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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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神聖なる悪魔の苗床 7

 一日たった。

 冷たい石の床に寝転がって、ゼノは明り取り用の小さい窓を見上げた。北向きのこの牢は、日がかなり昇ってからではないと明かりがささない。薄暗く、冷たく、虫や鼠が隅の方で湧いている。布団なんて高尚な物はなく、石床にじかに転がるしかない。うっすら湿った床は体温をどんどん奪っていくし、ゴツゴツして酷く寝心地が悪い。まだ一晩しか経っていないというのにもう身体の節々が痛む。貧民街の廃屋の方がマシとは、いったいどういうことだ。姿勢を変えようと寝返りを打つと、重たい金属音が耳朶を打った。錆びているのにやたら頑丈な手枷と足枷が、ゼノを牢の壁に繋ぎとめている。精一杯鎖を伸ばし手を伸ばしても、鉄格子までは届かない。

 それを知っているのか、明け方にやってきた騎士は鉄格子のすぐ近くに朝の食事を置いて行った。小さな硬いパンとコップ一杯の水。取りに行こうとしたけれど、手枷のせいであと少しのところでパンに手が届かない。どうやっても届かない。少しでも遠くに手を伸ばせるよう悪戦苦闘を繰り返し、ようやくパンを手にしたころには、手首がすれて痛みを覚えるほどだった。ざらざらした錆が皮膚を苛む。良く見えないが、皮がめくれて血が滲んでいるんじゃないだろうか。それだけ苦労した割に、パンは石のように硬かった。

 二日たった。

 何もない、最悪な居住空間でじっとしていたせいで、本格的に気が滅入り始めていた。

 隣から声は聞こえない。一日目以来、言葉を交わしていない。心細くはあったけど何も話すことがなかったし、陰鬱な気分でそんな気すら起きなかったのだ。といっても何もしなかったわけではなくて、脱出方法を色々思案してみたが、情報も足りないこの状況では、話題に出来るほどの手段は思いつかなかった。

 そうしているうちに、五日たった。

 何時ものように、騎士が食事を置いていく。また鉄格子ぎりぎりのところだ。朝昼晩と鎖との攻防戦を繰り広げているうちに、パンを取るのにすっかり慣れてしまったけど、こんなこと上手くなったところで全く嬉しくない。だが現状を打開する策は見つからない。五日の間、手枷を破壊できないか色々試してみたが、少々錆が取れたぐらいで全く壊れなかった。なかなか準備が整わないのかどうなのか、食事以外はひたすら放置された五日間。そろそろ教会側も何らかのアクションを取って欲しい。

「おい」

 と思っていたら、初めて食事を持ってくる騎士が口をきいた。自分に話しかけたのかと思って、ゼノは鉄格子の方に視線をやる。しかし、そこに騎士はいない。彼が声をかけたのは、隣の牢にいる人物に対してだ。そう、アルベルトに。

「おい貴様、なぜ食事をしない? ここに来てからずっとパンに手を付けていない。このまま餓死でもする気か?」

 何だって?

 聞き耳を立てていると、錠が外れる音と扉が軋みながら開く音がした。騎士が牢の中に入ったのだ。アルベルトは無事だろうか。五日ぐらいなら死にはしなくても、この劣悪な環境の中では衰弱しているのかもしれない。

 隣の牢の様子を窺いたかったが、鎖のせいで鉄格子までたどり着けない。仕方なく、出来るだけ壁によって聞き耳を立てた。もしアルベルトが衰弱していたら、あの騎士はどうするのだろう。あの口ぶりだと死なれては困るようだから、手当ぐらいはするのだろうか。となれば、アルベルトは牢屋から出られるかもしれない? 衰弱しているなら、出たところで何もできないだろうと思って。

 鎧を着こんだ騎士の足音が止まり、「おい」と呼びかける声が聞こえてきた。だが反応はなく、騎士が更に牢の奥へ進む足音がした。そして、

 突然、鎖がこすれ合う音と剣が鞘走る音が響き渡った。




「動くな」

 騎士が腰に帯びていた剣を持ち主の喉元に突き付けて、アルベルトは低く命令した。手枷のせいで腕が自由に動かないから、力加減が難しい。騎士の身体に巻きつけた鎖を解かれないようにきつくすると、剣に力が入りすぎて喉を斬り裂いてしまいそうになる。だが、騎士にはそれが従わなければ首を斬るという意思の表れだと思えたのだろう。先程までの尊大な態度はどこへやら。冷や汗をかいてすっかり怯えた様子を見せた。

「手枷を外せ」

 剣を皮膚に食い込む寸前まで近付けて命ずると、騎士はすぐさま比較的自由な右手で鍵束を掴んだ。いくつもぶら下がった鍵のうちすっかり錆びついた一本を選ぶと、震えながら手枷の鍵穴に差し込んでゆっくりと回す。ガチッと重い音がして、手枷の錠が外れた。両手が自由になった代わりに騎士を拘束する鎖が緩んだが、まだ逃がすつもりはない。左手で鎖を引き、剣を握る手に力を込めた。

