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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
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マリークレージュの闘争 2

「はあ、どうしてこうなったのかしら」

 住宅地と思われる小さな通りを歩きながら、ティリーはそう呟いた。

 現在、アルベルトとティリーの二人はマリークレージュの西側地区を進んでいた。目的は、リゼを見つけること。リゼが建物を壊して敵を分断するなんていう無茶なことをやらかしたせいで、こちらまで彼女を見失ってしまったからである。とはいえ瓦礫と砂塵で最短距離で追うのは無理。さらにウィルツ達を撒くためにも、大きく迂回して行くことを選んだのである。

「すまない。ウィルツ達がこんなに速く追いつくとは思わなかった。速くマリークレージュを離れていれば……」

「そんなことは別にいいですわ。リゼが教会に追われている以上、こういう事態は十分想定できますもの。……そりゃあ、こんなに早く来るとは思いませんでしたけど。わたくしが不満なのは、今、この状況のことですわ」

「この状況?」

「はい。だって悪魔祓い師と二人っきりなんて息が詰まるだけですもの」

 ティリーはいつもの如くニコニコしてはいたものの、声音は驚くほど冷ややかだった。しかしそれも、次の瞬間にはなくなっていた。

「ああリゼ。早く合流したいですわ。聞くところによると、わたくしが気絶していた間に悪魔祓いの術を使っていたそうじゃありませんか。それをこの目で見られなかったなんて残念でなりませんわ。どうにかしてあの術を見せてもらいませんと」

 灰色の瞳をきらきら輝かせて楽しそうに語るティリー。もはやアルベルトのことなど眼中にないらしい。研究に対する情熱を燃やすティリーを見つつ、アルベルトは先ほどの言葉を反芻した。

(悪魔祓い師と二人っきりなんて息が詰まるだけ、か……)

 それはそうだろう。教会は悪魔研究を禁じている。それを破って研究することは、魔術の使用ほどではないにしろ、かなりの重罪なのだ。悪魔研究家(罰せられる側)悪魔祓い師(罰する側)と一緒にいたいとは思わないだろう。

「・・・・君はどうして悪魔研究をしているんだ?」

 一人盛り上がるティリーに、アルベルトは何気なく問いかけた。水を差されたティリーは不機嫌そうな顔をしたが、腕を組むときっぱりと言った。

「知りたいから知る。研究したいから研究する。それだけですわ。いけませんか?」

「しかし悪魔は危険だ。魔術が使えたとしても、民間人が対処出来るものじゃない」

「わたくしは子供ではありませんわ。危険は承知しています。それに悪魔研究は、必要あって生まれたものですもの」

 ティリーはさらに続けた。

「悪魔に憑かれて死ぬ人は多い。同様に魔物に襲われて死ぬ人も多いですわ。教会は肝心な時に助けてくれませんし、自分達の身は自分達で守るしかない。それによりよい安全を得るためにも知識は必要ですわ。教会は、『普通の人間が悪魔と関わるのは危険だ』なんて言って、悪魔研究を禁じていますけど、本当は悪魔に関する知識を独占したいからじゃありませんの?」

「それは―――」

「もっと正確に言いましょうか? 教会は、悪魔研究が進むことによってミガー王国が力を持つことを避けたいんでしょう。違いまして?」

 この世界には二つの国がある。一つはマラーク教を国教とし、教会が権力を握る神聖アルヴィア帝国。

 もう一つは魔術によって栄える異教の国。ミガー王国。五百年前、魔女狩りが最盛期を迎えた時代、迫害に抵抗した魔術師によって造られた国である。

「教会は、ミガー王国が悪魔に対抗する手段を見つけること。つまり教会に匹敵する力を持つことを恐れているんでしょう? 神に縋る他に悪魔を倒す力があると分かれば、信者は増えにくくなるしミガーに付け入る隙もなくなるしで良い事ありませんものね。

 魔術の事だってそうですわ。貴方達は魔術を使える者の事を魔女と言いますけど、魔女は『悪魔の力で人々に害をなす者』でしょう。わたくし達、魔術の奥義を知る『魔術師』は悪魔の力に頼ったりなどしませんわ。大体、魔女なんて女にしか使えないじゃありませんの。

