悪夢 2
スミルナから脱出して早二日。メリエ・リドスに帰還するため、リゼ達は西へ進んでいた。
スミルナでは東門から外へ出たため、西に位置するメリエ・リドスに向かうにはスミルナをぐるっとまわりこんでいかなければならない。直線距離なら半日もない距離だが、地形の関係で回り込むと四日ほどかかる。レーナの操る馬車に乗り、リゼ達はひたすら西を目指していた。しかし、
「シリルの容体はどうですの?」
「変化なしよ」
背後から聞こえた問いにリゼは振り返った。数歩離れた場所に、水桶を抱えたティリーが立っている。ティリーは水桶を置くと、表情を曇らせた。
「ってことは悪いんですのね……」
「水汲みに行っている間に治る程度なら薬を買いに行く必要ないでしょうね」
「そりゃあそうですけど、早くよくなって欲しいですもの。シリルのためにも、わたくし達のためにもね」
そう言って、ティリーは水で冷やしたタオルを差し出す。リゼはそれを受け取って、シリルの額に浮かんだ汗をぬぐった。即席の寝床に横たわる彼女は顔を赤く染めて苦しそうに息をしている。タオル越しに伝わってくる体温は高い。熱が下がりそうな様子は少しもなかった。
シリルが目を覚まし、異常がないことに喜んだのは一昨日のこと。目覚めて数刻もしないうちに、シリルは突然高熱を出して倒れてしまった。やむを得ず近くの森に野営地を築き安静にさせたが、熱が下がる様子はない。悪魔憑依の後遺症が疑われたが、それはアルベルトが否定した。シリルの魂は多少疲労してはいるものの安定しており、致命的な障害は負っていないという。“憑依体質”は悪魔に取り憑かれやすい代わりに、肉体や精神の変容が起きにくい。体質のせいで厄介事に巻き込まれたが、体質のおかげで助かった。その点は不幸中の幸い、と言うべきか。
最終的に、シリルの症状はショックと疲労による発熱だろうと、シリルの容体を診たレーナが結論付けた。思い出したくないだろうからと詳しい話を聞くことはしなかったが、フロンダリアで攫われてからのことはシリルのようなか弱い少女には刺激の強すぎる出来事だったであろうことは想像に難くない。ただの発熱だから、数日安静にしてれば良くなるだろう、とレーナは言っていた。
しかし、その『安静にしていれば』が問題だった。シリルの容体を鑑みるに、馬車で移動し続けることが出来ないのだ。整備された街道を進んでいるわけではないので馬車での移動は振動が大きく、病人には負担が大きい。リゼ達ですら、馬車の振動に辟易しているのだ。しかしそうなると、シリルはここを動けないと言うことになるが……
「というわけで、こうしましょう!」
シリルの診察を終えた後、レーナはテンション高くそう言った。彼女は場違いなほどニコニコ笑みを浮かべながら、能天気な口調で言う。
「確か近くに宿場町がありますよね。わたしがそこに行って薬を買ってきます。その間、皆さんはここで待機。シリルさんの看病でもしていてください」
病人を抱えて馬車を飛ばすのは無理。ならば薬を入手してさっさと治してしまおうということらしい。
「しかし、この近くの宿場町には信徒でないと入れないだろう? 近いと言ってもそれなりに距離もあるし……」
アルベルトがそう尋ねたが、レーナは手早く馬車と馬を繋ぐハーネスを解きつつ、明るく返答する。
「それに関してはご心配なく。こう見えて潜入は得意なんですよ! それに一人ならそれほど時間はかかりませんよ。ちゃっと行ってちゃっと帰ってこれますから問題ありません。じゃ!」
そうして何か言う暇もなく、レーナは馬に乗って風のように走り去ってしまった。
それがほんの数刻前の話だ。レーナが出かけた後、アルベルト達は改めて野営の準備をすることにした。ちょうど雨風を避けられる小さな洞窟があったので、そこに野営を築く。その後、シリルの看病はリゼとティリーに任せ、アルベルト達は食料の確保に出かけることとなった。
「シリルは大丈夫かな……」
食料を求めて森の中を探索していた時、しんがりを歩いていたゼノがそう呟いた。
それを聞いて、アルベルトは足を止めた。振り返ってゼノを見ると、彼はぼんやりと遠くを見つめている。まさに心ここにあらずと言った雰囲気だ。のろのろと歩くゼノに、アルベルトは声をかけた。
