◆第二十三話『天穿つ大樹の剣』
ふいに覚えのある声が聞こえてきた。
続いて、凄まじい爆発音が幾つも轟いた。
ガレンは弾かれるようにして顔を上げる。
イズガルオムが光線を吐く構えを解いていた。
理由は……間違いない。
その背から大量にあがっている黒い煙だ。
いったいなにが起こっているのか。
煙の中から茶色い物体が飛びだしてきた。
小さな両翼を持ったボートのような構造。
あれは機巧工房でテュッポ姉弟に紹介してもらったブラウンサンダー号だ。
ということは乗っているのも――。
「機巧工房特性コロコロ爆弾、炸裂っぽー!」
「日頃の恨みっぽー!」
やはりテュッポ姉弟だった。
「あいつら、どうして……?」
操縦しているのは姉のアッポのほうだ。
カッポは後部座席から黒い球体を落としまくっていた。
それらはイズガルオムの背に着弾するなり爆発し、さらなる煙を起こしている。
先ほど叫んでいた通り本当に爆弾のようだ。
しかし、イズガルオムにはほとんど損傷が見られない。
「なにやってんだ! 二人とも早く逃げろっ!」
わずらわしいとばかりにイズガルオムがテュッポ姉弟たちを食わんとする。が、ブラウンサンダー号は黒煙に紛れて姿をくらまし、巧みに回避していた。
「沢山撃墜されて学んだっぽ!」
感心するも安心はできない。
爆弾に限りはあるはずだし、なにより相手はイズガルオムだ。
そう長くもつはずがない。
どうにかして助けたいところだが、いまの状態では――。
「足を負傷したのか」
ふいに聞こえた声に振り返るとクリスが立っていた。
先ほど戦った際に動けなくなるほど負傷していたはずだが、そんな様子はいっさい見られない。
「……どうしてお前が? ってラトカ、ヴィオラまで……?」
クリスの少し後ろのほうからはラトカ、ヴィオラが向かってきている。
「ボクが連れきた!」
テュールが意気揚々と現れながら言った。
天地の境界へと上がるには彼女の力が必要だ。
おそらく先に現れたテュッポ姉弟も彼女の力によるものに違いない。
「苦戦しているようだったからな。文句は言えないだろう」
言いながら、テュールはこちらの足を見つめてくる。
まさに彼女の言う通りでガレンは出かかった責めの言葉を呑み込んだ。
「ラトカっ、いまのうちにこいつの足を治せ」
「はいっ」
クリスの命に応じてラトカがガレンの足に手を当てると、魔甲印による治癒をはじめる。
「貴様、剣はどうした」
「……あそこだ」
イズガルオムの足もとのほうへと視線を送る。
そちらをじっと見つめたクリスが息を呑んだ。
「……わたしが取ってくる」
「待てよ、お前もうほとんど魔力残ってないだろ」
「あれから時間は経った。少しだけなら使える!」
言うや、クリスが駆け出した。
「無茶だ!」
「無茶かどうかはやってみないと、でしょ! クリス、援護するわ!」
ヴィオラまで加担しはじめる。
彼女は背に抱えていた巨大なナニカを下ろした。
ずしんと重みのある音を鳴らしたそれは人間の体ほどの砲身を持っており、まさに大砲といった様相だ。
砲身は無骨なスタンドで支えられている。
以前、言っていた刻印開放を使うための専用武器だろうか。
イズガルオムの咆哮が辺りに響いた。
すぐさま視線を戻すと、イズガルオムの吐息で黒煙とともにブラウンサンダー号が遠くへ吹き飛ばされていた。きりもみ回転をしながら落下していく。
このままでは撃墜してしまう。
そう思ったとき、ブラウンサンダー号から座席が飛び出した。
さらにパラシュートが開き、つられたテュッポ姉弟がゆっくりと落下していく。
「覚えていやがれっぽー!」
そんな捨て台詞まで吐いていた。
伊達にやられ慣れていないらしい。
だが、こうなると問題は――。
厄介事を取っ払ったイズガルオムが接近するクリスを捉えていた。
イズガルオムの攻撃は《果ての領域》を使ってようやく回避できるほどだ。
ましてや魔力のほとんど残っていないクリスが攻撃を回避するのは難しい。
