

「かといって、断ることもできませんし」

「そうですよね」

 そう言って、聖地巡礼を終え、故郷へ帰る途中だという女性は笑った。敬虔な信者なのだろう。旅の途中にもかかわらず、首から下げた聖印は汚れもなくきれいに磨かれている。

「ところで、スミルナはどうでした?」

「素晴らしいところでしたよ。教会は荘厳で美しくて、礼拝すると心まで清められるようです」

「やはり巡礼の方は多かったですか?」

「ええ。それといつもより警備が厳しかったように思います。街に入るのに少し時間がかかりましたから」

「まあ、そうなんですの?」

「ペルガモンから来たならご存知だと思いますけど、この前、教会からおふれが出たんですよ。魔女が現れたって」

「ええ。聞いていますわ。ではそのせいかしら」

「きっとそうでしょうね。仕方のないことです。魔女なんて邪悪で危険な輩はすぐにでも捕まえてもらわないと」

 巡礼者の女性は憂い顔でそう話す。どうやら、あの手配書はスミルナまで届いているようだ。リゼとアルベルトを連れてこなくて正解だった。

「でも親戚に会うためとはいえ、メリエ・リドスに行かなくてはならないなんて災難ですね」

「ええ、まあ。でも旅には慣れたので、大したことは……」

「でもメリエ・リドスでしょう? 異教徒が大勢いるところじゃありませんか。治安も良くないという話ですし、私なら行きたくないですね」

 女性は当然という顔でそう述べる。そして励ますつもりなのか、こんなことも言った。

「でもスミルナ教会なら、異教徒の街でついた穢れも浄化してくれると思いますよ」

「ええ、そうですね。それは有り難いですわ」

 にこやかな笑みを浮かべてそういうと、巡礼者の女性もにっこりと笑った。

「では私はこれで。お気をつけて」

「ええ、貴女も」

 巡礼者の女性はすたすたと街道を北へ歩いていく。ティリー・ローゼンはそれとは逆、街道の南の方へ歩き出しながら、今まで浮かべていた営業スマイルを一瞬で消した。

「はあ、これだから生粋のマラーク教徒は嫌なんですわ。毎日ご飯が食べられるのは一体どうしてなのか分かっているのかしら」




 マリークレージュを出て南下すること二週間。目指すはアルヴィア唯一にして最大の貿易港メリエ・リドスである。

 アルヴィア帝国とミガー王国は別々の大陸にあり、二つの国は海によって隔てられている。国家間の往来は船によるしかなく、しかも海は著しく気候が不安定でいつも荒れているので、安全な航海ルートというのは非常に少ない。メリエ・リドスから船に乗る以外にミガーに行く方法は存在しないのだ。

 故にメリエ・リドスは、アルヴィアにやってくるミガー人の商人や、商品の買い付けをするアルヴィア人の商人。その他貿易に携わる様々な人間が集まる場所である。そして、ミガーからメリエ・リドスへ持ち込まれるのは商品だけではない。人、思想、そして魔術。アルヴィアの法に、何より神の教えに反したものが流布しないよう、街を出入りする人・物は徹底的に調べられ、管理されている。そこでどんな言い掛かりをつけられようと、法外な関税を吹っ掛けられようと、ミガーの商人達は黙って従うしかない。

 表向きは。

「メリエ・リドスは商人達の街。アルヴィアもミガーも干渉出来るのは表層だけ。だからこそ一度中に入ってしまえば、教会の権勢も及ばない、というわけですわ」

「なるほどね。でもそれは中に入れればの話でしょう」

「そう! それが問題なんですのよ。なにせ街の出入り、つまり出入国管理はとっても厳しいですからね。ま、だからこそ裏道が作られたんですけど」

 悪魔研究家、魔術師、マラーク教以外の宗教。アルヴィア……というより教会にとって都合の悪いものはたくさんあって、その全てを規制しているのだろうけど、厳しくなれば厳しくなるほど抜け道が作られていく。そういうものだ。

「ところでその裏道というのはどんなものなんだ?」

 そう質問したのはアルベルトだ。ティリーから裏道があることは聞かされていたが、それがどんなものかはいまだに教えてもらっていない。しかし、ティリーはと言えば、話す気はないようだった。

「ひ・み・つ、ですわ。どうせこれから行くんですから、嫌でも分かりますわよ」




 街の外を歩いていると魔物に襲われることが少なくない。街や村というのは大体があまり魔物に現れない場所にあるものだし、街道は教会が定期的に魔除けをしているので、そこを外れない限り魔物に襲われることはまずない。

 魔物というのは死した生物に悪魔が憑依し、他の生物を襲うようになったものを指す。元が死骸なので大体が半分腐乱した状態であるし、悪魔憑依の影響で巨大化したり奇妙な形態になったりすることが多い。元の生物が何であったのかすら分からない状態になることもある。魔物は新鮮な血肉を求めて、生き物であれば見境なく襲って来るので、特に街道以外の場所を旅するうえで魔物から身を守ることは非常に大切なのだった。

