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◆第五話『逃亡:後編』

「あの先から腐蝕領域になっているみたいです」

「陽光の加護を得られなくなって腐ったってやつか」

「はい。以前はまだここも通れたはずなのですが……」


 移動を再開してから間もなく前方の景色が一変した。

 森林地帯ではある。

 ただ、その葉色は禍々しい紫だった。

 またあちこちに見られる沼も同じ色で染まっている。


「違う道を行かないとか」

「でもそれだと遠回りになりますから追手に見つかる可能性が高まります。……こんなときに精霊がいれば瘴気から身を守れるのですが」

「ちなみに、その精霊ってのはどんな姿してるんだ?」

「えっと大きさは手の平に乗るぐらいでしょうか。丸くてふわふわもこもこ。それで長い耳を持っています。そしてなにより鳴き声がすっご~く可愛くて」

「ミィ~」

「そう、ちょうどそんな風にミィ~って、えぇっ?」


 くわっと開かれたラトカの目が、ガレンの右手の平に向けられる。

 そこには先ほどラトカが説明した精霊の姿かたちをした生物がちょこんと乗っている。


「ど、どうしてガレンさんが精霊を!?」

「さっきから足もとでうろちょろしてたから拾ったんだ。こいつで間違いないか?」

「間違いありません。でもそんな……精霊は警戒心が強いので近づくとすぐに逃げてしまうんです。だから捕まえるのはすごく難しいのに……」

「とてもそうは思えないけどな」


 精霊はとてもリラックスした様子だ。

 ぴょこぴょこと跳ねながら、その場でゆっくりと横回転している。


「もしかしたら人懐っこい子なのかもしれません」


 言って、ラトカが人差し指で精霊を触ろうとする。

 と、精霊は怯えたように鳴いた。

 その長い耳をぱたぱたと跳ねさせながらガレンの腕をのぼり、肩まで逃げてしまう。


「おい、嫌がられてるぞ」

「どうして……ガレンさんには懐いてるのに」

「俺にもわかんねえよ」


 ガレンは精霊を手の平に乗せ、指で体を撫でてやった。

 精霊は逃げることなくされるがままだ。

 心地よさそうに目を細めながら「ミィ~」と鳴いている。


「ま、これで瘴気の問題はなくなったわけだ。先を急ごうぜ」

「うぅっ……わたしも触りたいです……」


 ラトカから向けられる恨めしそうな目を無視して、ガレンは歩きだした。



◆◆◆◆◆


「思った以上に腐ってんだな。てか、臭いも半端ねぇ……」

「これでもマシなほうなんですよ。精霊がいなければ今頃鼻がもげてるところです」


 腐蝕領域の中にはほの白い霧がうっすらとかかっていた。

 ラトカの話では、この霧が瘴気と呼ばれるもので触れた生物を徐々に腐敗させるという。


 ガレンの肩に乗った精霊を中心に半球形の光膜が張られていた。

 五人程度なら余裕を持って入れるぐらいの大きさだ。

 これが精霊の加護であり、中にいれば瘴気の影響を受けないらしかった。


 あちこちに沼があるせいか、ぬかるんだ地面が多い。

 そのうえ瘴気のせいで視界はあまりよくない。

 充分に注意して歩かなければ、すぐに足をとられてしまいそうだ。


 そう思った矢先、隣を歩いていたラトカがずるりと滑り、体勢を後ろ側に崩した。ガレンはとっさに彼女の手を引き寄せ、抱きとめる。


「大丈夫か?」


 そう声をかけると、ラトカに手を振りほどかれた。

 彼女は素早い動きで離れたのちに俯いてしまう。


「ご、ごめんなさい。助けてもらったのに……」

「べつに気にしてないからいいが」

「わたし、実は男の人に触れたことがあまりなくて」

「あ~、そういうことか」


 耳を真っ赤に染めたラトカを見ながら、ガレンは髪をかいた。

 先刻、追手から身を隠したとき、ラトカの耳が赤かったのは息を止めていたせいだと思っていた。

