◆第十四話『妖精女王』
同じ種とは思えないほどすべすべだった。
加えて細いのに不思議と柔らかい。
いつまでも触っていたい。
そう思ってしまうほどの心地良さをそれは秘めていた。
翌日の早朝。
ヴィオラ家の居間にて。
ガレンは片膝をついて、椅子に座ったヴィオラの足を触っていた。
もちろん劣情の赴くままに行動したわけではない。
昨晩、彼女が遺跡で負傷した足首の手当をしているのだ。
包帯を巻き終えると、ガレンは立ち上がった。
「こんなもんだろ」
「ん、ありがと」
「大した腫れもなかったし、治るまでそう時間はかからないんじゃないか。渡された塗り薬の効果のほどは知らねえけどな」
こちらの話を聞きながら、ヴィオラが包帯の巻かれた足首を入念に確認する。
と、なにやら意地の悪い笑みを向けてきた。
「あたしの足、入念に触って見つめていたけど、お気に召してくれたのかな?」
「気づかれてたのか」
「あれ、あっさり認めちゃうんだ。てっきり誤魔化すのかと思ったけど」
ヴィオラが目をぱちくりとさせる。
取り繕うことも一瞬だけ考えた。
ただ、すぐに見透かされそうな気がしてやめただけだ。
それに。
「俺も自分のことがわかりきってないしな」
「じゃ、こういうことに興味あるってわかったのかな。でも、男の人なら普通のことじゃない?」
「それだけじゃない。どうやら俺はあんまり女の肌ってのに慣れてないらしい」
「そうなんだ。だったら……」
ヴィオラは片足を椅子に乗せると、首を傾げる格好で膝に頬を乗せた。
しなやかな脚をなぞるように、はらりと一房の髪が垂れる。
「もう少し……触ってみる?」
上向けられた彼女の瞳はかすかに潤み、揺らいでいた。
とても魅力的だ。
思わず引き込まれそうになる。
だが、すぐそばに映る頬の色ではっとなった。
興奮だとか、欲情だとか。
そういった類のものでないことを雰囲気から察することができた。
ガレンは軽く息を吐いてから空気を変えるように半ば呆れ気味に笑う。
「そんな照れながら言われてもな」
「あはは……慣れないことは言うものじゃないね」
ヴィオラは目線を泳がせながら自嘲するように笑った。
いつの間にか頬だけだった赤みが耳にまで届いている。
「実を言うとあたしも男性に慣れてなかったり。笑っちゃうよね、この歳になってもさ」
意外だな、とガレンは思った。
彼女には垢抜けた印象を持っていたからだ。
……じゃあ、これまで強がってたってことか。
「悪かったな、面倒かけちまって。事情が事情じゃなけりゃいますぐにでも出てくんだが」
「それは気にしなくていいよ。一応任務だし、アッポたちもきみのこと気に入ってるみたいだしね。それに……」
ちらりと視線を向けてきたヴィオラがなにかを言おうとした、そのとき。
隣の部屋から騒がしい声が聞こえてきた。
「かぷぷー! オイラよりちっこい人間初めて見たっぽー!」
「カッポ、笑ったらダメっぽ。小さいことは良いことっぽ!」
「んがー! 二人してちっこいちっこい言うなーっ!」
いまだ言い合いは続いているようだ。
ガレンはヴィオラと顔を見合わせ、互いに苦笑する。
「小さいもの同士仲良くやってくれると思ったんだが……」
「早く行ったほうが良さそうね」
◆◆◆◆◆
「おい、主! このコロット族たちはなんなんだ!」
部屋に入った途端のことだった。
手の平に乗るほど小さな少女――テュールが目の前まで飛んでくると、テュッポ姉弟を指差しながら言った。
膨らんだ頬から小さいながら怒っているのが見て取れる。
テュールとは昨晩に訪れた遺跡で出会ったのだが……。
わけもわからず主と慕われ、しかもここまでついてきたのだ。
「なにってこの家の住人だ」
「人のことをちっこいちっこいと……教育がなってないんじゃないか!?」
「教育って言われてもな……」
どうしたものか。
ガレンは思わず頭をかいてしまう。
ヴィオラが少し遅れて部屋に入ってきた。
「一応、その子たちの保護者はあたしなんだけど」
「ん、お前の子どもか。ならばしっかり躾をしてくれんとな」