 ちなみに、悪魔を倒すことは悪魔祓い師にしかできないが、魔物を倒すことは悪魔祓い師でなくても可能である。魔物を倒すというのは、要するに悪魔が憑依した身体を活動できないように破壊するということなのだ。動かせられないと分かれば悪魔は身体を離れ、魔物はただの死骸に戻る。故に魔物を倒すことは悪魔祓い師でなくとも可能なのだ。最も、簡単なことではないが。

「はあっ!」

 繰り出した剣が魔物の首を捕え、斬り飛ばす。そのまま剣を翻し、左から襲ってきた一匹の喉を貫く。背後から襲いかかってきた二匹を身をかがめてかわし、その背に向けて剣を一閃させた。

「お見事ですわ」

 そう言って、ティリーは小さく拍手をする。観戦でもしているような気軽さだが、実際彼女はただ見物しているだけだった。魔物の一団に遭遇してからというもの、いち早く戦線を離れてぼーっと突っ立っているだけなのである。その様子を見て、別の魔物と戦っていたリゼは不機嫌そうに言った。

「あのね。あなたも戦いなさいよ」

「と言われましても、わたくし刃物の扱いには慣れていませんし、魔物を本で殴るのはちょっと……」

「魔術を使えばいいでしょう」

「あら、誰も見てないと思っても、実は誰かが見ているものですわよ。そうやって悪事は露見して……」

「ティリー?」

「分かりました。やりますわよ」

 さすがに観念したのか、ティリーは一歩前に出た。それを待っていたかのように魔物達がさっそく襲い掛かる。ティリーはその場で立ち止まり、両手を横に広げると、数語、何かを呟いた。

 途端、ティリーの周囲に重力場が発生した。中にいた魔物達は地面に叩きつけられ、平たく押し潰される。範囲外にいた魔物も足を止められず、重力場に飛び込んで同じ末路をたどった。

「まだいますわね」

 その言葉通り過重力の洗礼を逃れた魔物が数匹、ティリーの前に残っている。それに向かって、今度はいくつもの火球を放った。火球は魔物を捕え、真っ黒に焼き尽くす。

「これでよろしくて?」

 容赦なく魔物を始末したティリーは、相変わらず笑みを浮かべてそう言ったのだった。




「ところで、リゼは誰に魔術を習ったんですの?」

 野営の準備をした後、ティリーはもはや恒例となった質問タイムに入った。今まで何度も無視されたり拒否されたりしているというのに、ある意味感服する粘り強さである。リゼはまたかといった顔をしたが、とりあえず質問に答えることにしたようだった。

「祖父よ」

「お祖父様は魔術師だったんですの? では悪魔祓いの術も、お祖父様に?」

「ティリー、悪魔祓いの術のことなら、私に聞くだけ無駄よ」

「あら、どうしてですの?」

「私にも分からないから」

 リゼはあっさりとそう言い放った。

「簡単に言うと、『やってみたらできちゃった』のよ。魔術みたいに理論を知って使っているんじゃない。何でこんなことが出来るのかも分からない。だから、私に聞くだけ無駄」

 リゼのは冷たく言ったが、それで諦めるティリーではない。彼女はリゼに詰め寄ると、いつものごとく両手を握りしめ、

「じゃあ、わたくしが貴女の力の謎を解明して差し上げますわ。貴女も自分の正体が分かった方がよろしいでしょう?」

「……どうかしらね。知らない方が幸せなこともあるかもしれないわよ」

 そう言うと、リゼは立ち上がった。

「ちょっとそのあたりを歩いて来る」

「あ、ちょっとお待ちになって!」

 ティリーは止めようとするが、リゼは完全に無視である。よっぽど追及を逃れたいのか、足早に木立の向こうに消えていった。

「また逃げられてしまいましたわ……でもわたくしは諦めませんわよ」

「もう少し仲良くなってから聞いた方がいいんじゃないか?」

「待つなんて無理ですわ。研究対象を目の前にして何も聞かないなんて、わたくしのポリシーに反します」

 ポリシーだったのか。拳を握って力説するティリーの姿を見つつ、アルベルトはこれは何かしら突っ込みを入れるべきなのかと、割とどうでもいいことを考えてしまったのだった。

 それからしばらくの間、辺りは非常に静かになった。基本的にティリーが一番よくしゃべるので、彼女がしゃべらないと静かになるのである。その状態がしばしの間続いた後、アルベルトはふと思い立って口を開いた。

「ところでティリー」

「はい?」

「魔術というのは一体どうやって使うものなんだ?」

 アルベルトとしてもずっと聞こうと思っていたのだが、なかなかタイミングがつかめずにいた質問だった。なにしろティリーは大抵リゼと(一方的に)話し込んでいたからである。しかし、唐突な質問にティリーは若干面食らったらしく、一瞬間をおいてから答えた。

