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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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神聖なる悪魔の苗床 16

「よく食べるな。この状況で」

 乾パンをガツガツ平らげていくゼノを見て、キーネスは呆れ気味にそう言った。この辺りには汚水が流れていないとはいえ、ここは仮にも下水道である。異臭はしないまでもむせ返るような水の臭い、そして息苦しさを覚えるほどの悪魔の気配に満ちているのに、ゼノは構うことなくパンを平らげていく。

「腹が減っては戦は出来ねぇだろ。シリルを助けなきゃいけないんだからな! あ、オレはもう大丈夫だから残りはアルベルトにあげてくれ」

「いや、俺はそんなに食べなくても――」

「五日もまともに飯食ってないんだからちゃんと食べろよ。お前が倒れたら困るんだからな」

「あら、貴方達五日間も絶食してたんですの? ならもっと胃に優しいものを食べないと却って体調を崩しますわよ」

 いま体調を崩されても面倒見きれませんわ、とティリーは言ったが、ゼノは気にした様子もなくパンを咀嚼している。キーネスが止めないあたり、ゼノの胃袋は鉄製で、これぐらいのことはなんともないのかもしれない。実際、パンをしたたか食べたゼノは体調が悪くなる様子も見せず、やたら元気になっていった。

 そうこうしているうちに巨人の魔物と交戦した地底湖に戻ると、そこは奇妙な静寂に包まれていた。魔物はあらかた倒したとはいえ、岸辺に行っても今度は何も出てくる様子がない。まさか、番犬はあれだけだったのだろうか。湖面を氷雪の魔術で凍らせて奥を目指しながら、リゼは周囲を見回した。

「魔物が出てくる前、あの辺りに誰かいたわよね」

 リゼが指差したのは、湖の右手にある小さな岩場。だが、もう移動してしまったのだろう。カンテラの明かりを翳しても、そこに人影は見当たらない。一体誰がどこへ行ったのか。

「魔物と戦っている最中も何度か見てみましたけど、人の姿は見えませんでしたわ。最初にキーネスがナイフを投げた後、すぐに逃げてしまったんでしょう」

 悪魔教徒にしてはあっさりしすぎている気がするが、魔物の使役以外戦いに向いていないのかもしれない。アルベルトも油断なく周囲を見回しているが、敵は見当たらないようだ。悪魔の気配の濃さは変わっていないが、魔物が現れる様子もない。先程とは打って変わって、リゼ達は驚くほど簡単に地底湖を渡り終えた。

「ここね」

 濃い気配が渦巻く場所で、リゼは足を止めた。そこは地底湖の最奥。狭い岸辺と石筍、硬い石壁があるだけの場所だ。悪魔の気配はするが、魔物一匹そこにはいない。

「この通り、壁があるだけの行き止まり。ここ以外も似たようなものだ。通り道に出来そうなところはない」

 キーネスがそう言ったが、アルベルトは壁に近寄って、じっくりとそれを見た。リゼも岩壁を見たが、特に変わったところはない。嫌な気配はするが、触れても冷たい岩の感触があるだけで、おかしなところはなさそうだ。しかし彼の眼には、ただの岩壁でない別のものが視えているようだった。

「いいや。これは壁じゃない」

 アルベルトは壁から手を離すと、腰の剣を抜き放った。それを構え、切っ先を目の前の壁に向ける。

「神よ。我が眼を惑わす幻影を打ち砕く力を与え給え」

 祈りと共に振り下ろされた剣は輝く白い軌跡を描いた。それは音もなく岩壁を通り抜け、一本の線となって表面に浮かび上がる。線は一際強く輝いた後、ふっと消え失せた。

 次の瞬間、岩壁がぐにゃりと歪んだ。硬い岩と思われたそれは、白い軌跡が奔った場所から砂のように崩れていく。砂は足元を流れていき、地底湖に注いで消失した。この岩の壁は本物ではない。何者かが創り上げた幻だったようだ。幻が消え失せた先には、割れ目のような通り道が一本、奥へ伸びていた。




