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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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神聖なる悪魔の苗床 18

 黒い衝撃波が四方へと放たれた。

 避けることは出来なかった。至近距離で直撃を喰らって、リゼは後方へ吹き飛ばされた。なんとか受け身を取って体勢を立て直し、肉の上に着地する。だが、これでまた振り出しに戻ってしまった。少女の周りには黒い靄が中心にいる者を護るように飛び交い、渦を巻いている。これでは近づくのも容易ではなさそうだ。

「シリル……!? なんで……」

 悪魔教徒の黒ローブを身につけたシリルを見て、魔物の相手をしていたゼノは絶句した。悪魔教徒に攫われ、儀式の生贄にされたのではないかと危惧していたが、まさかこんなことになっているとは。魔法陣から立ち上る赤い光が、シリルの薄汚れた顔を照らしている。その瞳は、悪魔を表す血の色だ。

「聖印を持っていないと分かった時点でこうなる予想はついていたけど……」

 まさかたった数日で自我を失うほど侵食が進むとは。“憑依体質(ヴァス)”であるおかげか、赤い瞳以外目立った肉体的変化はないが、虚ろな目で立ち尽くしているだけでこちらの声に答える様子はない。虚空を見つめたまま、ただぶつぶつと何かを唱えている。それに呼応するかのように、魔法陣は不気味に蠢いた。

 シリルが悪魔召喚の儀式を行っているのだ。儀式の生贄ではなく、発動のための術者に。シリルに悪魔召喚の心得があるはずもないのだから、おそらく彼女に取り憑いた悪魔がそうさせているのだろう。

「やっかいね」

 衝撃波を警戒しながら、リゼはシリルの様子を窺った。悪魔憑きが悪魔祓いを拒んで暴れるのはいつものことだが、シリルに憑いている悪魔はかなり強い。以前シリルに憑いていた悪魔と今回とでは一段違う。黒の衝撃波で焼かれた肩と右足がずきりと痛んだ。

「ど、どうなってんだ? どうればいい!?」

 気が動転しているのか、駆け寄ってきたゼノは中途半端に剣を構えたまま、シリルを凝視した。状態としてはただ悪魔に取り憑かれているだけなのだが。

「どうすればもなにも、あの子に取り憑いている悪魔を祓えばいいだけよ」

 リゼは冷静に言って、シリルの動向を注視する。別に、シリルはシリル自身の意志でこんなことをしているわけではない。彼女の意志による行為なら手の出しようがないが、悪魔に器として使われているだけなら問題ない。前回のように悪魔を祓えばいいだけだ。“憑依体質(ヴァス)”だろうとなんだろうと、リゼの悪魔祓いの術なら悪魔を取り除ける。そうすれば、自動的に召喚の儀式も中断される。

「そのためには、どうにかして近づかないとね。『――凍れ』」

 再び襲ってきた衝撃波を魔術で防ぐと、リゼは怪我の痛みを意に介さず再びシリルの元へ走った。疾走するリゼを阻むかのように、黒い衝撃波と新たに現れた魔物が襲い掛かる。身を守るように氷壁を発生させると衝撃波はそれに相殺されて、ちょうど良い通り道が出来た。だがそこを抜けると、衝撃波に続いて魔物が飛び出してくる。リゼは魔術で迎え撃とうとしたが、その前に、大剣が飛び掛かろうと魔物を斬り伏せた。

「リゼ! シリルを頼む!」

 魔物を牽制したゼノがそう叫ぶ。リゼは聞くが速いか身を翻し、魔法陣の中心を目指した。魔物は彼らが抑えてくれる。余計な邪魔が入る前に、シリルを魔法陣から引きはがさなければ。

 すると中心に近付くリゼを阻むかのように、魔法陣から黒い靄が噴き上がった。

それは雲のように掴み所がないのにリゼの身体に纏わり付き、身動きを封じてしまった。悪魔の邪気が身体に重くのしかかり、立っていられないほどの圧迫感と吐き気に襲われる。その重さに身動き一つ出来なくなるまで時間は掛からなかった。

『悪魔よ消え去れ!』

 黒い靄を抜け出そうと、浄化の術で周りの悪魔を消し飛ばす。だが消しても消しても悪魔は次々と沸いて来る。悪魔が湧きだす速度が速すぎて、浄化の術が追い付かない。その間にも悪魔はリゼに纏わり付き、その魂に手を伸ばそうとした。

 ――ネエ。ナンデコンナコトシテルノ?

