◆第十八話『立ちはだかる壁』
「ガレンさんっ!」
「ラトカ! 待ってろ、すぐに行く!」
視界の中、女性騎士に両脇を固められたラトカが《竜の頂》へと連れられていく。
やっと本当の声を聞かせてくれたのだ。
その声に報いなければならない。
だが、そのためにも倒さなければならない相手がいる。
こちらに近づいてくる男。
オゥバル最強の騎士であり、ラトカの兄でもあるクリス・バルバラードだ。
「あれが聖騎士とやらか」
ガレンの胸ポケットからテュールがひょこっと顔出した。
クリスはこれまでの相手とは格が違う。
戦闘はより熾烈を極めるに違いない。
「テュール、離れてろ。そこにいたら死ぬぞ」
「……わかった」
なにか言いたげだったが、言葉を呑み込んだようだ。
テュールは静かに遠くへと飛んでいった。
「貴様の監視をしていたエシュモニークはどうした?」
クリスが二十歩程度の距離を置いて足を止めた。
おどけた調子でガレンは答える。
「朝早くに出たからな。ベッドで寝てたんじゃねえか」
「……まあいい。奴にはもとから期待はしていなかった」
クリスがちらりと大剣を見やる。
「丸太の戦士が随分と大層な剣を手に入れたようだな」
「一応、丸太もいつだって出せるぜ」
ベルトだけではない。
戦闘で紛失しないよう小枝はポケットにも仕込んである。
クリスが目をすっと細めた。
「貴様が余計なことをしたせいでオゥバルは危険にさらされている」
「オゥバルが無事なら妹は死んでも良いってか?」
「必要な犠牲だ」
「眉一つ動かさねえんだな。もとからそうなのか? それとも兄貴のほうも妹と同じで不器用なタチか?」
こちらの煽りにクリスは大きく反応しなかった。
ただ、一度瞑った目が再び開けられたとき、明らかに鋭さが増していた。
その手に持った細身の剣の切っ先を向けてくる。
「巫女の最後の望みだからと捨て置いてやったが、やはり貴様は殺しておくべきだった」
「やる前から勝つこと前提かよ。強気だな」
「貴様がそれを言うか」
互いに距離を保ちながらゆっくりと移動を始める。
すでに左手の魔甲印は使用している。
そうしなければ大剣を持ち歩けないからだ。
やがて足跡によって描かれた線が結ばれ、円となったとき。
二つの鈍い音が重なり合った。
互いに地を蹴ったのだ。
眼前にはすでにクリスの顔が迫っている。
ガレンはグラスヴェイルを右脇に流していた。
相手の剣ごと体を叩くつもりで力の限り払う。
と、甲高い衝突音が鳴り響いた。
ガレンは思わず目を見開いてしまう。
まさか攻撃を受け止められるとは思わなかったのだ。
視界の中、グラスヴェイルと相手の剣が擦り合っている。
クリスは魔甲印の力を剣に付与しているようだった。
風を纏い、その幅は増している。
反応するだけでなく受け止めてみせた。
さすがはオゥバル最強騎士といったところか。
ほかの騎士とは違う。
「咆えた割にこの程度か」
「まだまだ! こっからだ!」
ガレンは雄叫びをあげながらグラスヴェイルを振り切り、クリスを弾き飛ばした。
余裕を与えるつもりはない。
すかさず間合いを詰めた。
最上段からの振り下ろしを見舞う。
地に足をつけたばかりのクリスは硬直した状態だ。
――いけるッ!!
