神聖なる悪魔の苗床 9
ろくに心の準備も出来ぬまま、それは闇の中から飛び出してきた。
ゼノは剣を抜き放つと、現れた魔物を迎え打とうとした。魔物の影は躊躇う様子もなくこちらに向かって飛び掛かり、ゼノは動きを予測して剣を横薙ぎにする。魔物の動きは素早いようだが、待ち構えていれば斬るのは難しいことではない。振るった剣は獲物を捉え、その首を斬り落とす――はずだった。
「――!?」
魔物を捉えたかと思った剣は、その実、何もない空間を斬っただけだった。振った勢いを殺し切れず、ゼノはたたらを踏む。はっとして上を見ると、そこには高く跳躍した魔物の姿があった。魔物はこちらの想像よりももう一段素早かったらしい。ゼノの一太刀を避けた魔物は、唸り声を上げて飛び掛かってきた。
振り下ろされた爪をかろうじて避けて、ゼノは後方に転がった。素早く起き上がって剣を構えると、着地した魔物が様子を窺うようにゆっくりと這い寄ってくるのが見えた。
「何だコイツ!?」
四足歩行動物にしては細い身体。鋭く尖った前足の爪。顔はつぶれ、眼球は飛び出している。前足より後ろ足の方が長くて、全体のバランスが悪い。それがこの魔物の不気味さを一層掻き立てている。初めて見る魔物だ。こんな魔物は、見たことも聞いたこともない。アルヴィアにしかいない種か、それとも新種だろうか。
「こいつは……!」
同じく剣を抜いたアルベルトが、魔物の姿を見て絶句する。
「知ってるのか!?」
そう問いかけると、アルベルトは頷いて答えた。
「ああ……以前メリエ・リドスで遭遇した」
「メリエ・リドスぅ!? あいつ街中に出るのかよ!?」
ここも一応、スミルナの敷地内だ。街中に魔物とは由々しき事態ではないか。ここがいくら悪環境とはいえ、魔物が繁殖しているのはまずすぎる。排水口を遡って来られたらどうするつもりなのだ。教会は何か対策をしているのだろうか。
「うわっ!?」
突進してきた影をかろうじて避けて、ゼノは数歩後退する。動きを負えないわけではないが、避けるのが精一杯だ。魔物の爪が掠った場所から、血の雫がぽたりと落ちる。
(コイツはオレじゃ無理だ……!)
魔物を骨ごと叩き斬るのは得意でも、素早い敵とスピード勝負をするのは向いてない。そういうのはキーネスの得意分野だ。担当じゃない魔物が相手では、いくらなんでも実力を出せない。
また突進してきた魔物を避けて、ゼノは更に後ろへ下がる。敵は魔物だけではない。この暗闇もだ。カンテラの明かりは小さくて、狭い範囲しか照らせない。闇に紛れて近寄って来られたら、全く対応出来なくなる。悪条件が重なって手を出しかねていたゼノは、避けて距離を離した瞬間、集まった魔物達がゼノより近くにいる人間に、一斉にターゲットを切り替えたことにようやく気付いた。
一人、前に出た状態になったアルベルトの元に、四匹の魔物が一斉に躍りかかった。アルベルトは剣を構えた状態だが、さすがに四匹同時に対処しきれるのだろうか。あの魔物は素早くて、ゼノは手も足も出せなかったのだから。役に立てるか分からないものの、ゼノは援護に向かおうとした。が、
一閃。胴体から離れた黒い塊が弧を描いて宙を飛んだ。頭を失った身体が、切断面から血を噴いて倒れ伏す。魔物の首を断った剣は煌めく軌跡を残して次なる魔物の元へと向かい、とびかかってきたそいつの頭部を斬り裂いた。そのまま一歩下がって三匹目の爪を避け、胴体に一太刀浴びせる。黒い血を引く魔物の身体。肉塊となったそれを蹴飛ばして、今度は四匹目の突進を遮ろうとした。そいつは軽々とそれを避けたが、それこそアルベルトの狙い通り。繰り出された刺突は魔物の脳天を正確に捉え、易々と貫いた。
