05 再会
「おはようございます!」
昨日の夜に海外から帰って来た父さんと、そして緑川さんに向けて朝に相応しく爽やかに笑顔で挨拶を送る。いつも食卓に美味しい朝食を用意してくれるお手伝いの志木さんへの挨拶も忘れない。
父さんと緑川さんは返事を返してくれるが、志木さんは軽く頭を下げるだけ。彼女は美人なのに気取っていないけど、極端に口数が少ないのだ。一緒に暮らすようになって一週間、僕も馴れて気にすることはない。
「それじゃ、散歩に行ってきます」
登校時間にはまだ早いのに届いた制服を着て準備万端なのは、緑川さんが犬をプレゼントしてくれたからで、毎朝、散歩するようにしている。
夕方に散歩するほうが時間的にゆとりがあって良いのだが、通り魔がまだ逮捕されていない為にこの時間になったのだ。
「雫さん、毎日散歩に出かけなくても、彼――あ、いえ、…その犬は大人しいので、大丈夫ですよ」
記憶がなくて日常にストレスを感じないように、癒やしになる犬をプレゼントしてくれた緑川さんは、毎日欠かさずに散歩に出かけているのを知って、無理をしているんじゃないかと困惑しているのだろう。そんな優しい心遣いをしてくれる緑川さんに、ニッコリと笑みをかえす。
「無理なんてしていませんよ?道を覚えるのに散歩はちょうどいいんです。あ、そうだ、志木さん、後で野菜少し頂いてもいいですか?文化祭で僕のクラスが喫茶店することになって、今日の放課後に料理の練習することになったんだ」
僕が言い終わるまで目を見つめて、コクンと頷いた志木さん。構わないと言うことだろう。本当に口数が少なくて、自己紹介のときに声を聞いたぐらいだ。
「有難う。そういうことで、父さん、今日は帰ってくるのが遅くなるから、心配しなくていいよ」
父さんは海外出張が終わって今日は休みなのだ。僕のことが心配なのと、緑川さんと大事な話が合って、2、3日の休みを貰ったそうだ。そして緑川さんも昨夜は泊まって二人で夜遅くまで話をしていたらしい。だから緑川さんも朝から食卓に座っている。
一体何の話をしていたのか気になるところだが、まだ子供の僕が口出すには難しいらしく、昨夜は早々に部屋に追いやられた。
ま、いいけどね。
「じゃ、行ってきます。モモ、行くよ」
体の小さい子犬の種類は真っ白なマルチーズで、名前をモモと僕が名づけ、モモはリードを持つ僕の足の元へ来て散歩に出るのを待っている。
「待たせたようだね」
リードをつけると早速玄関へと尻尾を振り喜んで走る、コロンコロンした可愛らしいモモの後を追う。
1日に一回、自由に外にでるチャンスだもん、そりゃ楽しいだろう。
モモが喜んでいると、僕も嬉しくなる。
今日はよい天気だな~などと年寄りじみた感想を頭に浮かべ、一人と一匹がご機嫌で歩いていると、少し先の自販機の前で見たことがある人を見つけた。
あ、あの人は――
「おはようございます。ええと、青柳さんでしたよね?先日は助けて頂き有難うございます。あの時は動転していたようで連絡先を聞き忘れてしまってお礼も出来なくて、どうしようかと思っていたんです。偶然に出会ってよかったです」
青柳さんを見かけて走り寄り、返事をまたずに、息継ぎすら忘れたように早口に言葉をついたのは、彼が立ち去ってしまいそうだったから。
前と同じく帽子を深く被って顔半分は影で見えない。だけど、青柳さんは背が高く、僕は下から覗き込む形になってしまうが、かろうじて表情がうかがえた。
彼は何故か戸惑っているようだった。
僕と出会ったのが迷惑だった?だから、立ち去る素振りをした?
そんな表情を見てしまうと、この後、どう話をしていいのか…何かいい会話のネタはないかな?と探していると、ようやく彼が口を開く。
「…通り魔が捕まっていないのに、人気の少ない時間帯に一人で…」
目を合わそうとしないから、僕に話しかけているようで独り言を言っているようにも取れるんだけど、どっちだろう?と思ったけれど、ようやく言葉を発したのだ、どっちでもいいや。その言葉に乗っかかることにした。
「そういう青柳さんも一人ですよ?」
さっきの言葉が軽率で非難じみていたニュアンスを含んでいたからって、気を悪くして反撃の指摘したわけじゃない。
反論したら青柳さんがどうでるか知りたかっただけ。だって、この人お礼の言葉も受け取ってくれないし、逃げようとするんだから、少しぐらいの意地悪はいいよね?
ほらほら、青柳さんは一瞬だけどグッと言葉に詰まり驚いた顔を向けた。やったね。僕が反撃するとは思わなかったみたいだ。
満足な反応が返ってきて僕は嬉しくなる。
だって、僕を一度も見ようとしないんだもの、もう少し話をしたい僕としては反応が欲しい。
「俺は鍛えているから、多少のことなら対処できる」
会話が続くのは嬉しいのだけど、この時間に公園にいる理由は早朝トレーニングだと理解できた。
しかし、刃物を持っている通り魔相手に対抗するって、危険極まりないと思うのですが?