 だが、どうやらただ照れていただけらしい。


「ってことは悪いことしたな。さっきも気軽に触っちまったろ」

「いえ、あれは仕方ないことでしたし」


 羞恥心が収まったのか。

 ラトカがゆっくりと顔を上げる。


「それに、べつにあなたを嫌っているわけではないので」

「意外だな。てっきり嫌われてるかと思ってたんだが。ほら、無理矢理こうして付き合わせてるだろ」

「あっ」


 やはり現状に至るまでのことをすっかり忘れていたようだ。

 ラトカははっとなったあと、顔をそらしながら両の手の平をこちらに向けてきた。


「やっぱりあなたのことは嫌いです。そういうことでよろしくお願いしますっ」

「なんだよそれ」


 ころころと表情が変わって本当に面白い。

 ガレンは思わずふっと笑みをこぼすと、手を差し出した。


「ほら」

「なんですか?」

「手、繋ぐんだよ。またこけないようにな」

「も、もうこけませんーっ!」

「ほんとか? 泥だらけになっても知らないぜ?」

「絶対にこけません。でも、もしものことがありますから……お借りします」


 ラトカの小さな手がそっと重ねられる。

 ……素直じゃないな。

 そう思いながら、ガレンは彼女の手を握った。



◆◆◆◆◆


 腐蝕領域の足場は想像以上に悪く、思うように進めなかった。

 おかげで腐蝕領域を抜けたときには夜の帳が下りていた。

 暗がりの中、精霊による加護の光を頼りに歩んでいく。


 辺りは丘陵地帯となっており、坂が多かった。

 どれも急ではないが、地味に足にくる。


 隣からラトカの荒い息が聞こえてきた。

 腐蝕領域を抜けてからまだ間もない。

 疲労がかなり蓄積しているようだ。


「少し休もう」

「まだ、大丈夫です」

「そんな死にそうな顔で言われてもな」

「一応、死のうとは思ってますので間違ってないです」

「笑えねえ冗談だ」


 同意も得ずにガレンはその場に座った。

 ちょうど窪みになっており、土の壁に背を預けられた。


「本当に自分勝手です」


 ラトカはため息をつくと、渋々といった様子で隣に座った。

 互いの距離は人ひとり分ほど離れている。


 ガレンは天を見やった。

 広がる奪われた空。

 そこには本来あるはずのものがない。


「やっぱりないんだな、星」

「星ですか。聞いたことはありますが……」

「数えきるなんてできないぐらい沢山あるんだ。しかも、そのどれもが宝石みたいにきらきら光っててよ。夜の暗いってイメージが吹っ飛ぶぐらい明るいんだぜ」

「星を見たことある人なんているはずがないのに、なんだかガレンさんが言うと本当にそうなのだと思えてきます」

「だって本当のことだからな」

「やっぱり変な人です」


 少し呆れたようにラトカは笑った。

 その顔は不思議と穏やかだ。


「もう今日中には竜の頂に戻れませんし、儀式はできませんね」

「落ちついてんだな」

「災いはただちに降りかかるわけではありませんから。まだ望みはあります。でも、あなたは捕まればきっと殺されてしまうから」


 言って、ラトカは引き寄せた自身の両膝に顔をうずめた。


「少しの間、一緒にいたら理解できるかもって思ったけど、やっぱりガレンさんのことが理解できません。理由もわからないのにただ助けたいなんて。そんなのおかしいです」

「さっきも言ったが、俺にも本当にわからないんだ。けどな」


 ガレンは自分の胸に手を当ててみた。

 その奥にある記憶の器はスカスカだ。

 しかし、その中にも主張する強い感情があることに気づいた。


「こん中に強い後悔があるのを感じるんだ。きっと昔、同じような状況で俺は後悔するようなことを選んじまったんだろうな。だから俺は後悔しないほうを……ラトカを助けるってほうを選んだんだと思う」

