◆第十六話『選択』
満ち満ちる刻を迎えた。
天は相変わらず翳っている。
だが、開いた窓から吹き込む朝の空気は澄んでいた。
ほかの日を体験したからこそわかる感覚だ。
「いよいよか」
ヴィオラ家のあてがわれた部屋にて。
ガレンはベッドに腰掛ける格好で靴紐を結んでいた。
「ヴィオラの話では正午に儀式を執り行うらしい。まだ時間はあるが、そろそろ出発したほうがいいぞ」
そう提案したのはテュールだ。
近くの丸机に座り、投げ出した足を交互に揺らしている。
「素直に通してくれりゃあいいが、そうもいかないだろうしな」
「オゥバルの騎士か」
テュールの問いに「ああ」とガレンは頷く。
「魔甲印の使い手っていう刻印騎士がわんさかいるらしいしな。それにあいつがいる」
「以前に主を負かしたという《聖騎士》クリス・バルバラードか。勝てるのか?」
「勝たなきゃ、先に行けないからな」
実際、クリスは強い。
もう一度戦ったところで丸太と巨石ではとうてい敵わないだろう。
ただし、今回は聖宝大樹グラスヴェイルという得物がある。
前回とは違う。
ガレンは靴紐を結び終えると、上半身を起こした。
「とにかく騎士のことはいい。問題は天蓋竜だ。どう戦ったもんか……下手にやりあうと辺りが焼け野原になっちまうし」
「……主、もしかして考えてなかったのか?」
「しかたないだろ。あんな馬鹿でかいのと戦ったことなんてねえんだし。ま、どっか人のいないところまでおびき出すしかないか」
「その必要はない」
テュールは言い切ると、ぴょんっと立ち上がった。
右手を自身の胸に当てながら決意に満ちた目を向けてくる。
「ボクが天と地上の間に境界を造る」
「そんなことできるのか?」
「そもそもドルクナードからボクが遣わされたのも、空の解放者と天蓋竜が戦う舞台を造るためだ」
まさかテュールがそんな役割を担っていたとは思いもしなかった。
ガレンは思わず驚愕と感心で胸が満たされそうになる。
が、すぐにあることが引っかかった。
「……おい、テュール。お前、ほかになにも覚えてないとかこの前言ってたよな?」
「し、しかたないだろう! なにしろ思い出したのは今朝なのだからな!」
「のわりにさっきはえらく得意気だったな」
「そこは雰囲気だ、雰囲気! やはり女王としての威厳は大事だろうっ」
「そうだな、威厳は大事だ」
ガレンはまじまじとテュールを見つめる。
如何せん体が小さすぎるせいで威厳という言葉から程遠かった。
大きいのは体に対しての胸ぐらいだ。
こちらの冷めた態度に気づいたか。
テュールが「むぅ」頬を膨らませた。
ふて腐れたまま彼女は話を続ける。
「さっきの境界について補足だ。いくら妖精の女王たるボクでも主たちの争いからずっと地上を守り続けるには無理がある。その辺りは覚悟しておいてくれ」
「ようはさっさとぶっ倒せってことだな」
「その通りだ」
テュールが頷いたのを機に顔を引き締め、体を向き直した
「あと主の左手の魔甲印……《果ての領域》について伝えておきたいことがある。その魔甲印は――」
「気にしてんのは代償についてだろ?」
テュールが驚いたように目を見開いた。
ガレンは自身の左手の魔甲印を見つめながら口にする。
「わかってる。使ってる俺が一番わかってる」
「……そうか」
そう零したテュールが心配そうな目を向けてくる。
「無理だけはしてくれるなよ」
しおらしい彼女の態度は新鮮だった。
らしくないと思う反面、悪くないなとも思った。
「……テュール」
「ん?」
「心配してくれてありがとな」
そうガレンが告げると、テュールがきょとんとした。
次第に頬を緩ませ、顔を赤らませる。
「と、当然だ。ボクは主を支える存在だからな」
礼を言われることに慣れていないのか。
彼女は思い切り照れているようだった。
……なんだよ、可愛いとこあるじゃねえか。
ふっと笑みをこぼしてしまう。
テュールのことを信頼していなかったわけではない。
ただ、知らなかった彼女の一面を知れたことで、その信頼をより強めることができた。
ガレンはすっくと立ち上がると、いまだ赤面中のテュールへと告げる。
「じゃ、今日は存分に支えてもらうぜ。妖精の女王さんよ」
「あ、ああっ! どんとこいだ!」
◆◆◆◆◆
「……ヴィオラ」
こっそり家を出ると、玄関先にヴィオラが立っていた。
剣呑な空気を纏いながら、こちらを睨んでいる。
「テュール。少し外してくれるか」
「あ、ああ」
