1話 傭兵勇者
「クソがッ‼︎」
松明の火が揺れる薄暗い洞窟の中、悪態を吐く声が響き渡る。
声を発したのはゴテゴテとした銀の鎧兜に身を包んだ身長180程の男だ。
鎧は装飾の少ない重装で、手にはナックルガードと一体化した刃を持つ先端につれ大きくなる直刀と、胴体がすっぽりと隠れる重厚な盾。
更には右肩から生える様に傾けた槍を背に付け、その隣に刃先が弧を描く両刃の片手剣。後ろ腰にはへの字に曲がった鉈の様な物、右腰にはメイス、左背には戦斧、両腿に鉤爪。
総重量80キロは下らないだろう、見て取れるだけでもそれ程の武具を身につけた男が、ヘルムの奥で眉間に皺を寄せる。
彼の足元には池の様な血溜まりが形成されており、その上に物言わぬ人間だった肉塊が幾つも転がっている所を見れば、ここで戦闘があった事は一目瞭然だ。
しかし、夥しい返り血をその身に浴び、剣から赤い水滴を滴らせる勝者の彼が、何故悪態を吐くのか?
「うぅ……」
「あぁ……」
その視線の先に居たのは、牢に入れられた裸の女性達だった。
(世の中そんなに甘くない、ってか……)
この洞窟は、とある盗賊団のアジトである。その盗賊団は最近になって勢力を伸ばし始めたらしく、旅人を襲い、行商を襲い、女子供を攫い、果てには村を一つ焼き払った。
それが決め手となり、旅をしながら腕の立つ傭兵として名の知られていた彼に依頼が回って来たのだ。
そして盗賊団を壊滅させた彼の目に飛び込んで来た光景がコレである。
まだ年端も行かない少女から妙齢を過ぎた女性まで、助けが来たにも関わらず皆一様に虚ろな目で虚空を見据えており、中には腹の膨らんだ者も少なくは無い。
ここは盗賊団のアジト。そんな場所にいる裸の女性達。ここで何があったかなど、言わずとも分かるだろう。
(どの面下げて戻りゃいいんだよ……畜生が)
男は出発の直前、1組の夫婦に先日連れ去られた子供を助けてくれと、涙ながら懇願されたことを思い出す。
その子供とは兄妹であり、この牢にいるのは女のみ。その女もこの有様だ。聞いていた服なんかの特徴じゃ分かりやしない。
既に売り飛ばされたか、はたまた殺されて何処かに捨てられたか、下手をすればどちらもいないかも知れない。
だが、それを問いかけたところで答えられる様な気力を持った者もいないだろう。
(仮に、聞き出せたとして?今から死体探すか?奴隷商を追うか?こいつ等放り出して?無理だな、どうやっても間に合わない。諦めてもらうしか……クソッ!)
そんな思考が表に出ない様、平静を装いながら右手の直刀を左腰の金具へ引っ掛け、牢へと近づく。
しかし、ここで彼は少しおかしな行動を取った。
牢にかけられた拳ほどもある南京錠に手を添え、
--ベギ、ギキィィ……パキィン!
握り潰し、引き千切ったのだ。
そして荒々しく扉を開け放つと、
「助けだ、出ろ」
とだけ口にした。
およそ助けに相応しくない発言、それも鎧兜に全身を包んだ大男から発せられるのだ。もし囚われていた者が正常ならば、直ぐ様牢の端にでも避難した事だろう。
その言葉にどれ程の憤りが秘められたのかも知らずに。
「チッ……」
舌打ち一つ、あいも変わらず彼女達が無反応だからだ。
このままでは始まらないと、中に入り、そこ等の布を被せ、立たせては外に出す。そこまでやって彼女達はようやく自分の足でノロノロと歩き出す事が出来た。
「はぁ……」
彼にとってこう言った事態はよくある事だ。しかし、だからと言って慣れるかと言えば話が変わってくる。
今度は溜息を吐き自分も牢から出る--前にふと気がつく。
(ん?……扉?)