テュールが尊大な素振りで言ってのけた。
途端、ヴィオラの顔が陰る。
「あたしの子どもじゃないし、そんな歳でもないし。そもそも種族も違うんだけど……ねえ、ガレン。この子の羽もいでもいいかな?」
どうやら触れてはいけないことだったらしい。
ヴィオラが底冷えのする笑みを浮かべながらさらりと言った。
ひぃっとテュールが悲鳴をあげた。
素早い動きでガレンの背後に隠れると、ぴょこっと頭だけを出す。
「こ、この女はなんなんだ……人とは思えん覇気を感じるぞっ」
「ヴィオラ姉さんは怒らせたら怖いっぽ」
「怒った姉御は包丁飛ばしてくるっぽ~!」
テュッポ姉弟が得意気に紹介する。
が、すぐにその体を硬直させる。
「怒らせるようなことしなければいいだけよね。お望みならいまから包丁飛ばしてあげるけど」
「「あわわっ」」
しまいにはテュッポ姉弟までガレンの背後に避難してきた。
ガレンは肩を竦めながら、ヴィオラに目で対応を問いかけた。
「もうっ、好き勝手言ってくれちゃって」
ヴィオラがため息をついて怒気を抜いた。
ただ、現状に納得いかないらしい。
その口は拗ねたように尖っている。
少しの間、そっとしといたほうがいいかもしれない。
そう思ったガレンは彼女をよそに振り返った。
「テュールって言ったか。二つだけ訊きたいことがあるんだが、いいか」
「いいぞ、二つと言わずいくらでも訊いてくれ」
「じゃあ一つ目だ。あの巨人はなんだったんだ? 俺たちが部屋に入るなり襲ってきたあいつだ」
「あれは招かれざる者を排除するために配置された遺跡の守護者だ」
「のわりにはあっさり入れたけどな」
「招かれざる者は、そこのヴィオラとかいう女だ」
「あ、あたし?」
テュールに指差され、ヴィオラが困惑していた。
ただ、ガレンも同じような気持ちだった。
「てことは、俺は招かれた者だったってことか?」
「主はボクの主だからな。当然のことだ」
「まったく意味わからない理由だが……じゃあ招かれたはずの俺が襲われたのも当然だったんだな」
「あ、あれはボクの知るところじゃないっ。たぶんヴィオラに反応して、それで主のことも誤認してしまったんだと思う」
「意外と適当なんだな」
「うぐっ」
「まあいい。これはとりあえず置いておくか。二つ目だ」
どちらかと言えば、こちらのほうが本題だった。
「テュールは自分のことをドルクナードの泉を守る妖精女王って言ってたよな」
「ああ。ちなみに自称ではなく本当のことだからな」
テュールがそばのベッドに下り立つなり、えっへんと胸を張った。
その表情に偽りは見られない。
ガレンは続けて問いかける。
「ドルクナードって滅びたはずだろ。どういうことなんだ?」
「わからないっ」
「……は?」
「だからわからないと言ってる」
あまりに堂々としていたために返す言葉がなかった。
魔甲印との繋がりからドルクナードにはなにか縁がある。
自分を知るための手がかりになるのではないか。
そんな思いもあったのだが……。
まさかの「わからない」で断ち切られてしまった。
「ドルクナードが大切にしていた泉を守っていた。そして、その中でボクが一番偉かった。それぐらいしか覚えていない」
ガレンは放心状態から抜け出せなかった。
それを見てか、テュールが慌てて補足する。
「あ、まだ覚えてることはある」
こほんと咳払いとしたのち、もったいぶるように言う。
「ボクに課せられた使命――天蓋竜を倒すことだ」
その言葉によってガレンは放心状態から即座に復帰した。
だが、いち早く反応したのはヴィオラだった。
「天蓋竜を倒す? そんなことあなたにできるはずがないでしょう」
「もちろんボクが倒すわけじゃない。倒すのは空の解放者だ」
「空の解放者……?」
ヴィオラが険しい顔つきで聞き返した。
頷いたテュールがその目をガレンに向ける。
「主のことだ」
「……お、俺?」
ガレンは目を瞬かせながら自身を指差す。
と、「ああ!」とテュールが力強く頷いた。
嘘や冗談といった様子はいっさい見られない。
