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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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神聖なる悪魔の苗床 26

 無音の衝撃が消え失せた瞬間、固く閉じた瞳に光が射しこんできた。瞼越しでも感じられるその光は、暗闇に慣れた目に刺すような痛みを齎す。眩しい。涙がにじむほどのその光に目を開けられない。眩しい光を浴びて、地下洞窟の外へ出たことをすぐに悟った。

 だが目を開けない訳には行かなかった。瞼に光を感じたその瞬間、浮遊感と風を感じたのだ。手がかりになるものも足がかりになるものもなく、一つの方向へ引きずられていく。重力に引かれて、落ちていく。

 刺すような痛みをこらえ、アルベルトは目を開けた。瞳に飛び込んできた光と風に、生理的な涙がにじんで視界がぼやける。白く滲み流れていく景色。何度か目を瞬くと視界は徐々にクリアになっていった。見知った白いシルエット。下方に見えるのは白い街並み。耳元で、風が唸りを上げて通り過ぎていく。ゼノが慌てたように叫ぶ声が、風に紛れて耳に届いた。

 下方の街並みは瞬きする間に近付いてくる。真下の広場にたくさんの人が集まっているのが見える。見事な円形の広場。中心には彫像が一つ。広場を行き来する人のうち幾人かが、落ちてくるものに気付いたのか空を見上げた。

 街の広場に集う人々の様子を視認できる距離に近付いた瞬間、突如上空に灰色の球体が出現した。球体は見る間に拡大し、アルベルト達を飲み込んでいく。球体の表面には幾何学的な模様が奔り、ゆっくりと動きながら輝いた。その瞬間、落下スピードが急に遅くなった。

 地面から数メテルのところまで近づいた瞬間、球体はシャボン玉が弾けるようにすっと消え失せた。落下スピードは元に戻り、重力に引かれて地に落ちる。障害物を避けて上手く着地すると、衝撃で足が少し痺れた。

「はあ。ここでこれを使うことになるとは思いませんでしたわ。アルヴィア人の前で使いたくありませんでしたのに……」

 スカートの裾を払いながら、ティリーはそう独りごちる。彼女はふう、と溜息をつき、日差しを遮りながら上を見た。アルベルトも眩しさに目を細めながら上を見ると、悪魔が蠢く黒い空と水気を含んだ黒い雲。その隙間からわずかに覗く太陽が見えた。ずっと地下にいるせいで眩しく思えたが、実際には陽光が遮られてそれほど眩しくない。

「ここは……スミルナ市民街?」

 周りを見回すと、白い大理石で作られた白い建物が目に入った。天使の像が彫られた外壁。高い尖塔。千年前の聖戦を描いたステンドグラス。見間違えようのない。これはスミルナ教会だ。だが幸いにも今いる場所は裏手の広場で、司祭も騎士も悪魔祓い師も見当たらない。彫像群の周囲にいるのは市民ばかりで、戸惑うように何事か囁き合っているだけだった。

 広場に集うスミルナの人々は、どうやら皆教会に向かっている途中のようだった。何人もの人々の身体に、黒い靄が纏わりついている。やつれながらもきちんとした身なりで、付き添いの者と共にいる者。本人はまだ気付いていないだろうが、身体の奥に黒い靄を潜ませている者。取り憑かれてはいないが、十字架を握りしめて不安げな表情を浮かべている者。様々な人が、教会へ向かっている。見えずとも、大量の悪魔が現れたことによる異様な気配を感じとり、教会へ救いを求めているのだろう。ただ幸いなことに、まだ大きな被害は出ていないようだ。そのことに、アルベルトは少し安堵した。

「いい加減放して」

 その時、胸のあたりから至極不機嫌な声が飛んだ。はっとして下を見ると、眉間に皺を作ったリゼが苛立たしげな眼でこちらを見上げている。リリスが生み出した闇が爆ぜた瞬間と落下の瞬間。彼女を庇おうとして反射的に抱きかかえてしまったのだ。慌てて手を放すと、リゼはさっとアルベルトから距離をとり、彫像の端まで移動した。

「……魔法陣がなくなったのに消滅しないなんて」

 天使像の背に足を掛け、リゼは周囲を見まわしながら呟いた。彼女の視線の先には、空中を漂う悪魔の姿がある。スミルナの中なのに、周囲は悪魔で溢れ返っていた。悪魔召喚によって喚び出された悪魔が消えずに残っているのだ。