 割れ目の先にあったのは、もう一つの広大な地底湖だった。

 一つ目と違って、こちらの湖は真円に近いようだ。天井からはいくつもの鍾乳石が垂れ下がり、時折、水を滴らせている。足場に出来る岩場はほとんどなく、まるで水瓶の中にいるようだ。だがこの湖の異様な風景を見るに、水瓶と言うより何かを培養するための器と言った方がよさそうだった。

 地底湖の水面には、不気味な肉の筋ともいうべきものが、一面蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。立ち込める異臭。地底湖の水を濁らせているのは生活排水ではなく、肉の筋から滲み出る赤黒い体液だ。そして湖の中央には、黒い靄が竜巻のように渦を巻いて立ち上っていた。

「――魔法陣だ」

 地底湖全体を見渡していたアルベルトがそう言った。

「これが召喚魔法陣を描き出しているんだ」

 逆五芒星。反転した神聖文字。魔法陣が大きすぎるのと肉の筋が節だらけなせいで分かりづらいが、確かに悪魔の象徴(シンボル)を描いている。マリークレージュで見たものと同じだ。それも、マリークレージュと違って少しだけ動いているらしく、中心からは悪魔が滲みだし、渦を作っている。そのせいで、かなり悪魔の気配が濃い。

「気持ち悪いな……」

「気分のいい光景ではないな」

 眉間に皺を寄せてゼノはぽつりと呟き、キーネスもそれに同調した。ゼノは相当気持ち悪いのか渋面を作り、考え込むように虚空を見る。

「それもだけど、なんていうか、圧迫感があって胸やけがする」

「さっき食い過ぎたせいだろう」

「ちげーよ! ここに入ったらいきなりなったんだよ!」

 ゼノは全力で反論したが、キーネスは涼しい顔をしている。あれだけガツガツ食べたら胸やけの一つや二つ起こすだろう――と思うが、おそらく胸やけは食い過ぎのせいではないだろう。その証拠にキーネスも、表情こそ変わらないものの、鬱陶しそうに呟いた。

「気分が悪いな。息苦しい」

「おまえも食い過ぎなんじゃないか?」

「そんな馬鹿食いはしていない。お前と一緒にするな。――これは悪魔のせいか」

 二つ目の地底湖は、先程とは比べものにならないほど濃い悪魔の気配で満ちていた。一般的に非魔術師は悪魔の気配を感じ取りにくいようだが、ここまで濃いとゼノやキーネスでも体調に響くほど気配を感じるらしい。

「うー……気持ち悪いですわ……」

 そして魔術師のティリーはというと、気配に当てられたらしく顔をしかめて膝に手をついていた。今回はオーバーリアクションでもなんでもなく、本当に気分が悪いらしい。マリークレージュの時は気配が拡散していたから平気だったようだが、今回は広いとはいえ閉鎖空間に充満しているからきついようだ。

 リゼは一歩前に出ると、意識を集中させた。足元に魔法陣が出現し、全員が入る大きさまで拡大する。そこから光が立ち上り、煌めきが地底湖を照らし出した。

『穢れよ。消え去れ』

 文言を唱えると、魔法陣が一際強く輝き、光の帯が螺旋を描きながら立ち上った。帯に触れた黒い靄は甲高い断末魔の声を上げ、次々と消滅する。次いで周囲の闇――悪魔達の黒い影も、浄化の光を恐れるように後退した。

「多すぎるわね」

 周囲を見回しながらリゼは呟いた。ここは悪魔が多すぎて、一度に浄化出来る数には限りがある。こんな端っこでちまちま浄化していてはキリがない。根本から解決するには、魔法陣を破壊しなくては。

 すると、リゼを見ていたアルベルトが剣を抜いて構えた。

「至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を」

 アルベルトは祈りと共に、足元に広がる肉の筋に剣を突き立てた。祈りの聖なる力が炸裂し、肉塊は炭のようになってボロボロと崩れていく。しかしそれも一時のこと。肉の筋はすぐに再生し、元の形状を取り戻した。

「やはりここでは駄目だ。魔法陣の要を叩かなければ」

「そうした方が良さそうね」

 この召喚魔法陣はすでに起動している。いつでも本格的な悪魔召喚を始められるだろう。その前に魔法陣を破壊するか、それとも術者を止めるか。どちらにせよ魔法陣の中心へ行かなければならない。