と、なにを思ったかクリスは素早く眼前の地面に剣を突き立てると、自身に被せるよう斜めに倒した。
グラスヴェイルはクリスを捉えることはなかった。
彼の剣を滑るようにして地面へと激突。
巨大な亀裂を遠くまで走らせるだけに終わった。
攻撃を完全に流された格好だ。
ただ、問題はこのあとだ。
今度はこちらが硬直している。
クリスがすかさず地から剣を引き抜いた。
流れるような動きで鋭い突きを放ってくる。
切っ先が眉間へと迫る。
避けられない。
ガレンはとっさに右手に込められた魔甲印の力を解き放った。
後方へとその剣身を伸ばしたグラスヴェイルに突き飛ばされる格好で退避する。と、着地と同時に巨大化を解いた。
相手は遺跡で戦った巨人のように鈍足ではない。
小回りを優先し、ここぞという場面以外では巨大化の力を使うつもりはなかった。
「貴様の奇怪な魔甲印に似合った得物だな」
「ああ、こいつは俺にぴったりだよ」
強がった言葉ほど余裕はなかった。
剣の腕で圧倒的に劣っている。
そもそも剣を持ったのもグラスヴェイルが初めてなのだ。
純粋な技術で勝とうとするのが無謀と言える。
できることは先ほどのような小細工。
あとは――。
力で押し切ることだけだ。
ガレンは再びクリスに肉迫。
懲りずにグラスヴェイルを思い切り振り下ろした。
が、難なく躱されてしまう。
クリスのほうへと体の正面を向けながら腰をひねる。
地をえぐりながら即座に薙ぎの一撃へと転じる。
大量の礫とともに突風を見舞う。
「くっ、脳筋がッ!」
クリスが苛立ち混じりに剣を払った。
付随した風が刃と化し、ガレンの起こした突風ごと礫を相殺する。
「力だけで決まると思うなよッ!」
さらにクリスは咆哮をあげながら剣を振り下ろした。
生じたのは無数の激流を内包した風の斬撃。
地を抉りながら凄まじい勢いで襲いくる。
ガレンはグラスヴェイルを地に突きたてて巨大化。
盾として斬激を防いだ。
空気を切り裂くような鋭い音を鳴らしながら、両脇、頭上を荒れ狂う風がかすめていく。
斬激が通り過ぎたかと思った、直後。
透明化したグラスヴェイルの向こう側。
クリスが風とともに猛然と迫ってきていた。
彼によって突き出された剣に細身の姿はない。
風の渦を纏ったそれはまさにランスの様相だ。
ガレンはグラスヴェイルの腹で突きを受けた。
轟音が鳴り響き、周囲に風が吹き荒れる。
とてつもない衝撃に思わず顔が歪んでしまう。
勢いが弱まったのを機に剣を振るう。
が、その攻撃は掠めることすらできなかった。
すでにクリスは離れたところまで後退している。
ガレンは息をついた。
本当に強い。
思っていた以上だ。
ただ、だからこそ余計に苛立ちは増す一方だった。
「そんだけ強いのに、どうしてラトカを守ろうとしなかった?」
「わたしが背負っているのはたった一人の人間だけではない。すべてのオゥバルの民だ」
「ラトカだってオゥバルの民だろうが。大体、お前の背はそんな大きいのかよ? オゥバルの民全員を救えるぐらいでかいのかよ!」
「……お前になにがわかる」
「んなもんわかるわけねえだろ」
そう吐き捨てたのち、ガレンは続けて叫ぶ。
「けど、妹が泣いてたら助けてやんのが兄貴だろうが!」
クリスがラトカの兄であることを知ってからというもの、無性に腹が立ってしかたなかった。どうしてなのか。
答えは簡単だ。
きっと自分を重ねていたのだと思う。
あのとき、妹を守れなかった自分と――。
「貴様とラトカが出逢わなければ……ッ!」
クリスが歯をぎりりと食いしばった。
射殺さんとばかりの鋭い目を向けてくる。
「いま、ここでわたしは貴様を倒し、己の正義を証明するッ!」
クリスが剣を地に突き刺した。
柄尻に重ねた両手を乗せ、紡ぐ。
「我、刻印の主が命ず。結び解け……限りを払い、その力を見せよ――」
クリスの右手甲が眩く煌いた。
直後、剣を突き刺した箇所から荒々しい風が天高くまで噴出する。
これは以前にヴィオラが見せた魔力の大半を投じた魔法。
刻印解放。
「――刻印解放。蹂躙しろッ!!」
クリスの叫びに応じ、噴出した風が高さを保ったまま横方向へと一気に広がった。できあがったのは壁としか言いようのないものだ。
