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漆黒の鷹  作者: 桐原草
第二章 十市(とおち)
7/15

7 神殿へ

 鷹が残った鹿肉を切り分けている。

 鹿の肉なんて小さい頃にほんの一切れもらったきりだった。高市はそのときの味が長いこと忘れられなかった。祖父と小さな肉を分け合って食べると一口ずつにしかならなかった。それでもとても美味しかった。

 今日も同じ味だったような気がする。

(ここにじいちゃんがいたらなあ)

 高市の思いはいつもそこに還っていくようだった。


 鷹が明日、神殿に鹿肉を届けに行くと言ったので、高市は反射的に「おいらも行く」と答えていた。だが鷹は首を縦に振らない。

「おまえのことは神殿の一部の者しか知らない。村にいらぬ噂を立てたくはない」

 だから行くんじゃねえかよ、とはさすがに口にしなかったが、反抗的に鷹を見上げる。

「おいらのことは秘密にしているんだな。村に知られたくないようなことがあるのか?」

 鷹は高市の挑発にも乗らず、高市を見据える。

「おまえはどうにかして逃げ道を探りたいのだろう? そんなものは村にはない。我らは深い森の中を切り拓いて村を作ったのだ。この村はどこにも通じてはいない」


 言い当てられた高市は黙り込んでしまった。

(森を切り開いて村を作った? 何のためにそんな面倒なことをするんだ? この村は世間と関わりを持ちたくないのか?)

 高市がそんなことを考えている傍らで、十市がなんだか必死の面持ちで鷹に訴えていた。

「では、私が……私が、参りとうございます。私も、村に、行ってみたいのです」

 鷹はこの隔離された村の中で、村とも隔絶して生活しているのか。あの十市も一緒に。

(ありえねえ)

高市は思わず声を上げていた。

「あんた、あんなに近くに見える村にも行ったことがないのかよ」

 十市はなんだか泣きそうな顔で鷹に懇願している。

「一度だけでも、いいのです」

 これをこのまま見過ごしちゃあ寝覚めが悪い。高市は一肌脱ぐことにした。

「わかった。じゃあ、おいらと一緒に行こう。神殿からは一歩も出やしない。約束するよ。それならいいんだろう」


 鷹は何やらうさんくさげな顔で高市を見ている。高市は思いっきりにっこり笑いかけてやった。

「十市のことはおいらに任せなよ。おいらが守ってやるから」

 そう言ったのに鷹は無視して、十市になにやら注意を与えている。

 それを聞いた十市の顔は、なんといったらいいのか、それまで雨に打たれてしおれていたつぼみが、急にむっくり起き上がってぱあっと大輪の花を咲かせたようだった。

「ありがとうございます、鷹っ」

 そして十市は子供のように素直に、鷹の首にしがみついた。

 鷹は無言で受け止めていたが、頬が薄く染まっているのに高市は気づいた。

(ざまあみろ、十市の笑顔には弱いんだな)

と高市はほくそ笑んだが、どこか冷たいすきま風が吹くような気持ちになっているのを認めざるを得なかった。


 神殿へは一本道で、高市と十市はのんびり歩いていた。桜も終わり、森はこれから初夏の支度が始まる、浮き立つような気配に包まれていた。

 その道すがら十市から語られる言葉は、高市には信じられないような話ばかりだった。

「……それじゃ、鷹はあんたの父ちゃんじゃなかったのか」

 十市は五歳になるまで、ここではないどこか別の土地で暮らしていたという。神殿で一室を与えられそこで母親と二人で暮らしていた。母親は巫女様と呼ばれ、神殿の中で働いていたらしい。

 十市が五歳の時、村の大半を失うようなすさまじい戦が起こった。十市は他の巫女の手によって助け出され無事だったが、母親は神殿の火事で亡くなった。鷹もそのときに顔の半分に火傷を負ったらしい。

