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◆第二話『竜の巫女』

 ガレンは思わず耳を疑ってしまった。

 あまりに衝撃的で理解が追いついていない。


「人がたくさん死ぬってどういうことだよ……」

「本当になにも覚えていないのですね。言葉通りです」


 ラトカの瞳は冷め切っていた。

 そこにはもう駄々をこねていた子どものような彼女はいない。


「この地を治める《空の支配者》に、わたしは巫女としてこの身を捧げなければならないのです」

「空の支配者?」

「太古にこの世界の空を奪い、支配したもののことです」

「空が……奪われた?」


 いったいそれはどんな状態なのか。

 そもそも空が奪われるなんてことはあるのだろうか。

 疑心ばかりが先立つが……。

 ラトカの冷え切った目は嘘をついているようには見えない。


「天を見てみてください」


 彼女に言われるがまま視線を上向ける。

 目に入ったのは灰色のなにかだった。

 雲というにはふくらみがないし途切れてもいない。

 まるで天から汚れた硝子板で蓋をされたような、そんな感じだ。


「……なんだこれ?」


 どうしていままで気づかなかったのか。

 視界には入っていたし薄暗いとは感じていた。

 だが、とくに気にすることはなかった。

 ただ曇っているだけだと思っていたのだ。


「空を奪われたことで陽光の加護を得られなくなった自然は汚れ、腐り、瘴気を放つようになってしまいました。ちょうど、あちらに見えるように」


 ラトカが肩越しに自身の背後へと視線を向けた。

 ガレンは誘われるようにそちら――崖下に広がる景色に目を向ける。


 手前に見える森林の色は緑だが、奥側は紫だった。

 見るからに正常ではない。

 先ほど彼女が口にした通りまさしく腐っているようだった。


「《空の支配者》は空を支配するだけでなく、生命力を求めて人を喰らいます」

「人を喰らう……」

「ですから生命力の高い選ばれた巫女が百年に一度、空の支配者に身を捧げるのです」

「身を捧げるってのはつまり生贄ってことか」

「はい」


 ラトカはこくりと頷く。


「これでご理解いただけましたよね。それでは――」

「それでは、じゃねえよ」


 また崖に向かおうとしたラトカの片腕を掴んだ。

 彼女がため息をつきながら振り返る。


「いまの説明で理解できなかったのですか。あの、失礼ですけどガレンさんってお馬鹿さんなんですか?」

「理解はした。ただ納得できないだけだ。ってか馬鹿って言いやがったな。たぶん馬鹿だけどよ!」

「わたしが身を捧げなければ多くの人が失われる。そう何度も言ってるじゃないですか」

「だからなんでお前が犠牲になる方向に持ってくんだよ」

「しかたないじゃないですか、それしかないんですから」

「しかたないで終わらせていい問題じゃないだろ」

「もうずっとずっと前から決まっていたことなんです。あなたと出逢うずっとずっとずーっと前からっ!」


 ぎゅっと目をつむりながらラトカは叫んだ。

 それからはっとなったあと、ばつが悪そうに目を泳がせる。


「大体おかしいです。出逢ったばかりのわたしの命をそこまで……どうしてなんですか? 理解できません」

「わからない」

「わからないって……そんな曖昧な気持ちで――」

「やっぱりわからない。けど、見過ごしたらダメだって。お前を死なせたらダメだってそう俺の本能が言ってるんだ」


 意味不明なことを言っている自覚はあったが、そうとしか説明できなかった。

 以前――記憶を持っていた頃の性なのか。

 それとも誰かからの教えなのか。

 いずれにせよ誓約と思えるほど深く根付いた考えであることは間違いなかった。


「あなたとはわかり合えそうにないです」


 ラトカが俯きながらそう零した。

 突き放されてしまったが、ガレンにはその距離を埋めることができなかった。

 埋めるだけのものを持っていなかった。


 そうして言葉に詰まっていると、複数の足音が背後から聞こえきた。

 振り向いた先、五人の集団が目に入る。

 全員が軽鎧に身を包み、剣を腰に帯びた格好だ。


 ただ、中央先頭に立つ青年の装備だけはほかより明らかに上質だった。

 自信に満ち溢れた顔からしても彼が集団の指揮官と見て間違いないだろう。

 その指揮官と思しき青年が険しい表情で口を開く。


「先ほど儀式の発動を確認したが、なぜ止めた?」

「申し訳ありません。わたしの不手際で術を失敗させてしまいました」


 ラトカが応対する。

 彼女の髪は白金色だが、対峙する青年の髪も同じ色だった。

