◆第九話『紋様師・機巧工房』
ガレンは目の前の光景に唖然とした。
ヴィオラに連れられてきたミル・ドレ通りの裏側にあたる区画。
そこの建造物が、まるで行く手を阻むかのように通りへと侵食していたのだ。
しかも雑多に建てられているものだから、建物ごとの境目がひどくわかりづらい。
「表と違ってぐっちゃぐちゃだな」
「いまのオゥバルってほとんどが区画整理されたあとの姿なの。けど、この区画だけは住民が強く反発したらしくてね」
「放置したわけか」
「そういうこと」
ヴィオラが数ある路地の中から迷うことなく一つを選び、入っていった。
ガレンもあとに続く。
路地には至るところに蔓が伸びていた。
また箇所によっては地面に苔が生えていたりと気が抜けない。
「足もと注意してね」
「えらく味のある入口なことで」
幾度かの曲がり角を経て辿りついたのは、ほかよりひと際古びた家屋だった。
ヴィオラが呼び鐘を鳴らし、叫ぶ。
「入るわねー」
中からの返事はない。
にも関わらず、彼女は扉を開けた。
「勝手に入っていいのか?」
「いいのいいの。どうせ出てこないから」
なんとも居留守に厳しい言い分だ。
本来なら咎めるべき行為だろう。
が、やけに勝手知ったる様子だったのでヴィオラに続いて中へと入った。
狭い室内を照らすのは山吹色のほのかな灯。
木材で統一された内装と相まって温かみを感じられる。
ただ、少々ほこりくさい。
そう思わせるのはカウンターで仕切られた奥側の光景だ。
本がぎっしり詰まった壁を埋め尽くすほどの本棚。
その縁にほこりがたまりにたまっていた。
「バリソンさん、いる?」
「なんじゃ、ヴィオラか」
ヴィオラが呼びかけると、気だるげな声が返ってきた。
ただ、声の主の姿は見えない。
「また寝転んでるのね。だらしない」
「腰が痛くて立ち上がることもできんのだ。わしももう終わりじゃろう」
「またそんなこと言って。この前、市場に顔出してたの見たんだから」
「それは双子のボリソンじゃ」
「前はポリソンだった気がするけど」
数拍の間を置いて、カウンターの陰から老人が顔を出した。
彼は手に持っていた本を脇に置くと、ヴィオラを睨みつける。
「……わしはいま忙しいんじゃ。用件をさっさと言え」
「彼の魔甲印、ちょっと特殊みたいでね。バリソンさんに見てもらいたくて」
「特殊と言うたって、どうせ大したことないんじゃろう」
「少なくともザナロガ式ではないわ」
バリソンは鼻を鳴らし、興味がないといった様子を貫いている。
ガレンは完全に蚊帳の外だった。
自分のことを話しているのだから、できれば理解しておきたい。
疑問に思った言葉を抽出し、質問する。
「なあ、ヴィオラ。そのザナロガ式ってのは?」
「いまの主流となってる菱形状の魔甲印のことよ。ちなみに魔甲印にはほかにも幾つか種類があって、いずれもなんらかの図形で囲われているのが特徴……なんだけど」
ガレンの右手甲を見つめながら、ヴィオラが言う。
「きみのは囲われてないのよね」
「なんじゃと?」
いち早く反応したのはバリソンだった。
先ほどまでの無気力ぶりはどこへやら。
彼は真剣な面持ちでカウンターをばんばんと叩く。
「置けい」
バリソンの豹変ぶりに戸惑いながらもガレンはカウンター前の椅子に座り、右手を差し出した。
その甲に描かれた紋様をバリソンが熱心に確認しはじめる。
時間が進むにつれ、彼の目はだんだんと開かれていく。
「まさか……ちょっと待っとれ! いいか、絶対に逃げるんじゃないぞ!」
「いや、べつに逃げるつもりは――」
「絶対じゃ!」
すごい剣幕で念を押してくると、バリソンは腰痛持ちの老人とはとても思えない機敏な動きで奥の部屋へと姿を消した。
そこで探し物でもしているのか。
荒々しい物音とともに埃が漏れてきている。
「い、いったいなんなんだ……?」
「見たところなにかわかったみたいだけど」
そんなことを話しながら、ガレンはヴィオラとともに首を傾げ合う。
間もなくして、バリソンが分厚い本を両手で抱えながら戻ってきた。
彼はその本をカウンターに置くなり、あるページを開く。
と、そこに記されたものとガレンの右手甲を交互に何度も確認しはじめた。
やがて、バリソンは放心したようにぴたりと止まる。
