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翡翠の袖  作者: 蒼井 雨
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裏の街

 用水路からあがった先は花崗岩で造られた建物の裏側が立ち並んでいた。一本向こう側には人通りがあるようでざわめいた声が聞こえる。

「こんなに賑やかなところがあったのか」

「繁華街の裏側にでたみたいね」

 黒檀のような髪を絞って水気を切っているヒスイがいった。

「ハンカガイ?来たことない」

「道なら私わかるわ」

「ヒスイの家はどこ?」

「廃駅の裏手。ほら接待用の料亭がある方」

「そっちはあまり行かないなぁ…局営住宅の団地はどっちだろう」

 ヒスイと話しているうちに僕は自分がこの街をあまり知らないことに気が付いた。ヒスイのいう高級料亭はコタンが働いているところだとは思うが不思議なことに僕は場所さえ知らなかった。

「局営住宅なら中央塔の北側の地域よね」

「うん、でも北がわからないよ」

 情けない顔をする僕にヒスイはきょとんと驚いた顔をしてみせた。

「端末の電池がきれちゃっているんだよ。これじゃ方角がわからない」

 言い訳じみた言い方で僕は言う。一瞬、理解ができないというように困った顔をしてからヒスイは破顔した。水に浸っていた時と同じようにおかしくてたまらない、といったように笑う。

「ジュンヨウは面白いね。おかしい」

「今日はたまたまだよ。いつも電池がきれてるわけじゃない」

「そうじゃなくて」

 すっとヒスイの顔が近づいた。僕より少し小さい背丈で背伸びをして目線が同じ位置になる。ひどく近い場所で小さな唇が弧を描いたのがわかった。

「あそこにカシオペイアが。中央塔がその下で揺らめいているから、ジュンヨウの家はあっち」

 白く細い指が濃紺の帳の上を滑らかにさしていく。真北にある銀の星々。その中で中央塔が下から上へ順に無機質な光の輪を描き闇に溶けていく。

「ね?」

 背丈を戻し、首を少し傾げるようにして微笑んだヒスイの顔を見て自分が息をとめていたことに気がついた。

「え…あ、うん。そっちか、わかった」

 どことなく気恥ずかしくなりながら僕は言った。慌てて馬鹿みたいに頷く。

「ジュンヨウおかしい。本当にわかっているのかな」

「わかったわかった。あっちにカシオペイアが」

「いいよ、わたしが送ってあげる。迷子になりそうだもの」

いこう、とヒスイは僕の服の裾に軽く触れて促した。僕は袖口で顔をごまかすように擦った。

 繁華街は僕のみたことのないテラの世界だった。石造りの建物と建物の間を人々が動きまわっていた。テラの人々らしい褐色の肌に薄汚れた服装は変わらずだが奇妙な活気がある。建物の入り口でやりとりをする男たちや番をする者。その間をかいくぐって点々と露出した肌を蝶の羽のように薄く透けるショールに包んだ女の子たちがいた。その角閃石を織り込んだ緑色の布の袖口から細い指を伸ばし通行人を誘う彼女たちの間に同級生が何人かいることに僕は気がついた。

 ここでは何かの売買もしているようだった。僕がよく日用品を買いに行く闇市では売っていない見たこともないようなものの中に、貴重な壜詰めの葡萄酒が置かれているのを見て僕は目を丸くした。

「お嬢ちゃん達、いいもの欲しくないかい?」

 見知らぬ男が前を塞ぐようにして話しかけてきて僕たちは足をとめた。麻の色落ちした外套のフードをかぶった怪しい男だ。

「いいもの?」

 ヒスイが尋ねる。男は何かの粉末の入った袋を懐から出しかけて手をとめた。

「ああ。それともお小遣いのほうがいいかい?」

 男は僕の髪をちらりと見て、それからヒスイを上から下まで見定めるように眺めた。僕はその下卑な視線に腹が立った。

「両方とも、いらない。邪魔だよ」

 ヒスイの手を掴んで、男を押しのけて走る。引っ張られているヒスイが戸惑っているのがわかった。

「どうしたの」

 男の姿がみえなくなったことを確認して足をとめるとヒスイが訊いた。

「あいつ…ヒスイのこと変な目で見てた!下品な目で…」

「見られていたのは私でしょ?ジュンヨウが怒らなくても」

「だって」

 そういわれてみればなぜ自分が怒っているのかわからなかった。いまだにあの男に対して腹がたっているくせに説明することのできない僕にヒスイは言う。

「ジュンヨウは優しいね」

 なぜか困ったような微笑みを浮かべたヒスイが夜の闇に、薄汚れたこの街の雑踏に溶けて消えてしまうような気がして僕はヒスイの冷えた手を握りなおした。

「優しい」

「帰ろう、ヒスイ」

 局営住宅に着いた頃にはだいぶ遅い時間になっていた。ずらりと並ぶドアのひとつの門燈が灯されていて僕はコタンが帰ってきていることに気がついた。

「送ろうか?」

「迷子になるでしょ。また明日」

 悪戯っぽくいってヒスイは帰っていった。黒水晶のような壜を大事に抱えた姿をみて僕は少し嬉しくなった。


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