 どことなく顔立ちも似ているような気がする。


 とはいえ、家族であるとはとても思えない。

 ラトカに向ける青年の目があまりにも冷たいからだ。


「言い訳はいい。次の満ち満ちる刻は七日後だ。今日を逃せば、その間にどれだけの民が苦しむのかわかっているのか」

「……はい」

「ならば、いますぐに儀式の準備にとりかかれ」


 青年が苛立つように手を払ったのち、彼の目がガレンを捉える。


「それからそこの貴様。何者だ?」

「何者、か。それは俺のほうが知りたいところだ」

「なにをわけのわからぬことを。どうやってこの《竜の頂》まで来た? 返答次第ではこの場で貴様を斬り殺すことになるぞ」


 青年の威圧的な言葉に呼応して配下たちが一斉に剣を抜いた。

 どれも正統的な形状だ。

 鈍色に輝くさまはその切れ味が鋭いことを否応なく伝えてくる。


 それらを前に怯えはあった。

 だが、いま胸中を支配しているのは怒りだ。


「おい、儀式ってのはさっきラトカがやろうとしてたやつのことだよな? お前、ラトカに死ねって言ってるのか?」

「やめて」


 ラトカのその声は静かだが、よく響いた。


「あなた、死にたいのですか?」

「それは俺のセリフだ。このまま放っておいたらお前が死ぬだろ」

「それでいいんです。そうしないといけないんです」


 彼女の瞳には焦りも悲しみもない。

 あるのは諦観だけだ。


 ただ、どうしてだろうか。

 先ほどの言葉――。

 彼女が自分に言い聞かせるためのものとしか思えなかった。


「貴様の言う通りだ」


 空気を割るように流れた青年の言葉はなおも続く。


「多くの民の命を守るため、儀式の生贄として巫女である彼女には死んでもらわねばならない」


 嘘でも冗談でもない。

 また誰かに言わされたものでもない。

 間違いなく彼自身の意志を孕んでいる。

 そうとしか思えないほどの強い力を彼の言葉に感じた。


 視界の端、見ればラトカが下唇を噛んでいた。

 両手に拳を作りながら全身をかすかに震わしている。

 先ほどまで諦観しかなかった外面に綻びが生まれている。

 よほど青年の言葉が心に響いたのだろうか。


 なぜ、と疑問が生まれたものの解消する方向には動かなかった。

 ガレンは頭に血がのぼっていた。

 あんなにも冷酷に人一人の命を切り捨てられるのか、と。

 煮えたぎる血が全身に巡るような感覚に見舞われる。


「させるかよ……そんなこと絶対にさせねえ」


 相手の数は五人。

 それも全員が剣を持っている。

 対してこちらは一人のみ。

 しかも武器はなにもない。


 どれだけ熱くなっていようとも圧倒的不利な状況であることぐらいは判断できる。だが、それでも前に出なければならない。

 戦わなければならない。


 思考よりも本能が答えを出した。

 ガレンは体の奥底から噴き上がる衝動に身をゆだねる。

 こちらの敵意を感じとったか、青年の眉間に皺が寄る。


「邪魔をするというのなら貴様をいまこの場で殺すほかない」

「この方は関係ありません」

「黙っていろ。お前の意見は聞いていない」


 ラトカの声に耳を傾けることなく青年がさっと手を払う。

 それが合図となった。

 配下のうち二人が剣を脇に流しながら駆け出し、ガレンに向かってくる。


 明確な殺意を前にしても体に熱はこもったままだ。

 ただ、いまさら頭が冷えてくる。

 すぐさま目線を辺りに巡らせた。


 いま、立っているところは崖側に少し突き出す形だ。

 退路は襲いくる青年の配下によって塞がれている。

 もう逃げるのは難しい。

 真っ向から応戦するしかない。


 とはいえ、素手でやりあったところで勝ち目はない。

 得物を調達しようにも辺りには木だけでなく草すら生えていなかった。

 片手で握れる程度の小石は幾つか落ちているが、それだけだ。

 こんなものをぶつけたところでたかが知れている。


 それでも敵の殺意にあてられ、なにかしなければという思いが先立った。

 小石を拾うと、すぐに右手で投擲せんと振りかぶる。

 やはり小さくて軽い。

 ――もっと大きかったら。


 そう思ったときだった。

 唐突に右手の甲が赤く発光しだした。

 さらに握っていた小石が一瞬にして人の頭ほどまで巨大化する。


 すでに振りきる寸前だったこともあり石は手から勢いよく放たれ、こちらに向かってきていた敵の頭部に激突。鈍い音を鳴らした。

 どさりと敵が地面に倒れる。


 なんだ、これ……?



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