「ゼノ、大丈夫か?」
「あ、何でもねえ! 気にしないでくれ」
するとゼノは我に返ったようにそう言って、ぶんぶんと手を振った。そのまま彼は足早に歩いてアルベルト達を追い越していく。
「食料の確保っつったって、この辺に食べられるものなんてあるのか?」
すたすたと歩きながら、ゼノは怪訝そうに呟いた。アルヴィアは緯度の関係で寒冷であり、かつ土地が痩せているため実り豊かとはいえない場所だ。アルヴィアの中では比較的温暖な南部ですら農作物の収量は少ない。当然、野生で食用に出来るものも少ないわけで。
「この辺りだと、野草が少し取れるぐらいかな」
「野草かー。それより肉を食いたいなあ。スミルナからこっち、食べたものは湿気った乾パンとか湿気ってない乾パンとかだぜ……」
「干し肉もあっただろう」
「ああいうのじゃなくて肉汁滴るステーキを食いたい。分厚くてさあ……中がほんのりピンク色でさあ……切った瞬間肉汁がじゅわあって……食いてえ……」
ゼノは遠い目をして空想上の肉に涎を垂らす。よほど腹が減っているらしい。その様子をキーネスは呆れたように見て、「相変わらず食い意地が張っているな」と呟いた。
「だって数日海を漂流して、貧民街に流れ着いて、教会に捕まって数日間牢屋に入れられて、悪魔教徒と戦って、教会の騎士と戦って、もうクタクタなんだよ。あっちこっち怪我してるし、美味いもの食ってゴロゴロしてもバチは当たらねえだろ。出来ないけど!」
ヤケクソ気味にゼノは言い、深々と溜息をつく。しかし今の状況では、どう頑張っても『美味いもの食ってゴロゴロ』は叶いそうにない。肩を落とすゼノに、アルベルトは言った。
「ゼノ、疲れているなら休んでも構わないよ。食料探しなら俺がやっておくから」
「なに言ってんだよ! おまえだって疲れてるだろ。怪我も一番酷いんだからおまえこそ休んどけって!」
「い、いや、休息なら十分に取ったから大丈夫だ」
険しい表情のゼノに詰め寄られて、アルベルトはそう言った。元々身体は頑丈な方で、睡眠時間も休息もそれほど必要ない。怪我も手当て済みなので、無茶をしなければどうということはない。皆スミルナでの戦いで疲労しているので、動ける者が動いて、それ以外は出来るだけ回復を優先した方がいいと思うのだ。それに、
「それに、シリルのことが気になるんだろう? 側にいてあげたらいいんじゃないか」
そう言うと、ゼノは複雑な表情を浮かべて俯いた。
「いや、やめとくよ。オレ、あんまり気が利かないし、同性の方がシリルも気が楽だろ」
そう語るゼノの表情はどこか陰りがあるように見える。何でもない風を装っているが、何か思うところがあるのだろうか。しかし疑問の答えを確かめる前に、ゼノはぱっと表情を変えた。
「そうだ。アルベルト、休憩よりも、今度でいいから手合わせしてくれねえか? おまえの剣技のコツ、教えてくれよ」
「あ、ああ。いいよ」
突然の申し出に驚きつつも頷くと、ゼノは決まりだな!と嬉しそうに言う。その表情に先程までの影はない。話をそらされたのだろうか。そう思いつつも、今更話を戻せる雰囲気でもなさそうだ。そうしていると、今度は沈黙していたキーネスが不意に口を開いた。
「やけにそいつと仲がいいな」
ゼノとアルベルトを交互に見ながら、キーネスは不可解そうに言う。そんな悪友にゼノは胸を張り、堂々と答えた。
「こいつとオレは親友になったからな!」
「親友……?」
ゼノとアルベルトを怪訝そうな目で見ながら、キーネスはそう呟いた。その眼差しは険しく、懐疑の色を宿している。キーネスはしばし視線を往復させたのち、アルベルトの方へそれを固定した。
「一つ言っておく」
キーネスの口調は重く険しい。やはりミガー人でゼノの親友でもある彼は、悪魔祓い師が親友と仲良くすることを望まないのだろうか。キーネスは取り立ててアルベルトを遠ざけるようなことはしないが、さりとて親しくするつもりもないようだ。やはり本心は悪魔祓い師を信用していないのかもしれな――
「ゼノの言うことを真に受けない方がいい。あいつは親友という言葉を大安売りするからな。騙されるな」