とにかく、わたくし達は『魔女』ではなく『魔術師』ですわ。そこのところ、間違えないで下さいませ」

 それだけを一気にまくし立てて、ティリーは一息つく。そして今度は逆に、ティリーの方が質問した。

「せっかくだからわたくしも質問させて頂きますわ。貴方は何故、ラオディキアでリゼを助けたんですの? 魔女を狩るべき悪魔祓い師が、どうして?」

「それは、リゼが悪魔憑きを救っていたからだ。罪人と呼ばれる人たちも分け隔てなく、何の見返りも求めずに。そんな人が罪人として処刑されるのを黙って見過ごすわけには行かない」

「……それだけ?」

「それだけだが……他の理由はなんだろうな……」

 一番ストレートに出てくるのはそれだけで、他の理由は特にないような気がする。そうやって真剣に考えるアルベルトの様子を見たティリーは、

「……分かりました。とりあえず、それだけということにしておきますわ」

 それ以上聞くことを諦めたのだった。




「魔女め! 覚悟しろ!」

 お決まりの台詞を吐いて聞きかかってきた騎士は、リゼの一撃であっさり弾き飛ばされた。剣を振ると同時に、魔術で風を発生させたのだ。後に続く三人も、それに押されて転倒する。しかし懲りる様子もなく、数を頼りに次から次へと向かってくる。この狭い路地の中、大勢で押しかけるのは効率が悪いだろうに。

 とはいえ、それを忠告してやる義理も義務もない。リゼは騎士達を風で容赦なく吹き飛ばした。

 と、その時。

 真上から人影が降ってきた。そいつはリゼの背後に着地すると、素早く剣を振り上げる。突然のことで反応が間に合わず、避けたものの服が少しばかり斬り裂かれた。リゼは振り返り、そいつに向かって下から掬い上げるように剣を一閃させる。しかし、それは受け止められてしまった。

「……グラント!?」

 相手の姿を見たリゼは思わず驚きの声を上げた。どうやら木の下敷きになっていたわけではなかったらしい。

「何のつもり?」

 剣を合わせた状態で、リゼはグラントに問いかけた。グラントにはわざわざリゼと戦う理由はないはずだ。

「……あんたかアルベルトを捕まえたら、見逃してやるって言われたんだよ」

「見逃す?」

「オレはミガー人なんだ。それも正式な入国許可証を持ってねえ。それがバレちまったんだ」

 なるほど、密入国者か。それは重罪だろう。

「あんたには助けてもらったが、オレも死にたくねぇんだ。すまねえ」

言って、グラントは剣を思いっきりはねあげた。リゼの手から剣が弾き飛ばされ、離れたところに落ちる。丸腰になったところへ、グラントの横薙ぎが襲い掛かる。それを避け、後ろに下がったリゼの背に硬いものがぶつかった。壁だ。

「もらった!」

 グラントが剣を振りかぶる。その瞬間。

『凍れ』

 氷の魔術が発動した。渦巻く冷気。瞬きする間に、グラントは氷によって拘束されていた。

「ち、ちくしょうっ」

 グラントは必死で氷の戒めを解こうとするが、それぐらいで何とかできるようなやわなものではない。グラントがもがいている間にリゼは落とした剣を拾いに行った。

「捕まえたら見逃してやる、か。無理だと分かってるから言ったんでしょうね」

 リゼは剣を拾い上げ、グラントの方へ向き直った。

「私としてはそんなもの無視して、今のうちにマリークレージュを出てできるだけ遠くへ逃げることを勧めるわね」

「それができりゃあ苦労しねえよ。あんただって分かってるだろ」

「どうかしら。私なら、魅力的な獲物が目の前にいたら小物なんて放って獲物を狙う」

 そこで、リゼは魔術を維持することをやめた。氷が砕けて、グラントは自由を取り戻す。

「どうする? まだ私と戦う?」

「……いや、あんたには勝てない」

 グラントは首を振って剣を納めた。

「分かったよ。逃げればいいんだろ。簡単に言ってくれるぜ」

 やけくそ気味にグラントは言う。まあそれはともかく、逃げる気になってくれたのはよかった。このまま氷漬けにして放っておいたら教会の連中に回収されるだろうし、かといって御守りをしてやるほどの相手でもない。自力で何とかしてくれれば、面倒がなくていい。

