神聖なる悪魔の苗床 28
日の光が降り注いだ瞬間、リゼの身体がぐらりと傾いだ。
倒れ込んできた彼女を見て、アルベルトははっと我に返った。天使の彫像にぶつかりそうになったところを、腕一本で支え、そのまま安全な場所まで引き寄せる。まともに立つことも難しいらしいリゼを支えながら「俺の声が聞こえるか」と声を掛けると、彼女はようやく視線を合わせた。疲労のためか焦点の合っていない目をすがめ、リゼは小さく頷く。ようやく正気に戻ったらしい。
「はあ……はあ……疲……れた……」
荒い息をつきながら、リゼは切れ切れに呟く。元々“地獄の門”に飲まれかけ、かつその破壊に力を使ったのだ。その上でまだ悪魔祓いをする余力があったことは驚きだが、さすがに限界が来たようだ。苦しげに息をするリゼを支えつつ、アルベルトは今起こったことを茫然と思い返した。
――今のは何だ?
リゼが術を使った瞬間、身体の力が抜けていくような感覚があった。悪魔祓いをする彼女に触れていたせいなのか。今までになかった現象だった。だが一番驚いたのは、
(――言葉が分かった)
今までずっと理解できなかったのに、今回はリゼが唱える言葉の意味がはっきりと分かった。リゼが、あるいはティリーが使う、魔術のための文言。術を使うために必要な特別な言語。何度も聞いても音の羅列にしか思えなかったそれが、明確な意味を為して耳に届いた。何が違うのだろう。
頭の芯が重い。悪魔祓い師の術を使った時と同じ、精神的な疲労感。だが何より、今まで理解出来なかった悪魔祓いの術の文言が理解できたことへの疑問が頭の中を占領している。一体何が起こったのか? リゼに問おうにも、彼女は今度こそ本当に力尽きてしまって、喋ることすら辛そうだ。息を切らすリゼを支えながら、アルベルトはただ茫然と立ち尽くした。
だが、呆けている暇はなかった。
「スターレン! 何をしている!」
キーネスの鋭い声に、アルベルトは振り返った。すると、広場の向こう側から鋭い銀色の光が飛んで目を射る。手で光を遮ると、広場の入口に白い人影が立っているのが見えた。人影はこちらへ歩を進め、市民達はそれに道を譲るように左右に分かれていく。開かれた道を歩みながら、人影は腕を振り上げた。
「――!」
そいつが手に持つ物が何か気付いた瞬間、アルベルトはリゼを連れて彫像群の上から飛び降りた。像に引っかからないよう注意しながら、石畳の上に着地する。その途端、誰もいなくなった彫像群に白い炎が降り注いだ。
突然の出来事に驚いた市民達からどよめきと悲鳴が上がった。炎の直撃を喰らった彫像は砕け散り、白く燃え上がりながら飛散する。飛んできた石を剣を抜いて叩き落し、彫像を背にしたアルベルトは、市民達を押しのけながら近づいてくる人物を正面から見据えた。立ち並ぶ銀色の鎧を率いる白いローブの人間。手にしているのは十字架を模した杖。
「やっぱり来たな。魔女」
杖を携えたウィルツは、満足そうに笑いながらそう言った。杖の周りには白い炎が揺らめき、火の粉が舞い落ちている。ウィルツの背後には数人の騎士達が並び、剣呑な雰囲気を漂わせていた。
「あんた、生きてたの?」
ウィルツを見たリゼが、至極不愉快そうに呟いた。
「濁流にのまれたくせにしつこいわね。こっちは二度と会いたくなかったのに」
「オレは会いたかったぜ、魔女。数日前、貧民街でそいつを見つけた時、てめえがいなくてがっかりしたくらいだ。今日は二人揃ってて嬉しいぜ」
そう言うと、ウィルツはアルベルトに眼を向けた。
「しかし、あっさり脱獄しやがって。だからしっかり見張ってろって言ったのに。騎士は当てになんねぇな」
ウィルツが非難の目を向けると、隣に控えていた騎士長は動揺を見せた。責任を取らなければならない立場なのだろう。焦りつつ、親の仇でも見るような目でアルベルトとゼノを睨みつけている。しかし騎士長とその部下の怠慢はアルベルトにとって助けとなったものの、怠慢は怠慢だ。アルベルトとしても職務に対する不真面目な姿勢は改めるべきだと忠告したくなった。
「それにしてもしばらく会わないうちに人数が増えたな。そっちの男もミガー人か? ミガーで手下を増やしてきたのか」