だが行動を予測していたのはアルベルトだけではなかったようだ。四匹目を仕留めた隙に、暗闇に紛れていた五匹目がアルベルトに踊りかかる。闇の中にいたから今まで姿を捉えられず、飛び出してきた時は完全に死角の位置にいた。あれでは魔物の爪を防げない。気付いた時にはもう遅い。ゼノは自分では間に合わないと分かりつつも、助けようと魔物の元へ走り――
その前に、アルベルトの剣が、魔物の胴を貫いていた。
「至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を」
唱えられた術が、魔物に潜む悪魔を滅ぼしていく。魔物は逃れようともがいていたが、無駄な足掻きでしかなかった。あっという間に悪魔は完全に浄化され、魔物はただの黒い肉塊と化した。
(は、速ぇ……)
ゼノが散々てこずった魔物を、アルベルトは瞬く間に五体も仕留めてしまった。それも速いだけではない。敵の急所を的確についた正確無慈悲な剣捌きだ。見事な剣舞に、ゼノは思わず呟いた。
「おまえ、すごいんだな……」
「何がだ?」
「剣の腕だよ。オレは散々アイツら相手に苦戦したのに」
いくら得手不得手とか相性とかがあるとはいえ、こちらが倒せなかった魔物をあっさり倒してしまったのだ。フロンダリアでもそうだったが、アルベルトの力量はこちらとは段違いのようだ。剣士として、非常に羨ましい。
「ああ……確かに剣術は得意な方だが、俺なんてまだまだだよ」
いやそれだけあれば十分すごいと思う……と言いかけたものの、こんなことで押し問答してもしょうがないので黙っておく。足枷を破壊した時の曲芸じみた剣捌きといい、『得意な方』とかいうレベルではないと思うのだが。
「それより、まだいるぞ」
剣を構え、洞窟の奥を見据えたアルベルトは、静かにそう言った。ゼノも再び剣を構え、同じ方向を向く。カンテラの明かりは小さくて、洞窟の奥はよく見えない。しかしアルベルトには見えているらしい。そこにいる、何者かの存在が。
すると突然、闇の中からあの魔物達が飛び出してきた。予測していたことだから、先程よりも心の余裕はある。余裕だけでなんとかできるスピードではないのだが、そこは前回の反省を踏まえ、ゼノでも仕留められる方法を取る。先行するアルベルトの剣を避けた魔物の、わずかにできた隙を狙うのだ。
なんとかそれで魔物を倒し、アルベルトに続いて洞窟の奥へ向かう。魔物が湧いてくるそこに、何かが潜んでいる。襲い掛かってきた魔物を斬り倒して、カンテラの光を翳すと、その何者かの姿が、ぼんやりと浮かび上がった。
小さな、黒いローブを着た人間の姿だ。
「悪魔教徒!?」
見知ったローブ姿に、ゼノは驚きの声を上げた。間違いない。あの黒ローブは悪魔教徒と同じものだ。やはりここに悪魔教徒が潜んでいるのか。そして、シリルもここにいるということなのか。
悪魔教徒は手を上げると、魔物が再び闇の中から飛び出した。どうやらあの悪魔教徒が魔物を操っているらしい。魔物を止めるには、あの悪魔教徒をどうにかしなければ。魔物を退けながら、ゼノとアルベルトは悪魔教徒の元へ向かった。
(――? 小さい……?)
悪魔教徒に近づいた瞬間、ゼノは黒ローブの人物の背の低さに驚いた。小さい。せいぜいゼノの腹のあたりまでしかなさそうだ。時折甲高い笑い声をあげながら、悪魔を操っているのは確かにこいつなのに、驚くほど小さな身体だ。これではまるで――
アルベルトが討ちもらした悪魔を退けて、ゼノは悪魔教徒に向かって剣を振り下ろした。しかし横からやってきた魔物が割り込んで、ゼノを弾き飛ばしてしまう。なんとか受け身を取って起き上がると、ゼノは悪魔教徒に向けて、カンテラを投げつけた。カンテラは悪魔教徒の顔に向かって飛び、ぶつかる前に魔物が防いでしまう。けれどそれは想定内だ。なんでもいいから、奴らの注意をひければ良かったのだ。
悪魔教徒が背後に迫った人物に気付いた時にはもう遅い。
アルベルトが放った剣閃が、悪魔教徒を弾き飛ばした。