「お前には色々と聞きたいことがある。まず入り口まで見張りの騎士は一体何人いる?」

 剣を更に押し当てながら、焦る騎士に問い掛ける。騎士は声を震わせながら、答えた。

「こ、ここからなら十人ほど……」

「よし。では俺達の武器はどこにある?」

「そ、倉庫だ。牢の二つ隣の」

「見張りは?」

「いない。しかし鍵が掛かってる」

「鍵はどこだ」

「鍵束の中にある。頭が丸い鍵だ!」

 鍵束を探ると、騎士が言う通り、持つ部分が丸い鍵が一つある。アルベルトは鍵束ごと鍵を受け取ると、ポケットに滑り込ませた。

「今言ったことに嘘はないな」

「ない! ないから助けてくれ!」

 騎士は情けなくも叫び、冷や汗をだらだら流している。怯え方が尋常でないのは、アルベルトが悪魔堕ちした悪魔祓い師だからだろうか。色々と好都合ではあるが、あまりいい気はしない。

「神に誓えるか?」

「ち、誓う!」

「よし」

 アルベルトは剣を引いて騎士を突き飛ばすと、剣の柄で騎士の顔をしたたか殴りつけた。騎士は鼻血を撒き散らしながら昏倒し、やかましい音を立てて牢の石床に転がる。アルベルトは気絶した騎士の腕に手枷の鎖を巻きつけると、手に入れた鍵を使って足枷も外し、奪った剣を携えて牢を出た。あの騎士に恨みはないが、二人で見回りにこない怠惰ぶりと不用意に囚人に近づく不用心さを反省してもらうことにしよう。これが悪魔教徒のような邪悪な輩なら、この騎士の命はなかっただろうから。

 念のため牢にも鍵をかけると、アルベルトは二つ隣の牢を覗き込んだ。牢の住人は壁に耳を当てた格好で、こちらをぽかんと見つめている。

「ゼノ、無事か?」

「アルベルト! よかった元気そうだな! 心配したぜ」

 顔を輝かせて嬉しそうに言うゼノを見て、アルベルトはほっとした。とりあえず、ものすごく元気そうだ。アルベルトは牢の鍵を開け、中に入った。

「いや、でもそんなに無事じゃないかも……おまえが食うなって言うから食ったふりをしたけど……腹減った……」

 ゼノは遠い目をしてそう呟いた。先程とうってかわって、表情がかなり死んでいる。

「大丈夫か? でも、食べられるようなものはないな……」

「……実は非常用の食い物を隠し持ってたんだ。湿気てて不味かったけど、おかげで死にそうってほどでもない。だからまあ大丈夫だ。すまねえ。しかし遊びで作った隠しポケットがこんなことに役に立つとは……おまえは大丈夫なのか?」

「心配はいらないよ。昔は二か月くらい何も食べなかった時もあったし、それに比べたらなんでもない。思ったよりも短くてすんだしな」

 魔女狩りにおいて魔術師達を無力化させるため、身体を麻痺させる薬を飲ませたという。今回も、そういったものを食事に仕込んでいたとしてもおかしくない。となると、食事をしなければ、何かしらの反応を取ると踏んだのだ。あの騎士が思ったよりも不用心で助かった。

 手枷を外し、両手が自由になったゼノは、今度は自分で足枷を外し始めた。鍵を捜し当てて錆びた鍵穴に入れる。しばらくがちゃがちゃやっているうちに、段々ゼノの顔が曇り始めた。どうやら錆びていて鍵が外れないようだ。

「ど、どうしたらいいんだよこれ」

 鍵はあるのに、外せなければ意味がない。自分だけ逃げられないのかとゼノは焦りを見せたが、どうやっても鍵が外れない。これでは普通に鍵を外すのは無理だろう。足枷を見ていたアルベルトは、そう判断して剣の柄に手を掛けた。

「ゼノ、動かないでくれ」

 そう言うと、ゼノは首を傾げながらも動きを止める。アルベルトは騎士から拝借した剣を抜くと、意識を集中させた後、足枷に向けて一閃した。

 小さな金属音と共に、枷がすっぱり断ち切られた。錆びて重くなったそれは、石床に転がって大きな音を立てる。落ちたそれを一瞥してから、アルベルトは剣に目を移した。

「ちゃんと手入れされているな。いい剣だ」

 騎士から奪った剣を眺めながら、アルベルトは呟いた。あの騎士は武具の手入れは丁寧に行っていたようだ。アルベルトは剣を鞘に納めると、斬れた足枷をじっと見つめていたゼノに言った。

「よし。とにかくここから脱出しよう。ゼノ、動けるか?」

「……え? あ、いや、それは大丈夫。脱出するなら、武器を取り返さないとな」

「囚人から没収したものは倉庫に保管されているはずだ。そこで武器を取り返そう」

「分かった。その後はどうする? やっぱ正面突破しかないのか?」

「いいや。正面は無理だ」

 ここは最下層の地下牢だ。十人というのは、あくまで外までの最短ルートに常駐している見張りの数だ。巡回している騎士も含めれば、外まで見張りは山ほどいるだろう。脱出できそうなルートは一つだけだ。

「地下洞窟を行く」

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