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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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神聖なる悪魔の苗床 10

「……子供だ」

 フードの下から現れた顔を見て、アルベルトは絶句した。体格からも推測できたが、せいぜい十歳ぐらいの痩せ細った少年である。そう見えるのは発育が悪いせいなのかもしれないが、悪魔教徒として魔物を率いる者としては幼すぎる。剣の腹で弾き飛ばし倒れた少年は、赤く染まった目を剥くと、胸を押さえて苦しげに絶叫した。取り憑いた悪魔が、少年の魂を蝕んでいるのだ。このままでは、危ない。

「悪魔の浸食が進んでる。速く何とかしないと……」

「え!? こいつ助けるのか!?」

 驚いたようにゼノが言うので、アルベルトは思わず彼を厳しい目で見た。

「こんな子供が、自分の意思で悪魔教徒になり悪魔憑きになったと思うのか?」

 きっとこの少年は幼児の頃、下手すると生まれた時から悪魔教徒に育てられて、悪魔教の教えを叩き込まれて育ったのだろう。そうして悪魔教徒になり、悪魔をその身に宿すまでに至ったのだろう。そういう風に育てられた子供の悪魔教徒がいるという事実が、いくつか伝えられている。自分の意思でこうなったわけではないのだから、見捨てることなんて出来ない。

「そ、そりゃあ子供に罪はねえよ。でも、こいつは悪魔教徒だ。こいつを癒せるのか?」

 そう言うゼノの眼には不信の色があるような気がした。貧民街の人を救わなかったのに、悪魔教徒は救うのか。そう言いたいのだろうか。それとも、文字通りの意味だろうか。

 ただ文字通りだとしても、少年を癒せるかという質問を肯定することは出来そうになかった。アルベルトは一人では悪魔祓いが出来ない。この術は非常に高度で、高位の悪魔祓い師でなければ一人で行うことはまず出来ないのだ。それにリゼと違って、悪魔祓い師の祓魔の儀は時間がかかり、多くの聖具も必要とする。アルベルトただ一人。補助もなく、聖具もなく、悪魔祓いを完遂できるはずもない。

 はずもないが――試しもせずに諦めるわけには、いかない。

アルベルトは一人では悪魔祓いが出来ない。この術は非常に高度で、高位の悪魔祓い師でなければ一人で行うことはまず出来ないのだ。それにリゼと違って、悪魔祓い師の祓魔の儀は時間がかかり、多くの聖具も必要とする。アルベルトただ一人。補助もなく、聖具もなく、悪魔祓いを完遂できるはずもない。

 はずもないが――

「試しもせずに諦めるわけには、いかない」

 今、ここにリゼはいない。どこにいるか、無事かどうかもわからない。そして数刻もしないうちに、この少年は悪魔に魂を喰われて死ぬだろう。躊躇っている暇はない。

「神よ。我に祝福を。我が祈りに耳を傾け給え。我が道を光で照らし、我が魂を導き給え。我が務めを為しえるよう力を与え給え」

 祈りを唱えてから、少年の首にロザリオを掛ける。少年は呻き痙攣していたが、ロザリオに触れてからは目を剥いて暴れ始める。その身体を抑えながら、アルベルトは祈りを続けた。

「神よ。彼の者に赦しを与え給え。安らぎを与え給え。彼の者が犯した過ちを清め給え。驕りから引き離し給え。真実を与え、光を与え、無垢なる者と成らせ給え。彼の者に救う邪悪を打ち祓う力を与え給え。光満ち、穢れなく、正しき道を歩ませ給え」

 祈りに合わせて、少年の首に掛けられたロザリオが淡く発光する。それと共に、少年はさらに苦しげに暴れまわる。

「神の名において汝に命ずる。彼の者は神の使徒、神のしもべ、神の子羊。その魂は光の内にあり、神に属するものである」

 祈りを一言進めるたびに、少年は苦しげな叫び声を上げる。それは少しずつ濁り、禍々しい雰囲気を帯び始め、やがて人とは思えぬものへと変わっていく。

 ――グアアアアアア!

 少年が発した咆哮が、洞窟の空気を震わせる。祈りの言葉を掻き消してしまいそうなその咆哮に耐えながら、ひたすら術を続ける。

「彼の者を離れ、汝が出し深淵へ還れ。我は神の名において汝を砕き、汝を裁き、汝を打ち砕く。災いを齎すものよ。神の聖なる炎に焼かれ、灰燼と化せ」

 悪魔祓いはまだ始まったばかりだ。これからずっと悪魔が弱り果てるまで、祈りの文言を繰り返す。略式だからどれほどかかるか分からないが、集中が持つ限り続けなくてはならない。いや、悪魔を完全に祓えるまで。

 けれど、

「神の名において汝に断罪を――」

 ――ガアアアアアア!

 祈りが終わらないうちに少年が上げた咆哮が、形を成そうとしていた祓魔の術の力を完全に吹き飛ばした。咆哮は衝撃波となり、跪いて祈りをささげていたアルベルトに直撃する。弾き飛ばされて岩の上を転がったアルベルトは、打ち付けた頭部の痛みにも構わずすぐさま起き上がろうとした。

 しかしその瞬間、獣のように跳躍した少年が、アルベルトに掴みかかってきた。避けることもできず突き飛ばされ、倒れたところへ少年が覆いかぶさるようにのしかかってくる。少年の枯れ木のような手が首に巻きつき、万力のごとき力で締め上げてきた。

 ――ガアアアアア!