「ところで、サニアもミガー人なの?」

「いいや、あいつはアルヴィア人だ。今日までオレがミガー人だって事を知らなかったし、悪魔研究家の連中がみんな魔術師だってことも知らなかった。普通なら、研究家の連中が絶対に雇ったりしない奴なんだよ。アルヴィア人で、魔術を心底恐れてる奴なんてな」

オレにくっついてきたから仕方なく雇ったのかと思ったんだがな。グラントは最後にそう独りごちた。

 ダレンは生贄にするつもりで二人を雇ったのだとメリッサは言っていた。どうせ殺してしまう相手なのだから、魔術を使っているところを見られても構わない。ダレンはそう考えたのだろうか。あるいは――魔術を恐れる人間を同行させることで、ティリーやレスターが魔術を使えないようにするためか? ティリーは騎士の集団に囲まれても、捕まりそうになっても魔術を使わなかった。『アルヴィアにいる間は人前で魔術を使わないようにしてきた』。リゼなどよりも、よほどそのあたりのことに気を使っているティリー達のことだ。アルヴィア人に見られる可能性が少しでもあるのなら、よほどの事態にならない限り魔術を使ったりしない。そして、魔術さえ封じてしまえば、二人を生贄にするのはより楽になる。ということなのかもしれない。ダレンがそう考えたかどうかは、今となっては分からないが。

 確かなのは、サニアのせいで教会の奴らに見つかってしまったということだ。

「サニアは教会の奴らに私達の事を教えられたわけね。悪魔祓い師ではなく魔女だと」

「まあな……しかも手伝ったら報酬を出すって話につられて、あんたらのうち片方をおびき出す役まで引き受けたんだ。確かにあいつは相当金に困ってるらしいけどよ」

 グラントはそこで言葉を切ると、

「ところでよ、その……手配書の内容はマジなのか? いや、全部信じてる訳じゃねえんだが……」

「手配書?」

 グラントは懐から二枚の紙を取り出した。なかなか上等な紙である。それを受け取って広げ、中身を読み――

 リゼは思いっきり顔をしかめた。




「リゼったら一体どこへに行ったのかしら。こうも広いとなかなか見つかりませんわね」

 人気のない路地を延々と歩いた後、ティリーは切なげにため息をついてそう呟いた。

 二人が進むマリークレージュ西区はまさに迷路だった。おそらく人口が右肩上がりに増えていた時期に、区画整理など考えず家を次々と建てたのだろう。路地や枝道が多すぎて、どっちへ行ったらいいのやらわからない。結果、人探しも難航しているというわけだ。それは騎士達も同じらしく、向こうの戦力もかなり分散されているようだが――

 それでも、見つかるときは見つかるらしい。

「……誰か来る」

 あたりを見回したアルベルトは、後ろから迫る気配に気がついて剣の柄に手をかけた。それを見たティリーも事態を察して身構える。そして、

「なんだ。おまえかよ」

 路地の暗がりからウィルツが現れた。その口調はどことなく残念そうである。

「ま、いいか。どっちにしろおまえも捕まえないといけないからな」

 そう言いながら散歩でもするような足取りでゆっくり近付いてくる。アルベルトは、視線はウィルツに向けたまま、小声でティリーに話しかけた。

「ティリー、ここは俺に任せて、リゼを探しに行ってくれ」

「は、はい?」

「悪魔祓い師の前で魔術を使いたくないんだろう?」

 ティリーはあっけにとられた様子でしばし沈黙したが、

「……わかりました。この場は任せますわ」

 くるりと身を翻し、路地の奥へと走って行った。

「あれもひょっとして魔女の仲間か? いつの間にあんなのが加わったんだよ?」

 話し振りから察するに、ティリーが悪魔研究家であることは聞いていないらしい。サニアが言わなかったのか、ウィルツが聞いていないのかは知らないが。

「ま、とりあえず、まずおまえを捕まえるか」

「ウィルツ、お前と戦いたくはない」

剣の柄に手をかけたまま、アルベルトは言った。仮にも元同僚で、神学校時代には机を並べた相手でもある。さして仲が良いとはいえなかったが、アルベルトとしては剣を交えたくはなかった。