相当な厚さを持っているのか。
クリスの姿を窺うことはできない。
地鳴りを響かせながら。
触れるものすべてを呑み込みながら。
風壁は猛然と迫りくる。
凄まじい威圧感だ。
ガレンは思わず足がすくみそうになる。
が、躊躇している暇などない。
グラスヴェイルで風壁を切り裂き、突破するか。
いや、仮に突破できたとしても体がもつかはわからない。
それほどの激流が風壁の中で荒れ狂っている。
左右への回避は無理だ。
切れ目がまるで見えない。
ならば上か、と風壁を見上げる。
左手の魔甲印《果ての領域》によって強化された肉体でも飛び越えられそうにない高さだ。だが、横方向とは違って終わりが見える。
だったら――。
すでに風壁はそばまで迫っている。
迷っている暇はない。
ガレンは地面へと突き刺したグラスヴェイルに巨大化の力を付与した。一気に体が上方へと持ち上がっていき、瞬く間に風壁を越えた。
風壁が通り過ぎたのを見計らい、巨大化を解除。
一気に落下をはじめる。
いっさい声はあげていない。
だが、気配を感じ取られたらしい。
クリスがこちらを仰ぎ見た。
その目は驚愕の色で染まっている。
刻印開放は魔力の大半を使うとヴィオラが言っていた。
ならばあとは攻撃を当てさえすれば――。
勝てる。
もう黙る必要はない。
ガレンは力の限り叫んだ。
落下の勢いに任せ、グラスヴェイルを突きつける。
狙うはクリスの頭頂部――。
が、寸前で身を投げ打つようにして躱されてしまった。
対象を失ったグラスヴェイルは地に激突。
爆発にも似た轟音を響かせ、巨大な穴を作り上げる。
辺りへと飛び散る乾いた土や岩とともにクリスが地面を転がっていた。だが、地に足を突き立てていまにも体勢を整えんとしている。
ガレンはグラスヴェイルを地から引き抜くことなく手放した。
すかさずパンツのポケットから小枝を抜き取る。
魔甲印の力を通して丸太と化したそれを振るい、クリスに激突させた。
鈍い音を鳴らして弾き飛ばされたクリスが地面に何度も体を打ちつけ、長い距離を転がったのちにようやく勢いを止める。
その手から剣はこぼれ落ちている。
どうやら思うように体が動かないのか。
仰向けに寝たまま起き上がろうとしなかった。
「殺せ」
そばに立った瞬間、クリスがそう願ってきた。
ガレンは嘆息したのちに睨みつける。
「なに一人で楽になろうとしてんだよ」
決め手に丸太を使ったのは《丸太の戦士》などと皮肉を言われたこともあるが、理由はそれだけではない。
「てか、お前を殺したらラトカにどんな顔して会えばいいんだっての」
ラトカは兄であるクリスと他人であるかのように振舞っていた。
だが、不器用な彼女のことだ。
きっと兄が死んだと知れば悲しむに違いない。
ガレンは地に突き立てたグラスヴェイルに身を預けた。
大きく息をつきながら体を弛緩させる。
「ったく、もうちょい温存しとくつもりだったんだけどな」
これから天蓋竜との戦いが控えている。
それを考えると、肉体の損耗具合はあまり良くない。
だが、必要な戦いだった。
ラトカのためにも。
クリスのためにも。
ガレンは大きく息を吸い込み、短く吐き出した。
「うし、行くか」
そう気合を入れなおしたとき、クリスから信じられないといった目を向けられた。
「貴様、まさか本当に天蓋竜と闘うつもりなのか……?」
「当然だろ。ラトカを救うにはそれしかねえんだからよ」
「やめておけ。あれと戦うぐらいならまだラトカを連れて逃げるほうが現実的だ」
「んだよ、ちゃんと兄貴してんじゃねえか。むっつり野郎が」
思わず漏れた本音を指摘されてか、クリスが動揺していた。
しかし、返す言葉が見つからなかったらしい。
悔しそうに目をそらしていた。
ふと視界に燐光がちらついた。
切羽詰った様子のテュールが飛んでくる。
「急げ、主! もう巫女は《竜の頂》についてるぞ!」
どうやらあまり猶予はないらしい。
ガレンはすぐに駆け出そうとして、足を止めた。
振り返り、いまだ寝たままのクリスへと向かって告げる。
「しばらくそこで寝っ転がってろ。お前にも空ってもんを見せてやるからよ」




