◆第二十一話『交わる後悔』
イズガルオムが上空からみたび突撃をしかけてくる。
ガレンは腰を軽く落とした。
地面にグラスヴェイルの柄尻を固定。
敵に切っ先を向け、巨大化を付与する。
グラスヴェイルの剣身が伸びていく。
砲撃のごとく猛烈な速度だ。
剣の切っ先が敵の上顎と激突する。
轟音と同時、凄まじい衝撃に襲われた。
突進力に押し負け、後方へとずるずる追いやられる。
腕が弾け飛ぶのではないか。
そんな痛みに思わず顔を歪めてしまう。
敵が猛りながら剣を弾き飛ばした。
つられる格好でガレンは体勢を崩してしまう。
その間に敵は天地の境界に着地、尻を振るった。
鞭のようにしなる長い尾が天地の境界上を隙間なく滑り、迫りくる。
尻尾だけでも相当な大きさだ。
まさに壁と言っても過言ではない。
ガレンは揺られた剣の勢いを殺さずに上段に構えなおした。
そのまま勢いよく尻尾に向かって振り下ろす。
尻尾から生えた無数の槍のような鋭い刃。
そこに激突したからか、重厚な接触音が鳴り響いた。
感触は充分だ。
しかし、尻尾の勢いは止まらない。
剣を持ち上げながら尻尾は迫りくる。
このままでは間違いなく轢かれる。
ガレンは即座に剣の巨大化を解除。
尻尾を飛び越えんと跳躍する。
あと少しで尻尾を越えられる。
そこで最高点に達してしまった。
ガレンは自身を庇うよう斜めに倒した剣を割り込ませた。
鈍器で叩かれたような感覚に襲われたのち、上方へと弾き飛ばされる。
眼下を尻尾が通り過ぎていく。
痛みを伴ったが、なんとか乗り切った。
ガレンは空中で体勢を整えながら着地。
すぐさま敵の懐へと駆け出した。
止まれば殺られる。
動き続けろ――ッ!!
左後ろ足の外側から敵の懐へと潜り込んだ。
地団駄を踏むように敵が足を振り下ろしてくる。
動きが限定されていることもあり、避けるのはたやすい。
振り下ろされた際に生じる風のほうが厄介だった。
体が吹き飛ばされないよう堪えながら敵の懐から飛び出る。
振り返り、そばにそびえる敵の右後ろ足へと跳んだ。
隆起した関節部分へと足をかける。
さらに幾度かの跳躍を経て、敵の背へと飛び乗った。
鉱物のように硬い鱗を蹴りつけながら首のほうへと向かっていく。
鬱陶しいとばかりに敵が荒々しく体を揺らした。
だが、敵の体が大きいために踏み外す心配はない。
そのまま駆け続けると、敵の首根っこが見えてきた。
目指していた箇所だ。
多くの生物は胴体から頭を切り離せば殺せる。
その考えから首を断ち切ろうと思ったのだ。
ガレンは足を叩きつけるようにして急停止する。
肩に担いだグラスヴェイルを一気に巨大化。
雄叫びとともに振り上げ、下ろした。
巨剣が周囲の風を巻き込みながら落下し、イズガルオムの首根っこに激突する。
とても生物の肌に触れたとは思えない重厚な音が鳴り響く。
断ち切るのは無理だった。
ただ叩いただけに終わった形だ。
だが、敵は初めて慟哭のような声をあげた。
もがき苦しむように暴れはじめる。
ここが効くのか。だったら――。
「何度でもくらわしてやるよッ!」
ガレンは引き戻したグラスヴェイルを再び振り上げる。
と、剣ごと体が後ろへ引っ張られた。
視界が揺れ、灰色の壁が映り込む。
そこでようやく敵が飛翔したのだと気づいた。
まともに立っていられなくなり、しまいには鱗の上を滑り落ちはじめる。
すぐさまグラスヴェイルの巨大化を解いた。
もっとも近い鱗の継ぎ目に体を引っかける。
剣も使って固定した。
それでも剥がされそうになるほど吹きつける風は凄まじかった。
とても目を開けていられない。
イズガルオムはさらに速度を上げ、旋転まではじめる。
ガレンはどちらが上なのか判断がつかなくなってきた。
絶対に離れてやるかよ……ッ!