「そんな感情、早く捨てるべきです」

「どうして捨てなきゃなんねえんだよ」

「捨てないと前に進めません」


 ラトカの声には妙に力がこもっていた。

 きっと自分に重ねているのだろう。

 生贄となること。

 それは未来を失うことと同じだ。


 これからしようと思っていたこと。

 したいと思っていたこと。


 後悔を抱いたままでは死ぬことに納得できない。

 だから、ラトカは後悔を捨てて前に進むことを――。

 死ぬことを選んだのだ。


 彼女なりの決意だったのだろう。

 間違っているとは言えない。

 だが、ガレンの考え方とは大きく違っていた。


「俺は違う。俺はこの後悔を楔にして自分自身を脅すことにした。二度と同じ過ちを繰り返さないようにってな」

「そんなの、自分を誤魔化してるだけじゃないですか」

「後悔したのはきっと俺自身だ。だったら最後まで付き合ってやるよ。俺が求める、俺になるためにな」


 ガレンはすっくと立ち上がった。


「それに前に進むとか後ろに進むとか、たぶん俺が求めてんのはそういうんじゃねぇんだよ。昔もいまも、きっと俺が見てたのは――」


 天を指差しながら、言う。


「空だけだ」


 いまはそこに空はない。

 だが、目をつむれば鮮明に思い描くことができる。


 様々な色や大きさを持つ無数の光で彩られた、満天の星空。

 真白な雲がたゆたい気ままに風が流れる、抜けるような青空。


 そこに縛るものはなにもない。

 あるのはただ自由だけだ。


「どうしてそんなに真っ直ぐなんですか」


 ぽつりと零れたラトカの声は震えていた。


「頑張って諦めたのに。わたしにはもうなにもないんだって思ってたのに……あなたのせいで……!」

「やっぱ捨てきれてねえじゃねぇか」


 ラトカの瞳は鳴いていた。

 目尻から溢れた涙が頬を伝ってこぼれ落ちていく。


「一緒に行こうぜ。とにかく生きて、あとのことはそれから考えるんだ」


 ガレンは手を差し出した。

 今度は転ばないように、ただ繋ぐためのものではない。

 彼女の未来がかかった手だ。


 ラトカが恐る恐る手を伸ばした。

 白くて、細い指先がガレンの手に触れようとした、そのとき。


 ガレンの視界が揺れた。

 見えていた景色が流れ、糸としか認識できない。

 やがて視界が固定されたとき、ガレンは頬を土につけていた。


 いったいなにが起こったのか。

 吹き飛ばされる直前、白い渦のようなものが視界の端に映った。

 ただそれだけしかわからなかった。


「ガレンさんっ!」


 ラトカの悲鳴が聞こえてくる。

 誘われるようにガレンは顔を上げる。

 と、暗闇の中に揺らめく灯が幾つも映った。


 その灯に照らされる形で数えきれないほどの人影が姿をあらわす。

 多くの者が見覚えのある軽鎧を纏っている。

 間違いない。ラトカを追ってきた者たちだ。

 待ち伏せされていたのだろうか。


「巫女を安全なところまで連れていけ!」

「離してっ、離してください! ガレンさん!」


 拘束されたラトカが離されていく。

 助けに行かなければ。

 ガレンはすぐさま立ち上がろうとするが、思うように体が動かない。


 おそらく先ほど受けた攻撃のせいだ。

 体のあちこちが焼けるように熱い。

 痛み、悲鳴をあげている。


 だが、それでも行かなければならない。

 強迫観念にも似た衝動が内から湧き上がった。

 半ば無意識に熱がこもった体を動かし、ゆらりと立ち上がる。


「あれを受けてもまだ立てるのか」


 灯を持たずに近づいてくる者がいた。

 暗闇に目が慣れたのか。

 あるいは周囲の灯のためか。


 その顔をはっきりと見ることができた。

 忘れもしない。

 竜の頂で対峙したラトカの兄。

 クリス・バルバラードだ。


 ガレンはポケットから小石を二つ取り出した。