 ――コンナコトシテモダレモホメテクレナイヨ?

 ――スベテノアクマヲホロボスナンテデキッコナイ

 ――ソンナユウキモナイクセニ。

 ――アキラメヨウヨ。アキラメテニゲダシチャエ。

「……うるさい」

 ――アキラメヨウ。

「うるさい!」

 悪魔の声が頭の中にガンガン響く。振り払おうと浄化しても、消えずに付き纏って来る。まだ発動していないのに、マリークレージュの召喚魔法陣よりも強力だなんて。このままではキリがない。

「……シリル!」

 重い身体に鞭打って、目の前の少女に手を伸ばす。この子を魔法陣の中心から引きはがせば召喚は止まる。噴き出す悪魔を掻き分けてシリルの腕を掴むと、少女は虚ろな目でリゼを見下ろした。

「――!」

 突然凄まじい力で腕を引かれて、リゼはバランスを崩した。踏み止まることは出来ず、前のめりになって倒れ伏す。同時に、足元の魔法陣を構成する肉の筋がぱっくり口を開けた。避ける間もなく、リゼは穴の中に飲み込まれた。




 落ちた先は水の中だった。地底湖の水は悪魔の邪気にまみれていて、瞬く間に四肢に纏わりつく。それから逃れようともがいていると、少女とは思えない力でリゼの腕を掴むシリルが初めて表情を変えた。虚ろな表情から、目論見が成功した時の得意げな笑みへ。いや、シリルではない。彼女に取り憑いている悪魔が嗤っている。

 ――オマエモイケニエダ。

 シリルの唇から、少女のものではない声が零れ落ちた。

 ――オマエモイケニエダ。

 ――ヒキズリコンデヤル。

 ――ミズウミノソコヘ。

 ――“門”ノナカヘ。

 ――地獄(ゲヘナ)ヘ。

 ――コノコムスメトトモニ。

 ――イケニエトナレ!

 悪魔は嗤った。勝ち誇ったように高らかに。水中なのに、悪魔の嗤い声はうるさいほど響き渡る。それと呼応するかのように周囲の悪魔達も嗤い始めた。不快な嗤い声が合唱のように幾重にも重なって響く。甲高い、あるいはしわがれた不愉快な声に頭痛がする。頭を抱えて痛みに身体を折るリゼを、悪魔は高らかに嘲笑った。

(――いい気になるな)

 悪魔に纏わりつかれながらも、リゼは意識を集中させた。奴らの思い通りになどなるものか。リゼはシリルの腕を握り返し、魔力を高めていく。渦巻く力が身の内から溢れ、光となって放たれた。

『虚構に棲まうもの。災いもたらすもの。深き淵より生まれし生命を喰らうもの。理侵す汝に我が意志において命ずる!』

 悪魔祓いの術を唱え始めたリゼを見て、シリルに憑く悪魔は笑みを驚きと怒りに変えた。少女の整った顔を醜く歪め、悪魔は怒りのままに咆哮を上げる。腕に爪が食い込み放たれた衝撃波が身体を襲ったが、術の詠唱は止めなかった。

『彼の者は汝が在るべき座に非ず。彼の魂は汝が喰うべき餌に非ず』

 光が暗い地底湖を照らし出す。悪魔は焦ったような咆哮を上げる。黒の衝撃波のせいで、身体には無数の細かい傷が刻まれた。だが痛みにこらえながらも、リゼは悪魔祓いの術を紡ぎ続ける。しかし、

『惑うことなく、侵すことなく――』

 腕に食い込んだ指が緩んだかと思うと、シリルの小さな両手がリゼの喉に絡みついた。

 ――シネ。

 途端、細い指がリゼの喉に食い込んだ。さながら細い紐で締め上げられているようで、頭に血が溜まって意識が朦朧となる。引き剥がそうにも、手はびくとも動かない。振り払うには骨を砕くなり切断するなりすればいいのだけど、シリルの身体にそこまでするわけにはいかない。容赦なく締め付けてくる悪魔を睨み返しながら、リゼは構わず詠唱を続けた。