そんな意地を張ったとき、視界の端に天地の境界が割り込む。
敵は背を天地の境界に押しつけるつもりだ。
このままでは押しつぶされる――。
ガレンは鱗の継ぎ目に引っかけたグラスヴェイルを巨大化させ、体を中空へと突き出した。敵の纏った風にさらに弾かれ、体が踊りながら落下していく。
最中、天地の境界に背中を擦りつけた敵が再び飛翔。
旋回したのちにこちらを向いて下り立った。
首をしならせ、顎を引く。
光線を放出する構えだ。
着地後に訪れたわずかな硬直を感じながら、ガレンは悟る。
いまから左右へ走っても逃げられない。
ならば、とイズガルオムへ向かって駆けだした。
ほぼ同時、敵の大口から青白い光線が吐き出される。
瞬く間に視界の大半が埋められてしまう。
ガレンは刃先を敵に向ける格好でグラスヴェイルを天地の境界に突き立て、巨大化を付与。体を一気に持ち上げた。
あと少しで接触というところで光線から逃れる。
重苦しい音を轟かせながら眼下を通り過ぎる、光の奔流。
その光景を前にガレンは思わず戦慄を覚えてしまう。
――耐えてくれ、グラスヴェイルッ!
光が止んだとき、グラスヴェイルには傷一つついていなかった。
美しい輝きを放ったままだ。
イズガルオムをいくら殴っても傷がつかなかったので相当に頑丈だとは思っていたが、まさかこれほととは思いもしなかった。
ガレンは思わず安堵してしまうが、すぐに気持ちを切り替えた。
敵の攻撃は躱した。
今度はこちらの番だ。
巨大化を維持させたままグラスヴェイルを敵側へと倒した。
柄を握ったままのガレンも天地の境界との距離を縮める。
初めは緩やかだった落下速度が段々と上がっていく。
やがて着地したとき、とてつもない衝撃に両足が襲われる。
思わず膝をつきそうになるが、歯を食いしばって堪えた。
全身がみちみちと悲鳴をあげている。
だが、止めるつもりはない。
「ぁああああ――ッ!!」
勢いを殺さないよう振り上げたグラスヴェイルを敵の頭頂部へと一気に叩き落した。骨を揺らすような重い音が響き渡る。
さすがのイズガルオムも耐え切れなかったか。
その顎を天地の境界につけ、崩れ落ちた。
倒したかどうか。
そんな思考すらせずにグラスヴェイルを引き戻し、再び振り下ろす。が、咆哮とともに起き上がったイズガルオムに弾かれてしまう。
やっぱりこれぐらいじゃ倒せねぇよな……けど――ッ!!
再び立ち上がったイズガルオムを前にガレンは絶望するどころか不思議と高揚感のようなものを覚えていた。
余裕なんてない。
だが、届く。
奴の領域に、俺の限界は届く――ッ!
◆◇◆◇◆
クリス・バルバラードは地に背を預けながら己の弱さを痛感していた。
いや、本当はずっと前から感じていた。
自分は弱い人間だ、と。
視界を埋め尽くすのは見慣れた灰色の壁ではない。
ほのかに青い硝子のような壁だ。
硝子のような壁の向こう側に二つの影が見えた。
一つは山を思わせるほどに巨大な影。
間違いなく天蓋竜だろう。
もう一つは視認できるかどうかも怪しいぐらい小さな影。
天蓋竜と戦うと言っていた男。
おそらくガレンだ。
あまりに遠いため、戦闘の様子ははっきりとわからない。
だが、激しい衝突音がいまもなお響いている。
あの天蓋竜を相手に戦い続けているのだ。
クリスは下唇を思い切り噛んだ。
どうしようもなく悔しいと思ったのだ。
ふっと過去の記憶が脳裏に蘇りはじめる。
天蓋竜からラトカを守る力を得るため、騎士名家の養子になった。
それからというもの、文字通り血の滲むような努力をした。
すべての鍛錬がラトカを守ることに繋がると信じて剣を振り続けた。
そして刻印騎士となり、気づけば自分に敵う騎士は周りにいなくなった。
ついにはオゥバルを代表する騎士――《聖騎士》の称号をも王から賜った。
だが、強くなったからこそわかった。
イズガルオムの強大さを。
戦わずしてイズガルオムに背を向けた。
妹を……ラトカを守るという約束を破った。
仕方がなかったのだ。
あれは人が手を出していい存在ではない。
手を出したところで勝負にもならない。
ただ、命を捨てるようなものだ。
だというのに――。
なんなのだ、あいつは……!
