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ワンライ投稿作品

理想の姿

作者: yokosa

【第70回フリーワンライ】

お題:

水たまりを照らす虹


フリーワンライ企画概要

http://privatter.net/p/271257

#深夜の真剣文字書き60分一本勝負

 あの日に見上げた虹を覚えてる。

 長く陰鬱に続いた雨期の雲の晴れ間にかかった美しい虹。風は凪いで、鏡のようになった水たまりにもそれはくっきりと映っていた。

 今でも鮮明に覚えている。

 あの日誓った。私も誰かの顔を輝かせる虹になろうと。

 ――だと言うのに。

 視線の先にあるアスファルトの水たまりには、七色のネオンサインが映り込むばかりだった。あの日の虹とは比べるべくもない、軽薄な虹色。

 ジャクリーンは俯いて自分の姿を見下ろした。露出度の高いタイトワンピースに、コートをつっかけてるだけの出で立ち。控えめに言って露出狂一歩手前だ。これでは虹どころか夜鷹だ。

「あんた見かけない顔ね? 新人? 最近人さらいが出てるから、気をつけなよ」

「早いとこ客掴まえちゃえばいいのよ。しけ込めば安全」

 この界隈では先輩格に当たるらしい女たちが声をかけてきた。

「わざわざどうも!」

 はすっぱな調子で受け返す。傍目にはすっかり馴染んでいるように見えるだろう。

 仕事をするには、その方が都合が良かった。胸が大きくて、尻が軽くて、おまけに頭の方も軽ければ尚良い。

 本当にそうである必要はない。そう見えれば良いのだ。この嘘と方便に塗れた虚飾の街には必要なことだった。

 だが、彼女は決して自分から声をかけることはなかった。しなを作って通行人を眺めるだけ。時折向こうから声をかけてくることもあったが、煙たそうに振り払うだけで事足りた。お高くとまったわがまま女にわざわざ入れ込む必要はない。この街では。

 都合のいいことに、ここでは通行人を値踏みしても怪しまれることはない。誰だって羽振りの良い客を狙うものだから。一人一人、じっくりと観察する。

(――いた)

 花街に相応しくない、ビジネスパーソン風の普通の男だった。中肉中背、印象に残らない薄い顔。人相、体格、格好。ぴったりだ。

 距離を測り、息を詰めてから、弾かれたように男に飛び出した。男の肩にしなだれかかるように掴まる。

「ごめんなさい、少し足が」

 ほとんど男の懐近くから見上げるその顔は、ほんのり赤く染まっている。息を詰めて赤くしたものだが、ろれつの回らない口調と動作と合わせて酔った風体にしか見えない。

「大丈夫ですか?」

 男はコートの上から彼女を支えた。

「大丈夫、大丈夫よ。でも、出来ればどこか休めるところに連れて行ってくださる?」

 頷く男が目の奥で笑ったように見えた。


 肩を寄せ合う姿はカップルのそれでしかなく、仮に違ったとしても、この場所で男女の連れ立ちを咎める者などいない。

 男は彼女を気遣うそぶりを見せながら、徐々に喧噪から離れた場所へと誘導した。やがて暗く沈む倉庫街に入り込み、その中の一棟に連れ込まれた。

「ねえ、こんなところでどうしようって言うの?」

 ジャクリーンは酔った風を装いながら、身体の芯を緊張させた。

「ここは僕の貸倉庫でね。静かだからあんなところよりは落ち着けるだろう」

 彼女は、それに、と心の中で付け加える。例えば花街で見繕った女を、言葉巧みに連れ込んで隠すには打って付けだろう。

 ゆっくりと抱擁するように懐に入ると、彼女はネクタイに手をかけた。視線で顎を上げろと訴える。タイを緩めるからと。

 男は機嫌良く従った。余裕たっぷりに。無力な獲物をテリトリーに掴まえた蜘蛛の心境だろうか。

 自分こそが獲物だと気付いた様子もない。

「ふっ!」

 彼女はネクタイの結び目を掴むと、素早く男の背中に回り込んだ。容赦なく締め上げる。苦悶の声を上げる男が手を回してくるが、両手でその手を掴んで押さえた。タイの端を口にくわえ、足を男の背中に押し付けてさらに強く引き締める。

 男が泡を吹いて気絶するまで、そう時間はかからなかった。

 発信機で応援を呼んで倉庫をくまなく探したところ、間もなく拉致されていた女の身柄を確保した。


「ママ!」

 解放された女に、小さな娘が飛びついた。二人とも泣きながら抱きしめ合った。

 父親知らずの母一人子一人。この街ではさして珍しいものではなかった。だが、ありふれたそれらが、当人にとってはかけがえのない大事なものでもあるのだ。

 コートの代わりに、署のジャケットを羽織ったジャクリーン捜査官は、それでも救われない面持ちで溜息を吐いた。本当は、そんなつらい組み合わせを産み出さない世の中の方がいいのだが。

 とにかくこの件は落着。報告書を書けば万事が終わる。この心に垂れ込める陰鬱な暗雲を除けば。

 ヒールを鳴らして立ち去ろうとしたジャクリーンを、呼び止める声があった。

「警察のお姉さん」

 幼子の声に振り返る。

 そこには太陽があった。母親の胸に抱かれて、涙で濡れた太陽が、顔一杯に笑顔を浮かべていた。

「ありがとう!」

 釣られて、ジャクリーンの顔も綻んだ。心の中の暗雲が晴れていく。

 ああ、私は間違っていた。私はあの日の誓いになれたんだ。

 ジャクリーンは太陽に笑い返した。

 それはあの日に見た虹のような輝く笑顔だった。



『理想の姿』了

 お題の「水たまりを照らす虹」を見た時に、暗い夜道の水たまりに映るネオンサインがふと浮かんできて、それに肉付けした感じです。いつものへそ曲がり発想。

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