『汝が在るべき、虚空の彼方……我が意志の、命ずるままに……疾く去り行きて消え失せよ!』

 極限まで高めた悪魔祓いの術がシリルを包み込んだ。光が立ち上り、それに触れた悪魔が次々に消滅していく。悪魔祓いの術はシリルの中の悪魔を全て炙り出し、身体の外へとはじき出した。

『悪魔よ消え去れ!』

 放たれた浄化の閃光が悪魔を貫いた。魚のような姿をした悪魔は醜く甲高い断末魔を上げる。真っ黒な身体は閃光が空けた穴からぼろぼろと崩れ、塵も残さず消え去った。

 悪魔を貫いた閃光は水中を突き進み、触れた悪魔を次々と浄化していった。真っ黒な地底湖の中に、一筋の道が出来上がる。

 ――シリルを外に出さなければ。

 力を振り絞って、リゼは風の魔術を唱えた。意識のないシリルを風の結界が包み込み、シャボン玉のように浮かび上がる。リゼはそれに浄化の術を纏わせると、水面に向かって打ち上げた。

 結界は水面へ急上昇して、魔法陣を突き破って外へ飛び出した。これでアルベルト達がシリルを助けてくれるだろう。それから、リゼは自分も脱出しようと魔術を使おうとした。

 だが風の魔術が完成する前に、身体からすうっと力が抜けていくのを感じた。突然首を絞められるような圧迫感と共に息苦しさを覚え、身体が鉛のように重くなる。重い。魔物に水の中へ引きずりこまれた時よりずっと強く、重たい水がのしかかる。身体が動かない。魔術を唱えようにも、冷たく纏わりつく水が集中力をも削いでいく。

 ――アキラメヨウ。

 頭の中に声が響く。悪魔だ。悪魔が耳元で囁いている。リゼの四肢に纏わりつき、湖の底へ引きずりこもうとしている。

 ――アキラメヨウ。

 ――ウフフ。

 ――ソンナコトシタッテムダダヨ。

 ――アハハ。

 ――ムダナノニドウシテヤルノ? ソンスルダケナノニ。

 ――ウフフアハハ。

 再び悪魔の声が頭に響く。嗤っている。大人とも子供とも、男とも女ともつかない声で嗤っている。振り払いたくても術が使えず、重い身体を必死に動かしても浮き上がれない。足掻きながら水面を見上げると、濃い闇の中にも関わらず、悪魔を吐き出す魔法陣がはっきりと見えた。そこから生える血管のような赤黒い管が、湖底に向かって柱のように伸びていることも。その先に、夥しい数の肉塊があることも。

 魔法陣を作るために身を捧げた悪魔教徒達だ。

 ――アンナフウニネムリニツケタララクナノニネ。

 また悪魔の囁きが頭に響く。うっとうしい。やめてくれ。空気を吸えなくて、意識が朦朧とする。身動きどころか、考え事もまともに出来なくなってきた。

 ――ツライコトナンテシタクナイ。

 ――ゼンブナゲダシテシマエタライイノニ。

 うるさい。黙れ。そんなこと言っていられる状況じゃない。

 ――ニゲダシタイ。ホントウハコンナコトシタクナイ。

 ――ツライ。コンナウンメイヲセオワサレテツライ。

 うるさい。

 ――クルシイノニダレモワカッテクレナイ。ダレモワカラナイ。

 ――ミンナジブンカッテニスガリツイテクルンダ。ヒトノキモシラナイデ。

 ――ソレガツライノニ、ダレモワカッテクレナイ。

 黙れ!

 ――シンパイスルフリナンテイラナイ。ホントハソンナコトオモッテナイクセニ。

 ――ツライ。クルシイ。デモダレモリカイシナイ。ダレモシンヨウデキナイ。

 辛い、苦しい。ここから出なければ。今すぐに。溺れてしまう前に。

 ――モウオソイヨ。モドレナイヨ。フツウニハナレナインダ。

 ――ドンナコトヲシテモムダナンダ。イッショウコノママ、ツライコトバッカリ。

 出なければ。外に。出たいのに。

 ――ソレナノニ、ソトニデテドウスルノ?

 外に、出て……

 ――ツライナラ、

 ――ココデズゥットネムッテイレバイインダヨ。

 出られない。ここから出られない。

 誰か――。

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