「マリークレージュの時と同じだ。完全にこの世に具現化したんだ」

 不完全な召喚だったはずなのに、悪魔はスミルナにはびこっている。それほどあの魔法陣は強力だったのか。“地獄の門”に飲まれずに済んだものの、いまだスミルナが危険に晒されていることには変わりない。教会は今頃何をしているだろうか……

「ちくしょう、引っ掛かって、取れない!」

 不意に、背後でゼノの苛立ったような声が聞こえた。どうやら天使像の持つ槍に、服が引っ掛かったらしい。シリルを抱えていて両手が塞がっているからか、ゼノは足を踏ん張り、引っ張って外そうと試みている。しかし布地は思いのほか頑丈で取れないようだ。そこへキーネスが歩み寄ると、抜き放った短剣を振り下ろした。引っ掛かった部分が切り裂かれ、ゼノは勢い余って尻餅をつきそうになった。

「――ゼノ。クロウは無事か?」

 彫像で背中を打って悶絶しているゼノに、キーネスは何事もなかったかのように話し掛けた。ゼノは背中をさすり、涙目になりつつも答える。

「いててっ。――気を失っているみたいだ。無事かどうかは……」

 ゼノは沈んだ声でそう言った。彼は不安そうにこちらに視線をやったので、アルベルトはシリルに眼を向ける。

「大丈夫だ。リリスはもういない」

 返すというリリスの言葉通り、シリルの中にリリスの影はなかった。どうやら本当にいなくなったらしい。そのことを知って、ゼノは安堵に表情を緩めた。もっとも、今後取り憑かれないとは言いきれないが……

「シリルが無事なら早く脱出しましょう。ここじゃ目立ちまくりですわ。不本意ながら」

「同意だ。愚図愚図してたら教会の奴らがやってくるぞ」

 周囲を見ながら、ティリーとキーネスがそう言った。目立ちまくりという言葉通り、アルベルト達は広場にいる市民達全員の注目を集めてしまっている。何せここは広間の中央にある天使の彫像群の上。しかも空から降ってきて魔術で着地したのだ。市民の目を引かないはずがない。教会に知らせが行く前に逃げよう。そう言ってキーネスは像の上から一段滑り降りた。

 その時、内臓に響く重い音と共に、地面が揺れるのを感じた。

「な、なんだ!?」

 翼に引っかかった服を外し、ようやく立ち上がったゼノは、突如として襲い掛かった震動に踏ん張りきれずよろめいた。尻もちをつきかけて天使像にしがみつき、なんとか踏みとどまる。同じく揺れに耐えて踏みとどまりながら、アルベルトは天を振り仰いだ。

 スミルナの上空は黒い渦に覆われていた。無数の悪魔が集まって、赤い雷光を轟かせている。空を見上げた市民達から悲鳴や戸惑いの声が上がっているのを聞く限り、あれは普通の人にも見えているようだ。悪魔が空に向けて突進を繰り返すたびに、耳障りな不協和音が鳴り響く。明滅を繰り返しながら悪魔を跳ね返しているのは天使の加護が齎す結界だ。スミルナ内の悪魔は、聖なる結界を内側から破壊しようとしているのだ。

 今はまだ持ちこたえているものの、結界はすでに何カ所もひび割れが入り、完全消滅は時間の問題だった。スミルナの結界が壊れれば、更に多くの悪魔が街の中になだれ込んで来るだろう。すでにスミルナ上空には引き寄せられた悪魔が黒雲のように立ち込めている。ただでさえ結界の内側は悪魔で溢れ返り穢れで澱んでいるのに、これ以上悪魔が増えたら……

「悪魔召喚は止めた。あとは教会がなんとかするだろう。これは本来奴らの仕事だ。後始末までしてやる義理はない。――それともスターレン。奴らに捕まりたいか?」

 そうキーネスに言われ、アルベルトははっとして剣の柄から手を放した。せめて結界を壊そうとする悪魔だけでも浄化しなければ。そう考えてしまっていた。だがキーネスの言う通り、そんな悠長なことをしている時間はない。そんなことに時間を使えば最後、彼らに捕まるのがオチだ。まさかスミルナそのものが危険にさらされているのに教会が動かないということはありえない。アルベルトがやらなかったからといって誰が困るという訳でもないのだ。アルベルトは「すまない」と呟き、彫像から降りようと振り返った。そして、降りる前に無言のまま空を見上げていたリゼに声をかける。

「リゼ、行こう」

 しかし、彼女は返事をしなかった。無言のまま、ただじっと空を見上げている。ひょっとして聞こえていなかったのだろうか? そう思い、もう一度声をかけたが、またしても返事はない。不審に思って、アルベルトはリゼに一歩近づいた。

