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翡翠の袖  作者: 蒼井 雨
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夜に浮かぶ飛行船

Alas, my love, you do me wrong...

グリーンスリーブスは僕の喜び。僕のグリーンスリーブス、君以外に誰がいるだろう…

 僕らは宵闇に住んでいる。僕らの世界には斜陽が昇る。



 真っ暗な窓の外に反射して映っている教室は夜に浮かぶ飛行船みたいだった。

 この街で一番大きい中央塔の二十三階にある教育部門の教室にならぶ高さの建物はなく、窓際の僕の席からでさえも外に灯りは見当たらない。暗闇の中に教室が―前方に立って疲れたような顔をした教師と見た目も様子も多種多様の生徒達のいる―浮かんでいた。

「みなさんが住んでいるここは『奇跡の土地』なんです」

 奇跡とは程遠いような表情をして教師は言った。この夜間学校の教師は『サテライト』からはじかれた人がなる職業なのだと聞いた。こんな生徒達の相手をするなんてと僕は教師を可哀そうに思い、それからやはり同情するものかと考え直した。

はじかれたとはいえ彼の出身は『サテライト』であり、何年か(下手したら何十年かもしれないが)義務を果たしたのならば彼は『サテライト』に帰っていくのだ。そんな恵まれた『サテライト』の連中に僕は同情なんかしない。

騒がしく教師がスクリーンに映し出した映像にまったく見向きもしない生徒達を気にすることなく彼はしゃべり続ける。

「三世紀前、この惑星はオゾンの激減によって温暖化が進んでいました。そして一世紀ほど前、並外れた規模の隕石の衝突によってこの星の地軸の傾きや自転速度は狂い、この星の国々にきていた『昼』や『夜』というものはなくなりました。今まで交互に来ていた『昼』と『夜』は場所によって『昼』しかない、『夜』しかないといったようになりました。」

 スクリーンには大きく二つの画像が映し出される。片方は赤い空とほとんどを砂で住め尽くされた廃墟の写真だ。太陽にこれでもかというくらい熱せられた砂は空の色をうつして赤い。クリーンごしでもその色は眩しく僕は目をそらした。電子ペンを宙で動かして教師はスクリーンに文字を書く。

「『サウスト』、といいます。昔の概念を使えば『昼』しかない場所です。太陽が一秒たりとも見逃さずに照りつけます。平均気温はここよりも百度ほども高く、人が住める状況ではありません。」

 サウスト。そう教師が言った瞬間に稼働している工場の中のようにうるさかった教室の中がぴたりと静かになった。急に空気が重さをもって固まるのを僕は肌で感じる。

 教室内の大半の生徒達は、座っていた机の上や立ち話をしていた友人の席、見せびらかしていたナイフやニードルといった本来ならば良くないであろう態度や物をもったまま止まり、首をゆっくりとスクリーンにむける。見たくないものをみるかのように。

 生徒に関心のない教師はそんな教室内の異変に気づくことなく事務的に次の画像の説明を始める。『サウスト』の隣に並べられた写真は対照的に暗い。空も果てが無いように黒く地面は分厚い氷で覆われていた。

「『ノスト』といいます。こちらは逆に『夜』しかない場所です。気温はここよりも二百度ほど低く、人は生身で生活することができません。地下の氷の最奥に前時代の遺物が化学変化したことによるエネルギーがあると期待されていますが、光がなく採掘は難航を極めています。」

 所詮子どもだましの期待だ、と僕は思った。もはや捨てられているこの星に残されたもののための張りぼての生きがいだ。そして僕は張りぼてを渡される側にいるのだ。

「みなさんの住んでいるこの土地は『ノスト』や『サウスト』のように人が生身では住めないこの星のなかで唯一といっていいほどまれな、気候条件に恵まれた土地です。だから『奇跡の地』と呼ばれているのです」

 安っぽい『奇跡』という言葉への反応が見たくて僕は教室を見まわした。感情をすぐ武器にする若い生徒達はどんな反応をするのだろうと思った。僕と同じように張りぼてに対して怒るんじゃないかと思った僕の予想は裏切られた。