臆することなく天蓋竜と戦うと言った。
そしていま、実際に戦って見せている。
心がざわついている。
煩わしい。
だが、これはガレンに対してではない。
自分に対してだ。
クリスは爪が食い込むほど両手を強く握りしめる。
とうの昔にケリをつけたと思っていたのに……。
「まだ残っていたのか。わたしにも後悔というものが」
「だったら行けばいいんじゃない?」
ふと声が聞こえてきた。
いまのいままで気づかなかったのは意識が違う方へ向いていたからか。
すぐそばに人が立っていた。
その顔を縁取る長く艶やかな髪が穏やかな風に揺られ、靡く。
「……お前は」
一国の姫と言われても疑いようがない。
それほどの品を纏った女性。
ヴィオラ・エシュモニーク。
オゥバルが嘱託として扱っている騎士だ。
クリスは彼女に鋭い目を向ける。
「あの男を逃がした者がよく顔を出せたものだな」
「でも、そのおかげであなたはもう一度悩むことができた」
クリスは思わず目をそらしてしまった。
それを見てか、ヴィオラがどこか同情したように眉尻を下げる。
「あたしもね、迷ってた。けど、ここで行かなかったら後悔するって……たぶん、これから生きててもずっと前を向いて歩いていけないって思ったから。だから」
「あの無謀な戦いに身を投じるというのか」
「ま、平気なわけじゃないんだけどね」
おどけた調子とは裏腹に彼女の足は震えていた。
それほど怯えているというのに、なぜ。
疑問を抱いたとき、クリスはいまの自分の体勢に猛烈な羞恥心を覚えた。
倒されてから時間がたっている。
体の感覚は戻ってきていた。
座るところまではすんなりといったが、それ以上はまだ辛いと感じた。
支えとなるもの――剣はどこか。
視線を巡らせると少し離れたところにあった。
ふと二人のコロット族が視界に割り込んできた。
ヴィオラとよく一緒にいる者たちだ。
彼らは二人で剣を運んでくると、差し出してきた。
「どうぞっぽ」
「……すまない」
受け取った剣を支えにクリスは立ち上がる。
まだ足に上手く力は入らないが、やせ我慢をして背筋を張った。
「だが、どうやって行くつもりだ?」
ヴィオラに問いかけた。
頭上に広がる青い壁は、天蓋竜の攻撃を受けてもびくともしていない。
それほどの強度を持ったものを突破できる方法など思いつかなかった。
「さっきまでそれで困ってたんだけど……どうにかなりそうかも」
そう口にしたヴィオラの視線はこちらの背後を向いていた。
クリスはつられて振り向く。
と、思わず目を見開いてしまった。
「クリスさっ……お兄様っ!」
こちらに向かってラトカが走ってきていた。
後ろにはガレンと行動をともにしていた小さな人型のなにかが浮いている。
どうにかなる、とヴィオラが言ったのはあの存在が理由だろうか。
それにしても、とクリスはラトカを見やった。
逃げれば良いものを……。
なぜ、また目の前に現れたのか。
「どうするの?」
ヴィオラが訊いてくる。
オゥバルを守る騎士として、本来ならばオゥバルの安全を第一に即答するべきだ。
だが、できなかった。
すべてはいまも視界に映るラトカの顔のせいだ。
わたしは……!
クリスは剣の柄をぐっと握った。
過去に置いてきた誓いが胸中に蘇りはじめる。
もう遅いかもしれない。
だが、それでも過去にはなかった可能性が手の届く距離にあるのだ。
ならば――。
クリスは天を見やりながら、たしかな意志を胸に抱いた。
答えは決まっている。