「……どうやら、わしの思い違いではなかったようだ」
バリソンが喉から押し出すように言葉を紡ぐ。
「この魔甲印は古代文明ドルクナードのものだ」
「ドルクナードって、そんなはずは……っ!」
即座に異を唱えたヴィオラにバリソンが「間違いない」と答えた。
二人とも相当に動揺している。
ガレンは〝ドルクナード〟の意味がわからず、ひとり置いてけぼりを食らっていた。
「お、おい。ヴィオラ……」
こちらが言わんとしていることを理解してくれたらしい。
ヴィオラが静かに深呼吸したのち、ためらいがちに言う。
「ドルクナードはずっと昔に滅びた文明よ」
◆◆◆◆◆
「ずっと昔に滅びたって……じゃあ、俺の魔甲印はどうやって刻まれたんだ?」
「それがわからないから、こんなに驚いてるの」
ガレンが疑問を口にすると、ヴィオラにそう返された。
自身のルーツを辿れたかと思えば、新たな謎が待ち構えていた。
まるで暗い海の中を泳いでいるような、そんな感覚にとらわれる。
「おい、使える魔法はなんだ」
バリソンの言葉によって意識を引き戻された。
混乱する頭をリセットするため、ガレンは深呼吸をしてから答える。
「この手で触ったものを大きくできる。ただ、もとが大きすぎると無理だ」
「見せてみろ」
言って、バリソンがカウンターの上にぽんとペンを置いた。
ガレンは躊躇することなくそれを握り、腕ほどまで巨大化させる。
「た、たしかにこれは特異な魔法じゃな。見たことも聞いたこともないわい」
「でもって手から離れると、もとの大きさに戻る」
カウンターに置いたペンが三拍ほど経ってからもとの姿へと戻った。
深く息を吐きながら、バリソンが自身の顎をさすりはじめる。
よほど衝撃的だったのか言葉が出ないといった様子だ。
しばしの沈黙が訪れるが、ヴィオラによってさらりと破られる。
「バリソンさん。実は彼、左手にも魔甲印があるの」
「……まったく年寄りの心臓をなんだと思っとる」
顔にこそ出ていないが、どうやら心臓に響くほど驚いたらしい。
ガレンは左手を掲げながら補足する。
「つっても、どんな魔法かはわからないんだけどな。爺さん、なんかわからないか?」
「ザナロガ式ならともかく、ドルクナード式なんてわかるはずないじゃろが」
やってられんとばかりにバリソンが首を振った。
「お前、いったい何者じゃ?」
「実は記憶がほとんどなくてな。その答え、俺が一番聞きたいところだ」
バリソンがじっと見つめてきたかと思うや、こちらに背を向けて語りはじめる。
「この世界に竜を――《空の支配者》を呼び込んだとして古代文明ドルクナードは忌むべき存在として知られとる。さすがに魔甲印の形状まで知っとる者は少ないじゃろうが……手袋かなにかで隠しておけ」
どうやら心配してくれているようだ。
「わかった。ありがとな、爺さん」
鼻を鳴らしたバリソンが、「さっさと帰れ」とばかりに肩越しに手を振ってくる。
ガレンはヴィオラと顔を見合わせると、互いに肩をすくめた。
◆◆◆◆◆
「今日はどこを案内してくれるんだ?」
翌日。
両手にはめた革手袋の感触をたしかめながら、ガレンはヴィオラの背中に問いかけた。
いま、歩いているのは一層都市正面のちょうど裏側にあたる通りだ。
家屋は変わらず並んでいるが、ヴィオラの家がある辺りと比べると地味な外装が多い。
「実はもう決めてるの。ま、本当はあの子たちにせがまれたんだけど……」
通りを区切るように建てられた木造の物々しいゲート。
そこを抜けると、ヴィオラが体を横に開きながら口にした。
「紹介するわ。ここが機巧工房よ」
これまでの通りとは違って水路や家屋がないひらけた敷地。
そこで多くのコロット族が野ざらしで物づくりに励んでいた。
家具や荷車、船舶などなど。
少人数に分かれて作業を行なっており、様々な物が目に入る。
「「いらっしゃいっぽー!」」
そう元気な声をあげながらテュッポ姉弟がこちらに駆け寄ってきた。
ただ、二人は止まることなくガレンの両太腿に勢いよく激突。
ぽてんと後ろに倒れ込んだ。
「お、おい。二人とも大丈夫か?」
「コロット族は石頭だから、よ、余裕っぽ」
よろめきながら立ち上がった二人は涙ぐんでいた。
やせ我慢しているのがバレバレだ。
「二人とも、きみが来てくれてよっぽど嬉しかったみたいね」