だが、彼は足を止めずにひた走っていた。
ヴィオラの声が聞こえてくる。
「我、刻印の主が命ず。結び解け……限りを払い、その力を見せよ」
魔導砲の左側面のレバーにかけられた彼女の右手。
そこに刻まれた魔甲印が赤い煌きを放つ。
呼応するように魔導砲の砲口に青白い光が収束しはじめる。
「――刻印開放。これがあたしの本当の全力よっ!」
魔導砲から放出された無数の氷刃が砲口先の虚空に円を模るよう固定された。円は幾つも造られ、離れるほど大きく、また刃の数も多くなっている。
一瞬のうちに氷刃が配置された直後、魔導砲から青白い光の奔流が撃ち出された。氷刃で描かれた幾つもの円の大きさに合わせて広がり、ついにはイズガルオムをも呑み込んだ。
やがて青白い光の奔流が通り過ぎたとき、氷漬けになったイズガルオムの姿が現れる。
ガレンは思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
巨人との戦いで見たときとは段違いの威力だ。
おそらく大抵の相手ならばこれで終わりとなるのだろう。
だが、イズガルオムはすでに頭部の氷を破壊していた。
首の氷も亀裂が入りはじめている。
「そんな……一瞬しかもたないなんて……っ」
刻印開放によってほとんど魔力を使い切ったからだろう。
ヴィオラが悔しさを顔に滲ませながら力なく魔導砲によりかかっていた。
頭部の氷は解かれたが、足のほうはまだ凍ったままだ。
ただ、イズガルオムだけでなく、その周囲の天地の境界も凍っていた。
クリスが氷となった足場にてこずっている。
「くっ、滑るっ!」
「踏みつけられるよりマシでしょ!」
「とは言え、これは――」
クリスは幾度か転びながら、なんとかグラスヴェイルのもとに辿りついた。
グラスヴェイルを急いで持ち上げる。
が、あまりの重さに切っ先を地から離せないようだ。
「ならば……風を使うまでだ!」
そう叫んだクリスの魔甲印が眩い光を放った。
風に包まれたグラスヴェイルがふわりと浮き上がる。
と、クリスの投擲に応じて飛翔し、一直線にこちらへと向かってくる。
その最中、ラトカが声をあげる。
「ガレンさんっ」
「ああっ」
治癒が終わったようだ。
ガレンは即座に立ち上がった。
足の痛みはない。
それどころか体の痛みすらない。
《果ての領域》によって生じた体内の圧迫感を除けば最高の状態だ。
ちょうどグラスヴェイルが眼前に迫っていた。
柄を握り、掴み取る。
と、その身を覆っていた風が弾け飛んだ。
「空を見せると言っただろ! ラトカを救うと言っただろ! ならば、その未来をわたしに見せてみろ!」
そう叫んだクリスのそば、そびえるイズガルオムの左前足が氷の束縛を解いた。持ち上げ、クリスを踏みつけんとする。
すでにガレンは動きだしていた。
敵との距離を詰めながら、巨大化したグラスヴェイルの切っ先を敵の左足の脛へと突きつけた。うなり声を上げて敵が後方へ下がっていく。
「ああ、見せてやるよッ!」
そばを通りすぎるクリスへとそう宣言しながら、ガレンは敵に大振りの剣撃を繰り出した。敵の注意が完全にこちらに向いたのを機にラトカたちから距離をとるように誘導を始める。
……あいつら、ほんと無茶しやがって。けど、助かったぜ。
これでまた戦える。
ただ――。
再び挑戦する機会を得たものの、心は不思議と落ちついていた。
先ほどラトカたちが来なければ殺されていたのだ。
また挑んでも勝てる可能性は……低いだろう。
ほんのわずかだが傷は与えられている。
だから攻撃を続けさえすれば、いつか倒せるかもしれない。
初めはそう思っていたが、浅はかだった。
いくら攻撃を加えても敵に衰えは見えない。
いつ倒れるのか見当がつかない。
ガレンはグラスヴェイルの柄を強く握りしめながら、思う
まだ足りない。
力が――。
「主っ!」
そばに燐光がちらついたかと思えば、テュールが視界に割り込んできた。
