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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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神聖なる悪魔の苗床 21

 しかしその瞬間、静かに燃え盛っていた魔術の炎が内側から破裂するようにはじけ飛んだ。飛散した火の粉は瞬く間に消滅し、欠片すら残らない。魔術を破られ、驚いたティリーが「なんなんですの!?」と叫んだ瞬間、炎が燃えていた場所から、黒い靄が吹きあがった。

 渦巻く靄の中心に、人影がゆらりと起き上がった。肌は炭化して黒く染まり、衣服は焦げてぼろぼろになっている。満身創痍にも関わらず立ちあがったマリウスに、周囲の悪魔が次々と吸い込まれていった。マリウスに悪魔が取り憑いていく。それは数えきれないほどで、もはやなりふり構ってなどいられないとばかり、マリウスは悪魔を憑依させていく。もはや邪魔でしかないのか、マリウスは銀槍を投げ捨てた。槍は湖に飲まれ、その姿を消す。その間にも悪魔がマリウスに吸い込まれ、それにつれて身体の傷は次々と塞がっていった。

「ワたしのじゃマをすルな!!」

 いくつもの声をだぶらせながら、マリウスの咆哮が空間を震わせる。湖面には更に激しい波が立ち、空気は痛いほど振動した。圧倒的なまでの力の感覚に押さえつけられているかのように身体が重くなる。そして次の瞬間、マリウスから黒い衝撃波が放たれた。

 衝撃波は水飛沫を上げながら、アルベルト達に迫ってきた。黒いそれは壁の如く立ちはだかり、逃れる場所などどこにもない。後退する暇もなく、アルベルトはとっさに、ティリー達を庇うように衝撃波と対峙した。

「我にご加護を! 堅固たる守護を与えたまえ!」

 とっさに唱えた祈りは守りの壁を築いてくれたものの、ほんの数瞬しか持たなかった。放たれた衝撃波は思いのほか強く、守護の祈りを突き破ってアルベルト達に襲い掛かったのだ。威力自体は減ぜられていたものの、踏みとどまれるほどではない。アルベルトは吹き飛ばされて、空中で半回転しながら弧を描いて飛び、まだ残っている魔法陣の上に叩きつけられた。

 不気味に脈打つ陣に手をついて起き上がろうとすると、防ぎきれなかった衝撃波が付けた傷がずきりと痛んだ。痛みをこらえつつ立ち上がると、滲み出た血が肌を伝って流れ落ちていく。傷の一つ一つは浅いが、何しろ数が多い。一番大きな脇腹の傷を押さえつつ視線を巡らすと、同じように吹き飛ばされたゼノが、痛みに呻きながらも立ち上がろうとしているのが確認できた。負傷しているものの、動けないほどではないようだ。別の場所では片膝をついたキーネスが苦しげに息をつき、座り込んだティリーは痛みに顔をしかめている。シリルは無事だったが、聖印の加護はすでにボロボロで今にも破れそうで――

 そこで、はたと気づいた。

(――! リゼは!?)

 リゼの姿が見当たらない。ティリーとシリルの近くにいたはずなのに。衝撃でどこかに弾き飛ばされたのか。振り返って魔法陣の中心へと視線を巡らすと、はたして彼女はそこにいた。

 “門”から伸びる黒い腕のようなものが、リゼを拘束している。生贄を求めているのか、黒い腕はリゼを“門”の中へと引きずり込もうとしていた。

 アルベルトは弾かれたように立ち上がると、傷の痛みも顧みずリゼの元へ走った。祈りを唱えながら剣を振り上げ、黒い腕に向かって斬り付ける。しかし、剣は僅かに腕に食い込んで、何かに引っかかったかのようにそれ以上進まなくなった。再度祈りを唱えても、悪魔を斬り祓うことが出来ない。逆に剣はずぶずぶと飲まれ、続けて噴き出した闇がアルベルトを包み込んだ。

 それは一瞬の出来事だった。実体化した悪魔が腕を掴んでいる。術で浄化しようとしても間に合わず、次々と纏わりついてくる。アルベルトは剣を振るう暇もなく完全に動きを封じられて、空中に吊り上げられてしまった。

「素晴らしい。この力があれば、こうして悪魔を使役することもできる」

 陶酔しているような口調でそう呟きながら、近寄ってきたマリウスはアルベルトを見た。正確には、アルベルトを拘束している悪魔を。逃れようともがいても、悪魔の力は凄まじい。腕をねじりあげられて、剣を握る手から力が失われていく。祈りを唱え悪魔を一体吹き飛ばしたが、その程度では焼け石に水だった。そもそも、聖印がない状態での術の行使は思った以上に負担が大きい。その疲れが今更やってきて、頭の芯が重くなったような眩暈に襲われた。