「同期の誼みってか? 悪魔堕ちしても優等生なのは変わらねぇのな」

 相変わらずウィルツの口調は軽い。

「ついでに言うと魔女捕縛に協力したらお前の罪はチャラになるんだぜ? その辺分かってるか?」

「それは分かってる」

「へえ、じゃなんでやらない? 悪魔祓い師は辞めたのか?」

「いいや、俺は今でも悪魔祓い師のつもりだ。それに教会に戻りたくない訳じゃない。ただ今戻って何が出来るのか、何をすべきなのかまだ分からない。こんな状態なのに、彼女を売ってまで戻りたいとは思わない。それに、彼女は悪人じゃない。教会が彼女を処刑するというなら、俺は黙っているつもりはない」

 アルベルトはきっぱりそう言った。

「あんな色気のない女にたぶらかされたのか。真面目なのも考えものだな」

 すっかり呆れた様子でウィルツは言った。

「おまえの親父さんが嘆くだろうな。ああ、あとあいつもか。おまえみたいな優等生が誓願(きまりごと)を破るなんて」

「誓願、か」

悪魔祓い師には必ず守るべき三つの誓願がある。

悪魔に惑わされぬ『清廉』さ。心身を清浄に保つ『純潔』。神と教会への絶対的な『服従』。これを破ることはすなわち神に逆らうこと。神に逆らう者はたとえ悪魔祓い師であろうと許されない。いや、悪魔祓い師であるが故にその罪は重い。

「悪魔堕ちした悪魔祓い師は魔女と一緒で火刑台行きだ。おまえはそれでもあの魔女を庇うのかよ」

「彼女は『人に害をなす者』じゃない。むしろ悪魔を祓う力で、大勢の悪魔憑きを救っているんだ。正しい事を為す人間を処刑することが、果たして神の御心に適うことなのか? 俺はそうは思わない」

「そうかよ。魔女を殺すことは神の御心ってやつに適う事だと、おれは思うがな」

 ウィルツはあの白い炎を生み出す杖を担ぎ直し、まるで世間話でもするかのように言った。

「マリークレージュが滅びた理由、知ってるか?」

「悪魔召喚の犠牲になったからだろう。地震ではなく」

「その通り。じゃあ、悪魔召喚をやったのは誰だと思う? 魔女だ。それもたった一人のな」

「詳しいな」

「おれはマリークレージュに住んでたんだよ。二十一年前、この街が滅びる前にな。知ってて当然だろ」

 アルベルトは驚いて目を見張った。公式記録には、原因こそ地震と記載していたものの、生存者は一人もいないと書いてあったのに。

「何で無事だったんだ?」

「街が滅びる直前、親父がおれを連れてマリークレージュを出たんだよ。運が良いことにな。その時見たんだ。赤い髪の魔女を」

「赤い髪の魔女……?」

「そう。魔術使って、自警団の連中を蹴散らしてやがったから間違いない。悪魔召喚したその瞬間を見た訳じゃないが、間違いなくあの魔女がやったんだ。なあアルベルト。街一個滅ぼすような奴を放置しておく方がよほど問題だと思わねえか?」

「……故郷を滅ぼした魔女は許せない。そういうことなのか? だからお前は彼女を殺すべきだと―――」

「んな訳ねえだろ」

 アルベルトの言葉をウィルツはあっさりと否定した。

「赤ん坊の頃住んでただけの、ロクに覚えてもいない街を故郷だなんて思うはずがないだろ。マティアにも『二十年前と今と関係があると思ってるのか』って訊かれたが、マリークレージュを滅ぼした魔女とあのくそ生意気な魔女に関係があろうがなかろうが、そんなことは重要じゃない」

 ウィルツは杖の先をアルベルトに向けた。

「おれはあの緋色の髪の魔女が嫌いなんだよ。それだけだ」

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