「悪魔……」

 不意に、リゼはぽつりとつぶやいた。零れ落ちたその言葉には、抑えきれない怒りが滲んでいる。驚いて横から彼女の顔を覗き込むと、蒼い瞳は怒りに燃えて完全に据わっていた。それもただ怒りに駆られているのではなく、激烈なまでのその感情に囚われているようだった。

 ぶわり、とリゼの周囲に風が起こった。自然のものではないその風は、瞬く間に広まって人々の集う広場を駆け抜けていく。肌をなでる風の感触。それに続いてやってきたのは圧倒されそうな力の感覚だった。この感覚はよく知っている。悪しきものを断つ静謐で荒々しい力。温かい太陽のような光。

 リゼは悪魔祓いをする気なのだ。

「ちょっと! ここはスミルナですわよ!? そんなさらに目立つことをしたら――!」

 異変に気付いたティリーが叫んだが、案の定リゼの耳には届いていない。彼女は虚空を見つめたまま、詠うようにアルベルトの知らない言葉を紡ぎ続けている。魔術のための言の葉は風と光を生み出し、リゼを取り巻いた。何度も目にしているリゼの悪魔祓いの術。その力は眩しく凄まじい。だが、今日はいつもとは違った。

 術を紡ぐ最中、リゼは不意に身体を折ると、苦しげに咳込んだ。それに呼応するかのように、魔術の光が激しく明滅する。力は風の前の灯の如く不安定で、膨れ上がったと思えば今にも消えてしまいそうなほど弱くなるのを繰り返していた。

「リゼ! いくらなんでも無茶だ!」

 目に見えて消耗しているのに、これ以上悪魔祓いをしたらいかにリゼとはいえただでは済まない。下手をすれば命に関わる。しかし今の彼女は冷静さを欠いているのか、自身を顧みることもアルベルトの声に耳を傾けることもしない。一心不乱に術を唱え、悪魔を浄化しようとしている。しかし、やはり力が足りないのか、悪魔祓いの術が生み出す光は弱弱しく明滅していた。

「おいスターレン! そいつを止めろ! こうなったら力ずくでも連れていく!」

 像の下からキーネスの焦ったような声が飛ぶ。言われなくとも、アルベルトもそのつもりだった。今のリゼは怒りで我を忘れている。何か言っても聞くとは思えない。悪魔祓いの術が生み出す光と風に圧倒されながらも、アルベルトはリゼに近づき、その腕を掴んだ。

「――なきゃ」

 その時、いつの間にか彼女の唇から紡がれる言葉は詠唱から別のものに変わっていることに気付いた。まるで熱に浮かされているかのように、似たような言葉を繰り返している。

「悪魔を消さなきゃ。悪魔を消さなきゃ。悪魔憑き(あのひとたち)を助けなきゃ。悪魔を消して、でないと結界が壊れる。みんな死ぬ。悪魔に取り憑かれる。私がやらなきゃ。私がやらないと。私が――」

 強迫観念めいた呟き。自分で自分に言い聞かせるかのように繰り返される言葉。マリウスが死んだ時と同じように、彼女の瞳は目の前にあるものを見ていない。どこか遠く、自分の記憶の中にあるものを見ている。過去に起きた悲劇。悪魔を滅ぼさなければと思う何か。

 だが、それを為し得る力は今の彼女にはない。

 ――あの娘は自愛を知らぬ。己を卑下し、自身に価値はなく、他者を救うことでしか存在意義を示せぬと思い込んでおる。

 不意に、アルネス博士の言葉が脳裏に蘇った。

 ――もし仮に他者を救うことが出来なくなったとしたら、あの娘は自身を無用な者だと非難するじゃろう。断罪するじゃろう。

 力が足りなくて悪魔祓いの術を使えない。他者を救うことが出来ない。そのことが、彼女を追い詰めているのだろうか? 他者の救済が自身の存在意義になるというのなら、ここで無理矢理止めてしまったら、彼女は一体どうなるのだろう。何と言えば、彼女は術を止めてくれる? それとも、止めるべきではないのだろうか?

(――俺に力があれば)

 力があれば、このすさまじい数の悪魔を祓えるのに。悪魔憑きを救えるのに。彼女を助けられるのに。だが、今のアルベルトにそこまでの力はない。どうすればいい。どうすれば、

 ――だがそれではいかん。それは間違いじゃということを、誰かが教えてやらねばならん。

 どうすれば、彼女を救えるのだろう。

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