 村人たちはその後、今までの村をすててこの森に住みつき、切り拓いて自分たちの新しい村を作り上げたのだ。

「村が出来てくると、鷹はあのしだれ桜の丘にお家を建てて、私を育ててくださったのです。神殿の巫女様たちも、一週間に一度、足りないものを届けてくださいます」

 男が一人で五歳の子供を育てるなんて大変だっただろう。

 高市は祖父の顔を思い浮かべる。高市の両親が亡くなったのは三歳の時。それからはずっと祖父が育ててくれたのだ。夜中に熱を出したときも、川で滑って大けがしたときも、じいちゃんは一睡もせずに見守っていてくれた。

 鷹もそんな思いをして十市を育てたのだろうか。

「なんで村で一緒に住まねえんだろうな。神殿からいろいろ届けてもらってるんだろう?」

 神殿は週に一度細々した日用品や、季節の野菜、芋、豆、米などを届けてくれている。届けてもらうより、一緒に村で暮らした方がいろいろな手助けをうけられるだろうに。


 神殿からの届け物の代わりに、鷹はときどき夜遅くまで神殿の仕事をしに出かけることがあるのだという。聞こえないものを聞き、見えないものを見るという技が、黒い翼を持つ鷹一人にしか使えないためらしい。

 十市の母親と鷹は幼なじみだったが、母親は別の人と結婚した。十市は父親の顔も知らないという。


 高市が物思いに沈んでいると、十市が感心したかのようにつぶやいた。

「たけちはすごいのですね」

 そしてにこにこと高市に笑いかけてくるので、高市はどうにも居心地が悪くなり、

「おいらもじいちゃんに育てられたから、父ちゃんも母ちゃんもいねえからな」

と、言わずもがななことを言ってしまった。

「まあ、たけちにも、おとうさまも、おかあさまも、いらっしゃらないのですね。私たち、同じですね」

 そう言った十市が可愛らしく首をかしげているので、高市は無性にきまりが悪くなり、口の中でもごもごと「そうだな」と言うのが精一杯だった。

 十市は鈴を転がしたような声で笑っている。よく笑うな、と高市は思ったが、特に嫌な気はしなかった。どこかでシジュウカラがピチュピチュのどかに鳴く声が聞こえた。


 神殿は近くに見えていたが、十市にはこの道のりはすこしきつそうに見えた。こぶしの木があったのでそこで一休みすることにして、持ってきた水を飲みほっと一息つく。

 先ほどから考えていたことを聞くにはちょうどいい機会だ。高市は切り出す。

「なあ、考えていたんだけど」

 こぶしの花を見上げていた十市は、高市に向き直って答える。

「はい、なんでしょうか?」

 振り向いたその顔がぱあっと花が開いたように見えて、高市はどこを見ていいのかわからなくなる。桜だけでなくてこぶしの花でも元気になるのか、などといらぬ事を考えてしまい、高市は自分を叱りつけたくなった。

「い、いや、あの……あんたの母ちゃんは巫女さんだったんだろ? 鷹と仲良しだったって言ってたよな。それじゃ、あんたの父ちゃんは誰なんだ?」

 十市の顔が目に見えて暗くなってしまう。高市は慌てて取りなそうとするが声が出てこない。

「それが……わからないのです。巫女様も、おっしゃってはくださいませんでした」

 そう答える十市の顔がしおれて見えた。高市は立ち上がって丈の高い木を見上げた。

「ま、いいんじゃねえか。あんたには鷹がいるんだし。好きなんだろ?」

 まだこの少女と暮らして日は浅いけれども、その目はいつも鷹を追いかけていたのを知っていた。高市はそういうことに鋭い方ではないけれど、それでもわかってしまうほどの天真爛漫な少女の視線であった。高市はぱっと輝いた十市の顔をから目を反らせる。

「ええ、鷹が大好きなのです」

 高市はこれ以上話を続ける気になれなくて歩き出してしまう。慌てて追いかけてくる十市の気配を感じながら、たまんねえよな、と高市はため息をついた。

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