「なにしてんだ、危ないだろ!」
「わぷっ」
ガレンは慌ててテュールを左手で抱いた。
天高くから滑空し、向かってくる敵の進路から急いで退避する。
敵が凄まじい勢いでそばを通り過ぎていく。
巻き起こった風に吹かれる中、テュールが左手からすぽっと頭を出した。
「伝えたいことがある! 《果ての領域》のことだ! 本当は二段階ではなく――」
「三段階目まであるんだろっ!?」
「……気づいていたのか?」
「確証はなかった。ただ、なんとなくだ。俺の体が言ってんだよ……まだいける。俺の限界はここじゃないってな」
ガレンは自身の胸を見やった。
激しい鼓動を見せる心臓は明らかに平常ではない。
筋肉も膨張し、痙攣のごとく震えている。
限界が近い。
そう理性が語りかける中、体の奥底ではまだ渇望しているのだ。
止まるな。
さらなる果てを目指せ、と。
「だがそれはっ! ……二段階とは比較にならないほど主の体を――」
「俺に天蓋竜と戦うのが使命だとかなんとか言っておきながら、もしかして心配してんのかよ。変な奴だな」
「それは――」
ガレンは左手の親指でテュールの頬を撫でた。
「ありがとな」
「……主」
「できるだけ遠くに逃げろ」
テュールを手放し、そっと宙に浮かせた。
彼女はなにか言いたげだったが、ガレンは構わずに背を向けた。
遠く離れたところで旋回するイズガルオムを視界に収める。
「もう後悔したくねえんだよ。もうなにかにためらって、守りたい奴を守れなくなるなんてのはいやなんだよ」
自身に打ち込んだ後悔という名の楔。
その根源たるものが脳裏に一気に流れ込んでくる。
――なんかかっこいいこと言ってるけど、あんまり危ないことしないでね
――もちろん悲しむよ。だってお財布がなくなっちゃうしね
――冗談に決まってるじゃん。お兄ちゃんのこと大好きだよー
――おにぃ……ちゃ……ん
夢で見るたびに絶望感に苛まれた。
だが、もっとも大きくなった感情は自分自身への怒りだ。
脅威を前に躊躇わなければ助けられた。
いまも同じだ。
躊躇わなければ助けられる。
守りたいと思った少女。
ラトカを救うことができる。
――望むのは己の果て。
「だから俺はッ、俺の――すべてを賭けるッ!!」
左手で自身の胸を叩き、哮る。
刻まれた魔甲印が赤く煌き、辺りを眩く照らす。
腹の底でなにかが蠢いた。
一度目はゆっくりと。
二度目は大きく。
そして――。
三度目に弾けた。
体内のあらゆるものが膨れ上がりはじめる。
飛び出しそうになる眼球。
膨張する筋肉。
さらに魔力だろうか。
周囲を暴風のごとく緑の光が荒々しく舞いはじめる。
ガレンは雄叫びをあげた。
暴れ狂う全身を無理矢理に押さえ込む。
だが、消すことはしなかった。
いまも体内で暴れるものこそが力だと悟っていたからだ。
一瞬でも気を抜けば朦朧としそうだ。
ガレンは深く息を吐く。
これが三段階目が体に与える負担か。
たしかに凄まじい痛みだ。
いまも全身がみちみちと悲鳴をあげている。
だが、大したことはない。
こんな痛みで力を得られるのなら――守りたいものを守れるのなら、いくらでも食らえるぐらいだ。
視界の中、イズガルオムが威嚇するように咆哮をあげていた。
こちらの変貌に脅威を感じとったのか。
さらにその口を天へと向ける。
天上から光線を降らすつもりだ。
ラトカたちを巻き込みかねない。
ガレンはすぐさま地と蹴った。
そのたった一度でイズガルオムに肉迫する。
驚きはなかった。
これぐらいならできると内包する力から察していた。
右脇に流したグラスヴェイルにこれまでより強い願望を込める。
と、イズガルオムの全長をも越えるほどになった巨剣へと変貌した。
切っ先で天地の境界をなぞりながら、力の限り振るい、敵の下顎へとぶつける。鈍い轟音。イズガルオムが呻きながら体をよろめかせた。天上に現れはじめていた無数の魔法陣が消滅していく。