 少年は歯を剥き出しにし、人とは思えない声で咆哮した。肌はどす黒く染まり、両目はそれぞれ別々の方向を向いてせわしなく動き回っている。口からは涎が垂れ、赤黒い舌が蛇のように伸びた。締め上げてくる手を振りほどこうとしているうちに、少年の身体はみしみしと軋み、人でないものへと変形していく。背中の肉が盛り上がり、二つの瘤が出来上がっていく様子は、まるで翼を生やそうとしているかのようだ。

 ――ア、アクマバライシ……コロス……コロス……!

 咆哮ではない意味ある言葉が発せられたと思ったら、首に回された手の力がさらに増した。息が出来ない。目の前で、ロザリオが少年の首に引っかかったままふらふらと揺れている。祈りの言葉さえ唱えられれば、悪魔を一時的に無力化することが出来るのに。

「アルベルト!」

 咆哮の衝撃波で同じく吹き飛ばされていたゼノが、何とか起き上がったのかこっちに駆け寄ってくる。だが、その姿は少し小さい。それほど遠くに弾き飛ばされたのか。ゼノが少年を引き剥がしてくれれば祈りの言葉を唱えられるが、あの距離では間に合わない。呼吸が出来ず、どんどん意識は薄れていく。

 ――コロス……コロス……!

 少年は――いや、悪魔は濁った咆哮を響かせると、肉の翼を広げて先端をアルベルトに向けた。血の滴るそこからは、鋭利な骨の槍が生えている。

 ――シネエエエエエエエッ!

 悪魔は叫ぶと、アルベルトの頭部めがけて、翼の先端が振り下ろした。骨の槍は鋭く長く、人の頭など容易に貫いてしまうだろう。悪魔は吠える。憎き悪魔祓い師を殺そうと。

 ――……グアアアアアアッ!

 槍に貫かれる前に、アルベルトはようやく剣を抜き放ち、悪魔の腕と翼を斬り裂いた。細い腕は容易に断ち切られ、悪魔は耳障りな叫び声を上げる。黒い血が飛散し、斬り離された翼の一部が落下してべちゃりと音を立てた。

 悪魔は血を撒き散らしながら、それでも牙を剥き怒りの声を上げる。赤く染まった目を向けて、悪魔はアルベルトに襲い掛かり――

 その心臓を、アルベルトの剣が貫いた。

「神、よ、我に祝福を。汝は我が、盾、我が剣、なり。その栄光は世々に、限りなく、あまねく、地を照らす――」

 喉に食い込んだ指を引き剥がし、切れ切れに祈りの言葉を唱える。悪魔は苦しげにもがき逃れようとしたが、腕が失われているため我が身から剣を引き抜くことが出来ないでいる。悪魔がもがいている間に、アルベルトは咳込みながら祈りを続けた。

「至尊なる、神よ。その御手もて、悪しきものに断罪を!」

 祈りが完成した瞬間、眩い光が剣を通して少年の中へ流れ込み、それと共に悪魔が断末魔の咆哮を上げた。少年の喉を通して発せられるそれは洞窟中に響き渡り、反響して際限なく増幅される。禍々しい不協和音に頭が割れそうになりながらも、アルベルトは剣を手放さなかった。

 やがて光が消え失せた時、悪魔は完全に消滅し、肉の翼もぼろぼろと崩れ去った。赤い光は失われ、黒い血が大量に流れ落ちる。牙も爪も、砕けて散っていった。

 後に残ったのは、痩せこけた少年の死体が一つだけ。

「アルベルト! 大丈夫か!?」

 駆け寄ってきたゼノが、心配そうに問いかける。自分では見ることが出来ないが、絞められた喉は痛み、食い込んだ爪のせいで血が滲んでいる。おそらく痕になっているだろう。呼吸を断たれていたせいで意識は朦朧としている。立っていられず膝をついて、血に濡れた剣を支えにした。

「救えなかった……!」

 ゼノのことも忘れて、アルベルトは絞り出すように言った。発した声は擦れていて、呼吸と共に喘鳴が漏れる。頭はずきずきと痛み、喉は痛くてたまらない。

「また出来なかった! どうやっても! 俺には救えない! 悪魔憑きを救えない!」

 拳を地面に叩きつけて、喉の痛みにも構わず叫ぶ。何が変わるわけでもなく、気が晴れるわけでもない。無意味なことと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。

「どうして出来ないんだ! どうしてリゼのように誰かを救えないんだ!? 俺は……俺は何のために悪魔祓い師になったんだ!」

 分かっていた。正式でも一人では成功しないのに、略式で、ろくに聖具も揃えず出来るわけがないことは。分かっていた。悪魔憑きを前に、自分は未熟で、どうしようもなく無力なことは。

 分かっていたから、余計に打ちのめされずにはいられなかった。

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