何故今まで気が付かなかったのか?牢の奥に扉があるではないか。男は自分の視野が狭くなる程頭に血が上っていたと知り、少し冷静になると同時に顔を顰めた。
(嫌な予感しかしねぇ……)
扉の奥から生き物の気配はせず、不穏な空気のみが場を支配している。この先に踏み入っていい事など一つとしてないだろうと彼の直感が告げる。
それでも彼の使命は盗賊団の壊滅と攫われた人々の救出。そしてその救出対象にはまだ見つかっていない者がいる。
となれば優先されるは直感よりも確たる証拠だ。この時、彼にこの扉を開けないと言う選択枠はなかった。
灯りを片手に、ドアを開く。
--キィ……
「うっ……」
瞬間、襲い掛かったのはこれまでとは比べ物にならない程の異臭。
肉の腐る臭い、焼ける臭い、血の臭い、むせ返るほどに淀みきり、熟成された激臭。
予想的中。
広がるのは散乱する肉塊の数々。一体どれ程の拷問を受けたのか、死者達の顔は絶望と恐怖、そして苦痛に染まっており、五体満足な者など1人としていはしなかった。
(これが……これが同じ人間のやる事かよ……)
彼は職業柄、刃物について詳しい。故に傷口を見ればそれが何によって行われた物か、予想するのは容易い。
ノコギリ
ピック
彫刻刀
切れ味の悪い包丁
刃こぼれした剣
刃渡り数センチのナイフ
中にはペンの様な物で何度も突き刺し引き千切った様な痕跡まである。
それを目の当たりにして込み上げてくる感情。それは先程よりも大きな怒り、そして後悔。
(こんな事なら、生かしておくべきだった……もっと苦痛を与えるべきだった、指先からゆっくりとスライスしてやるべきだった。死者に許しを請わせて、彼女達に復讐の機会を与えるべきだった!クソが、クソッタレがぁッ!)
湯気の様に怒気を立ち昇らせながら、薄暗い部屋の中で、いないと分かっている生存者を探す。
一歩踏み出す毎に怒気は膨らみ、新たな死者を照らせば憎悪が膨らむ。殺した者への殺意は際限なく増え続け、
散開した。
「……」
彼の前にあるのは、部屋の再奥に貼り付けられていた拷問死体だ。切断された四肢とは別に、肩や腰に杭を打ち込む事でダルマのソレを固定している。その両眼はくり抜かれ、体には夥しい鞭打ちと焼印。背丈は低く、恐らくまだ子供なのだろう。
髪の色
肌の色
服装
「……」
それは夫婦が地に頭を擦り付けてでも助けて欲しいと願った子供の容姿と一致していた。
彼はそれを無表情で見つめると、おもむろに手を伸ばし、壁から引き剥がし始める。
遺体を布に包み、縄で縛って溢れない様に肩に担ぐと部屋から出た。
そして予め用意してあった鉄枠の木箱の取っ手を掴むと、引きづりながら死んだ目の女性達を追う様に出口を目指す。
(どうしてこうなった?)
男は思う。一体何がいけなかったのか?と。
彼だって歴とした人間。ここに来る前、当然の如く理想を描いていた。
女性達に汚らしい手つきで迫る盗賊達の前に、颯爽と現れてソレを撃破。少女からは理想の王子を見る様な眼差しを受け、少年からは童話の英雄を目の当たりにしたかの様な憧れを向けられる。
そんな、幼稚で、誰しもが考える様な妄想だ。
しかし現実はどうだ?彼女達はとっくの昔に汚され尽くし、少年はこの世の物とは思えない程の苦痛と絶望の中で息絶えていた。
さて、一体何がいけなかったと言うのだろうか?
彼にはその妄想を現実のものに出来るだけの力はあった筈だ。その資格だって、あった筈なのだ。
--世の中そんなに甘くない。
結局彼が手にできたのは、己の依頼料となるだろう盗賊の集めた安い宝の詰まった木箱一つ。
怒気はとうの昔に消え失せて、残ったのは果てしない無力感だけだった。
「……殺す」
誰向かって吐き出した言葉だったのか。それは虚しく響いては消える。
「殺す……」
その男、名を馬飼 立也。
クルステラに召喚されし31人の勇者の1人にして、残る10人の一角。
鎧兜に身を包み、多彩な武具で魔を打ちはらい、対価として多額の報酬を要求するその姿から人々を彼をこう呼んだ。
「ブチ殺す」
”傭兵勇者”と。