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◆第十九話『空の舞台』

 ラトカは竜の頂に立たされていた。

 ここに至るまで抵抗することはしなかった。

 下手に暴れたところでそばにいる二人の騎士から逃れられるとは思わなかったからだ。


「さあ、儀式を」


 背後から急かされた。

 以前の自分なら躊躇うことはなかっただろう。

 疑問すら持たなかっただろう。


 だが、いまは違う。

 いまの自分は死ぬことを望んでいない。

 それに――。


 待っていろ、と彼が言ったのだ。

 助けを求めることしかできないけれど、彼を信じて、彼が来てくれるまで生き延びなければならない。


「なにをしている」


 足音が近づいてくる。

 視線を落とした先、うっすらとした影がすぐ後ろに見えた。

 ラトカは素早く振り返る。

 近づいた騎士に体当たりをかまし、突き飛ばした。


 すぐに体勢を整え、駆け出そうとする。

 と、全身に強い衝撃を感じた。

 なにが起こったかわからなかった。


 気づいたときにはうつ伏せに倒れ、もう一人の騎士に組み敷かれていた。

 地面に胸を押し付けられ、ラトカは思わずむせてしまう。

 先ほどラトカが突き飛ばした騎士が起き上がりざまに声を荒げる。


「やりすぎだ! 相手は巫女だぞ!」

「問題ない。バルバラード様の許可は得ている」


 ラトカを組み敷いた騎士はひどく冷静な調子でその言葉を口にした。


「許してくれとは言わない。わたしにはあなたよりも家族のほうが大事なんだ」


 騎士の言葉に理解はできる。

 だが、もう強く生きたいと願ってしまった。


 ずっと奥底に押さえ込んでいた感情を表に出してしまったのだ。

 いまさら揺らぐことはなかった。


 両手に拳を握りながら、その名を口にする。


 ……ガレンさん!



◆◇◆◇◆


 左手の魔甲印――《果ての領域》を使用しながら、竜の頂へと続く坂道を駆け上がりはじめたときだった。


 空に無数の青白い燐光が浮かび上がった。

 それらはまるで踊るようにゆらゆらと天へと昇っていく。


 以前、ラトカが儀式を行なったときと同じ現象だ。

 坂を上がった先、竜の頂ではひと際強い光を発している。

 そばを浮遊するテュールが険しい顔で声を漏らす。


「儀式が始まったのか……!」

「こりゃ律儀に上ってる暇なんてないな」


 ガレンは眼前の坂道を横目に舌打ちをしたのち、そばの崖を駆け下りはじめる。


「お、おいどこに行くつもりだ!?」


 テュールが慌てて追いかけてきた。

 崖を下りた先に広がる鬱蒼とした森林。

 その中をひた走りながら、ガレンは竜の頂を視界に収める。


「あそこの真下だ!」

「ま、まさかボクに運ばせるつもりじゃないだろうなっ? 言っておくが無理だぞ! 自慢ではないが、ボクは力仕事が苦手なんだ!」

「初めからそのちっこい体に期待なんてしてねえよ! ほかにいいものがあるだろ!」

「いいもの……って、またちっこいって言った! ちっこいって言ったーっ!」


 テュールが怒りをあらわにする中、儀式は次の段階へと移っていた。

 竜の頂の下に幾何学模様を擁した巨大な魔法陣が現れたのだ。

 高さはちょうど地上と中間ぐらいか。


 以前、崖から飛び降りようとしていたラトカの姿が思い出される。

 おそらく、あの魔法陣に巫女が落ちることで儀式が完了するのだろう。


 竜の頂の縁に立つラトカの姿が見えた。

 ただ、自ら進んだ雰囲気ではない。

 背後にはオゥバルの騎士が控えている。


 ……間に合うか? いや、間に合わせるッ!!