くすりと笑みを漏らしたヴィラオに、テュッポ姉弟が向きなおる。
「兄貴を連れてきてくれてありがとっぽ!」
「ヴィオラ姉さん、大好きっぽ!」
「あれだけお願いされたらね」
苦笑するヴィオラを見ると、どうやら過剰で執拗なお願いをされたようだ。
自分たちの働いているところを知って欲しい。
そう思ってもらえるのは素直に悪くない気分だ。
テュッポ姉弟の想いに応えるべく、ガレンはあらためて辺りを見回した。
「それにしてもコロット族って結構いるんだな」
「ウチらは世界中にいるっぽ」
「機巧工房あるところにコロット族ありっぽ」
えっへんと胸を張るテュッポ姉弟にヴィオラが補足で説明してくれる。
「機巧工房は色んな国にあるから」
「国……か。やっぱりオゥバル以外にもあるんだよな」
「もちろん」
そもそもラトカと逃亡する際、国境を目指していたのだからほかに国があることは当然だ。ただ、まだオゥバルしか見ていないこともあり、この世界にはほかに国がないような感覚に陥っていた。
「ガレン兄さん、こっちにきて欲しいっぽ!」
「オイラたちの作品を見るっぽ!」
ガレンはテュッポ姉弟に手を引かれるがまま機巧工房の中を進んでいく。
その際、コロット族の作業風景を眺めていたのだが……。
熱心に作業する者がいる傍ら、シートを敷いて食事をとる者やいびきをかいて寝ている者、追いかけっこをする者たちがいた。
誰も咎める様子はない。
にも関わらず雰囲気はべつに悪くないようだった。
きっとこれが彼らの日常なのだろう。
そんな彼らの自由奔放な姿を目にして、ガレンは思わず朗らかな気分になった。
しばらく進むと、屋根つきの大きな建物が見えてきた。
「あそこがオイラたちの作業場っぽ!」
意気揚々と足を速めたテュッポ姉弟に引っ張られ、ガレンは中へと入る。
外のような解放感はないが、ここも随分と大きなスペースがあった。
おそらく二階がないことや天井高なことが手伝っているのだろう。
辺りには製造中の船と思しきものが幾つも置かれていた。
ただ、どれも都市の水路を進むにはあまりに大きい。
「海用の船……もしかして近くに海があるのか?」
「違うっぽ。これが進むのは空っぽ!」
「飛空船って言うっぽ!」
アッポが天を指差しながら、あっけらかんと言った。
ガレンは思わず目を見開いてしまう。
「空って、そんな技術まであったのか」
「精霊さんの力を借りるっぽ」
――この世界の技術力はあまり高くない。
なぜかはわからないが、ガレンの中にはそんな認識があった。
それゆえの質問だったのだが、精霊という言葉を出されては納得するしかなかった。
腐蝕領域の瘴気から守ってくれたり、夜でも明るいと感じるほど体が光ったりする存在だ。いまさら空を飛ぶ力を擁していたいたとしても驚きはしない。
ふと脇に置かれたぼろぼろの飛空船が目に入った。
ほかのものよりかなり小さく、座席も縦に並んだ二つしかない。
「それはブラウンサンダー号っぽ」
「オイラたち専用の複座型飛空船っぽ」
「墜落でもしたのか? ひどい壊れ方だな」
「この前、《空の支配者》に撃墜されたっぽ……」
「空を飛ぶと、いつも怒って攻撃してくるっぽ……」
「ダメじゃねえかそれ」
どうりで空を飛んでいるところを見かけないわけだ。
空を奪われたことによる弊害は陽光を遮られることだけだと思っていたが……。
どうやら言葉通り空に自由はないらしかった。
「いくら注意してもやめないのよ、この子たち」
そう言ったのは遅れて中に入ってきたヴィオラだ。
彼女は両手を腰に当てると、わずかに怒りを滲ませながらため息をつく。
「危ないからやめて欲しいんだけどね」
「ウチの夢が詰まってるっぽ」
「オイラの浪漫っぽ!」
臆面もなくそう言ってのけたテュッポ姉弟は目をきらきらと輝かせていた。
思わず目をそらしてしまうそうになるほど真っ直ぐだ。
だからこそ、ヴィオラも強く言えないのだろう。
「ほんとに怪我だけはしないでね」
「わかってるっぽ」
「逃げるの得意だから大丈夫っぽ」
そう自信満々に応えたテュッポ姉弟はどうみても危機感を持っていない。
生還には何度も成功しているようだが……。
ヴィオラの気苦労は永遠に絶えなさそうだな、とガレンは思った。