「だけど君はー…」
頭の先からつま先までの視線の動き、次いで、目をそらされた。その先は言いにくいのがよく分かります。
高2にしては細くて頼りないですよ?十分理解しています。
「大丈夫です。モモがいますから」
そう、その対応策もかねて、緑川さんのお墨付き用心棒、モモがいるのだ。
「モモ…?」
僕がモモを抱え上げたことによって初めて存在を知ったみたいだ。こんなに愛らしい姿をしているのに、モモに失礼だなぁ。
「子犬が番犬になるのか?初対面の俺に向かって吠えもしないぞ。メスだからか?」
「いざという時は強いって言ってましたよ?今、大人しいのはその時じゃないからでしょう。ちゃんと躾がなっている証拠です。あ、この子はオスです」
「オス!……オスで名前がモモ…?」
「変ですか?モモの名前は『桃太郎』から取ったんですが」
悪鬼である生き物を退治するほどの力を持った英雄なのだ。素晴らしい名前だと思うんだけど、そういえば緑川さんも名を教えたら苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そんなに変かな?
何を思ったのか青柳さんは、抱っこしていたモモをヒョイと持ち上げた。
乱暴ではなかったものの、気持ち良く僕の腕の中に収まっていたモモは機嫌を悪くしたのか、青柳さんの手に噛みついた。
「あっ!モモ!」
なんてことを~~~~!!
「―――オスだ」
それを確認したかっただけ?
噛みつかれても動じない青柳さんは、そのままモモを自分の腕の中へと入れてしまう。
優しい手つきを見ると動物が好きなんだ。意外な一面を見てしまった。
たった二回しか会ってないけど、その上かなり無口だけど、この人はー…
「…何よりの用心棒だ…」
「え?」
考え事をしていて、青柳さんが呟いたのを聞き逃してしまった。
「何でもない」
優しい手つきでモモを返してくれる。もうちょっと抱っこしててもいいのに。モモを抱き頭を撫でている時の青柳さんは、とても優しい顔をしていて、時間が許す限り眺めていたかったのだ。
青柳さんも精悍で男前の美形だから見ていて眼福もので、ちょっと残念。
「青柳さんって不思議な人ですね。二回しか会ったことないけど、何だか懐かしい感じがします」
いくら僕を助けてくれた恩人であっても、たった二度しか会ったことがないのなら、警戒、もしくは初対面の人に対する緊張が少なくあるはずなのに、そんな欠片もなく落ち着くのだ。
行き成り馴れ馴れしくナンパ口上もどきなこんなことを言えるのも、青柳さんだから?
「…………」
ツルッと言ってしまった僕の言葉が気に障ったのか、青柳さんが、くるりと背を向けて不意に歩きだした。
「あ、青柳さん?」
「もう、俺には近寄らないほうがいい」
さっきまでモモを見て優しい顔つきだったのに、突然どうしたんだろう?僕、何か悪いこと言った?
「後悔するのは君だ」
それって、どういう意味?どうして僕が何に対して後悔するというのだろう?モモを抱き上げた時以外は表情は乏しかったものの、雰囲気は軟化して普通に話していたのに急に近寄るなって。
それどころか用はないとばかりにスタスタと歩いていく青柳さん。
親しげにしたのが生意気だった?だけど……
「青柳さん!後悔するってどういう意味ですか?」
何か違う気がする。僕が生意気でもあんな言葉がでてくるのはおかしい。違うと胸の奥で否定する。
「今は分からなくても、いつか後悔する日がくる。そうならないよう俺を見かけても近寄るなと言っている」
「それのどこが説明なんですかっ!」
歩みを止めることも説明らしい説明もしてくれない素っ気ない態度に、意味不明なことを言われたこともあいまって苛立ちが顔をだす。
一気に距離を詰め回り込んだ僕は、青柳さんに言い放つ。
「何を示しているのか分かりませんけど、後悔する、しないは、あなたが決めることではなくて、僕が感じることでしょう!まして、先のことなんて誰にも分からないはずです!例えこの先、後悔したとしても今、後悔したくありません!」
青柳さんの言う通りに『はい、そうですか』と言ってしまえば、優しい瞳をしたこの人ともう二度と会えなくなる。そんな感じがした。
そうなれば、あの意味深な言葉の意味も分からないままだし、そもそも「近寄るな」は僕の為に言ってくれた言葉だ。
彼自身の気持ちの言葉じゃない。
僕の知らない何かを知っている?あんな搾り出すような声で「近寄るな」って言われても気になるだけだって。もしかしたら、僕に関係がある?と考えるのは単純だろうけど、一人で背負い込みそうな雰囲気の青柳さんを見捨てる方が、後悔する。
感情のまま言いたいことを睨みつけながら言い放ったわけだけど、青柳さんはどんな表情をしているのだろうか?怒ってる?呆れている?
そっと、帽子の下を覗いてみる。
「…マ……ナ………」
吃驚眼で僕を見つめているようだけど、何を呟いたのか意味が分からなかった。