ウィルツはキーネスを見てそう言った。キーネスは僅かに眉を寄せただけで、無言で冷めた視線を向けている。ウィルツの蔑んだ口調にゼノは思いっきり眉間に皺をよせ、ティリーはうんざりしたように溜息をついた。張りつめた空気が流れる中、アルベルトは殺気立つリゼを押しとどめながら、ウィルツ達の様子を窺う。壊れかけた結界の修復に追われているのか、幸いにも悪魔祓い師はウィルツ一人。残りは騎士ばかりだ。これならウィルツの操る白い炎さえ気を付ければ逃げ切れるだろう。
後は逃げるタイミングだが――
「ブラザー・ウィルツ! そこの異教徒が背負っている少女は――」
不意に騎士長が慌てた様子でそう言った。ウィルツや騎士達の視線が、ゼノの――いや、ゼノの背で気を失っているシリルの元に集まる。なにせシリルは教会に軟禁されていて、ゼノの助けを借りて逃げ出したという経緯がある。スミルナの騎士長がシリルの容姿を知っていたとしてもおかしくないし、行方不明の少女がこんな時に見つかって驚くこともおかしくない。一瞬だが、ウィルツ達の注意はシリルの方へ向けられた。
今が好機だ。
「ティリー。頼む」
「了解ですわ」
背後にいたティリーに視線を投げると、彼女は返事を言うが速いか巨大な火球を呼び出して騎士の一角に投げ付けた。火球は派手に炸裂し、爆風で騎士達が吹き飛んでいく。街中だから見た目は派手だが威力は低い。騎士達はせいぜい軽い火傷と打撲で済んだはずだ。だが突然の攻撃と倒れ伏す仲間達に無事な騎士達は動揺し、隊列を乱し始める。その隙に、アルベルトは座り込んでいるリゼを抱え上げた。
「――! ちょっと!」
すると彼女は驚いた様子で声を上げた。降りようとしたのか肩のあたりを押されたが、そのせいでバランスを崩したらしい。落ちそうになったリゼを抱え直して、アルベルトは言い聞かせるように言う。
「悪いが大人しくしていてくれ。抱えにくい」
「抱えなくていい! 走るぐらいは出来るわよ!」
「そうは見えないな。文句があるなら後で聞くよ」
不満げなリゼを抱えて、アルベルトは手招きしたキーネスの後に続いた。向かう先はスミルナの城壁がある方向。すなわち外だ。慌てふためく騎士達の横をすり抜けて、アルベルト達は大通りを下っていく。
「外へ出たら東へ進め。その先に逃走手段を用意してある」
「でもこの騒ぎで門は閉鎖されているはずだ」
「だろうな。ローゼン! 門を壊せるか?」
「無茶言わないで下さいませ! 魔術一発で壊れるなら魔女狩りも独立戦争ももっとミガー優勢で進んでいましたわよ!」
ティリーの抗議に、キーネスは「だろうな」と呟いて前方に視線を戻す。神聖都市の城壁と城門は幾つもの魔術遮断の紋章が描かれている。魔女狩りの時代に造られたそれは、数百年の時を経てもなお堅牢だ。魔術どころか、悪魔祓い師の力を以ってしても破れない。だが、
「門を破る必要はない」
記憶を手繰りながら、アルベルトは呟く。確かスミルナの城門はラオディキアとほぼ同じ。定められた閉門時間と有事の時は閉じられている。門が閉じられている時、街の出入りが出来るのは一カ所だけ。
「通用門がある。そこから出ればいい」
「鍵は?」
「……門衛が持っている。門の左側の騎士が管理する決まりだ」
騎士さえ倒せば鍵の入手は難しくない。そして鍵さえあれば、通用門は簡単に開く。それを聞いたキーネスは、小さな声で「地下の迷路を行くよりマシか」と呟いた。
「よし。その方法を試してみるか。だが、あの悪魔祓い師はどうする?」
キーネスは後ろを指し、そう言った。距離はまだ遠いが、アルベルト達の後をウィルツ達が追いかけてきている。下手をすると鍵を入手している間に追いつかれてしまうだろう。ウィルツ達の足を止めなければならない。そう考えて、アルベルトはティリーに声を掛けた。
「ティリー、頼みがある」
「なんですの? 面倒なのは嫌ですわよ」
「面倒……かは分からないが、多分疲れることだと思う」
怪訝そうに眉を寄せたティリーに、アルベルトは手早く自分の考えを説明する。本当に疲れますわねと彼女は言ったが、拒否することはしなかった。
「分かりましたわ。お任せ下さいませ」
「助かる」
そうして、通りを行き来する市民達をかき分けながら、アルベルト達は東門へ向かった。逃げるアルベルト達を、スミルナ市民は遠巻きに見つめる。悪魔が現れた混乱がまだ収束していないのか、追いかける騎士達が何か叫ぼうとも誰も動かない。それが幸いして、アルベルト達は難なく城門前の広場までたどり着いた。