 左手に刻まれた魔甲印《果ての領域》はすでに使用している。

 おかげで瞬く間に目的地まで到達した。


 先ほどもクリスの魔法を回避する際に使った。

 要領は完璧に掴んでいる。

 大きく跳躍し、叫ぶ。


「来い、グラスヴェイルッ!!」


 呼び出すなりその切っ先を真下に向けた。

 同時、巨大化の力を付与する。

 地面に突き刺さったのを機にグラスヴェイルが天へと剣身を伸ばしていく。


 柄を掴んだガレンの体も一気に竜の頂へと向かう。

 その速度たるや走るのとは比較にならない。


 押し寄せる風に負けじと目をこじ開ける。

 と、ラトカが崖から投げ出された。

 恐れからか彼女は目を瞑っている。


「ラトカッ!!」

「……ガレンさん!?」


 声に気づいた彼女が目を開くと、驚愕していた。

 無理もない。

 こんな方法で助けに来るとは思いもしないはずだ。


 ガレンは右手でグラスヴェイルの柄を掴み、鍔に足を固定。

 左手を大きく広げた。

 ラトカもまたこちらに向かって両手を伸ばした。


 魔法陣を抜けると、ついに彼我の距離が縮まった。

 なるべく衝撃が伝わらないよう彼女の体を抱きとめる。


 彼女に触れたのは初めて出逢ったとき以来だ。

 それほど長いときではない。

 なのに懐かしさを感じた。


 ガレンはラトカを抱いたまま竜の頂まで到達すると、グラスヴェイルの巨大化を解きつつ飛び下りた。


 グラスヴェイルを地に突き刺したのち、両脇を持つ格好でラトカをそっと地に下ろした。少しの間、ぽかんとしていた彼女が急に眉をひそめる。


「あ、あのっ。こんなときに言うのもあれですが、この下ろし方、どうにかなりませんか?」

「いや、なんかしっくりくるんだよな」

「子ども扱いみたいでいやなんですっ」


 怒っていますとばかりにラトカが眉根を寄せる。

 そんな彼女を見て、ガレンは思わずふっと噴き出してしまう。


「昨日の夜もさっきも泣きそうになってたってのに……なんだよ、元気そうじゃねえか」

「な、泣いてなんかないです! わたし一度も泣いてないですからっ」

「わかったわかった。そういうことにしておいてやるよ」

「そんな投げやりに言っても――」

「悪いな。すぐに行くって言ったのに遅くなった」


 ラトカの声を遮る形でガレンは告げた。

 勢いをそがれてか、ラトカは少しの間声を失っていた。

 息を吐いたのちに微笑を向けてくる。


「ちょっと心配になりましたけど……でも、ガレンさんならきっと来てくれるって信じてました」


 その素直な気持ちは真っ直ぐに心に届いた。

 自分の気持ちを内に閉じ込めてばかりだった少女が、こんな短い間に変わったものだな、とガレンは自分のことのように嬉しくなった。


「どうして貴様がここに……バルバラード様は……?」


 信じられないといった声が聞こえた。

 言ったのは竜の頂にラトカを連れてきた二人のオゥバル騎士。

 そのうちの一人だ。


「あいつなら下で寝てるぜ」

「ありえない。あのお方が負けるなんて――」

「信じられないなら見てくりゃいいだろ」


 少しの間を置いて、騎士が剣を抜いた。


「ここで巫女を捧げなければオゥバルが……!」


 ガレンは向けられた剣に動じることなく告げる。


「やめとけ。下での戦い、あんたも少しは見ただろ」


 剣を持った騎士の目は怯えていた。

 まるで化け物を見るかのようだ。


 やがて実力差を悟ったか、力なく剣を下ろした。

 そばで控えていたもう一人の騎士とともに目の前から去っていく。


「ありがとうございます。彼女たちを見逃してくれて」

「自分を殺そうとした奴だってのにお人好しだな」

「……彼女たちを責めることはできません」


 そう口にしたラトカの瞳ははっきりとした色を持っていなかった。