 サラダボウルの中みたいに様々な見た目に反して生徒達の表情はみんな同じだった。畏怖。たくさんの顔はたった二枚の写真に支配されていた。みんな気づいているのだ。この街に大人が非常に少ないことに。下手をすると『ノスト』や『サウスト』が自分と関わってしまうことに。

 教室内が恐怖で埋め尽くされているなか、ヒスイだけが淡々と端末を使って講義の内容を記録していることに僕は気づいた。四十人ほどいる生徒達がいるなかで―僕の前の席に机に突っ伏して眠っているために教室内の変化に気づいていない茶髪がいたがそれを除いて―それはヒスイだけだった。 

 ヒスイは騒がしいこの教室では珍しく静かな女の子だ。それだけならば他の生徒達にまぎれて存在感を失ってしまうのかもしれないのだけれどヒスイは違った。ヒスイと他の生徒達や教室との間にはナイフで鋭く掘り込んだような筋がひかれていた。

 僕はヒスイをちらりと見た。真面目に教師を見つめている様子に勉強しなくてはと少し自分を省みるけれど僕は『サテライト』の教育部門から貸し出されている端末をいじってヒスイのように励もうとは思えなかった。光に弱い僕にとってあの端末は眩しすぎて使えない。

 長く黒い髪と透けるような白い肌。昔よりも混血化が進んだとはいえ、遺伝の優性劣性や気候に対応してある程度その場所ごとに特色といったものがでてくる。この街の人は彫りの深い顔と褐色の肌に濃い色の髪をもっているものが多い。ヒスイの髪は黒いけれど癖の強く頑丈そうな多くの子の髪とは違ってわずかに波打って柔らかそうだった。

僕はヒスイと周りの子たち見比べる。腿をむき出しにして高いヒールを履いた他の生徒達―彼女たちのそういった服装は学校が終わった後に繁華街で収入を得るためなんだそうだ―とは違ってしっかりした長さの丈のスカートと袖口が緑色のシャツはシンプルだけど生地から高価なものであることわかる。

異質だった。ヒスイはこの教室の中で浮いていた。どうしてヒスイはこんなところにいるんだろう―

フォン、と音を立てて放置されていた僕の学習用端末の電源が落ちる。暗くなった画面は明るい教室内と僕の顔を映し出した。幽霊みたいに白い顔と同じく色素の薄い髪。ヒスイのことを教室から浮いているだなんて僕は何を考えているんだろう。

 異質だなんて、それは僕の方じゃないか。


「なぁ、今日は何の話をしてたんだ?」

 アルトが起きたのはちょうど授業が終わった時だった。満足げに欠伸をしながら後ろの席の僕に尋ねる。

「ノストとサウストについて」

「あーそれで」

 周りを見渡してアルトは言う。教師が教室からでていった後教室内はいつものように騒がしかったが何かが少し違っていた。水面下の僅かな震えをアルトは読み取ったのだ。

「大変だなぁ」

 みんなの緊張感に同情したようにアルトは言う。がしがしと頭を掻いて、長めの茶髪が邪魔になったのかゴムでまとめ始めた。

「他人事だね」

「俺は興味ねぇもん」

 アルトは飄々と言う。

「そんなこといってお前、前回成績最下層じゃなかった?このまま行くととばされるよ」

「とばされるんならサウストのがいいなぁ、暗いところは気が滅入る。日の下のほうが俺に向いてる」

「どっちにしろ生きていける環境じゃないよ」

 気にした様子のないアルトに僕は呆れてため息をつく。アルトは汚れた大きいバックを担ぐ。

「重そうな荷物、何はいってんの?」

 学校に来るのに必要なものなんて学習用端末と護身具だけっで十分だろうに。

「俺のお楽しみ道具」

 にやりと笑って答えないままアルトは教室から出ていく。褐色の逞しそうな姿を僕は少しうらやましく思った。


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