「簡単ですわよ。大自然の力を借りるだけですわ」

「それだけか?」

「悪魔祓い師は天使の力を借りて術を使うのでしょう? それと同じですわ」

 ティリーは笑みを浮かべて、しかしそれ以上の追究を許さぬかのように断言する。まあ、魔術の奥義を部外者、それも悪魔祓い師に話す気はないだろう。悪魔祓い師とて、他者に術のことを教えるのは禁じられている。

「魔術のことを知りたいなら、まず貴方が手の内を明かすべきだと思いますけど? そうですわね。どうせ悪魔祓い師の術のことを聞いても話すことは禁止されている、とか言うのでしょうから、貴方の」

 ティリーはアルベルトを指さし、

「その“眼”のこと、教えていただきたいですわね」

「……と言われても、俺もよく分かっていないんだが」

 実際、新学校に通っていたころ、位の高い悪魔祓い師に何度も呼び出されて調べられたりしたのだが、先天的なものということ以外何一つ分からなかったのだ。一時は悪魔に起因する力ではないかと疑われたこともあったが、そうである証拠もないので結局うやむやになったのだが。

「貴方達、そんなのばかりですわね。自分の力の正体が分からないって。ほんと、これはもう……」

 少しばかり沈んだ声で言うので、さすがのティリーも聞き込み作業の難航ぶりが嫌になってきたのか。そう思ってアルベルトはなにか慰めの言葉を掛けようとしたが、

「これはもう、がぜん燃えてきましたわ!」

「テ、ティリー?」

「やはり何事も障害がある方が盛り上がりますものね! これは何としてでも突き止めて見せますわ!」

 一人情熱の炎を燃やすティリー。さすがのアルベルトもティリーの盛り上がりように少々呆れたのだった。




 目に見えないものを視通す眼。

 他の人々には見えないものを、アルベルトは物心ついた時からあって当たり前のものとして視てきた。そして当たり前であったからこそ、自分は人とは違うことに、しばらく気付かなかったのだ。

 家がとても貧しかったため、両親はよく赤ん坊のアルベルトを置いて働きに出かけていた。そういう時はたいてい隣家の老婦人が世話をしてくれていたのだが、アルベルトが三歳の時に老婦人が亡くなってからは、一人で留守番するようになった。しかし寂しいと感じたことは一度もなかった。家にいるときはいつも決まって誰かが傍にいたからだ。

 誰か、というのは色々だった。どこか母に似た中年の女性とか、老人とか、若い男性とか小さな男の子とか。妙な格好をした人もいれば、犬や猫がいたこともあった。彼らは幼いアルベルトの面倒を見、遊び相手になり、決まって両親が帰って来る前にいなくなるのだった。

 しかし、アルベルトが成長するにつれ、その人達は一人ずつ姿を見せなくなっていった。別れを告げてからいなくなる人もいれば、ある日を境にぱったり姿を見せなくなった人もいた。なぜ彼らはいなくなってしまうのか理解できなくて、両親に尋ねてみたりしたのだが、両親は「そんな人達知らない」という。しかしそう言われて納得できるはずもない。一番最初に会って、一番長く一緒にいた八歳くらいの男の子までもがいなくなったある日、アルベルトは両親に訴えかけた。両親はやはり知らないといったが、あきらめずに話をし続けた。最初は相手にされなかったが、男の子の容姿を詳しく説明すると、両親の顔色が変わった。

 両親が言うには、その男の子は八歳で亡くなったアルベルトの兄だというのである。亡くなったのはアルベルトが生まれる前だから、会える訳がなければ、会ったことなどあるはずもない。しかし、アルベルトが七歳になるまで、その男の子はずっと傍にいたのだ。数年間、全く変わらぬ容姿で。

 そこでアルベルトはようやく彼らが生きた人間ではないことを知った。アルベルト以外誰も姿を見たことがなく、いつもどこからともなく現れて、どこかへと去っていく。お前は幽霊を視ていたのかもしれない。アルベルトの話を聞いた後、父はそう言った。あれは生きた人ではない幻なのだから、視えない方がいいんだよ、とも。

 でも大変だったのはそれからだった。それまで気にならなかったし、気にも留めていなかったものが、急に悪意をむき出しにしてアルベルトへ纏わりつくようになってきたからだった。

 初めは黒い影でしかなかったそれは、存在を認識した途端、明確な形をとってアルベルトの前に現れた。鋭い角や牙を持つものや、蝙蝠のような翼を持つもの、複数の生き物が合わさったかのような妙な姿形をしているもの。そんな異形の化け物達を何と呼ぶのか知るのに、それほど時間はかからなかった。

 異形の化け物――悪魔の存在は知っていた。物心ついた時から、奇妙な黒い影がたくさん動き回っている様子はずっと視えていたからだ。ただ、悪魔達は常に部屋の隅にわだかまっているだけで、何かをしてくることはなかった。

 近付いてくるようになったのは、幽霊達がいなくなってからだった。

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