「――悪魔祓い師は悪魔堕ちすると天使の加護をなくして次第に力を失っていく。だが、貴様はまだ使えるようだな」

 悪魔から逃れようとするアルベルトを、マリウスは値踏みするような目で見た。そう、悪魔祓い師の力の減衰は思ったより緩やかだ。それとも、アルベルトは本当の意味で悪魔堕ちしたわけではないからなのか。今はまだ、悪魔祓い師の力を使える。けれど、

「しかし聖印を手放し、剣は安物の騎士の物。その状態でよく悪魔祓い師の力を使う気になるものだ。その程度の力では大したことは出来まい」

 そうだ。この剣ではほとんど術の助けにならない。聖印もない。力はあっても、それを発揮できないのだ。

「どうやら本当に悪魔の力を得ていないようだな。何故力を得ようとしない? この力があれば、どんな望みも叶えられるというのに」

 飛び交う悪魔を従えて、マリウスは疑問を口にした。悪魔達は獲物を狙う獣のように、赤い目でアルベルトを睨みつけている。一体一体は小さいが、それらが大量に集まっているために凄まじい力を内包しているのが分かる。それを操るマリウスも同じ。だが、この人はまだ満足していない。スミルナの全てを犠牲にしてまで、力を求めようとしている。街一つを贄にしたら、一体どれほどの力になるのだ? どれほどの悪魔が喚び出されるのだ?

 その力があれば、どんな望みも叶えられるのか?

「……そんなもの」

 拘束された左手を動かして、ポケットの中に入っているものを握り込む。冷たい十字架と鎖の感触。まだこれがある。聖印よりは弱いが、これがあれば。

「俺が欲しいのは、悪魔に苦しむ人を救う力だ。誰かを守る力だ。悪魔の力じゃない!」

 ロザリオを握り締めて素早く祈りの言葉を唱えると、マリウスの周りに光の鎖が出現した。悪しきものを捕える術。鎖はマリウスの身体に巻き付き、その動きを拘束する。マリウスにとっては予想外の反撃だったようだが、隙を見せたのはほんの短い間のこと。すぐに悪魔を呼び寄せると、光の鎖を浸蝕させ、バラバラに引きちぎった。

 だが、それで十分だ。一瞬だけでも気を逸らせられればいいのだから。

「その汚い口を閉じなさい!」

 ティリーの掛け声と共に、マリウスの元に無数の水晶の槍が飛来した。槍はマリウスの顔めがけて降り注ぎ、術者の言葉通り喋る機能を奪おうとする。しかし、魔術は集結した悪魔の靄に飲まれ、塵のように細かく霧散した。悪魔を浄化する力を持たないティリーの魔術では、どうやっても悪魔にダメージを与えることはできない。魔術は悪魔そのものに干渉することができないから。だが、足止めするぐらいは出来るようだ。それに、悪魔憑きと言っても人間。魔術をくらえば、ダメージは免れない。

 防がれようとも構わず、ティリーは魔術を畳みかけた。水晶の槍に続いて現れた重力魔術の陣に、マリウスの注意がティリーの方へとそれる。術者の集中が途切れ、悪魔の統率が乱れた隙に、アルベルトは素早く祈りの言葉を唱えた。身体を掴んでいる悪魔を祓い、拘束を解き放つ。すぐに剣を構え、祈りを唱えつつマリウスに向けて振り下ろしたが、あっさりと避けられてしまった。だが、アルベルトの目的はマリウスではない。避けられたのをいいことに奴の横をすり抜けると、アルベルトは湖に引きずりこまれかけているリゼに手を伸ばした。

 しかしその瞬間、湖の中から黒い靄が飛沫を上げて現れた。行く手を遮るようなそれにアルベルトは踏鞴を踏む。それでもアルベルトは手を伸ばしたが、勢いを失ったそれは求めていたものではなく、何もない空間を掴んだだけだった。

 いまだ目覚めないリゼはいとも簡単に水の中へ飲まれていった。湖中に開いた“地獄の門”に引き寄せられて、彼女の姿は見る間に遠ざかっていく。“門”の黒い闇の中。渦巻く悪魔に囚われて、姿も、その魂の輝きすらも黒に覆われて視えなくなっていく。

「悪魔を喚ぶには贄がいる。恐怖を、嫉妬を、驕慢を、悲哀を、怠惰を、憤怒を、憎悪を抱いた人間を」

(悪魔ヲ喚ブニハ贄ガイル。恐怖ヲ、嫉妬ヲ、驕慢ヲ、悲哀ヲ、怠惰ヲ、憤怒ヲ、憎悪ヲ抱イタ人間ヲ)

 ――アクマヲヨブニハニエガイル。キョウフヲ、シットヲ、キョウマンヲ、ヒアイヲ、タイダヲ、フンヌヲ、ゾウオヲダイタニンゲンヲ。

 背後から聞こえた低い声に、いくつもの濁った声が重なっている。振り返ると、すぐそこに悪魔を従えたマリウスが佇んでいた。

「魔女も魔王(サタン)復活の礎となれるなら本望だろう」

(魔女モ魔王(サタン)復活ノ礎トナレルナラ本望ダロウ)