 予めしのばせておいたものだ。

 ほかにはベルトに幾本かの小枝を挟んである。


「生きるって思ってくれたんだ。あいつの手を引いた俺がこんなところで倒れるわけにはいかねぇんだよ……!」

「言うだけなら簡単だ」


 冷め切った声をあげながら、クリスが剣を抜いた。

 それを合図にガレンは巨大化させた石を勢いよく放り投げた。

 先に投げた石の陰に隠す格好でさらにもう一つの巨石を放る。


 が、一つ目だけでなく二つ目の巨石もあっさりと切り裂かれてしまった。

 クリスには風の力を宿した魔甲印がある。

 あの程度の小細工が通用しないことはわかっている。

 だから、ガレンは第三の手も用意していた。


 地面に小枝を突き立て、巨大化。

 大木とし、クリス側に倒した。

 巨石を破壊したばかりのクリスの頭上に大木が落ちていく。


「小ざかしい真似を!」


 クリスが咆哮とともに剣を振り上げた。

 付随する格好で発生した竜巻のごとく風の激流が天へと昇り、大木を迎え撃つ。

 まさか無傷で凌ぎきられるとは思わなかった。

 だが――。


 大木が倒れる間を利用し、ガレンは駆け出していた。

 クリスの視界から外れたのち、ぐるりと大回りして彼との距離を詰める。

 幸いクリスが起こした風の激流によって音はかき消されている。

 周囲の兵士たちの声がクリスに届くことはない。


 肉迫寸前、小枝を変貌させた。

 それを脇に抱えながら一直線に突撃する。


 声はあげていない。

 だが、気配を感じとったのか。

 こちらに振り向いたクリスがとっさに剣を割りこませてきた。


 ガレンは構わずに丸太をぶつける。

 まるで分厚い壁にぶち当たったような感覚だった。

 とても剣を叩いたものとは思えない。


 見れば、クリスとの間に風の壁が生まれている。

 間違いなく魔甲印によって起こされたものだ。


 完全に防がれたかと思いきや、衝撃は徹っていたらしい。

 クリスが足を地面に減り込ませながら後方へと吹き飛んでいく。

 ただ、体勢を崩すには至っていない。


 休む間を与えてはならない。

 そう本能で感じたガレンはすぐさま前へと駆けた。

 両足を地面に叩きつけて急停止するや、抱えた丸太を全力で振り回す。


「おらぁああああああああっ!!」

「調子に乗るなよ、野蛮人が!」


 クリスが高々とかかげた剣を振り下ろし、力強く地を叩く。

 地面に極太の亀裂が走る中、剣より突風が発せられた。

 まるで周囲の空気を切り裂くように迫ってくる。


 ガレンは逃げる間もなく風の波に呑まれた。

 あまりの風圧に丸太を手放してしまう。

 無数の裂傷が体中に刻まれ、顔を歪めてしまう。


 だが、すべてを気にせずに突き進んだ。

 たとえこの身一つだけになっても関係ない。

 傷が増えても関係ない。


 ――止まるわけにはいかない。

 それだけを思いながら進み続け、ついにクリスの姿を捉えた。

 あとは拳を叩き込むだけだ。


 そう思うが、もう拳を上げることすらできなかった。

 足も前に踏み出せなかった。

 そこでようやくガレンは自分が力尽きたことに気づいた。

 どさり、と音をたてて崩れ落ちる


「生身でわたしの風を抜けるとは……貴様、化け物か」


 クリスの声が降ってくるが、ガレンはか細い息を返すことしかできなかった。


「慈悲だ。いますぐに殺してやろう」


 これから死ぬことへの恐怖なんてなかった。

 ただただ後悔だけが胸中を支配していた。


 また守れなかった。

 また死なせてしまった。


 覚えのない記憶が言葉となって流れていく。

 満ちた後悔が溢れ出しそうになった、そのとき――。


 ガレンの意識は途絶えた。



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