肩に乗っていたテュールがどこかへと飛び立った。
それを機にヴィオラが口を開く。
「挨拶もしないなんて、なかなか不義理なことするのね」
「あれだけ避けられたらな」
ガレンが天蓋竜を倒すと宣言した日。
あれからヴィオラは不機嫌なままだった。
おかげでここ二日間ほど必要最低限の会話しか交わしていない。
ヴィオラが顔に怒りを滲ませる。
「それはきみがっ――」
「ありがとな」
ごめんと伝えたい気持ちもある。
ただ、これがもっとも適切だと思った。
意表を突いた形になったのか。
ヴィオラが目を見開いていた。
構わずにガレンは話を継ぐ。
「色々融通を利かしてもらったことだけじゃない。オゥバルを案内してくれたり、遺跡でも助けてもらった。あと美味い飯も食わせてもらったしな」
ヴィオラの顔から険しさが抜けていく。
ついには力なく俯いてしまった。
やがて両手を握りしめながら体を震わせる。
「……ずるい。そこでありがとうなんて本当にずるい」
彼女はそう口にすると、右腰に下げた魔導銃に手を当てた。
顔を上げ、こちらを見据えてくる。
揺れた瞳のせいか、威圧感はない。
「あたしがきみの監視役だってこと忘れてない? あたしにはいまここできみを止める権利がある」
「止めたいなら止めればいい」
ガレンは本気であることを目で、言葉で伝えた。
本当はヴィオラも戦うことを望んでいないはずだ。
そう確信していたが、間違いではなかった。
ヴィオラがすっと目をそらした。
魔導銃に当てた手をだらりと下げる。
「本当に行くの?」
「ああ。あいつに自由をやるって約束したからな」
後悔したくない。
その一心から初めは行動に移した。
ただ、いまはそれだけではない。
短い間ながらラトカという少女を知った。
未来を望んだあの顔を知った。
意志はもう固まっている。
ヴィオラがなにか言いかけたところで口を閉じた。
少しの間、目を泳がせたのちに恐る恐る言葉を紡ぎはじめる。
「もし……もし、あたしも巫女と同じような状況に立たされていたら……助けて欲しいって言ったら……きみは助けてくれるの?」
「当然だろ」
なにを言ってるいるのか。
そんな思いを込めた目を向けた。
ヴィオラがなぜか悔しそうに唇を噛んだ。
「やっぱりきみは馬鹿だね」
怒っているのか、悲しいのか。
どちらともとれる複雑な顔で彼女は呟いた。
どんな言葉をかければいいのか。
わからなかった。
ただ、そんな苦しい顔をして欲しくはないと思った。
だから、せめて彼女が心配することがないように――。
「その言葉、妙にしっくりくるんだよな。たぶん前もよく言われてたんだろうよ」
ガレンは笑った。
続けて天を指差し、明るい調子で宣言する。
「じゃ、ちょっくら竜をぶっ倒してくるわ」
◆◇◆◇◆
ヴィオラは家の前で立ち尽くしていた。
ただただ、ガレンが去った方向をじっと見つめている。
「ヴィオラ姉さん、一緒に行かないっぽ?」
声をかけてきたのはアッポだ。
気づけば、テュッポ姉弟がそばに立っていた。
耳をぴくぴく動かしながら、二人から窺うような目を向けられる。
ヴィオラはばつの悪い気持ちになった。
思わず目をそらしてしまう。
「あたしができることなんてないわ……」
「それじゃ、しかたないっぽ」
「……アッポ? なにしてるの」
アッポが石畳の上に置いたリュックの中を漁っていた。
帽子やゴーグルを取り出しながら、あっけらかんと言う。
「決まってるっぽ。ガレン兄さんを手伝いに行くっぽ」
「なに馬鹿なこと言ってるの! 相手は天蓋竜よ!? 勝てるはずがないでしょ!」
「姉御が行かないならオイラたちだけで行くっぽ」
弟のカッポも同様に身支度を始めていた。
二人して帽子も被り、ゴーグルを装着する。
それは彼らが飛空船に乗る際の格好だった。
「勝てる勝てないじゃないっぽ。思ったことをする。自分の気持ちに正直になる……それがコロット族っぽ!」
テュッポ姉弟はリュックを背負うと、頷き合う。
「カッポ、機巧工房に急ぐっぽ!」
「了解っぽー!」
普段と同じように機巧工房のほうへと向かって元気よく駆け出した。
あっという間に、二人の姿は見えなくなってしまう。
一人取り残されたこともあってか。
突如として虚しさが押し寄せてきた。
同時に二つの感情が胸中で膨れ上がる。
全身をかきむしりたい。
そんな衝動に苛まれながら、ヴィオラは自身に問いかけた。
あたしはどうしたいの……っ!