「ドルクナードの魔甲印が刻まれていること。そしてグラスヴェイルを扱えたことがなによりの証拠だ」
「グラスヴェイル……あの剣のことか?」
「そう、聖宝大樹グラスヴェイル。かつて世界を創り、空を支えたとも言われる大樹の種子を宿した聖剣だ」
そんな大層な代物だとは思いもしなかった。
ただ、グラスヴェイルはいま部屋にはない。
遺跡で巨人を倒したあと、テュールが振りまいた燐光に包まれたのを最後にその姿を消している。
「主が呼びかければグラスヴェイルはいつでも顕現させられるぞ」
こちらの考えを読んだのか、テュールがそう言った。
ガレンは疑念半分に呟く。
「……来い、グラスヴェイル」
直後、眼前の空間が歪み、黒い裂け目が現れる。
テュールのほうを窺うと首肯が返ってきた。
ガレンは恐る恐る手を入れてみる。
なにか物体に当たった。
少し触ってみると剣の柄であることがわかる。
意を決して握り、思い切り引き抜いた。
現れたのは黒色の大剣。
グラスヴェイルだ。
すべてを引き抜くと、凄まじい重量感が襲ってきた。
即座に両手で持ち、床が傷つくのを防ぐ。
「か、カッコイイっぽ~!」
カッポの感嘆が部屋に響いた。
その瞳は少年のように輝いている。
改めて、ガレンは手に持った巨剣をまじまじと見る。
昨晩、これで巨人を倒した。
ヴィオラの全力を出した魔法でも倒せなかった敵をだ。
それも苦戦したわけではない。
「やってくれるな?」
テュールが真剣な顔で訊いてきた。
ガレンはグラスヴェイルを軽く持ち上げる。
「これを使えば、天蓋竜に勝てるんだな?」
「あくまでそれは武器であり可能性だ」
「つまり倒せるかは俺次第ってことか」
巨人も大きかった。
だが、天蓋竜はその何十倍で収まらないほどの大きさだ。
強さも比ではないだろう。
大地を一瞬にして焦土化させたあの咆哮も忘れてはいない。
それでも――。
可能性があるというのなら答えは決まっている。
「いいぜ、やってやる」
「ガレンっ!」
ヴィオラの怒声が飛んできた。
見れば、鋭い眼差しが向けられる。
「きみだって見たでしょ? 天蓋竜がどれだけ恐ろしいかを……あれは人が太刀打ちできる存在じゃない。使命なんて――」
「べつに使命なんてのはどうでもいいんだよ。ただ、力をもらえたなら、ちょうどいいじゃねぇか。それで天蓋竜を倒せばあいつを……ラトカを救える」
ガレンはただ真っ直ぐに目を向けながら言い切った。
自分が意識を持ってから初めて出会ったラトカという少女。
彼女は生きることを諦めていた。
ただ、短い間だが、同じときを過ごすうちに知ることができた。
その目から本当は希望が失われていないことを。
だから約束した。
いまや奪われ、失われた空の下で約束したのだ。
必ず彼女を救う、と。
そして、救うための手段を手に入れた。
もう止まる理由はない。
「……もう好きにして」
ヴィオラが信じられないとばかりに首を振った。
こちらに背を向けて、壁で体を支えながら部屋から出て行く。
「姉さんっ」
「姉御っ」
テュッポ姉弟が慌ててあとを追いかけていった。
静かになった部屋の中、テュールが腕を組んで鼻息を荒くする。
「なんなんだ、あの女は。天蓋竜を倒せばみなも陽光を得られて幸せ万々歳だろう」
「あいつのこと悪く言うなよ。俺を心配してくれてんだ」
「むぅ」
思い通りの反応を得られなかったからか、テュールが頬を膨らませた。
かと思うや、その口に溜めた息をふぅ~と吐き出した。
「なにはともあれ天蓋竜を倒してくれるのならそれでいいか。使命がどうでも良いというのは気に食わないけどな」
「どこの誰とも知らない奴に課せられた使命だぜ。守るのが馬鹿らしいだろ」
「む、そう言われると一理あるな」
難しい顔をしたテュールをよそに、ガレンはグラスヴェイルを持ち上げる。
「まあ、まずはこいつに慣れないとな」
残された時間はあと三日。
それまでにグラスヴェイルを。
魔甲印の力を完全に使いこなし――。
天蓋竜イズガルオムを討つ。




