◆第十七話『心の叫び』
ラトカは荷車の中で揺られていた。
そばには見張りの女性騎士が二人。
こちらが妙な動きをしないよう睨みを利かせている。
おかげで窮屈なことこの上ない。
ただ、いまは胸中のほうが窮屈だった。
昨夜からずっと靄が渦巻いている。
かき出そうとしてもうまく掴めない。
すべてガレンのせいだ。
やっと心の整理がついた。
そう思ったときに彼は現れた。
そして、また心を乱していったのだ。
初めて出逢った、あの日の夜と同じように――。
ラトカは膝に置いた両手をぎゅっと握った。
ざわついた心をどうにか収めたい。
そう思えば思うほど大きくなっていく。
荷車の揺れがまたそれを手伝っているような気がしてならなかった。
荷車が止まった。
おそらく《竜の頂》の麓についたのだろう。
頂に続く道は急な坂となっている。
そのため、歩いていかなければならないのだ。
命じられるがまま降りる。
広がる平野が視界に映り込んだ。
所々はげているが、多くが芝で覆われている。
以前、ガレンと下りた麓のちょうど反対側だ。
こちらのほうが水峰都市オゥバルに近い。
視界には、あとに続く騎士の姿も映っていた。
ざっと見たところ五百人はいるだろうか。
百人程度だった前回を鑑みれば今回がどれほど大掛かりかがわかる。
失敗はもう許されない。
その思いがひしひしと伝わってくる。
ふと横合から影が差した。
見れば、クリスが立っていた。
「ここからは歩きだ。ついてこい」
向けられた目に感情は篭っていない。
ただ鋭いだけだ。
そこに悲しい気持ちを抱くことはなかった。
兄が変貌するのは無理もない。
とうの昔に割り切っている。
歩きだしたクリスのあとにラトカは無言で続いた。
「昨夜、城壁に人影を見たとの報告を受けた」
唐突にクリスがそう切りだした。
ラトカは心臓が跳ねるのを感じた。
まさか見られていたのだろうか。
動揺する心とは裏腹になんとか平然を装い続ける。
「あの城壁だ。まさかのぼれるとは思えないが……奴が来たのか」
「いいえ。昨夜はクリス様以外、誰とも話しておりません」
怪しまれることを懸念し、即座に答えた。
クリスはこちらを窺うことすらしない。
少しの間を置いて「そうか」とだけ口にした。
追求されなかったことにラトカはほっとする。
が、心休まる暇はなかった。
「来ると思うか」
ガレンが来ると思うか。
そう訊かれたのだ。
昨夜のガレンの言葉が脳裏に蘇る。
――明日、もう一度訊きにくる。そのときに聞かせてくれ……本当の気持ちを。
彼ならもしかして……。
そんな考えが生まれたが、すぐに否定した。
そもそも多くの騎士が周りを固めているのだ。
辿りつけるはずがない。
いいえ、と。
返事をしようと口を開けた、そのとき。
背後で地鳴りのような音が響いた。
慌てて振り返る。
と、ラトカは思わず目を見開いてしまった。
騎士の隊列後方の辺り。
そこに大きな窪みができていたのだ。
周辺には幾人もの騎士が倒れている。
誰の仕業かは一目でわかった。
窪みに抉りこまれた黒い大剣。
それを引き抜いた男だ。
「うそ……」
ラトカは息が詰まりそうになった。
信じられないとばかりに首を振ってしまう。
男の正体はガレンだったのだ。
「ラトカ――ッ!!」
叫び声が平原に響き渡った。
ガレンの目が真っ直ぐにこちらを捉えてくる。
「約束通りきたぜ」
◆◆◆◆◆
「どうして……」
ラトカはいまだ信じられなかった。
思わずその場に立ち尽くしてしまう。
視界の中、すでに十人の騎士が動きだしていた。
ガレンを取り囲むように攻撃をしかける。
が、誰一人としてガレンを捉えられなかった。
躱すのが上手いのではない。
ただ、速過ぎるのだ。