――マジョモサタンフッカツノイシズエトナレルナラホンモウダロウ。

 いくつもの声をだぶらせた哄笑が響く。今喋っているのは一体誰なのだろう。マリウスか。それとも悪魔か。声はめまぐるしく入れ替わりながら響き渡っている。マリウスの背後に視線をやると、ティリーが倒れ伏しているのが見えた。やはり魔術では敵わなかったか。ゼノとキーネスが、彼女を助け起こしている。再び増え始めた悪魔の渦の中、聖印の結界がかろうじて彼らを護っている。だがそれももう持たないだろう。悪魔を浄化しない限り。この際限のない悪魔の出現を止めない限り。

 衰えていた悪魔の湧出が、少しずつ勢いを取り戻していく。不気味な赤い光が輝きを増していく。“門”がリゼから力を吸い取っているのか。湧出が緩やかなのは、まだ彼女が完全に飲まれていないからか。“門”の縁では、地底湖の水が滝のように流れ落ちている。悪魔を吐き出すかたわら、“門”は周囲のものを貪欲に飲み込もうとしている。その流れる水の中に、銀に光るものがあった。

 ――そうだ。

 流れゆく銀色を見た瞬間、アルベルトは身を翻した。剣を納め、銀に光るそれを掴む。掌に伝わる冷たくなめらかな感触。表面に施された精緻な文様。掘り込まれた正五芒星が水にぬれて光っている。だが、その輝きは鈍い。悪魔の穢れで銀槍は黒ずみ、本来の輝きを失っていた。

「神の名の下に正し清めよ。穢れなく歪みなく、無垢なるものと為らんことを!」

 アルベルトが祈りを唱えた瞬間、銀槍の表面に光が奔った。黒い穢れが弾け飛び、銀槍は輝きを取り戻していく。正五芒星が銀に煌めき、聖なる力を取り戻すのを感じた。銀槍はマリウスの手にあった時よりも強い煌めきを放ち、地底湖に閃光を奔らせる。アルベルトは銀槍を逆手に持ち帰ると、“地獄の門”めがけてそれを振り上げた。

 “門”が彼女を囚えているなら、“門”そのものを破壊するしかない。単純な方法。だが、相応の力がなければ為しえない方法。騎士の剣では無理だ。だが悪魔祓い師の銀槍があればできるかもしれない。そこに賭けるしかなかった。

「神よ、我に祝福を。汝は我が盾、我が剣なり。その栄光は世々に限りなく、あまねく地を照らす。至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!」

 祈りの聖なる力が“門”に向かって迸った。聖なる力は“門”を駆け巡り、悪魔を消し飛ばしていく。全身全霊を振り絞って、アルベルトは祈りの力を注ぎ込んだ。果たして自分一人の力でこの門を破壊できるだろうか。リゼを囚える闇を祓えるだろうか。手の中で銀槍が熱を持って震えている。“門”からほとばしる悪魔の力が異物を排除しようとしている。“門”を破壊する前に、銀槍の方が先に砕けてしまいそうだ。だがもうすぐ届く。“門”の闇が浄化されて吹き飛んでいる。その先に垣間見える魂の輝きを、アルベルトの眼ははっきりと捉えていた。

 しかし、手が届きそうになった瞬間、身体がバラバラになりそうな程の衝撃に襲われた。一瞬気を失いかけたが、気力で意識を留める。しかし槍の方は耐えきれず、甲高い音を立ててバラバラに砕け散ってしまった。

 武器がなくなり、祈りの聖なる力は霧散して消えてしまった。その途端、噴き上がる黒い靄が、アルベルトが削った“門”の綻びを埋めていく。傷ついた“門”が瞬く間に修復されていく。それと共に、闇の中に垣間見えていた陽光のような輝きが、再び黒に覆われて視えなくなっていった。

 アルベルトは使い物にならなくなった槍の残骸を放り出すと、ためらうことなく“門”の闇の中へ手を突っ込んだ。冷たく絡みつくような感触に怖気を覚えながらも、それでも暗闇の中に手を伸ばす。そうしているうちに、アルベルトの右手へ、腕へ、湖水に浸かった胴体へ、“門”の闇が浸食し始めた。祈りが間に合わない。剣を抜くことも出来ない。ロザリオの力はあまりにも小さく、浸食を阻むことは出来ない。マリウスの勝ち誇ったがのような嗤い声が、悪魔の不明瞭な叫び声が、耳元で煩いほど響いている。ともすれば意識を持って行かれそうになりながら、それでもアルベルトは手を伸ばした。そこにいるはずの、太陽のような輝きを持つ魂を救うために。そして、

「リゼ!!」

 彼女の名前を呼んだ瞬間、暗闇の中に伸ばした右手にやわらかいものが触れた。

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