神妙な顔でそう言われ、アルベルトは沈黙したまま数度瞬きした。想定と全く違う反応に思考が追いつかない。その間に横から声が飛んだ。
「うるせ。どーせ俺に親友が増えたから嫉妬してんだろ?」
「阿呆か。俺はスターレンとお前とで認識の差が存在することを指摘しただけだ」
むっとしたゼノが食って掛かると、キーネスは真顔で言い返す。つまり彼は忠告してくれたということだろうか。“親友”というものが出来たことのないアルベルトと、たくさん友を作ってきたゼノでは“親友”の定義が全く違うかもしれないことを。考えてみれば当たり前な話だ。同じものを見ていても、人によって受け取り方は全く違う。
「認識の差ってなんだよ。親友は親友だろ? オレはアルベルトを騙すつもりなんてないぜ」
「自覚がないのが問題なんだ。お前は他人と馴れ馴れしくしすぎだ。もっと人との距離感を考えろ」
「人と仲良くするのはいいことだろ。そういうおまえは愛想なさすぎなんだよ。そんなんだから友達少ないんだぜ?」
「少ないからなんだ。本当の意味で信頼できる人間なんて数人いればそれでいい」
「そうかあ? 信頼できる人はたくさんいるに越したことねえじゃねえか。少なくていいなんて寂しい奴だな」
「なんとでも言え。大体お前は――」
アルベルトを放置して言い合いを続けるゼノとキーネス。なんだかんだ言って、本音で言い合いが出来る彼らはとても仲がいい。羨ましいほどに。
「なあ! どう思う? アルベルト」
不意に舌戦を繰り広げていたゼノが振り返り、同意を求めるようにそう言う。どうやら決着がつかなかったようだ。キーネスまでもがゼノと同じ眼差しでこちらを見ている。アルベルトは相好崩すと、しかめっ面のゼノに視線を向けた。
「たくさんの人と仲良くするのはいいことだと俺も思うよ」
アルベルトがそう言うと、ゼノは我が意を得たりとばかり表情を明るくした。勝ち誇る悪友に、キーネスは冷たい視線を投げかける。そんな彼に、アルベルトは言った。
「キーネス。君の言う通りだ。俺は今まで親友と呼べる人がいたことがない。そんな俺とゼノでは考え方が違って当然だ。そのことを心に刻むよ」
親友という言葉を過信して、距離感を誤らないように。キーネスは「ゼノに騙されるな」と言ったが、自分こそ彼を騙さないようにしなくては。アルベルトはそう心に決めてから、ふと大切なことを思い出し、何故か驚いている様子のキーネスに言った。
「そうだキーネス。スミルナでのことなんだが」
「……なんだいきなり」
再び怪訝そうに眉を寄せるキーネスに、アルベルトは神妙な面持ちで告げた。
「あの時使った七ツ道具なんだが、弁償金はいくらになる? 持ち合わせがないからすぐに払えないが……すまない」
なにせ今は財布がない。個人の自由になるお金など皆無だ。現在の状況が状況なのでメリエ・リドスに戻った後、日雇いに出ることも出来ない。弁償しなくてはならないのに、いつかは分からない収入があった時でないと払えないのが歯がゆいところだ……
アルベルトが申し訳なさで心を痛めていた一方、弁償を切り出されたキーネスはいつもの無表情から少し目を見開いて、じろじろと目の前の男を見回していた。まるで珍獣でも発見したかのように、頭を垂れるアルベルトを凝視している。
「……本当に払う気だったのか」
「――?」
微かに聞こえた呟きにアルベルトは顔を上げた。キーネスはどこか困惑した表情でこちらを見つめている。不思議に思って「どうかしたのか」と尋ねると、キーネスは我に返ったように首を横に振った。
「何でもない。あれの代金は四十万だ。払うならまとめて払え」
四十万。その額に、アルベルトは目を見張った。あんな小さな道具が四十万とは。そんな高価なものだったのか。
「……それだけの金額、いつ払えるか分からない。だがいつか必ず払う。勝手な言い分だが、それまで待ってほしい」
「まあ……それは構わないが……」
「ありがとう。キーネス」
安堵しつつ礼を言うと、何故かキーネスは視線を逸らした。どことなく後ろめたそうに見えるのは何故だろう。後ろめたく思うのはこちらの方なのだが、なにか気に障るようなことを言っただろうか。考えてみたが、これといった理由は思いつかなかった。