あれほど大振りの剣を持っていながらまったく重さを感じない。
細剣を振っているのではないか。
そう思うほどの軽やかさだ。
触れた剣から粉砕し、持ち主の騎士を突き飛ばしていく。
さらに十人、二十人と次々に騎士が向かっていく。
だが、やはり誰もガレンに傷一つつけられない。
「なにをしている! 相手は一人だぞ!」
クリスの怒声が響き渡った。
それを機に上質な鎧を纏った騎士たちが戦線に加わる。
魔甲印の使い手である刻印騎士だ。
その数、五十。
おそらくクリスを除いた、いまこの場にいるすべての刻印騎士だ。
ガレンは以前よりも間違いなく強くなっている。
それでもあの数を相手に戦うのは無茶だ。
「逃げてっ!」
ラトカは思わず叫んでしまう。
同時、刻印騎士から様々な魔法が放たれた。
うねるように突き進む炎の渦、吹雪。
空気を切り裂く風の刃。
無数に飛びゆく氷塊や岩塊
それらによってガレンの姿が見えなくなる。
ラトカは直視できなくて目をつむった。
直後、凄まじい風が全身に叩きつけてくる。
「なんだと……?」
風が止んだとき、クリスの驚愕する声が聞こえた。
ラトカは恐る恐る目を開ける。
途端、思わず唖然としてしまう。
刻印騎士たちが揃って倒れていたのだ。
ガレンだけが立っている。
魔法の名残は周囲に見られる。
だが、彼自身に傷は一つもない。
大剣を薙いだ軌跡か。
弧を描くように地面が抉れている。
ガレンが地に大剣を勢いよく突き刺した。
またもこちらに届くほどの声で叫ぶ。
「思い切りぶつけてみろよ、お前の本当の声を! それぐらいしねえとこの空も、世界も壊れねえぞ! たった一箇所ヒビを入れるだけでいい! 傷をつけるだけでいい! そしたらあとは――」
ガレンが思い切り息を吸い込んだ。
左拳で自身の胸を力強く叩く。
「俺がこじあけてやるッ!」
ラトカはなにかが全身を駆け抜けていくような、そんな感覚に見舞われた。
自由を許されない。
未来を与えられない。
すべては巫女として生まれたから。
だから、願いを持たないようにしてきた。
叶えられない願いを持っても無意味だからだ。
割り切れている。
そう思っていた。
彼と出逢うまでは。
怒ることができた。
悲しむことができた。
苦しむことができた。
そして――。
笑うことができた。
ガレンと過ごしていると感情が揺さぶられた。
短い間ながら一緒にいると楽しいと感じた。
もし自由に生きられたら。
あのときのような時間をもう一度過ごせるだろうか。
そう思った途端、ぽつりとこぼれた。
「死に……たくない」
「ラトカッ!」
制するようにクリスから声が飛んできた。
だが、溢れた感情はもう止まらない。
ラトカは胸の奥底で燻っていた気持ちを。
本当の声を吐き出した。
「わたしっ、もっと生きてっ、もっと色んなところを見て回りたいですっ! ガレンさんと一緒に生きたいですっ!!」
自分が未来を望むこと。
それがなにを意味するかは充分に理解している。
それでも言ってしまった。
言わずにはいられなかった。
本当に良かったのか。
そんな後悔はある。
ただ、それ以上に清々しかった。
大きく息を吸い込めた。
こんな気持ちになったのは初めてだ。
「ようやく言えたな」
ガレンが晴れやかな笑顔を浮かべていた。
ラトカは心の底から安堵した。
言って良かったんだと思えた。
もっと彼の顔を見ていたい。
そう思ったものの、願いはすぐに閉ざされた。
クリスの背が間に割って入ったのだ。
「巫女を連れて行け。逆らうようなら強制的に儀式を開始しろ」
そう命じたのち、クリスが剣を抜いた。
縦に構えられた刃に彼の鋭い目が映り込む。
「わたしは奴の相手をする」