「――妙だな」

 すると、油断なく周りを警戒していたキーネスが怪訝そうに呟いた。

「何故悪魔教徒が出てこない」

 その指摘に、リゼははっとした。そういえば、何故悪魔教徒の姿が見えないのだろう。アルベルト達が遭遇したという悪魔教徒を除けば、魔物はいるのに悪魔教徒の姿はどこにもない。あの肉塊の陰にいるのか? カンテラの光が届かない闇の中に潜んでいるのか? それとも出払っているのか――

「え、ちょっと、まさか――」

 すると、不意に湖面を覗き込んでいたティリーが驚愕の声を上げた。リゼが周囲の悪魔を浄化したおかげで体調不良はなくなったようだが、何を見たのか顔は引きつっている。何事かと思っていると、ティリーは振り返って無言で水面を指した。直接見てみろということらしい。リゼはティリーの隣に行くと、同じように水面を覗き込んだ。

 はたしてそこには、水を吸って白く膨れ上がった一本の腕が漂っていた。元の大きさを推測するに大人のものだ。しかもそれは切断されているのではなく、ある場所から生えていた。――水面に張り巡らされた、肉の筋から。

 根元を見ると、生えているのは腕だけではなかった。ほとんど崩れているが、髪の抜け落ちた頭部、濁った眼、かろうじて輪郭だけ残った鼻。顔だ。水を吸ってぶよぶよに膨れた人の顔。しかしそんな状態でも、額に描かれた印だけは、はっきりと読み取ることが出来た。

「逆五芒星……? こいつ、悪魔教徒なの?」

 それが、肉の筋に取り込まれていて魔法陣の一部になっている。いや、むしろ、

「ひょっとしてひょっとしなくても、この魔法陣は悪魔教徒の肉体で構成されているのでは……」

 ティリーは顔をひきつらせながらそう言って、じりじりと後退する。すでにリゼ達は魔法陣の上に乗っている状態なので水中の悪魔教徒から離れても意味がないのだが、気分の問題なのだろう。引いているティリーの後ろでは、キーネスとアルベルトが話していた。

「しかし、魔法陣を描くためだけにこんなことをしたというのか?」

「神聖都市のスミルナで悪魔召喚をしようと思うなら、まず儀式が出来るほどの穢れに満ちた場が必要なはずだ。たぶん、そのために……」

 それだけでなく、悪魔教徒は生贄でもある。だからこの魔法陣は動いていて、悪魔を喚び出すことが出来るのだ。スミルナ全土を飲み込むには至っていないようだが。

「シリルは……? シリルはどこにいるんだ?」

 すると、周囲を見回しながら、ゼノが不安げに言った。悪魔教徒が彼女を生贄に使うつもりなら、間違いなくここにいるはずだ。しかし姿が見えない。地底湖は広いので見える位置にいないだけかもしれないが――魔法陣の一部になっていなければ。

「シリルかの確証はないが、あそこに誰かいる」

 すると、アルベルトが中央の黒い渦を指して、そう言った。あそこは魔法陣の中心だ。そこにいるのはシリルか、はたまた悪魔召喚の発動術者か。ともかく、あの渦を浄化してみれば分かることだ。リゼ達は周囲の様子を窺いながら、中心に近づこうとした。

 だがその瞬間、背後から白い閃光が奔った。光は音もなく空を駆け、アルベルトの背を狙う。着弾する直前、アルベルトは振り返り、剣を抜いて光を弾いた。

「アルベルト・スターレン。もう脱獄していたんですか」

 地底湖の入り口を覆う薄い靄が、ゆらゆらと揺らめいた。とん、とん、と革靴で岩を踏みしめる音が響く。空中を漂っていた黒い塵が二つに割れて、さあっと晴れていった。足音が近づき、晴れていく塵の中から一人の人間が現れる。くすみのない白のローブ。金糸で縫い取りされた五芒星。手には銀色の槍が握られている。純白の悪魔祓い師の出で立ち。その白は洞窟の闇の中で、カンテラの明かりを受けてぼんやりと浮かび上がった。

「やれやれ。こんなところにいるとは思いませんでした」

 現れた悪魔祓い師は、アルベルトを見て気取った声でそう言った。

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