 きっと複雑な感情が渦巻いているのだろう。

 ただ、意地でも目をそらそうとしないところに彼女の意思を感じた。


「主、上を見ろ!」


 テュールが叫びながらそばまで飛んできた。

 言われるがまま天を仰ぎ見る。

 と、思わず手に力が入った。


 空を覆った灰色の壁。

 その奥で巨大な影が泳いでいたのだ。

 影の正体は間違いない。


 空の支配者。

 天蓋竜イズガルオムだ。


「贄をとられたからか、怒っているようだな」

「もう時間はないってことか」

「急いで境界を生成するっ」


 テュールは舞い上がると、祈るように両手を合わせた。


「我は泉の守護者なり。大地に巡る無限の根。無限の進化を宿した幹。そして大地を見守る優しき枝葉たちよ。いまひとたび大樹の力をもって二つの世界を別ちたまえ――」


 うっすらとした緑の光に彼女は包み込まれ、二つに結われた青の髪が波打ちはじめる。穏やかながら強い風に大地の木々が揺られたとき、光が弾けるように散った。


「――天地絶界」


 テュールの遥か上方で青空色の閃光が走った。

 光は地上と水平となる面に姿を変え、その域を瞬く間に広げる。


 ついには面の切れ目が見えなくなった。

 世界の端まで続いているのではないか。

 そう思うほど、地上を綺麗に覆っている。


 これが天と地を絶つ境界。

 空の解放者と天蓋竜の戦う舞台。


 そばではラトカが感嘆の声を漏らしながら、突如として現れた青空色の境界に見惚れていた。

 ガレンも同じように呆けそうになったが、すぐに気を引き締めた。


 これからあの境界に向かうだけではない。

 天蓋竜と戦わなければならないのだ。

 テュールが下りてくる。


「心構えはいいか、主。よければ境界への転移を開始するぞ」

「ああ、いつでもいいぜ」


 ガレンはグラスヴェイルを持ち、肩に担いだ。

 前へと歩み出て天地の境界を見上げる。


「ガレンさんっ」


 ラトカに呼び止められた。

 振り返ると、彼女はばつが悪そうに目をそらし、俯いてしまう。

 両手で服の裾をぎゅっと握りしめながら震える声で話しはじめる。


「なにもできなくて……わたしのことなのに……っ!」


 彼女にしてみれば自分が生きるため、他人に命を張ってもらうことになるのだ。

 辛く思うのも無理はなかった。


「なあ、ラトカ」


 ガレンはそっと話を切り出し、継いだ。


「俺、記憶なかっただろ。だから初めて逢ったとき、どうしてこの場所にいきなり現れたのかずっと疑問だったんだ。……ただ、いまならはっきりとわかる」


 生きることを諦めていたラトカが生きたいと願った。

 それがたまらなく嬉しいと感じた。

 自身の中にある後悔を和らげてくれた。

 ガレンは目の前の少女を見据えながら言う。


「俺はラトカを助けるために来たんだってな」


 この世界を自分の目で見て、耳で聞いて。

 すでに持っていた心とともにそう思ったのだ。

 ドルクナードの使命なんて関係ない。


 ラトカはこみ上げる感情を押し殺すように口を閉じた。

 大量にこぼれはじめた涙を懸命に両手で拭っている。


「泣くんじゃねえよ」

「泣いてません……っ!」


 ……そんな意地の張り方が子どもっぽいんだよ。

 そう心の中で呟きながら、ガレンはラトカの頭をあやすように撫でた。


「あと少しだけ待っててくれ」


 ガレンはラトカから離れ、転移を開始するようテュールに目で合図をした。

 間を置かずして体が光に包まれはじめる。


「これから俺が照らしてやる。お前の未来も、そしてお前の世界も」


 その言葉を最後に――。


 ガレンは竜の頂から天地の境界へと立った。



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