詠唱は止まったようだが、ガレンは止まらなかった。
着地と同時にすかさず切り返しの薙ぎを見舞い、敵の体躯を突き飛ばす。
たしかな感触があった。
だが、敵は長い距離を滑ったのちにすぐさま体勢を立て直してしまう。
四足で立ち、憤慨するように咆える。
思った以上に損傷が見られない。
まだだ。
こんな攻撃では奴を倒せない。
こんな大きさでは奴を倒せない。
――望むのは無限の成長。
「グラスヴェイルゥッ!! お前の果てを見せてみろッ!! 俺もッ、俺の果てを見せてやるッ!!」
ガレンはグラスヴェイルの切っ先を天に向ける。
交わる二つの魔甲印がさらなる光を生み出した。
眩い光が辺りに満ちる中、グラスヴェイルがとてつもない速度で大きくなり、その切っ先を天へと近づけていく。
やがて硬いなにかに激突した。
阻んだのはオゥバルの空を覆う灰色の壁。
ここが俺の果てなのか。
ここが限界なのか。
いや――。
「まだだッ! 俺の限界はここじゃねぇッッ!!」
ガレンは腹の底から叫んだ。
喉が潰れそうになるほど叫んだ。
己の中に溢れる血の一滴までを震わせ、生まれた熱のすべてを手からグラスヴェイルへと届けた。
そして、ついに。
世界にわずかな陽の光が射し込んだ。
間違いない。
灰色の壁を穿ったのだ。
だが、まだだ。
まだ空を奪い返したわけではない。
倒さなければならない。
奴を。
イズガルオムを。
視界の中、イズガルオムが顎を引いていた。
光線を放つ構えだ。
ガレンは刃先を敵へと向けた。
己のすべてを乗せた一撃だ。
これで決める。
「ぉおおおおおおおおお――――ッ!!」
ガレンは猛りながら、グラスヴェイルを敵側へと倒した。
灰色の壁を裂きながら天を穿った剣身が再び姿を現す。
その大きさはもはやイズガルオムの比ではない。
世界を支えるほどの大樹。
そう称してもおかしくはないほどに巨大だ。
イズガルオムが咆哮とともに光線を吐き出した。
敵もまた命運を決めると感じたのか。
その光線はこれまでよりも太く、速い。
だが、グラスヴェイルは呑み込んだ。
光線も。
それを吐き出したイズガルオムをも。
世界が揺れたのではないか。
それほどの衝撃と轟音だった。
遠く離れた先、グラスヴェイルの下にひしゃげたイズガルオムの姿がかすかに映った。だが、その姿はすぐに燐光と化し、弾けるようにして散った。
……倒したのだろうか。
その答えは天が与えてくれた。
陽の光が空から降り注いでいた。
そこに灰色の壁はもうない。
あるのは抜けるような青い空だけだ。
眼下の大地では紫色――腐蝕領域が消滅していく。
木々が緑を取り戻し、それらを彩るようにあちこちで水が湧きはじめている。
あるべき自然が蘇っている。
ついにやった。
空の支配者。
天蓋竜イズガルオム倒したのだ。
これまで息つくことなく戦っていたからか。
ガレンは安堵と同時に全身からふっと力が抜けた。
思わず倒れそうになったが、巨大化を解除したグラスヴェイルを支えになんとか防いだ。
まだだ。
まだ倒れるわけにはいかない。
――彼女に伝えなければならない。
ガレンは静かに呼吸し、自身を苛む痛みを振り払った。
しかと立ち、胸を張った。
見据える先は離れたところでへたり込んでいるラトカだ。
彼女は信じられないといったように放心しながら目から大粒の涙をこぼしている。
「ラトカっ! 見ろ! これが本当の空だ!」
ガレンは叫んだ。
初めて出逢ったあの日の夜。
本当の空を教えてからというもの、ずっと見せたいと思っていた。
空を見上げたラトカがゆっくりと頷き、震える声で答える。
「……はい。綺麗です……とても……っ!」
「あんな暗くて先のない空は空じゃない。本当の空は明るくて、いつでも俺たちを、俺たちの未来を照らしてくれる」
そして、ずっと言いたかった。
言ってあげたかった。
――この世界に見捨てられた彼女に。
「ラトカ。もう、お前は自由だ」




